BATTLE
ROYALE
〜 The Gatekeeper 〜
第3話〜深遠の章・1『構築』
あの日から、私の人生は死んだ。いや、もっと前から……私の世界は腐り落ちて死に絶えていたのかもしれない――。
物心ついた時から、少女の周囲には悪意が渦巻いていた。父の存在を彼女は知らなかった。そしてその父を罵る声や、少女と母を蔑む声が密かに交わされていることを少しずつ知っていくこととなった。何故自分たちがこんな目にあっているのか。父は何故罵られるのか。全てを知らない彼女は、母に頻繁に質問した。しかし母は決して、少女に理由を語ろうとはしなかった。
やがて少女は父のことを母に質問しなくなったが、それとほぼ同じ時期に母が壊れ始めた。
周囲の悪意に耐えきれなくなったのか、それとも……。真実はもう、彼女には分からない。ただ一つ言えるのは、母の変貌によって彼女は心身ともに大きな傷を負ったということだけだ。しかし少女にはそれをどうこうするほどの力など無かった。どうしようもない。そう諦めていた。
ただ耐えるしかない。その思いが彼女の心を覆い隠してゆく。彼女は誰にも中身を見せない人形へと変化していった。全てをそうすることで自我を守る。それしか、彼女に残された方法はなかったから。
やがて、母も徐々に壊れ始めてきた。母はたびたび少女に暴力を振るうようになり、かつてのような優しさなど、欠片も見せなくなっていった。少女も最初はその変化に戸惑ったが、遂にそれを受容するに至る。彼女は誰にも見せない心の中で、自分の母親の存在を消し去った――。
少女の居場所は、どこにもなかった。学校が終わっても家に帰ろうとはせずに適当な場所をうろついて、ただただ無感情に周囲の風景を眺めるだけの日々を送り続けた。
そんな彼女に、友人などできるはずがない。もともと周囲から悪意を向けられていたこともあってか、彼女自身も他者との繋がりを持つことを拒んでいた。この頃になると周囲からの悪意もだいぶ薄れていたのだが、それを彼女は遂に知ることはなかった。それは彼女にとって不幸だったのかもしれないが、今となってはもう分からない。
毎日が孤独だったが、彼女はそれを辛いとは思っていなかった。それが彼女の日常だったから。すでに何かが壊れていたのかもしれないが、今となってはどうでも良いことだ。
そして母の精神は、この頃にはもはや取り返しのつかないところまで壊れてしまっていた。少女を肉体的に痛めつけるだけでなく、精神的にも傷めつけたがるようになっていったのである。そんな母の行いによって、少女の心はますます殺されてゆく。ただの人形でしかない人生。いっそ狂ってしまえば良いのだろうか。そう考えるようにもなった。
あの日も、母によって少女の精神は徹底的に傷つけられる……はずだった。かつての栄華など微塵も感じさせないほどに寂れきった廃墟。そこでまた、少女は少しずつ壊される。そうなるはずだった。あの時、あの少年がやってきたことで全ては変わっていった。
あの日から、少女は変わったのだ。いや、別段変わったことはなかったかもしれない。自分自身が死んでいる人間であることに変わりはなかったのだから。
しかし少女は、生きる目的を得た。何のために今ここにいるのか、それを自分なりに知ることができた。それがたとえどんなに人に後ろ指を指されるようなものだとしても。もはや少女は人形などではなくなったのである。そしてこれからもそうあり続けるため、彼女は生きながら死んでいる人生を進んでゆくのだ。肉体が死ぬまで、ひたすらに。
「……どうか、した?」
突然の問いかけで、少女は意識を声のする方向へと向ける。そこでは一人の少年が、熱心に何かの作業を続けている。
――あの日、少女の全てを変えたあの少年。彼は少女と出会って以来、いつも何かを作っていた。しかしその正体は少女にも明かそうとはしてくれなかった。そんな彼の秘密主義に少し苛立ちをおぼえる時もあるが、それでも彼女は彼を信頼していた。この世界でただ一つ、信頼できるものがあるとすれば……それは彼の心。そう確信していた。
「ねえ」
ふと、少女は少年に問いかける。
「何?」
少年は返事をするが、決して少女の顔は見ない。その手先は目の前の作業に集中しているようだ。
「あなたは、本当にこれで良いの?」
それが一番の疑問だった。少年は、決して何も抱えてはいないただの子供にすぎないはずなのだ。その彼が、何故自分と関わろうとしているのか。それが少女にはどうしても解せなかった。
「……この道しか、ないじゃん」
少年は何の躊躇いもなく、言った。
「もうこの道しかないんだからさ、俺たちには。君もそれが分かってるから、俺と一緒にいるんだ。そうだろ?」
「そう、だったね」
少女はそう呟いて、微笑む。しかし少年はその微笑を見ようとはしない。だがきっと伝わっている。彼女はそう信じている。
「――できた」
不意に少年が声をあげたのは、それからしばらくしてのことだった。
「……ねえ。結局、何を作っていたの?」
少女は怪訝そうに尋ねる。まだ一度も、彼に作業の中身を聞かせてもらってはいない。作業が終わったのならば、何としてもその内容を聞き出したい。そう思った。
少年はようやく彼女の方を向いて、笑みを零す。
「俺たちのあの日を守るためのものさ。これからずっと、俺たちはあの日を守らないといけない。そうしないといけない。そう思ったからこれを作ったんだ」
そう言って少年は誇らしげに、その手の中にあるものを見せた。
「――凄い……」
少女は思わず、感嘆の声を漏らした。それは『あの日』を守るのに申し分のないものだった。そして同時に、自分たちが二度と『あの日』以前に戻れないことを意味するものだった。
でも、選択の余地はない。少なくともこの時の彼女には、彼の作ったものを使って生きていく以外の選択を選べなかった。
――まだ、子供だったから。
断片編終了―――――