BATTLE
ROYALE
〜 The Gatekeeper 〜
第16話〜守護の章・1『少女』
近くで響いた一発の銃声に、福島伊織(男子15番)は一瞬その身を竦ませた。しかしすぐに、そこまでびくびくする必要もないと思いなおし、再び歩き始めた。
地図でいえば、D−3エリア。日常ならば、ごくごく穏やかな光景が広がっていたであろう住宅街。その中を、伊織は歩いていた。
辺りは夜闇に包まれているが、支給品の懐中電灯は使っていない。懐中電灯は、今もデイパックの中だ。
万が一何者かに気付かれた時に、灯に慣れていたらそれを消した時に不利になる。ならば夜目が効くようにしておいたほうが都合が良い。もっとも、こんな急ごしらえでどこまで効果があるかは疑問だったが。
懐中電灯の代わりに、両手には一丁のショットガン(古嶋が作ったらしい説明書には、イサカM37フェザーライトというショットガンだと書いてあった)がある。そのショットガンを、伊織は付属の肩紐を使って肩から掛けていた。
最初にデイパックを開けて、この支給武器を見つけた時、伊織は湧き上がる感情を堪えるに苦労した。それほどまでに、この武器の存在は大きかった。
周囲に、人の気配は特に感じられない。このエリアには、人はいないのかもしれない。
人を探すために、先程の銃声のしたほうへ行ってみるのも良いかとも思った。好奇心の強い奴ならば、銃声を気にしてやってくるかもしれないと思ったのだ。だが、それはやめておくことにした。
下手に騒ぎの起こった場所に向かっていって、ゲームに乗った人間と正面から鉢合わせるような真似は、できれば避けたい。伊織の武器自体はかなり強力だが、まだ完全に使いこなせているわけでもない。もう少し、様子を見ておきたいところなのだ。
とりあえず、少し腰を落ち着けたい気持ちに駆られた。食料も、デイパックの中のパンだけでは明らかに不足する。伊織はやや足早に歩きつつ、周囲を確認した。
辺りには、よく似た外観の民家がきっちりと建ち並んでいる。アパートの類も遠目にいくつか見える。ここから住民は、スタート地点となった駅を使って、仕事場や通学先へと向かっていたのだろう。もっとも、今後その暮らしがどうなるかは分からないが。
伊織はその民家のひとつひとつを確認していく。誰かが入った形跡があるのは、まずアウトだ。まだ誰かがそこにいた場合、思わぬハプニングを引き起こしてしまう可能性がある。常に、自分が優勢の状態でなくてはならない。
それに、誰かが既に入った家ということは、そこのめぼしいものはその人物によって持ち去られているとみて間違いないはずだ。ならば、そんな家にわざわざ入る意味はない。
そんなことを考えながら一軒一軒確認していくと、手頃な民家をひとつ見つけた。特に誰か侵入した形跡もなく、そこそこ裕福そうな家だった。
――ここにしようか。
伊織はその民家に狙いを定め、周囲の確認をしながら庭へと入る。幸い、誰かが近くにいる様子はなかった。
玄関のドアには、鍵がかかっている。やはり、誰か他の生徒が入ってはいないらしい。伊織はそれを確認してから、民家の裏手に回った。そこは、隣り合う民家の陰となって非常に周囲から見えづらくなっている。ここからならば、他の者に気づかれることなく侵入できるだろう。
その裏手には、勝手口があった。おそらくここから、この家の台所に入れるはずだ。
伊織は手ごろな石を地面から拾うと、石を手にして大きな音をたてないよう慎重に、勝手口の曇りガラスにぶつけた。
僅かに音をたてたが、曇りガラスはひびが入ると同時に見事に割れた。しばらく様子を見たが、やはり誰かが音に気付いて近づいてくるような気配はなかった。
――よし。
伊織は、手を怪我しないように注意しつつ、割れたガラスの嵌っていた窓枠に手を入れ、ドアの鍵を開けた。鍵が開いたことを確認して、ドアを開け中に入る。鍵をかけ直すことも忘れない。焼け石に水のような気もするが、やらないよりはマシだろう。
台所に入ると、そこにはなかなか整然と家具の並んだ、整った光景があった。どことなく、家主の性格が見えるような気もする。
すぐに、伊織は台所から食料を探す。冷蔵庫の中は電気が止められてしまっているから、まず期待はできない。実際、冷蔵庫を開けてみるといくつかの食材は傷んでいるように見える。徐々に暑くなってきている時期だけに、やむを得ない。
頭を切り替えて、伊織は戸棚などを探すことにする。すると、すぐにパンの類や菓子などが出てくる。それらの中から必要最低限のものを確保すると、伊織は小休止をすることにした。
台所の中には、手頃な椅子がいくつかある。四つあるところを見ると、四人家族だったのだろうか。そのうちの一つに腰を据えると、伊織は少し考え事を始めた。
福島伊織は、幼い頃に自分の名前が嫌いになった。
幼稚園の頃に、偶然同じ組に「伊織」という名の女の子がいたのが全ての始まりだ。そのことが分かって以降、伊織は他の男子に「女みたいな奴」と言われるようになった。それは些細なことだったが、伊織の心は傷ついた。自分は男のはずなのに、名前のせいで女みたいだとからかわれる。それが嫌で嫌で仕方がなかった。
