BATTLE ROYALE
The Gatekeeper


第81話〜後悔の章・5『荷物』

 その銃声は、井本直美(女子1番)の耳にも確かに届いていた。
 あまりにも間近で響いた乾いた音。それは直美の背筋を凍らせるには十分なだけの脅威を与えていた。少し離れた場所にいた
度会奈保(女子18番)が、直美に声をかける。奈保も音を聞いたのだろう、声の端が微かに震えている。
「ね、ねえ直美、今のって……」
「う、うん――」
 直美が奈保の言葉に詰まりながらもそう返した直後、もう一度同じ銃声が響いた。それで直美は、確信を得た。
 外に見張りに出た
戸叶光(女子10番)の身に、何かしらの事態が起こったのだということに。
「――直美、奈保。荷物の準備をしておいて」
 突如として、
阪田雪乃(女子5番)がそう呟いた。彼女自身も、自分の私物とデイパックを一か所にまとめている。
「それって、どういう――」
 奈保の言葉を遮って、雪乃が言う。
「今の音……近かったから分かることだけど、光が持って行った銃の音じゃなかった。私は一度撃ったから分かる。あれは別の銃の音。ということは、多分光は……」
 考えられる限りで、最悪の可能性を雪乃は口にした。
 先程の二発の銃声で、光は負傷したかもしくは――生命を落とした、ということ。となると次に起こることは……。
 そこまで直美が考えていたところで、出口の前に積まれたバリケードが音を立てて動く。かなり強引で、乱暴な感じがする音。何者かが、このホテルの中へ入ろうとしている。その相手は、先程の銃声の主。それが光を撃ったとすれば、その人物はまず間違いなく――やる気になっている。
 直美はすぐに荷物をまとめる。自分に預けられたファイブセブンと、支給武器のフォールディングナイフを手に取る。
 しかし、ファイブセブンには今装填された弾倉に入っているもの以外に弾丸がない。この状況で、果たして使って良いのか。それが問題だった。
 雪乃を見ると、彼女は既にここをいつでも出られるように準備を整えていた。逃げるとすれば、一階レストランの奥にある勝手口。ここからならすんなりと外へ出られるはずだった。
 一方で奈保は恐怖に震えてしまい、雪乃の指示した荷物の準備も碌にできていない。彼女の荷物はバラバラに放置されたままだ。
 雪乃の代わりに指示をもう一度出そうと、直美が奈保に声をかけようとしたその時だった。

 バリケードの一角が激しく揺れ、音を立てて崩れる。崩れて生まれた隙間から、何者かがホテルの中へと入ってくる。
 その人物は、直美も、雪乃も、奈保もよく見慣れた、そしてこのゲームに乗るとは露ほども思っていなかった人物。少しぽっちゃりとした体形が特徴の、ごくごく普通の女の子だったはずの人物。直美たちの友人の一人、
町田江里佳(女子15番)だった。
 右手には、拳銃。そして左手にも、拳銃。よく見ればそれは、本来雪乃に支給されたものであり、そして光がついさっき外へと持って出たS&WM686に間違いなかった。
 刹那、直美は全てを察した。今目の前にいる江里佳こそが先程の銃声の主だと。そしておそらく光は、もはやこの世にはいないのだと、思い知らされた。
 江里佳の眼は、いつも通りだった。いつも通りの、おとなしそうな眼。だが、その奥の光はひどく昏いものを感じる。そして彼女の口元は、妖しく歪んでいる。

