BATTLE
ROYALE
〜 The Gatekeeper 〜
第21話〜瞬間の章・2『再燃』
全く、動けなかった。眼前で起きた出来事を信じることができず、少女はその場で、腰を抜かしてしまった。恐怖から思わずに尿意をもよおし、危うく失禁してしまうところだったが、それは必死で堪えた。
少女は、プログラムが開始される前から恐怖していた。プログラムという、この国の戦闘実験のことは知っていた。だがそれ自体に恐怖を覚えたのではなかった。
プログラムが恐ろしい実験だということは感じていたし、周囲にも親族をプログラムで亡くしたという人(A組では天羽峻(男子1番)がそうだった)もいた。しかし、彼女の親しい人にはプログラム絡みで亡くなった人はいなかった。近くにいても、関わりがなければその感情を真に理解することはできなかった。
けれど、プログラムに参加することがあの古嶋と島居とかいう二人に説明された時、御手洗均(男子16番)が古嶋に食ってかかり……兵士たちに撃たれて、死んだ。その瞬間に、少女は理解したのだ。プログラムというものを。真の理解を得たのだ。
それは同時に、彼女の中に生理的な恐怖が呼び起こされた。
撃たれて床に倒れた均。その身体から大量に流れ出るもの……人間だけでなく、犬も猫も持つあの液体――血。
思わず、恐怖から頭を抱えた。自分の血でも、脳が拒否反応を起こすというのに、クラスメイトの血を、それも大量に見た。そしてその血液の持ち主は――死んでいる。
考えたくなかった。考えただけで、頭がどうにかなりそうだった。
一刻も早くあの場所から逃げ出したい。そう強く思った。親しい友人たちが外で合流する話をしてきたが、話半分にしか聞けなかった。忌み嫌う血の臭いが充満する、この忌まわしい場所から早く離れたい。そのことしか考えていなかったのだ。
そうして出発し、後ろを振り返ったりすることもなく駅舎を飛び出した。息を切らしながら闇雲に走り、ようやく見つけた一軒の店。その中に慌てて隠れ、デイパックの中を漁った。中から出てきたのは――一丁の拳銃だった。
少女は戦慄した。御手洗均の生命を奪い、彼女が最も忌むものを見せつけたあの武器が、今自分の手元にあるという事実に。
しかし、自らの身を守るものがなくては落ち着かないのもまた事実だった。結局少女はその拳銃を手放すことはできず……その後もずっとそこに隠れ続けていた。
今から少し前、少女は外で音がしたのを聞き取った。誰かの声、金属音。それらの音が途切れ途切れに聞こえたのだ。
彼女はその音の正体が気になり、少しだけのつもりで外へと出た。もちろん、その手には拳銃を握ったまま。今思うと、あの時外に出ていなければ良かった、と思う。しかしもう、遅い。
そして移動した先で見たもの……それは、あの時とほとんど同じもの。人の手によって、人間の生命が奪われてゆく瞬間だった。
胸から鮮血を噴出しながら倒れていく女子生徒。そして血の滴る刃物を持った男子生徒。近くにもう一人、人がいるようにも見えたが、よく見えなかった。
プログラムの象徴――クラスメイト同士の殺し合い、だった。
少女の身体は、凍りついたように動かなくなった。女子生徒を殺した男子生徒は、しばらく座り込んでいたが、もう一人のクラスメイトに促されたのか立ち上がった。そしてどこかへと移動していく。その間、少女はただじっとその光景を見ているだけだった。
その瞬間、少女の意識は遠く遠くへと飛んだ。そして、かつて自分が見たある光景を記憶の奥底から掘り起こしていた。
あの日――彼女が見たもの。
それは、古びた廃墟の一室に転がる、男たちの骸。見るもおぞましい姿で、天井を見上げながら、床に伏しながら転がっていた。いくつ骸があったかまでは分からない。知りたくもなかったし、知る必要もないと思った。
当時のクラスメイトだった少年が入っていった廃墟、そこに広がるおぞましい光景。
辺りには、まるで絵の具のように見事なクリムゾン・レッドが散っていた。
それらの光景をその眼で見た彼女は、絶叫をあげる――。
そう、あの日から少女の世界は変わったのだ。今の今まで忘れ去っていた遠い過去の記憶。
あれから、彼女はずっと血というものを恐れてきた。忌むべきものとして、自分でもその理由が分からないままに嫌い、憎み、軽蔑してきた。だが、その理由がようやく理解できたような気がした。
しかし、彼女の中の『血への恐怖』は、決して払拭されてはいなかった――。
「嫌ァァァ!」
思わず少女――町田江里佳(女子15番)は悲鳴をあげていた。一瞬、誰かに聞かれやしなかったかと不安になったが、特に変化はなかった。変化がないことを確認すると、江里佳はすぐに隠れていた店へと駆け戻った。恐怖で足が震え、転びそうになるが気にしてはいられない。
すぐに自分のデイパックと私物のスポーツバッグを抱える。そして江里佳は、自分の手の中にある武器――ピストレット・マカロフをじっと見つめた。
――血。これで撃ったら、血を流して人が死ぬ。あの日の人たちみたいに。あの人たち、血だらけ。私が撃ったら、皆あの人たちみたいに? 私も、これで撃たれたらあんな風に?
――怖い。私はあんなに血だらけになりたくない! 怖い怖い血に塗れて死ぬなんて……絶対に嫌!
――あの時の廃墟。入っていったのは、誰? 思い出せない。
江里佳の思考は混乱し始めていた。考えが定まらない。一定しない。自分が何をすべきか、よく分からない。ただし、一つだけ言えることがある。
――この記憶を、消し去らなければならない。
この記憶こそが、江里佳を長年苦しめてきたものの正体――いわば『呪縛』なのは間違いなかった。ならば、一刻も早くこれを消し去らなければならない。
そのためにはどうすれば良いか? その答えを、混乱に拍車がかかった江里佳の脳は導き出すことができなかった。
――何とか、何とかこの記憶を消さないと……!
徐々に江里佳の精神は、過去の記憶に呑み込まれ始めていた。
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