BATTLE
ROYALE
〜 The Gatekeeper 〜
第34話〜『孤独』
プログラム会場の東側、海浜公園の隅の方のエリア―――E−9エリアに寂しく建っている一軒の公衆トイレ。端の方にあることもあってか、どうやら利用者が少ないらしい。その証拠に、トイレの中は自然に任せたままになってしまっている。
清掃員すらも、このトイレを無視してしまっているのだろうか。そう思うと、何故か公衆トイレに同情できた。いつもならば『汚い』の一言で片づけてしまいそうなのに。
そんな公衆トイレの女子トイレに、方村梨恵子(女子3番)はその身を震わせながらじっと身を潜めていた。
女子トイレの個室のうちのひとつ、その扉を閉め切って、和式便器の横にしゃがみ込んでただただじっとしている。この殺し合いゲームが始まってから、梨恵子はずっとそうしていた。
今彼女の脳内を渦巻いているのは、殺し合いの場に放り出された恐怖だけではない。
――孤独。孤独感と閉塞感が、彼女の脳内では無限ループのように延々と回り続けていた。
梨恵子は、今まで友人というものをそれほど重く捉えたことがなかった。梨恵子にとって友人というものは、傍にあって当たり前のものでしかなかった。
子供の頃からそこそこ社交的だった梨恵子は、それなりに周囲に話し相手もいて、孤独になることなどなかった。幼稚園、小学校、そして中学に入ってもその状態は続いていた。
だが、その状況が中学2年になった時変わった。クラス替えで、梨恵子と親しかった生徒たちとことごとく別のクラスになったのだ。それは、彼女にとって初めての体験だった。
そんな時に知り合ったのが、比良木智美(女子13番)たちだった。
智美たちとの日々は実に楽しかった。大人びた雰囲気を持つ智美、男勝りな園崎恭子(女子7番)、化粧好きな津倉奈美江(女子9番)。彼女たちは、今まで梨恵子が付き合ってきたどの友人たちとも違う。そんな気がしていた。
かつての友人たちには「悪い友達と付き合っている」と思われたらしく、ますます疎遠になった。しかしそれで良かったのだ。彼女たちとは違う、新たな交友を築くことができたのだから。
梨恵子は、そう思っていた。
けれど、そんな彼女たちとの絆など、脆いものでしかないことを今梨恵子は痛感している。
こうしてプログラムという殺し合いゲームへと放り込まれ、梨恵子は一瞬にしてその恐ろしさを悟った。特に付き合いのないクラスメイトはともかくとして……、智美たちのことでさえも心から信用することができない。その事実を、ここにきて知ったのである。
よくよく考えてみれば、梨恵子はこれまで、智美たちとそれほど深い付き合いはしてきていない。確かにいつも一緒にいたのは彼女たちだった。しかし、梨恵子は彼女たちのことについて一体どれだけのことを知っているというのだろうか?
駅舎を出発してから、そのことを考えてみた。そして理解したのだ。自分は、智美たちのほんの表層しか知らないということに。
智美がいつから煙草を吸うようになったのか。恭子の兄たちはどんな人なのか。奈美江は何故、このメンバーの中にいるのか……。どれ一つとして知らないし、聞こうとしたこともなかった。
それどころか、智美たち以前の友人たちのこともほとんど知らなかった。何もかも、表層しか知らなかったのだ。それを知った時、梨恵子は智美たちと合流することができなくなってしまった。
無論、彼女たちはそんなことは気にせずいつもどおりに友人として迎え入れてくれるかもしれない。少なくとも、梨恵子の知る彼女たちならばそうするだろう。
しかし、梨恵子の知らない智美たちであったならば? 梨恵子がまだ見たことのない、彼女たちの深層がこの殺し合いゲームの中で表面化していたら? そう考えると、智美たちと合流することが恐ろしくなった。
――智美も、恭子も、奈美江も! 私……全然知らない!
そうなると、もはや一人で行動する道しか選べなかった。無我夢中で走り、気がつけば会場の東の端へと近づいていた。持久力には自信がなかったのだが、我ながらよく走ったな、とさえ思ったものだ。
そして公衆トイレの中に慌てて隠れ、今に至っている。
だが、こうして隠れているこの場所も、梨恵子を徐々に追い詰めていた。
電気もないトイレの個室。そこに一人でずっと隠れていることの恐ろしさ。閉塞感で息が詰まりそうになるし、孤独感で気が狂いそうになる。
――私、間違えたかな……。
今さらになって、梨恵子は一人で行動することを選んだ自分の判断を後悔し始めた。何だかんだいっても、智美たちは友人なのだ。一人でこんな状況下、怯えて過ごすよりはマシなはずだ。そのことに、どうして思い至らなかったのか。
けれど、既に智美はいない。最初の放送で、彼女はもう名前を呼ばれていた。彼女を信じることができないままに、この世から消え失せてしまった。
――今からでも、皆を探した方が良いのかな……?
そんなことを考える。まだ恭子も、奈美江も死んではいない。今からでも、遅くはない。そう思った。
しかし、ここから動くことに対する恐怖はまだある。何せ自分に支給された武器といったら、何の変哲もないルービックキューブだったのだ。そのうえ、ここにたどり着くまでの間にどこにも立ち寄らなかったせいで、何も調達できていない。そのことに気付いたのが放送の後だったのだから、何とも間抜けな話だ。
こんな状態で外へと出ていって、もしやる気になったクラスメイトと出会ってしまったら? 答えは見えている。梨恵子が死ぬ。それで終わりだ。
だが、そうやって色々と思考しているうちに、梨恵子の精神は徐々に安定してきた。自分でもよくは分からなかったが、色々なことを考えてみたのがかえって良かった、ということなのだろうか?
