BRR(BATTLE ROYALE REQUIEM)
第2部
〜 真実の神戸 〜
42 「諸刃の心(後)」
桃井なな(女子19番)は千野直正(男子11番)との間合を計りつつ、走っていた。
時折、飛んでくる手裏剣にナイフを鎖鎌の鎌の部分で叩き落す。こちらに飛び道具はない。だからこそ、仕掛けるタイミング、戦場の選択が重要になる。幸い、直正も鎖鎌の間合にも入り難い様子だ。
(どこか、どこか良い場所があれば)
辺りを見回す。
(よし、あそこを使わせてもらうわ)
さり気なく左方向へと誘導をかける。意図に気づいているのかいないのか、直正は付いてくる。
今こそ、あの日見せ付けられた強さを越える時だ。ななは顔を引き締めた。
§
塩見一中、武術研究会。そこは荒くれ者が揃うことで恐れられていた。近づくのはよほど腕に自信のある男子生徒だけ、しかも、彼らでさえも3人に2人は1月と持たずに脱落するという。
そんな噂や、道中でかけられた制止の声は、却ってななを駆り立てた。ななには絶対の自信があった。道場では女子高校生とも互角に渡り合えるほどになっていた。男子中学生にも滅多に負けることはなかった。
その自信がななを第2武道場、武術研究会の活動場所へと導いた。
「すみません」
扉を叩き、声をかける。反応はない。
「すみません!!」
叫び、扉を数回叩く。それを数回繰り返す。
「おい、誰だよ!」
髪を茶に染めたタンクトップ姿でいかつい男子生徒が顔を出した。
「あの、私と試合して欲しいんですけど」
「はぁっ!?」
馬鹿にしたように笑う。怒りは感じない、いつものことだ。年上の男性と戦う時、戦う前の彼らは年下の少女に負けるはずはないと高をくくる。それは表情に、動きの1つ1つに現れる侮蔑と油断、それを恐怖へと変えることはとても爽快なことだった。
そんなわけで、なながここを訪れたのは入部希望というより、道場破りに近い気持ちからだった。もちろん、そこが有益な場所であると判断すれば、入部する可能性もゼロではないのだが。
「お前、馬鹿か? 中3相手に新入生が喧嘩売ってんじゃねぇよ。時間の無駄、面倒くせぇ」
吐き捨てると踵を返す男子生徒、その背中に言葉をぶつける。
「弱虫、そんなこと言って、負けるのが怖いんでしょう」
荒くれ者の、特に男は自分より弱いと思っている相手に馬鹿にされるのを好まない。こういう言い方をされれば、大方にして「一度、痛い目に合わせて分からせてやる」となるものだ。
「てめぇ、こっちが下手に出てりゃあ、いい気になりやがって」
案の定、男子生徒が向かってくる。ななはバックステップで、彼の間合から離れる。
「おい、逃げんなよ!」
闇雲に浴びせられる腕を、足を1つ1つかわしていく。そこからは鍛練の成果も、研ぎ澄まされた読みも感じられない。
(ただの喧嘩好きの集まりか)
ここ留まっても得るものはないと判断したなな、迫る右腕はサッとかわすと、これまでと打って変わって懐へと飛び込んだ。
「クソッ!」
当て身でバランスを崩した男子生徒の足を払う。それだけで彼はあっさりと倒れた。いつものような爽快感はない、あるのはイライラだけ、彼が弱すぎたせいだ。
「来るところを間違えたみたい、武術研究会を名乗るなら、もう少しちゃんと鍛えない」
校舎へと戻ろうと歩みを進める。その背後から声がかかる。
「なかなか、やってくれるじゃないの。行っちまうなんて、あんた、入部希望じゃなかったのか」
金髪で背の高い男子生徒が第2武道場の中から顔を出した。それに、横に太い坊主頭と、緑髪のサングラスが続いた。武術研究会というよりも暴走族の予備軍という印象だ。
「だって、あなたたち弱いみたいだから。私は強い人と戦いたいの、あなたたちでは役不足よ」
ななは怯むことなく言った。それを聞いた金髪がニヤリと笑った。
「言ってくれるじゃねぇか、俺らの中で一番弱いのを倒しただけで、いい気になられちゃ困るんだよな」
手を組んでポキポキとなす仕草をしながら近づいてくる。残りの2人も不敵な笑みを浮かべていた。本来ならば、ななはそこで気づかなければならなかったのだ。彼らがやろうとしていたのは武術の仕合ではなく、チンピラの喧嘩であることに。
だが、ななは受けて立ってしまった。
「いいわ。まとめて地面に沈めてあげる」
「おい、お前、もう一回、言ってみろよ」
「そうだぜ、まとめて地面に沈めてくれるんだろう」
ななは地面に転がっていた。甲高い声がとても遠く聞こえる。もう起き上がれない、受身を取ることもままならない。左に転がされた次は右に転がされ、そして、踏みつけられる。
ななはようやく間違いを悟っていた。武術の心を持たない武術研究会である彼らが、まともな勝負をさせてくれるはずはなかったのだ。2対1くらいなら対応できただろう。しかし、現状は4対1だ。最初に倒した茶髪も復活している。
息が詰まり、意識が飛びそうになる。腹を蹴られる度に甘酸っぱい液が食道をのぼってくるのが分かった。
そんな中で、不意に攻撃が止まった。
「そろそろ、やめとこうぜ」
「そうだな、死なれたら困るしな」
「そうそう、打撲、打ち身までなら、正当な試合による傷ってことで誤魔化しも効くけど、死なれたらどうしようもないからな」
(やっと、解放される……、いや、ダメ、何を逃げ腰になっているの)
朦朧とした意識の中でも自分自身を叱咤する。そんなななの頭上から予想だにしない言葉が降ってくる。
「さてと、じゃあ、次は違い意味でお相手願いましょうかね」
その言葉の意味はまだ中学1年生のななには分からなかったが、何か酷いことをされるんだということは認識できた。
(やめて!)
