BATTLE
ROYALE
〜 The Gatekeeper 〜
第65話〜迷走の章・14『安息』
足取りは、酷く重かった。身体中から力が抜けていくような感覚があって、思うように身体が動かない。
意識は朦朧とし、目の前の情景さえはっきりと認識できない。やはり身体から、血液が流れ過ぎてしまっているからだろうか?
蜷川悠斗(男子13番)の思考は、混濁を極めていた。目も耳も、まともに働いている感覚がない。ここにきて悠斗は、自分の置かれている状況を何となくではあるが感じていた。
――ああ。俺……もうすぐ死ぬんだな。
ここまで来ると、やけに冷静な気分になれた。
あの時、悠斗の背後で一発の銃声がした。それと同時に背中と腹に強い痛みが走る。自分の腹部をじっと見ると、カッターシャツが赤く染まっているのが見えた。その紅い染みは少しずつ広がっていく。
悠斗には、最初何が起きたのか分からなかった。だが、逃げなくては、と思った。悠斗はすぐに路地の外へと走り出す。直後、もう一度銃声が悠斗の耳に届き……また悠斗の腹部に痛みが走った。
そこから後のことは、よく覚えていない。
突然のことで訳も分からなかったから、手に持っていた拳銃――ファイブセブンを撃つこともままならなかった。そもそも、自分が撃たれたことは分かったが、誰に撃たれたのかまでは認識できなかった。
とにかく悠斗は走った。だが、徐々にその足取りは重くなり……やがてまともに歩くことさえ辛くなった。それは、悠斗に撃ち込まれた二つの銃弾がいずれも貫通し、そこから血液が抜けすぎたことが原因によるものだったが、悠斗にはその理屈までは分からなかった。
何度か、もう歩けないと思って歩を止めてしまおうとした。だが、深層心理がそれを許さない。
――直美……。
悠斗の心を巡るのは、井本直美(女子1番)のこと。
幾度となく迷い、戸惑い、苦しんだ。そうして死を目の前に感じ始めた今、悠斗は最後の望みを叶えるためだけに動いていた。
――直美に、会いたい。
もはや迷いなどなかった。間近に迫る死を感じ、悠斗の心はある種すっきりしていた。無論、これまでにその生命を落としていった友人たちや、今もどこかで生きているであろう清川永市(男子9番)のことが気にならないわけではない。だが、彼らのことと直美のことは、別問題なのだ。そう感じた。
――俺は、直美に会いたい。会って、話がしたい。それまでは……立ち止まれないんだ。
視界が霞んでくる。目の前に何か大きな建物が見えるような気がするが、目の霞みと雨のせいもあってか、それが何なのかさっぱり分からない。
それにもう一つ、何かの影がこちらに近づいてくる。人影だろうか? 何か音が聞こえるが、悠斗にはきちんと聞き取れなかった。
――俺を、殺すのか? ならちょっとだけ待ってくれ。まだ俺、直美に会えてないんだ――。
「悠斗! しっかりして、悠斗!」
今度の声は、やけにはっきりと聞こえた。それはよく聞き慣れた声で……ずっと会いたかった、彼女の――。
「なお、み……」
途端に、身体の力が完全に抜けた。膝から崩れ落ち、地に倒れそうになる。だがそんな悠斗の身体を、誰かが受け止めた。その誰からしき影が、悠斗の顔を覗き込んでいる。悠斗は、何とかしてその誰かの顔を見ようと試みた。
その時、視界がすうっと晴れた。視界の先には、こちらをじっと覗き込む直美の顔があった。そこで悠斗は、自分が直美に抱きかかえられていることを知った。
「直美……」
声が出る。しかし、はっきりとした声が出せない。すっかり体力は失われ、碌な声も出せなくなっていることを悟る。
「何があったの? ねぇ悠斗、しっかりしてよ、ねぇ!」
直美がこちらに問いかけてくる。かなり焦った様子で、矢継ぎ早に言葉を投げかけてくる。
