BATTLE
ROYALE
〜 仮面演舞 〜
第92話
美久はじっとその双眸で、目の前にいる『仮面』を見つめる。『仮面』はその佇まいからはっきりと分かるほどの集中を見せていた。重傷を負った相手にも隙を見せまいとする姿だ。
その姿を見て、美久ははっきりと理解した。
――ゲーム、オーバー。
美久の傷は左脇腹。この傷は止血したが、すでに再び開いてしまっている。そこから流出した血液は相当な量になるだろう。先ほどまでは度重なる戦闘による高揚のせいか感じなかったが、今になって意識も微かに朦朧とし始めている。対する『仮面』は、美久自身が与えた左肩の傷はあるもののそれ以外はほぼ万全。そして完全に先手を取られ、全身を撃ち抜かれた。もはや、まともな抵抗すら敵わないだろう。
事実上の、詰みだった。
――せっかく、壊し甲斐のある人と会えたのに。もう終わってしまう。
あっけない。あまりにあっけない。美久はそう思った。自分にとってのこの至福のひととき。できればもう少し味わっていたいと思っていたのだ。優勝などできなくてもいい。ただ、初めて感じた無上の喜びをもう少し長く味わっていたい。『仮面』の強さに触れて、美久はそう思った。
ずっと美久は、自分の異端を感じて生きてきた。破壊によって興奮と快楽を感じる自身が、一般社会の中で浮いた人間であることは異端を知った時から自覚していたことだ。だからこそ、このプログラムを心から歓迎した。
――合法的に、世間一般の異端である破壊を楽しめる。世間の普通が、この場所では異端と変わる。
最初こそは破壊を楽しんでいただけだった。でも知らず知らずのうちに、美久は心の底にそんな思いを抱いていた。異端な者は、世界から排除される。美久は、破壊を快楽とすることに気づいてからずっと世界から排除されてきたのだ。
だが、この場所は――プログラムは、美久を排除しない。美久こそがこの場所での普通。美久の行いこそがプログラムの本来の姿。それは美久が味わったことのない興奮と快楽。破壊でも得られなかったもの。
――私は、普通でありたかったのかもしれない。
今更ながら、美久はそんなことを思った。もっとも、本当に今更のことだったが。
一度は堪えた身体が、重力に従うことを望みはじめている。だが、美久はその前に知っておきたいことがあった。自分を楽しませてくれたといってもいい存在――『仮面』。その正体を。
限界を迎えたのか、美久の身体が仰向けに崩れ落ちた。身体中に穿たれた穴から血液が溢れ出し、雪を赤く染める。
もはや、身体はほとんど動かない。そのことが分かっているのか、『仮面』は美久の持っていた武器を回収しようと近づいてくる。美久は、ゆっくりと口を動かした。『仮面』の正体を知りたいと、思ったから。死ぬ前に、美久を楽しませてくれた人物の正体を。
「……あなたは、誰?」
美久が発した言葉に、『仮面』はその動きをぴたりと止めた。そしてじっと、その仮面をつけた顔で美久の顔を覗き込む。その時、美久には何となくではあるが『仮面』の正体が分かった気がした。
気づけば、その推測を口にしていた。
「あなた……西大寺君じゃ、ない?」
美久の言葉に、『仮面』がその眼を泳がせた。『仮面』が初めて見せた動揺。それは美久の推測が真実であることを物語っていた。そして『仮面』はゆっくりと、その仮面を外した。その中には、美久がクラスで何度か目にしていた男子生徒――西大寺陣(男子8番)の、中性的な顔があった。
「何で、分かった?」
陣が、意外そうな顔をして聞いてくる。
「少なくとも、お前が俺みたいな関わりの大してない奴の名前なんか覚えてるとは思わなかったよ」
「……別に、そのくらいは普通じゃない?」
美久がそう言うと、陣は呟いた。
「いや、十分意外だった」
「……そう」
「で……何故俺だと、分かったんだ? 納得いかないんだがな」
「……あなたの、その首輪」
美久がそう言うと、陣ははっとした顔で少しはだけた防寒着の首元にある、銀色の首輪に手で触れた。
「その首輪、少し浮いて見えるの。微かなものだけど、ね。多分……喉仏があるから浮いてるのよ。それで、分かったの。気づいたのは、最初に会った時かな。喉仏だけじゃ、男子ってことしか分からないけど……、今ならあなたしかいないし」
「なるほど……。旭東と同じか」
――旭東?
