BATTLE ROYALE
The Gatekeeper


第53話〜『途上』

「もう、もう嫌……」
 ショッピングモール内、
蜷川悠斗(男子13番)たちがいるエントランスエリアとはほぼ反対側に位置する、娯楽施設などの揃ったアミューズメントエリア。あちこちに点在する遊具の中を津倉奈美江(女子9番)はひたすらに走っていた。
 彼女の最大の特徴ともいえる化粧は、涙と汗ですっかり落ちてしまった。せっかくこのモールに入ってから化粧をし直したというのに、もう無駄になってしまった。
 だが、そんなことにもはや構っている余裕はなかった。
 このモールの中に、人殺し――ゲームに乗った人間がいる。その事実だけで、奈美江の精神を戦慄させるのは簡単だった。
 バリケードによって守られ、物資も揃ったショッピングモール。そして多くの仲間。ここならば大丈夫。そんな期待を抱いていた。だがそんな奈美江の淡い期待を二つの出来事がものの見事にぶち壊していった。
 
横野了祐(男子18番)本谷健太(男子17番)の死。
 しかも、了祐が死んでいた傍のバリケードには、中から開けられた形跡があったという話だ。それはすなわち、このモールの中にいる人間が殺人者を呼び込んだことになる。

――裏切り者が、この中にいる。

 その事実に気付いた瞬間、奈美江の心は決まっていた。
 このモールを出ていく。その一点のみに彼女の心は支配されたのだ。
 もはやこのモールは安全地帯ではない。外の世界と同じ、死の危険と隣り合わせの恐ろしい舞台と化した。それならば、疑心暗鬼に苛まれて精神を磨り減らすこの場所には、一秒たりとも居たくはない。奈美江はそう思った。
 他の仲間(いや、裏切り者がいる以上もう仲間とはいえないかもしれない)に見つからないよう、隠れて荷物をまとめると、奈美江は密かにエントランスエリアを抜け出した。そろそろ奈美江がいないことに皆気付いているかもしれないが、連れ戻されたりする前にここを脱出しなくてはいけない。

――恭子……。今、どこにいるの?

 完全なる孤独。新たに得た仲間ももはや敵に回ったも同然。その状況で奈美江は、昼前に出会いながらもやむなく別れた親友――
園崎恭子(女子7番)のことを思った。
 あの時
岡元哲弥(男子3番)の襲撃を受け離れ離れになったが、昼の放送では恭子の名が呼ばれることはなかった。その恭子はまだ、このモールの外――会場のどこかにいる。そしてまた、奈美江のことを探してくれているのかもしれない。
 奈美江は今、無性に恭子に会いたかった。いや、今までだってそうだったのだが、今の奈美江にはもう彼女しか縋る存在はいない。
 
比良木智美(女子13番)も、そして方村梨恵子(女子3番)も既にいない。この孤独から逃れるために、奈美江には恭子が必要だった。

――恭子、会いたいよ。

 恭子に会って、その胸に飛び込みたい。小柄な奈美江とは対照的な、大きなその胸に飛び込んで泣きたい。孤独を慰めてほしい。お互いを大切にしながら、この殺し合いゲームの中を生き抜いていきたい。
――ねえ、恭子はどう思ってる? 私、わがままなこと思ってるよね? あなたはそんな私を叱るのかな? それとも受け入れてくれるのかな?
――ねえ恭子……教えて……。

