BATTLE ROYALE
仮面演舞


エピローグ・2〜たった一つの希望を胸に〜

「今日は、何でまたこんな時間にしたの?」
 薫は、テーブルを挟んで向かいに座っている少女に問いかける。少女は注文していたレモンティーを一口啜ると、答えた。
「浅口さんと会えるからって、早く予定を組みすぎちゃったんです。おかげで今日は学校も仮病で早退しちゃいました」
「駄目よ、ちゃんと授業には出ないと」
「はい」
 少女は明るい声で、そう答えた。薫はそんな少女の表情を見ながら、彼女のことを考えた。
 今目の前にいる少女――和泉奈里香(いずみ なりか)は、今年からこの近くの高校に通っている薫の以前からの知り合いだ。今回は彼女が元気でやっているかどうかを確認しに来たのだが、この様子ならあまり心配はいらないだろう。
「友達は、できたの?」
「ええ。皆良くしてくれます。優しい人も多くて……」
 奈里香が、そう言って笑顔を見せる。
「そう、良かったわね。生活の方は困ったりしてない?」
「大丈夫ですよ。いくらか蓄えもありますし」
 奈里香には、両親がいない。昨年、事故で二人とも死んでしまったのだ。そして一人きりになった奈里香は長い入院期間を経て東京に引っ越し、一人暮らしをしている。生活費や学費は、事故の相手から十分な費用が出ている。入院中は、薫が世話をしていた(京平も、たまに様子を見に来ていた)。
「でもね、浅口さん」
 その時、奈里香がぽつりと呟いた。
「私、時々分からなくなることがあるんです」
「……何が?」
 薫の心が、少しだけ動揺する。それに気付いていないらしく、奈里香は言葉を続ける。
「私はなんでこうなったのか、とか……両親は何の事故で死んだのか、とか。私が私自身を知らないんです……。それに、一番分からないのが――」
 彼女が、薫を見据えて言った。
「何故、浅口さんが私のことをこんなに気にしてくれるのか」

――まさか――!

 その言葉を聞いた瞬間、薫は強烈な寒気を感じた。彼女が何もかもを見透かしているのではないか、という不安が過ぎる。急に、恐ろしさを覚えた。
――まさか、彼女は……。
 微妙な沈黙が、その場に流れる。しかし、やがてその沈黙を奈里香が破った。
「す、すみません! 変なこと言って……。おかしいですよね、こんなこと言って。浅口さんは、私の恩人ですもんね。本当に、ごめんなさい……」
「べ、別にいいのよ。別に……」
 それから、奈里香と薫は当たり障りのない話を続けた。学校のこと、生活のこと……。奈里香が突然「浅口さんは、いつ作東さんと結婚するんですか?」と聞いてきたときには、本当に驚いた。結局薫は「そのうちにね」とだけ答えた。

 しばらくの間――2時間近くだろうか――薫たちは、話し続けていた。奈里香が切り出した。
「……結構長く話してましたね」
「そうね。じゃあ、そろそろ……」
 薫がそう言うと、奈里香は少し名残惜しそうな顔をしつつ言った。
「そう、ですね。それじゃあ、私も帰りますね」
「うん。明日はちゃんと、学校に出るのよ」
「分かってますよ! それじゃあ、また会いましょうね。浅口さん。今度は、作東さんも連れてきてくださいね」
 そう言って、奈里香は席を立って店の外へと歩き出す。薫は、そんな彼女の背中に向かって答える。
「彼が行くって言ったらね」
「はーい」
 奈里香はそう言って店の扉を開け、街中へと出て行った。彼女の出ていく姿を見送った後、薫はふっと溜息をつき、窓の外を眺めた。

――私は、彼女に多くの嘘をついている。今回も結局、彼女に真実を話すことはなかった。

――ひとつ。私と彼女は以前からの知り合いでも何でもない。私が彼女と知り合ったのは、彼女が入院していたときだ。
――ひとつ。彼女の両親は事故で死んだわけではない。彼女の母親は五年前に死に、父親は二年前に殺されている。
――ひとつ。彼女は自分自身を知らないと言っていたが……さらに彼女の知らない事実がある。

――彼女の名は、和泉奈里香ではない。

「奈里香」は、二年前に記憶を失った。自分の名前……記憶を失う以前の自分にまつわる全て……何もかもを喪失した。幸い生活や学業に必要な知識までは失われていなかったのだが、薫たちはその事実を彼女には隠すことにした。彼女は「和泉奈里香」という人物であることにして振舞い、偽りの交友関係を築き上げた。そして、東京に転居させた。
 先程の彼女の言動からすると、彼女が本来の記憶を取り戻す可能性もまだ残されているようだ。その時、自分はどうすれば良いのか? 答えは、全く分からない。

「ごめんなさいね……早島、光恵さん」

 
早島光恵(1995年度岡山県岡山市立央谷東中学校3年C組女子11番)。それが、彼女の本来の名前。


 二年前のプログラムの時。西大寺陣に追い詰められた彼女は、
政田龍彦(1995年度岡山県岡山市立央谷東中学校3年C組男子17番)が本部爆破のために作った爆弾を使い、死んだ――はずだった。
 しかし薫が京平と共に爆発の後処理を行った際に、彼女は瓦礫の下で意識を失いながらもまだ生きていた。瓦礫が爆風の遮蔽物となったのだろうか? とにかく彼女は、重傷を負いながらもまだ生きていたのだ。さらに、あの首輪も爆発が原因だったのか……完全に故障してしまっていた。おそらく、そのせいで彼女が死亡者扱いされることになったのだろう。
 薫と京平は、予想だにしない事態に焦った。このアクシデントをどうするべきなのか、お互いに真剣に考えた。その結果――彼女は生きてあのプログラムから脱出することとなった。
 父たちには秘密裏に、薫と京平とで彼女を匿った。そして本部の撤収と同時に彼女を、病院に入院させた。もちろん、父たちにはそのことが漏れないように細心の注意を払って、である。
 結果、彼女はプログラムの一ヶ月後には意識を取り戻した。確かに、彼女は生還したのだ。だが、爆発の衝撃からか彼女は記憶を失ってしまっていた。
 薫たちはすぐに彼女の両親を探した。しかし、彼女の母は三年前に事故死しており、唯一の肉親である父親は――娘がプログラムに選ばれたことに激昂して抵抗し、プログラムの報告に来た兵士たちに射殺されてしまっていた。彼女は、知らない間に天涯孤独の身になってしまっていたのだ。
 そんな彼女をどうするか……。そして薫と京平は、彼女を別の少女「和泉奈里香」として社会に返すという決断をした。

 その決断が正しかったのか。それは……薫にも、そして京平にも分からない。何も知らない彼女の幸せそうな姿を見て、少し哀しくなる。
 だが同時に、彼女のその姿を見て救われた思いになる自分もあったのだ。陣を始めとしたあのクラスの生徒たちを死なせた代わりというのもおこがましいが、あの中を生き残った彼女をこうして見守っていく――。そうすることで、自分たちは少しだけでも救われるのではないか。そんな思いがした。
 利己的な考えかもしれなかったが、そうでもしないと、押し潰されそうになる。


 窓の外の、冬空を見つめながら薫は祈っていた。
 彼女――和泉奈里香の、これからの幸福を。


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