美久はそこで少し引っかかった。何故ここで既にこの世にいない旭東亮二(男子5番)の名が出てくるのか。美久には理由が分からなかった。美久の思いが表情に出たのだろうか、陣は話し始めた。
「旭東を殺した時、旭東は何かに気づいた様子だった。後から考えて、首輪のあたりを旭東が見てたことに気づいたんだが……同じ理由で中身を見破る奴がいるなんてな。旭東といいお前といい、よく見てるな」
そこで美久は、ふっと笑った。
「まあ、観察力がないとは思ってなかったしね」
「そうか」
そう言うと、陣は改めて美久の武器を回収し始めた。
「貰ってくな」
「好きに、すれば? もう、私には必要ないし」
「……ああ」
陣は再び黙ると、武器の回収を再開した。美久はそんな陣に、一言言った。
「……ありがとう」
美久が呟いた言葉に、陣は怪訝そうな顔をしながら反応した。困惑で一杯、といった感じの表情をしている。それもそうだろう。美久の思いは陣には到底理解不可能なはずだ。
「あなたと戦えて、私は楽しかった。だから……ありがとう」
その言葉に、陣は答えることはなかった。困惑の表情を浮かべながら、ほんの微かな苦笑いを美久に見せた。その苦笑にどういう意味が込められているのかは、美久には分からない。もちろん、彼が『仮面』となっていた理由だって。だが、そんなことはもはや問題ではない。
彼は自分を楽しませてくれた。このゲームの中で、もっとも大きな興奮と快楽を得られたかもしれない存在。この人生の中で唯一ともいっていい、自分につながる部分をわずかに感じた気のする存在。
そのことを思いながら美久はふと、彼を殺さなくてよかったのかもしれない、と思った。
陣と戦うことだけで、これまでで最高の興奮と快楽が得られた。だが、もし彼を殺していたら、その先はどうなっただろうか? きっとそれ以上のエクスタシーは美久には得られない。それはつまり、美久にとっての無間地獄。
――ならば、ここで殺されて良かったのだろう。
――私は異質で、異端。この先に生きても、他者には害にしかならないから。
視界がぼんやりとしてきた。もう、陣の姿を認めることができない。雪を踏む音が聞こえ、やがて遠ざかってゆく。陣が美久のところから去っていったのだろう。
無性に、メンソールが吸いたかった。湯原利子(女子16番)に教えられた、美久の精神安定剤。もう興奮は落ち着いて、必要などなくなっていたのに。でも、吸いたかった。この世界との最後の別れに、吸っておきたかった。こんなことなら、陣に防寒着の右ポケットに入ったメンソールとライターを取ってほしいと頼めばよかっただろうか? もっとも、そんなことは考えてもしょうがないことだったが。
――楽しかった、な。思う存分にやれて。
罪の意識などはない。そんなものを持ち合わせていたら、ここまで欲求に忠実にやっていないから。このゲームは、そういうルールなのだから。
完全に視界が闇に包まれる。それでも意識はまだ残っている。その意識の中で、美久は陣に対して思った。
――本当に、ありがとう。
そして、最後に思った。
――今度生まれ変わる時は、普通の人でいたい、な……。
その思考を最後に、美久の意識は完全に失われた。緋色に染まった雪の上で仰向けに横たわった美久の顔は、穏やかな笑みを浮かべていた。
<AM6:57> 女子18番 鯉山美久 ゲーム退場
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