――江里佳は、私の知る江里佳はもう、ここにいない。

 直美は理解した。江里佳がこの状況下においてどうなってしまったのか。
 彼女の精神はもう、ここにはいない。正確には、直美たちの知る町田江里佳はここにはいないのだということ。ここにいるのは、狂った怪物でしかないのだと。そう、痛感した。
 バリケードから這い出た江里佳が右手の拳銃を構えた。その動きは緩慢だが、隙がない。江里佳がどんな体験をしてきたのか、その動きだけで分かった。
「奈保、伏せて!」
 雪乃が、少し離れた場所にいた奈保に叫んだ。ようやく我に返ったらしい奈保が、慌てた様子で床にしゃがむ。そして、一発の銃声。
 放たれた銃弾が、先程まで立っていた奈保の頭があった辺りを通過して、その向こう側の壁に突き刺さった。コンクリート造りの壁にめり込んだ鉛弾と、その周囲に広がるヒビがその事実を雄弁に物語る。
その一発は、奈保の心を折るのには十分だった。
「い……嫌あぁぁぁっ!」
 奈保は、直美が今までで初めて聞いたかというような絶叫をあげると、自分の荷物も捨てて駆け出した。奈保の近くには、ホテルの上階へと続く階段。奈保はそこ目指して一心不乱に駆けていく。完全にパニック状態になっているらしい。その動きはいつも以上に機敏だった。
「奈保、危ないから戻ってきて、奈保ぉっ!」
 雪乃が奈保を止めようと一歩踏み出す。この状況で一人で行動するのはあまりに危険だった。雪乃は何とかして奈保を止めようと思ったに違いない。
 だがそれは叶わなかった。雪乃の動きに気づいた江里佳が、右手の拳銃を雪乃に向けていた。照準は、雪乃の眉間。
「雪乃、危ない!」
 咄嗟に直美は、雪乃の身体にタックルを仕掛けるようにして彼女を床に押し倒す。直後に、二発の銃声。鉛弾が、直美の頭上を通り抜けていく感覚を感じた。
 その間に、奈保は階段を駆け上がっていき、見えなくなってしまった。
「奈保、戻ってきて、奈保!」
 直美も姿の見えない奈保に呼びかけるが、もはや何の反応もない。奈保の代わりに、江里佳による銃弾の返事が二度あっただけ。
 そして江里佳は、奈保に続いて階段を駆け上がっていく。どうやら彼女の標的は奈保に絞られたらしい。どういう基準で標的を選んでいるかなど、もう直美には分からなかった。
 直美が考えていると、直美に押し倒された雪乃が身を起こした。
「直美……ありがとう。守ってくれたのね」
「と、咄嗟だったから。痛かったら、ごめん」
 雪乃の言葉に、直美はとりあえずそう返す。ただ無我夢中だっただけ。それだけだった。
「でも、どうしよう雪乃。奈保が、奈保が……」
「奈保を助けに行きたいけど……私たちだけじゃ江里佳に返り討ちにされるだけよ」
 悔しげに顔を歪めて、雪乃が言う。雪乃の言うことは事実だった。直美たちの武器は残弾の少ないファイブセブンと直美の支給武器のフォールディングナイフだけ。奈保が残していったデイパックにも、彼女の支給武器だったヒーリングCDが入っているだけ。
 対する江里佳は、光から奪った拳銃を含めて二丁の拳銃を持っている。いや、もしかしたら他にも武器を持っているかもしれない。
 あの江里佳の様子……。ひょっとしたら、他にも誰かを殺していて、別に武器を手に入れているかもしれないのだ。
 二人で奈保を助けに行ったとして、勝算があるとは思えなかった。
「悔しいけど……逃げよう」
 声を絞り出すようにして、雪乃が言う。その眼には、大粒の涙が浮かんでいる。
「ねえ、直美。私……最低のリーダーだね。仲間を見殺しにしてさ、逃げる算段立てて……もう、もう嫌だよ……」
 それは、直美が初めて聞いた雪乃の弱音。彼女の抱えた荷の重さが、そこには表れている。
――違う。
「違うよ、雪乃。私も、諦めようとしてた。私も同じことを考えてた。だからさ、二人で最低を分け合おうよ。私が、雪乃の荷物を背負うの手伝うから。だから、自分を卑下しないで、お願い」
 心からの言葉。それを雪乃にぶつける。
「だから、一緒に行こう」

 そして直美は、荷物を持った。
 仲間を見捨てるという、大罪を。雪乃と共に。

<残り16人>


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