BRR(BATTLE ROYALE REQUIEM)
第2部
〜 真実の神戸 〜


 

56 「とびっきりのダーティーヒロニズム」

 時計の針は、もうすぐ、『プログラム』の開始から2周を終えようとしていた。
 暗闇の中、白壁の色がぼっと浮き上がるように感じられる無機質で生活観のない空間、コンクリート製の床の冷たさが直に体に伝わる。
「ハッ、ハハハ、ハヒャヒャヒャ……」
 吉岡治(男子20番)は表情を歪ませ、壊れたように笑い声を上げた。
 英語研究会に所属する治、クラスの中でもお世辞にも体力がある方ではない。といって、勉強が出来るわけでもない――得意科目の英語ではいつも満点近い得点を取っていたが、他の科目はからきしであり、クラスメイト及び教師からは『英語バカ、もしくは、洋画バカ』と認識されていた。
 なぜ、洋画かといえば、それは治が英語を勉強しはじめきっかけからだ。治は無類の洋画好きなのだ。小学校の頃、テレビで見た映画――正規ルートで流通している大英帝国の作品――に夢中になって以来、小遣いのほとんどをつぎ込んだ。そんな姿を見ていた両親が将来は外交官か通訳にと大いに期待し、投資を惜しまなかった。その結果、小学校を卒業する頃には近所のレンタルビデオ屋、2件の大英帝国コーナーを制覇していた。
 ただ、治には一つだけ不満があった。それは字幕である。まだ、小学生だった治には字幕に出てくる漢字が読めないことや、適当な言葉がない場合の無理やりな訳し方により、ストーリーが理解し難いことがあったからだ。
 そこで、治は英語を勉強し始め、今では字幕なしでも映画を楽しめるレベルに達しつつあった。それは、両親の思惑通りであったのだが、治はそれに気づいていなかったし、気づいても関係のないことだった――なぜなら、治にとって両親はレンタルビデオ代や英語のテキスト代を払ってくれるスポンサー以外の何者でもなかったからだ。その上、英語以外の科目の成績が最悪でも、注意の一つもされず、好きなことだけをさせてくれる。治は自分の現状に、何一つ不満を持っていなかった――この『プログラム』に選ばれるまでは。
 しかし、そんな至れり尽くせりの家庭環境は、治の精神的な成長に大きな悪影響を与えた。好きなこと以外に興味を示さなくてもいい生活は、何も我慢しなくていい生活と同じだ。必然的に治は、自己中心的でわがままな人間へと成り果てていった。クラス替え当初は治と友だちになろうとした生徒もいたのだが、どんな話題にも乗ってこない治――洋画以外に興味のないため、他の話題は適当に聞き流していたうえ、たまに少しだけ興味の持てる話題があっても、知識が足りないため返事ができなかった――に話しかける生徒は少なくなり、最近では、事務的な会話以外で声をかけられることはなくなり、一部の女子からは『根暗カルテット』の一員の烙印を押されていた。
 また、自分の思い通りにならないことからは逃げる癖もついてしまっていた。例えば、体育の授業を腹痛で休むのはいつものこと、文化祭の準備も最低限の仕事しかしていない、さらには、仮病で学校を休み、家で洋画を見ていることも少なくなかった。だが、こうした逃げは、逃げる場所があるからこそできたことだ、この『プログラム』には、それがない。そのことは確実に治の心を蝕んでいた。
「さぁ、誰が来い、来いって、こっ、来いよ。早く……」
 笑っていた時とは対照的な震える声、メガネの奥の瞳の焦点は定まらない。声と同様に震える右手には、筆箱よりも一回り大きいくらいの直方体が握られている。
「さっ、さぁ……」
「お前ら、いつもなら寝る時間かもしれんが、今日は寝るんじゃないぞ!」
「ヒャッ!」
 小さな悲鳴を上げたきり、治が体を硬直させる。疲れを知らないのか、4回目の放送でも相変わらずのハイテンションの森嶋だ。
「夜だが、いたるところで戦闘が起きているぞ、出遅れるなよ! それじゃあ、死亡者の発表だが、今回は女子18番真中真美子だけだ。4回の放送のうち、3回も1人というのは下手をしたら、『プログラム』の記録にもなりかねん。お前ら、繰り返しになるが気合が足りんぞ。だが、銃声を数えているヤツもいるかもしれんが、7人の死亡者に比べて、戦闘回数が多い。どういうことかと言えば、さっきの放送でも言ったが、有力者も含めて、何人かの負傷者が出ているということだ。しかも、これからは深夜になる、寝込みを襲う機会も増えるだろう。今度こそ、ペースアップを期待してるぞ。次に禁止エリアだ、1度きりだから、よく聞け。午前1時にD10、午前3時にG8、午前5時にC5、以上だ。それじゃぁ、頑張れよ!」
 放送が終わり、辺りに静寂が戻る。無機質な空間が、治の体と心を冷たくしていく。
「まだ、34人も残ってやがる」
 メガネの奥の目が、すっと細くなる。
「けっ、けど、僕、僕なんだよ! そう、僕が勝つんだ。だから、誰か来い、来いって、早く、ここへ来い……」
 右手が揺れる、同時に手の中の直方体も揺れる。
「僕がヒーローなんだ。僕が優勝して、ダーティヒーローになるんだ!!!」
 ダーティヒーローとは、治が大好きな洋画に出てくる男性キャラクターが、犯行声明で警察に名乗った名前だ。その男は、結局、41人の市民を無差別に殺した後、逮捕されるが、軍との取引が成立し、暗殺部隊の隊長となる。某国での実話を基にした作品で、タイトルは”デッドリー コマンダー”という。
「誰か、来いよ。僕が、ぼっ、僕が殺してあげるから。ハッ、ハハハ、ハヒャヒャヒャ……」
  
 ダーティヒーローが殺した市民の人数は41人、くしくも治が優勝するために必要な死亡者数と同じだ――これは偶然なのか、それとも必然なのか。
 それから、しばらくの間、笑いと呟きの繰り返しが続いた。

                         <残り35人>


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