――やっぱり、行こう。ここにいつまでもいたら、私がおかしくなっちゃうし……それに、恭子や奈美江にも会いたい。
梨恵子は意を決して立ち上がると、そっとトイレの扉を開く。外で物音はしていなかったが、念のために細心の注意を払う。もしやる気の人間と出くわしたら、一巻の終わりだ。しかし幸いにして、周囲に人の気配はなかった。
外に出ると、日差しがいつも以上に眩しく感じる。夜中のうちにトイレに篭り、それっきり外へ出ていなかったのだから当然かもしれない。
そんな状態で吸った外の空気は、やけに美味く感じた。もっとも、この状況下ではそんな呑気な気分にいつまでも浸っているわけにはいかないのだが。
――さて、と。
梨恵子は一度、息をつく。
思い切って外へ出てきたのは良いが、当然自分には恭子と奈美江が今どこにいるのかを推測できるような情報などあるはずもない。だからといって、手当たり次第に探し回っていては途方もない。そもそも、やたらに動き回るのもリスクが大きい。
となると、やる気になっていない人間を見つけ出す必要がある。
だがしかし、梨恵子には誰がやる気になっていそうで、誰がやる気にならなさそうか、などということはまったく推測できない。肝心の恭子と奈美江のことも、ほんの少し前まで信用しきれずにいたのである。
せっかくの決意も、これでは実りそうもない。そんな考えが、梨恵子の脳内を一瞬渦巻いた。
――とにかく、進むしかないよね。もう、決めたことなんだし。
どうにかネガティブな考えを打ち消して、梨恵子は歩きだす。トイレの外に広がる海浜公園は、本来ならば海と相まって非常に良い景観を保っているといえるだろう。しかし、プログラム会場となった今、その景観も少し褪せて見えた。
とりあえず海浜公園を出ようとした梨恵子の眼に、何者かの影が飛び込んできた。慌てて梨恵子は、近くの木の陰に隠れる。そしてじっと、人影の正体を確かめる。
その人影は、薄茶色のセミロングヘアーを揺らしながら歩いている。周囲を忙しなく確認しているが、こちらへと近づいてくる気配は今のところない。その人影の正体が、梨恵子にはすぐに分かった。
――北岡さん、だ。
北岡弓(女子4番)。梨恵子たちと近い立場にある、ちょっと不良じみた女子たちのグループのリーダー格の女子生徒だ。似たタイプが互いに揃っているせいか、普段からそこそこに付き合いのある生徒だった。
社交的で学校外での交友関係も広く、また容姿も優れている。智美も大人びた美しさをもっていたが、弓も智美と似た美しさをもっていて、それが羨ましいと感じたことが何度かあった。
基本的に面倒見も良いほうで、梨恵子から見れば頼りがいのあるタイプといえる。仲の良いグループは違うが、信頼のおける人物の一人ともいえた。
それに、弓ならば智美たちとも比較的仲が良かったし、恭子と奈美江と出会っていたとしたら教えてくれるかもしれない。梨恵子は、そう思った。
――彼女に、声をかけてみよう。
そう判断し、梨恵子は木の陰から出て、弓のいる方向へと歩いていく。そして、弓に向かって声をかけた。
「北岡さん!」
すると、逆方向を向いていた弓が素早く反応してこちらに顔を向けた。それを確認した梨恵子は、さらに話しかけることにした。
「良かった……無事だったんだね、北岡さん――」
しかし、彼女の言葉はそこで止まった。いや、止まるしかなかった。
梨恵子は、気付いていなかった。最初の放送では、智美だけではなく、弓の親しい友人――乙子志穂(女子2番)、沼井玲香(女子12番)がその名前を呼ばれていた、ということに。仲の良いグループのメンバーが、ただ一人を除いて死ぬということで考えられる可能性を、梨恵子は悟ることができなかった。たとえその可能性が、真実ではなかったとしても。
言葉の途中で、梨恵子は鈍い痛みを胸元に感じた。言葉を止めて自分の胸元を見てみる。するとそこから、銀色に光る棒のようなものが生えていた。その先端には、羽のようなものもついている。
わけが、分からなかった。自分の身に何が起こったのかさえ、理解できなかった。
方村梨恵子の脳裏に最期に残った感情は――困惑、だった。
胸から銀色の棒――クロスボウの矢を生やして地面に仰向けに倒れた梨恵子の身体を、弓はじっと見下ろす。既に息はない。確かに梨恵子は、弓が放ったクロスボウの一撃で死んだのだ。
そのことを確認すると、弓の口元が歪む。
「志穂だってやる気になったのに、志穂以上に知らないアンタなんか……信用できるわけないじゃない。アンタだって志穂と同じなんでしょ? 私のことを殺すつもりだった、そうでしょ?」
既に物言わぬ骸となった梨恵子に、弓は問いかける。口元で笑みを浮かべながら、そして徐々に、声は怒気に満ちていく。
「答えなさいよ! どうせお前だってやる気なんでしょ? 外面取り繕って、見えないところで私を殺す算段立ててたんでしょうが! 良いじゃない、やってやろうじゃない! 皆乗ってるんだったら、私だってもっと殺してやるわよ! 乗らない理由なんてとっくにないんだから、殺して殺して殺しまくってやるわよ!」
絶叫しながら、弓は梨恵子の亡骸を蹴り飛ばした。そして一度だけ、大きく笑い声をあげた。
<AM9:33> 女子3番 方村梨恵子 ゲーム退場
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