BATTLE ROYALE
仮面演舞


エピローグ・3〜ほんの片隅の想い〜

 1998年、1月――昼の東京・渋谷。
 三人組の女子高生が、他愛のない話をしながらその街中を歩いていた。彼女たちの話題は、今日迎えたばかりの、高校の始業式の話題へと移っていく。
「やっぱり、生活指導の高本って話長くない?」
「美樹もそう思う? 私も……」
「確かにあの先生、長すぎるよね……。話の肝心なところは、もう最初の方で言ってるのに」
 彼女たちの口からは、高校の生活指導教師・高本に対する不満だけが漏れ続けていた。こうして内輪で愚痴を言うことが、ちょうど良いストレス発散になる。
しばらく歩いた後、その中の一人が言った。
「あっ、私そろそろバイトがあるから帰るね」
「うん、分かった」
「また明日ね、奈里香」
 友人たちに別れの挨拶をされて、少女――和泉奈里香(東京都私立朋塔学園2年5組)は、彼女たちに向かって手を振りながら別れて歩き始めた。


 奈里香は友人たちと別れて、バイト先である喫茶店へと歩を進めていた。そしてその道すがら、先月浅口薫とその喫茶店で会った時のことを思い出す。
 今思うと、あの時の薫の態度は……どうにも引っかかった。何かそう、重要なことを自分に隠したまま――話している。そんな雰囲気があの時の彼女にはあったように思う。しかし、それが何なのか……それだけはどうしても分からない。
 そんな調子で考え事をしているうちに、いつの間にか喫茶店の前まで来ていた。

――まあ、考えていても仕方がない、か。

 そう思いながら、奈里香は喫茶店のドアを開けた。


 しかしバイト中も、奈里香はどうにも仕事に集中できないでいた。あの時の薫の態度も気にかかっていたが……それよりも気になっていることがあった。ここ最近、いつも夢に現れる少年のことだ。
 少し長めの髪を、ヘアバンドでオールバックの形に留めた少年。何処となく切れ者な雰囲気を漂わせたその少年が、奈里香のことをじっと見つめている。
――君は、誰? 誰なの?
 夢の中で、奈里香は少年に問いかける。しかし、彼は決してそれに答えようとはしない。ただ奈里香のことを優しげに見つめ、そして突然背を向けて去っていく。奈里香は、少年をただ追いかける。彼は何を知っているのか。奈里香自身も知らない何かを、彼は知っているのか。奈里香の数少ない記憶の中にも残っていない少年。彼が、奈里香の失われた記憶に絡んでいるような気がしていた。
 しかし、少年を追いかけても追いかけても追いつけない。やがて少年は光に包まれて消えてしまい、奈里香は一人何もない空間に取り残されるのだ。そこで、いつも夢は終わってしまう。

――彼は、一体誰なのだろう?

 いつも、そのことを考えてしまう。自分に優しい眼差しを向けている、あの少年。あの少年は、誰なのか。そして彼は、奈里香の知らない奈里香を知っているのだろうか?
――彼に、会えたらいいのに……。
 奈里香は、そんなことを願っている。何故か夢で少年と会った後は、胸の高鳴りが抑えられなくなるのだ。理由の分からない、気持ちの高揚。その正体は、奈里香には分からなかった。

「……奈里香ちゃん、奈里香ちゃん!」
 そこで、急に声をかけられた。見ると、喫茶店のマスターがこちらをじっと見ている。
「ボーっとしてないで、お客さんのオーダー取りに行って来てくれる?」
「あっ、は、はい!」
 奈里香はすぐに思考を中断して、オーダーを取りにテーブルへと向かった。

 向かったテーブルでは、二人の男女が座っていた。男女と言っても、年は奈里香と同じくらいであろう少女とまだ小学生くらいに見える少年だ。こういう喫茶店に二人だけで来るというのは、そうそうないように見える組み合わせだ。それだけでなく、少女の右目には眼帯が着けられていた。その二点が、随分と奈里香の印象に残った。
 とりあえず奈里香は、二人の客に注文を取ることにした。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
 それに少女の方が反応し、答えた。
「私は、カフェオレとティラミスを。それでこっちの子にはコーラをお願いします」
「かしこまりました。少々お待ち下さいませ」
 二人の注文をメモすると、奈里香はカウンターへと向かう。その途中で、先ほどの二人の会話が少しだけ聞こえてきた。
「裕司君……パソコンを買うって本当?」
「うん。親の遺した貯金を使って、買おうかと思って……。兄貴の仇を取るためには、パソコンの技術が必要になると思うんだ」
「そう……でも、ちゃんと今の生活を楽しむってことも忘れないって、私と約束できる?」
「できるよ、絶対」
 少し不穏な内容が聞こえたような気がしたが、奈里香は気には留めなかった。奈里香に関係のある話ではなさそうだし、そもそも彼女たちは赤の他人なのだ。
 そして奈里香は、マスターに二人のオーダーを伝えた。


 バイトが終わったのは、陽が沈んでからだった。奈里香はバイトで疲れた身体を早く休めるべく、家へと向かった。
 彼女の家は、学校やバイト先から少し離れた街外れにあるマンションだ。特別に良いマンションというわけではないが、女一人で一人暮らしをするには十分なセキュリティが備えてある。
 奈里香はマンションの自分の部屋の中に入ると、一息ついた。
「ふう、今日も疲れた……」
 部屋の端に学生鞄を置き、すぐに風呂の準備をする。真冬の寒空の中で冷えた身体を、一刻も早く温めなくてはならない。
 その作業の中でも、奈里香はまたあの夢のことを思い返していた。
――何だろう……また、彼のことを考えてる――。
 もはやあの夢は、常に奈里香の意識の中に在り続けている。その理由は、奈里香にはやはり分からない。しかし、彼のことをこれほどまでに考えているのだから、あの少年は自分にとって何かとても大切な存在だったのではないかとまでは考えるようになり始めていた。

――彼に、会いたい。

 その気持ちはますます強まっている。どうすれば、彼に会うことができるのだろうか? 失われている記憶を取り戻せば、彼のことを知ることができるのだろうか?
「知りたいな……彼のこと。それと、私のこと」


 彼女は夢想する。顔しか知らない少年のことを。そして、自らの失った記憶の中にあるだろう、彼の情報を。
 その先にあるのが、忘れ去った悲しみとも……辛い過去の記憶とも知らずに。

 少女は、夢想する。

 BATTLE ROYALE〜仮面演舞〜 完


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