特に伊織は昔から外遊びが好きでなく、絵本を読んだりするのが好きだった。そして女子とも仲が良かった。何より、伊織は子供の頃から女顔だった。それも悪いほうに影響してしまったのである。
どうしても耐えられなくなり、両親にそのことを伝えたこともあった。しかし――。
――伊織というのはもともと男の名前なんだ。気にするな。
父は、そう言った。だが、伊織はどうしても嫌だったのだ。だから自分の名前を嫌い、一時はそんな名前をつけた両親を憎んだこともあった。
しかし、そんな思いを消してくれたのが――一人の少女だった。
その少女は、幼稚園に入った頃から同じ組だった。決して明るい子ではなかったのだが、とても優しかった。今思えば、あれが慈愛の心というものだったのかもしれない。
彼女は、自分の名前を嫌う伊織にこう言ってくれた。
――おんなみたいななまえでも、いいじゃない。わたしは、ふくしまくんのいおりってなまえ、すきだなぁ。
たったそれだけの言葉。でも当時の伊織にとっては、救われたような気持ちがした。
それからも、伊織は彼女とよく遊んだ。男子からは色々と言われたが、全く意に介さなかった。これが自分だから。本が好きで、外で遊ぶのが苦手で、女子とよく遊ぶ。それが、自分だから。
彼女との日々は、楽しかった。その思い出は、今でも蘇る。本当に、楽しかった。
だから、幼稚園を卒園する時に、彼女が引っ越すことになって小学校が別になってしまったことは、とても悲しかった。
結局その後、彼女と会うことはなく時は過ぎた。伊織は相変わらず読書を好み、特に詩集を好むようになった。女っぽい容貌は、中学生となってもあまり変化はしなかった。運動を好まない性質ゆえに、あまり身体つきも男っぽくはならなかった。
しかし、この頃になると女子以外に男子ともある程度は話をするようになった。そしていつしか、幼い頃のような苦悩を覚えることも少なくなっていった。
そして先月、三年となってクラス分けを確認した時、伊織はある事実に気付いた。あの少女の名前が、伊織と同じA組にあるということに。
彼女は家庭の事情か名字こそ変わっていたが、その雰囲気と優しさは変わってはいなかった。伊織は、すぐにでも彼女と話をしたいと思った。
だが、彼女が自分のことを覚えている保証はない。十年近く前の話なのだ。もし覚えていなかったら、それこそ赤っ恥だ。そう思った。そんな思いを抱くと、話しかけることさえできなくなっていく。そうしているうちに、伊織の中にある感情が芽生えた。その感情を、伊織はどうにも解釈できずにいた。
やがて、たまたま図書室で読んだ一つの詩集から、伊織はその感情の答えを見出した。恋心を綴った詩を読んだ時、気付いたのだ。この感情が、恋だということに。
この時、伊織は初めて恋をした。
「……あの子は、今どこにいるんだろうな」
伊織は、椅子に座って一息つきながら呟く。プログラムが開始されてから、もう一時間と少しは経ったはずだが、伊織はまだ彼女の姿を見ていない。
――できることなら、もう一度彼女に会いたい。そして、この気持ちを彼女に伝えたい。
そんな思いをずっと抱いて、ここまできたのだ。
伊織の眼に、肩からかけたフェザーライトが映る。そっとフェザーライトの銃身を持ち上げる。根っからの文科系と言っても良い伊織には若干きついが、どうにかこうにか使い方は覚えた。あとは実践だけと言って良い。
――君は、死なせないからな。僕が、必ずここから生きて帰してみせる。
生き残るのはただ一人。そんなルールは先刻承知だ。でも、伊織は本能的にこの道を選んでいた。すなわち、彼女を生きてこの殺人ゲームから解放するため、自分が血を浴びる。その道を。
自分を知る者は、そのことを知ったら止めるだろうか。しかしそんなことはさせない。説得などする前にこのフェザーライトで黙らせる。
この街で、伊織にとって一番大事なのは彼女の生命。それだけなのだ。初めて恋をした、そして昔自分を救ってくれたあの少女のために。そのために残りの時間を生きよう。そう決めた。
――よし、そろそろ移動しようか。
そう思って、伊織は椅子から立ち上がると勝手口のドアから外に出る。そして慎重に、庭から玄関へと移動した。その時、伊織の眼にある光景が飛び込んできた。
伊織が潜んでいた民家から二軒ほど隣の民家から、誰かが出てきたのだ。
――既に他の民家に隠れてるのがいたのか!
伊織はその人物に見つからないよう、塀に身を隠して相手の様子を窺った。その誰かは、周囲を入念に確認すると、伊織のいる方向とは逆方向に向かって移動し始めた。
最初伊織はその人物を追おうとした。もちろん、ここでその人物を殺すためだ。しかし、ようやく闇に慣れてきた伊織の眼がその人物の後ろ姿を捉えた瞬間、彼の脳は「相手を攻撃するな」という命令を下していた。
その後ろ姿は、伊織が恋焦がれる少女にあまりにも似ていた。
――見つけた……?
少女らしき後ろ姿が完全に見えなくなる前に、伊織はその後を追いかけはじめた。そこには、決して殺意などない。ただ、彼女に想いを伝えたい。そして、できるならば守りたい。その気持ちだけだった。
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