「部室へと運べ」
叫びたかったが声が出ない。持ち上げられようとしているのは分かったが抵抗しようにも体が動かない。
「さぁて、楽しませてもらうぜ」
その時だった。
「なにやってるんですか、先輩。不純異性交遊は校則違反ですよ」
落ち着いた声が響いた。曇った視界の中に、掃除用のモップを手にした男子生徒が立っていた。
「なんだよ、てめぇは?」
「新入生の久慈孔明です。一応、すべての部を見学してみようと思って、ここにいます」
孔明は笑みを浮かべている。
「悪いが今度にしてくれないかな。今、いい所なんでね」
金髪が吐き捨てるように言った。
「そうですか、残念です。じゃあ、部活見学は無しにして、道場破りをさせてもうことにしますよ」
この態度に、緑髪サングラスがキレた。
「はぁん、てめぇ、誰に向かってもの言ってんだよ」
長身ではあるが、どちらかと言えば細身の孔明、緑髪サングラスは弱いと判断したのだろう。2人の距離が詰まっていくが、孔明は動かない。このままでは一方的に殴られて終わる、なながそう思った時だった。
「あぁ〜あ、残念ですよ、先輩。武術研究会の方が相手の力量も計れないなんて」
緑髪サングラスの腹にモップの柄がくい込んだ。彼はもんどり打って倒れる。
「クソッ、てめぇ、武器なんて使ってんじゃねぇよ」
「はぁ、そんなこと、4対1で女の子をリンチしていた人たちに言われたくないですね」
孔明はやれやれというように首を左右に振った。
「おい、やっちまうぞ!」
3人が孔明へと向かっていく。
ななの目が驚きで見開かれていく。孔明はどう見ても素人だった。身のこなしも、腕の振りも、どれを見ても武術をやっていたようには見えない。運動神経がいいだけの素人だ。
しかし、3人を相手にして隙が見えない。彼が守っているのはただ1つ、「手の長さより遠く、足の長さより遠く、その場所にいれば、相手の攻撃に当たることはない」ということだけだ。そのためになら、モップはもちろん、地面に置かれている植木鉢やコンクリートブロック、停められていた自転車に至るまであらゆる物を利用していた。
(こんな戦い方があるのか)
今までの自分は分かったつもりになっていただけなんだということを悟り、とても恥ずかしい気持ちになった。
孔明は相変わらず、かわし続けていた。3人が孔明を捉えるのは時間がかかるだろう。だが、そこに潜む問題にななは気づいた。孔明はかわすことは出来ても攻撃の術は持っていない、相手を倒すことはできないのだ。
それから考えられる答えは1つだ。
(彼が止まったらお終い)
なながそう思ったのとほぼ同時に、孔明の足が縺れた。そして、地面に倒れこむ。
「けっ、手間かけさせやがって」
孔明のもとに3人がせまった時、再び、新たな参入者が現れた。
「裕雄、コイツらか」
「うん、そこの4人だよ」
長身で筋肉質の少年が武術研究会の4人のもとへ迫る。
「おい、お前」
そこまで言ったところで金髪の体が地面に倒れた。あとは一瞬の出来事だった。武術研究会の4人はボコボコにされて、地面に沈んだ。たった1人の少年の手によって。
「さすが、直正」
能天気な声が聞こえた。1人だけ戦わなかった少年の声だ。
それから先、そこで何があったのかをななは知らない。だから、その日を境に彼らが親友同士になったのか、それ以前からの親友同士なのかなどは知る由がない。
ななは痛む体を無理やり動かしていた。駐輪場の脇を抜け校舎を目指す。教室に置きっぱなしの荷物を取りに行くためだ。
逃げるようにここまで来たのは、彼らに助けられたという事実が悔しかったからだ。特に最後に戦った少年の強さは群を抜いていた、同じ道場に通う高校生の中にも彼ほどの強さを持った人間はいないかもしれない。1つ1つの動きが、1つ1つに向けられる視線が、1つ1つの技が、段違いな物に見えた。
昇降口で靴を履き替え、教室を目指す。
しかし、階段へと差し掛かった時、体がグラリと傾いた。体の節々が痛む、もう限界だった。
「あの、大丈夫、ですか?」
女の子の声、体が支えられるのを感じた。
「私に構わないで」
擦れた声で主張する。こうなったのは自らの愚かさのせいなのだ。
(そんなことで、人の手を借りるなんて)
けれど、体を支える力はしっかりとしたものになっていく。
「だから、構わないで!」
いつもなら簡単に振り払えるのだけれど、立っているのもやっとの今はそうもいかない。
「でも、放っておけませんから」
女の子が答えた。なんだか、悲しそうな声だった。どうしてなのか分からないけれど、反発していた気分が治まっていくのを感じた。
それが、ななと藍の出会いだった。
§
ななと直正はE10エリアに差し掛かっていた。
目の前には海に向かって斜めに突き出た円柱が見える。その数は20余り、かつて、この島で起こった戦いの折に敷設された砲台の跡だ。現在、設置されているものは観光目的に再建されたもので、砲台としての能力はない。
けれど、問題はない。先に砲台跡へと走りこみ、奥の砲台の影に身を隠す。これで、棒手裏剣は届かない。あとは2人が遭遇した瞬間が勝負だ。ななは覚悟を決めた。
瀬戸内海の孤島、因縁の2人が砲台を挟んで睨み合う。
出会ってから2年半、2人にとって最初で最後になるかもしれない真剣勝負、そのクライマックスが迫っていた。
<残り36人>