 思考を巡らせながらも必死で走り続け、ようやく奈美江は出口へとたどり着いた。だがそこには、エントランスエリアと同じように家具や調度品を使ったバリケードが敷かれている。凄まじいまでの徹底ぶりだ。やはりこれも、
志賀崎康(男子7番)の指揮によるものなのだろうか。
 けれど今は、そんなことはどうでも良い。とにかくここから脱出しなくてはならない、そのためには、この厳重なバリケードを何とかしなくてはならない。
 そう思って、奈美江はまずバリケードを構成している調度品の一つである観葉植物に手をかけた。その時だった。奈美江は背後に人の気配を感じた。
――まさ、か。
 奈美江はそっと振り返る。この状況で、自分に背後から気付かれぬように近づいてくる人間。それは――侵入者、だ。
 そして振り返った先に、奈美江は自分の良く知っている顔を見た。昼前に恭子との離別の原因を作る襲撃を行ってきた男子生徒――岡元哲弥がそこに、いた。その表情はあの時と同じで感情が読めず、淡々とこちらを見据えている。
 奈美江は、これまでの人生の中で一番ではないかと思うくらいに素早い判断を脳内で下していた。
「うわああああアアぁぁ――っ!」
 一際大きな叫び声と共に、持っていた私物のスポーツバッグを思い切り哲弥目掛けて投げつける。その反応が意外だったのか、哲弥は無防備にその一撃を食らった。それを確認することなく、奈美江はもと来た方向へと駆けだした。このまま走れば置いて行った仲間たちとも鉢合わせになるだろうが、そんなことを気にしている余裕はなかった。

――嫌だ、死にたくない!

 その感情はますます、奈美江の中で強くなる。目の前に侵入者の姿を見た以上、それも仕方がない。ましてや、かつて自分を襲撃してきた哲弥が相手だったのだから。
 背後では虚をつかれた哲弥が態勢を立て直して、奈美江を追い始めていたのだが、そこまで把握することはできていない。

――私まだ死にたくない! 夢をまだ叶えてない! まだスタートラインにだって立ってないよ!


 奈美江の脳裏を過るのは、ずっと彼女が抱き続けていた夢。プロのメイクとなって、様々な美を演出する。それこそが奈美江の夢だった。
 特別容姿が優れているわけでもない自分を、化粧が引き上げてくれることに気がついたのは、小学校四年の頃だった。自分の容姿にコンプレックスを抱いていた奈美江は、ある日ふと母親のメイク道具を手に取り、こっそりと自分に化粧を施した。
 初めての化粧の出来はそれはもう惨憺たるものだったが、奈美江は化粧の虜になった。冴えない自分もこれがあればもっと可愛らしく自分を演出できる。そう信じていた。
 独学で化粧を勉強し、日々化粧を研究するようになり、やがて自分のメイク道具を小遣いを貯めて買った。母親は当初は「そんなものはあなたには早い」と言っていたが、奈美江の並々ならぬ熱意を感じ取ってか、やがて何も言わなくなった。
 そのうちに自分に研究した化粧を施し、学校生活をその状態で送るようになった。教師からは当然厳しく怒られたが、普段はおとなしい奈美江もこれだけは曲げなかった。
 結局奈美江の化粧は暗黙の了解としていつしか誰も何も言わなくなり、今に至っている。
 やがて高校に進学し、その後は専門学校に入ってもっと深く学び、いずれプロとしてその世界に飛び込む。そんな人生を既に思い描いていた。

 だがそれも、ここで死んだら全て崩れてしまう。まだ自分は化粧好きな少女でしかない。思い描く夢の出発点にすら達していない。そんな未練だらけの人生で終わりたくない。

「死にたく、ない――」
 口をついて出る思い。だがその感情の発露は、最後まで放たれることはなかった。完全に態勢を立て直して奈美江を追ってきていた哲弥の、その手に握られたサブマシンガン――イントラテックTEC−DC9から放たれた銃弾の雨が、連続した銃声と共に奈美江の身体を貫いていた。
 全身に走る、焼けた感触。同時に奈美江の身体から力が抜け、うつ伏せに床へと倒れる。銃弾は確実に奈美江に致命傷を与えており、もはや動くこともままならない。


――嫌。私はまだ死にたくない。死にたくないよ……。
――恭子……助、け……。

 それが奈美江の最後の思考だった。一人しか生きて帰れないこの状況下で、夢と親友を同時に思いながら、その意識は遠くへと旅立った。
 亡骸の下から溢れ出る彼女の血が、床を緋色に染め上げる。そして彼女の夢の象徴である、僅かに残った化粧の痕も、大量の紅によって人知れず覆われていく。それが、津倉奈美江の夢の終焉だった。

 <PM15:17> 女子9番 津倉奈美江 ゲーム退場

<残り21人>


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