BATTLE ROYALE
The Gatekeeper


第82話〜瞬間の章・5『狩猟』

 あの日目の前に広がっていたのは、死体の山。鮮血に塗れた、名も知らない男たちの骸が、あの日の町田江里佳(女子15番)の視界に入った。
 彼らは皆、廃墟の一室で天井を仰ぐようにして横たわっていた。広がりを見せる血液のクリムゾン・レッドが、その男たちが少し前までまだ生きていたことを、如実に物語っている。
 雑多な部屋の中に、僅かに凹みのある鉄パイプと真っ赤に染まった鋭く尖ったガラス片。そして漂う、鉄臭い悪臭。
 江里佳はそれらの光景を見て、絶叫を上げた――。


 江里佳は、その時のことを思い返す。
 ずっと思い出したくなくて、心の奥底にしまわれていた記憶。同時に、彼女を狂気の中へと誘う切欠となっていた記憶。
 しかし
園崎恭子(女子7番)を殺した後、江里佳はそれらの忌まわしい記憶を完全に甦らせた。恐怖を狂気で完全に覆い隠したことによるものだろうか。全てを血のように真っ赤に染め上げる。その狂気を、江里佳は確実に自らの意志でコントロールし始めていた。
 それと同時に、あの恐怖の記憶を恐れることもなくなった。そして、禁忌も、倫理観も全て捨て去ることさえも可能にしていた。
 江里佳の脳内は、冷静なる狂気で満たされていった。
 だからこそ、久しぶりに出会った友人――
戸叶光(女子10番)の前で、己の狂気を隠して振る舞えた。案の定、光は江里佳を信用してこちらに背を向けた。瞬間、江里佳の中の狂気は首をもたげ、何も知らない光の生命をあっという間に奪って見せたのである。
 やってみれば、あまりに容易いことだった。

 銃の引き金を一、二度引けば、また世界を一つ真っ赤に染められる。そう思うと狂おしいほどの歓喜が江里佳の身に降り注ぐ。
 それは幻覚かもしれないが、もう江里佳にはどうだって良かった。今はただ、この気持ちに従って赤に染めていくだけ。そのために、もっともっと生命を狩らねばならない。
 死ぬ直前、光はホテルの中へと江里佳を案内しようとしていた。彼女は確か『雪乃たち』と言っていた。
 ならば、この中にいるのは江里佳とも仲が良かった友人たち――
阪田雪乃(女子5番)たちがいるに違いない。またとない、狩りのチャンスといえた。そう思うと、思わず口元が歪む。また脳髄が歓喜に震える。
 そう考えて、江里佳はホテルの中へと入っていったのだ。


 そして今、江里佳はホテルの階段を上っている。その先には、パニックを起こして逃げ出した
度会奈保(女子18番)がいるはずだ。
 雪乃と
井本直美(女子1番)が追いかけてくる気配はない。どうやら勝算はないと判断して、逃げに徹するつもりのようだ。
――でも、奈保を狩ったらすぐに追いかける。
 上に逃げた奈保を追ったのは、そちらの方が狙いやすいと思ったから。別に雪乃たちを見逃すつもりはない。こちらが終わり次第、すぐに探し始めるつもりだった。それで仮に逃がしたとしても、構わない。いずれ真っ赤に染め上げることに変わりはないのだから。
 階段を上り終えて二階へと辿り着く。二階からは客室フロアになっているらしく、廊下が二方向に広がっている。江里佳はまず、左の道を選ぶ。
 絨毯の上を悠然と歩く。その足取りは、随分と軽かった。途中の部屋を一つ一つ確認することも忘れないでおく。しかし、どこにも奈保の姿はなかった。
――もう一つの方、か。
 すぐに江里佳は来た道を戻り、もう一方の廊下へと歩を進める。すると、その奥に扉が見える。どうやら、渡り廊下があってそこから別の棟へ行ける構造らしい。ここにずっといたらしい奈保ならば、知っていてもおかしくはない。
 そして扉のところに、奈保の姿があった。どうやら扉を開けようとしているようだ。
 江里佳はすぐに奈保へと近づいていく。すると、江里佳の接近に気付いたのか、奈保が振り向く。その顔は、恐怖に歪み切っている。
「い、嫌ぁっ!」
 一声あげると、奈保は扉を開けて渡り廊下へと飛び出す。江里佳もすぐにその後を追う。
 奈保は必死で渡り廊下を走っているが、パニックを起こしているせいか、足元がどうも怪しい。江里佳はそんな奈保に、右手のピストレット・マカロフの銃口を向けた。そして引き金を、引く。
 銃声が、一発。
 放たれた弾丸が、渡り廊下の柱を掠める。やはり片手では狙いがつけにくいということだろうか。だが、今の奈保相手ならばこれで十分だろう。
「ひいっ」
 呻き声を上げ、奈保がへたり込む。どうやら恐怖で足がうまく動かせなくなったようだ。それでも奈保は、這うようにして何とか逃げようとする。どうにかこうにか、奈保は反対側の扉までたどり着いていた。扉を支えにするように立ち上がり、扉を開けて別棟へ出る。
 その瞬間、江里佳はもう一度マカロフを撃った。狙いは、扉を開けた時の奈保の背中。
 弾丸は、確かに奈保の背中を捉えた。
「うぐっ」
 奈保の声が響き、彼女の身体が別棟の側へ崩れ落ちた。江里佳は渡り廊下を渡り終えて、扉の向こうにいる奈保を確認する。背中を撃ち抜かれた奈保は、それでもなお逃げようと這いつくばっていた。
「――奈保」
 江里佳は、彼女に声をかけた。
「ひ、ひいっ!」
 その声に反応して、奈保がこちらを向く。その顔は涙に塗れてくしゃくしゃになっていた。
「や、やめて……お願い江里佳、殺さないで……」
 奈保が、必死で助けを求める声を上げる。背中の傷のせいか、この声にはあまり力がこもっていなかった。こちらに向き直るような態勢になって、後退るようにしてどうにか逃げようとしている。
「ねえ、聞こえてるんでしょ……? お願いだから――」
 そこまで言いかけたところで、奈保が言葉を止めた。その眼は、限界まで見開かれている。
 気づけば、江里佳はまた口元を大きく歪めていた。赤に染め上げることへの歓喜が、また江里佳の身に降り注いでいた。江里佳は右手のマカロフを、奈保に向けて構える。
「嫌よ……嫌嫌嫌嫌嫌ぁ――!」
 奈保の絶叫。それが最後だった。
 江里佳が放った、二発の銃弾。一発目は確実に奈保の胸を貫き、もう一発は、奈保の眉間を捉えていた。眉間には小さな穴が開き、貫通した銃弾が奈保の後頭部を柘榴のように弾けさせる。弾丸はそのまま宙へ消え、奈保はまるで眉間の傷を確認しようとするかのように視線を泳がせ、そのまま重力に従って仰向けに崩れ落ちた。
 そのまま決して、彼女は動くことはなかった。そして、爆ぜた後頭部からは鮮血と脳漿のグロテスクな色彩が溢れ、絨毯を彩っていった。
 その様を見て、江里佳はますます歓喜に打ち震える。

――この調子。このままもっともっと、世界を真っ赤に染めていこう。
――次は、雪乃と直美。

「早く、行かなくっちゃ」
 一言呟いて、江里佳は来た道を戻っていく。その場には、無残に打ち捨てられた少女の骸のみが転がっている。
 その周囲の絨毯は、赤とピンクの混じり合った異様な溜まりに呑まれていった。

 <AM20:32> 女子18番 度会奈保 ゲーム退場

<残り15人>


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