BATTLE
ROYALE
〜 The Gatekeeper 〜
第56話〜瞬間の章・4『開花』
「あああああァぁぁァ!」
意味を成さない奇声をあげながら、町田江里佳(女子15番)は横へと飛び退く。直後、先程まで江里佳が立っていた場所を一発の銃声と共に鉛弾が通り抜けていくのが感じられた。目の前にいる女子生徒――園崎恭子(女子7番)は江里佳のその動きに驚いた表情を見せていたが、すぐに気を取り直したらしく、体勢を立て直して近くの柱に隠れた。
先程江里佳が見せた動き。それは普段の江里佳を知る人間ならば誰もが驚愕するといえるほどの俊敏なものだった。
学校での体育の成績はクラスでもどんじりといっても良いレベルで、体型もややぽっちゃりとした、お世辞にも動きの機敏そうでない体格の江里佳ができるものとは思えないレベル。
だが江里佳は、そんなことを気にかけてはいなかった。いや、全く理解していなかったと言ったほうが正確かもしれない。
このプログラムに巻き込まれてからの彼女の精神の崩壊は、ますます加速して遂に臨界点に到達していたのだ。
午前中に矢田蛍(女子17番)を襲って以来、彼女はそれまで以上に積極的にクラスメイトを探していた。
その目的は、無論クラスメイトの殺害。自分をこの上なく恐怖させる、あの紅い液体。血。あれに自分がまみれてしまう前に、他の全員を紅にまみれさせる。
――やられる前に、やる。誰かを見つけ次第、撃つ。撃って、撃って、撃って。皆真っ赤な血にまみれさせてやるんだ。
そう決意してからの江里佳は、うってかわって冷静になれた。それまで碌に意識していなかった、自分の支給武器――ピストレット・マカロフの残弾数を意識できるくらいには落ち着いてきた。
だが、それは狂気を克服したわけではない。彼女の狂気は、ますます加速していた。ただ、その方向性が変わっただけ。静かなる狂気。それを着実に孕んでいったのである。
そんな状態に陥っていた江里佳だったが、なかなか目的は果たせなかった。あれから一度もクラスメイトの誰とも遭遇することはなく――僅かながら苛立ち始めていた。その時だった。今自分がいるエリア――I−2エリアの方角から銃声を聞いたのは。
――今なら、誰かいるかもしれない。
瞬時にそう判断した江里佳は、急いでI−2エリア――ショッピングモールへと向かった。そしてそこで――津倉奈美江(女子9番)の無残な亡骸と出くわした。
大きく広がる鮮血の海。その中に倒れた人間だったもの。それを眼にした瞬間、江里佳の脳裏に再びあの光景が――よりくっきりと浮かび上がってきた。
昼間なのに薄暗い、廃墟の一室。その中に広がる、真っ赤な真っ赤な緋色の海。その中には、男たちの物言わぬ骸があった。どれもこれも苦痛に顔を歪めて、この世のものとは思えない。そして何よりも目立ったのは……彼らの着衣は皆、乱れていた。それが、江里佳にとってはよりおぞましさを強調していた。
興味本位で覗きこんでしまった魔境。それが江里佳の精神を支配している。
そしてこの時、加速し続けた江里佳の狂気は遂に臨界点へ到達し、ある種全てから解き放たれた。
恭子が柱の陰に隠れたのとほぼ同時に、江里佳も別の柱へと隠れる。そして即座にマカロフを構えなおし、恭子の隠れている柱へ向かって撃った。放たれた弾は柱を掠める。
――殺す。殺す。殺す。皆血にまみれさせてやる!
今度は恭子が柱の陰から僅かに顔を覗かせ、その手に握った拳銃をこちらに向けて撃ってくる。一発。二発。しかしその銃弾は江里佳の放ったそれと比べるとはるかに狙いを外れて飛んでいく。
「あんたや岡元みたいな奴がいるから、奈美江は死んだんだ。奈美江だけじゃない、智美も、梨恵子も……。あんたみたいな奴は生かしておけないんだよ!」
江里佳に向かって、恭子が怒声をあげる。事情はよく分からないが、どうやら江里佳に強い敵意を抱いているのは間違いない。
――何があったか知らないけど、やられる前にやってやる!
「ああァぁッ!」
奇声をあげながら、江里佳は柱から飛び出してマカロフの銃口を恭子へとポイントする。柱の陰から撃ったほうが、その身は間違いなく安全だったはずだ。だが、江里佳はそれを選択しなかった。その理由は江里佳自身理解できなかった。
眼前の恭子が、唖然とした表情を浮かべた。それもそうだろう。この状況で、いきなり遮蔽物から飛び出して堂々と銃を向けるなど、常軌を逸している。しかしそれは、恭子に隙が生まれる原因となった。
あまりのことに、恭子の銃口が江里佳に向くタイミングが遅れた。
――やってやる。やってやる。あんたをあの真っ赤な血に染め上げてやる!
江里佳は思い切りマカロフの引き金を引いた。一度、二度。放たれた二発の銃弾は、一発目が恭子の右肩を貫き、反動で恭子の右手に握られた銃の銃口が逸れる。続けて向かっていった二発目の銃弾は、恭子の金色の前髪を僅かに掠めて彼女の額に食い込んだ。恭子の眼が、まるで銃弾の行方を追うかのように上を向き、そこで止まる。食い込んだ銃弾の衝撃のせいか、その後頭部が僅かに遅れて爆ぜた。
力を失った恭子の身体は、爆ぜた後頭部から溢れた血液が待っている床へと仰向けに崩れ落ちた。微かに構えられた右腕の拳銃から、一発の銃弾が放たれて、江里佳の近くにあった観葉植物の葉をいくつか刈り取って通り過ぎていった。
そして力を失った右腕もゆっくりと床に落ちると、もう二度と動くことはなかった。
それは、園崎恭子という一人の少女の生命が失われたことを物語っていた。
「……はははっ」
物言わぬ骸となり果てた恭子を見下ろしながら、江里佳の喉から声が漏れる。
――やってやった。やってやった。皆血に染まってしまえば良いんだ。あの時のように、部屋中、街中、世界中真っ赤に染まってしまえ。
――真っ赤な世界が嫌ならば、全て真っ赤にしてしまえば良い。そうすれば、いずれ慣れてあの恐怖から解放されるはず。
「そう、何もかも真っ赤にしちゃえば良い。全部、全部……ぜんぶ全部ゼンブぜん部全ぶゼンぶぜんブzenbu――くはっ。くふっ。あハは刃歯波ハは……」
町田江里佳という少女の、真っ赤な狂気の花。美しく、そして醜くおぞましい花。それが花開いた瞬間だった。
<PM15:49> 女子7番 園崎恭子 ゲーム退場
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