――そんなにいっぺんに言われても、答えられないって。
悠斗はそんなことを思う。直美に会えたせいか、随分と心の余裕が出てきた気がする。こんなに落ち着いた気分は、かなり久しぶりだ。それだけ、今までの自分が追い詰められていたということなのだろうか。
不意に、もう一つの顔がこちらを覗き込む。その人物――阪田雪乃(女子5番)は、悠斗の状態をある程度察しているのか、沈痛そうな面持ちをしている。
また、意識の混濁が始まる。どうやら、本当に残された時間は少ないらしい。
ならばせめて、今の自分の思いだけでも伝えなければならない。悠斗はそう感じた。直美に伝えられることは、少ない。
「――直美……」
言葉が一瞬途切れた。力が入らず、つい切らしてしまった。だが時間はない。すぐに悠斗は言葉を繋げた。
「ずっと、会いたかった」
直美が頷く。その眼に、涙らしきものが見える。雨のせいだろうか、それは酷く量が多く見える。自分のために大粒の涙を浮かべているのだと思うと少し嬉しいのだが……そう都合の良いことはないだろう。
「ずっと、探したかった。ずっと、一緒にいたかった。ずっと……大好きだ」
直美の眼の涙が、量を増したように見える。それは雨の粒と混じり、直美の頬を流れて血に落ちた。その涙を拭ってやりたいと思ったが、もう腕も上がらない。何もかも限界だった。
「直美に何があったのか、不安だった。心配だった。嫌われたんじゃないかと思った。でも……大好きなんだ」
「悠斗……」
言いたいことはほとんど言えた。後伝えたいことは、ただ一つ。
「だから……直美。生きてくれ。死なないでくれ。俺と同じところに……来ないでくれ」
一瞬、直美の表情が強張った。悠斗が死にゆくことを実感したのか、それとも――。
――何だか、妙な重荷を背負わせたかな。
そんなことを思う。
そろそろ限界が近い。眼を開けているのもいい加減辛くなってきた。これで最後と思って、悠斗はそっと目を閉じようとした。その時だった。
「――私も」
直美が口を開いていた。直美は涙声になりながら、言った。
「私も悠斗のことが好き。まだ好き。嫌いになんかなってない。私も会いたかった。今の気持ちを悠斗に伝えたかった。悠斗と離れたこと、後悔してた。だから……そんなこと言わないで」
眼から、とめどなく涙を溢れさせながら直美が続ける。次の言葉は、ほとんど叫びに等しかった。
「もっと傍にいて」
――生きていてほしいから、言ってるんだけどな。
悠斗は思ったが、口にしなかった。いや、できなかった。もはや悠斗に、そこまで多くを話す力は残されていなかった。
言えた言葉は、一言だけ。
「――生きてくれ」
結局、変わり映えのしない言葉になってしまった。もう少しきちんとした言葉にしたかったが、仕方がない。もう、これ以上の言葉は伝えられないから。
――峻。真之。康。健太。俺ももう終わりみたいだ。散々迷いまくってこの様だった。ごめん。
――永市。こんな言葉しか投げかけられないけど……頑張れ。迷惑掛けて、ごめん。
――直美……。
――ずっと、愛してる。
――……ごめん。
その思考を最後に、悠斗はそっと眼を閉じる。そのまま意識は深い深い闇に包まれていき、やがて何も感じなくなった。その感覚を、悠斗は少し心地良いと思い……それで全てが閉じた。
最後の感覚は、疲れ果てた悠斗がようやく感じることのできた安らぎだった。
こうして、蜷川悠斗は迷走を終え、心身ともに安らかな眠りについた。
雨に混じって、直美の涙が徐々に生気を失っていく悠斗の頬に当たる。まるで、再び彼に熱を与えようとしているかのように。
<PM16:33> 男子13番 蜷川悠斗 ゲーム退場――(迷走の章・完)
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