BATTLE ROYALE
〜 LAY DOWN 〜


13

 夜空に無数の星が輝いている。
 東京では絶対に見ることの出来ない空だ。
「すげーなー……」
 宙を見上げ、若菜は呟いた。
 星の事など全く分からないが、純粋に綺麗だと思う。心が癒されていく気がした。
 一際大きく輝く星をつかもうと、手を伸ばしてみる。その手は星をつかむ事は出来ず、その代わりに冷たい空気が手の平に触れた。そのまま拳を握りしめる。
 以前にも同じように綺麗な星空を見た事があった。ほんの二ヶ月ほど前の春休みの時だ。夕子の家に泊まりに行った若菜は、子供の頃に撮ったらしい写真を見せてもらったのだが、その中にあった星空の写真に目を奪われてしまった。そんな自分に気付いたのだろう。その三日後また泊まりに行った時に、何と写真の場所に連れて行ってくれたのだ。そこは夕子の家の別荘だったらしい。もう何年も来ていないという事だったが、別荘は隅々まで手入れが行き届いていた。
 あの時二人で見た星空は、今目の前にある星空よりも優しかった気がする。
 ”夕子に会いたいな……”握っていた右手を下ろし、上半身だけ身体を起こした。
 木の枝に引っ掛けてあったデイパックから地図を取り出し眺めてみるが、現在地すら分からない。ちなみに、今若菜がいる場所は木の上である。
 良平から逃げ出した後、ひたすら走り続けた若菜は海が見える崖に辿り着いた。その周辺で休もうと考えたのだが、安全な場所を探す事すら面倒だったので近くにあった高い木に登ったのだ。
 夕子はどこにいるんだろう。地図を見ても、行きそうな場所は思い浮かばない。だが、一つだけ確信している事がある。夕子はきっと自分を探しているはずだ。それだけは自信を持って言える。
 ふと学校近くの林で葵が言った言葉を思い出した。夕子が信用されていないなんて思ってもみなかった。確かに自分以外の者と話しているところは、あまり見た事が無い気がする。それでも葵なら分かってくれていると思っていた。鈴子達はどうなのだろう。やはり、葵と同じように思っているのか。
 ”早くお前に会いたい。会って、みんなに証明してやりたい。お前がどんなに優しい奴かって事を……”
 ――若菜。
 夕子の声が聞こえた気がした。
 目を瞑る。
 いつかの事を思い出した。

*

 その日は菜摘が出かけていて、いつものように夕子が食事を作りに来ていた。
「何か食べたい物はある?」
 冷蔵庫に入っている食材を見ながら夕子が訊いてきた。
「う〜ん……」
「ないなら適当に作るけど?」
「よし。決めた!! 今日はあたしが作ってやるよ!」
 しょっちゅう夕子の手料理をご馳走になっているので、たまには自分がご馳走しようと思ったのだ。
 強引に夕子を椅子に座らせ、若菜は意気揚々と台所の前に立った。生まれて初めて。
「さて‥‥と、何作っかな」
 少し考えたが、ミートソースの缶詰があったのでパスタを作る事に決めた。
 料理をする事自体、小学生の時の家庭科の授業以来だ。中学になってからも家庭科はあるが、料理好きの梨香がほとんど作ってくれていたので若菜は何もしていなかった。
 レシピ本などは無いが、作り方はなんとなく分かる。授業で梨香が作っているところも見た事がある。自分にも出来るはずだ。
 若菜は早速、スパゲッティミートソースの調理に取り掛かった。
 その時は何とかなりそうな気がしていたのだが。
 調理の開始から1時間近くが経った頃、フライパンの中には恐ろしい物体が存在していた。どう作ればそうなるのか、かつてミートソースと呼ばれていた物はどす黒い輝きを放ち、何とも形容し難い匂いをさせている。
「こ‥‥これは……」
 言葉も無いとは正にこの事だ。味見してみようという気すら起きない。
「どうかしたの?」
 いつの間にか夕子が背後にやって来ていた。
「く‥‥食う? わけねーよな……」
 そう言うと、夕子が苦笑して口を開いた。
「これはちょっと食べれないわね」
「う‥‥だよな……」
 自分でも食べようと思えない物を、人に食べさせるわけにもいかない。勿体無いという気持ちすら起きず、フライパンの中の物体はゴミ箱行きとなった。
「はぁ。上手く出来っと思ってたんだけどな〜」
 予想をはるかに下回る出来に、さすがの若菜もため息をついてしまう。
「作った事が無いなら、そう言えば良かったのに」
「だってよ〜」
 想像ではちゃんとした物が出来るはずだったのだ。もっとも、結果はアレだったので何も言えないが。
「若菜。まだ作る気ある?」
 右手を口元に持って行きながら、夕子が訊いてきた。
「え? うん、まぁ。けど……」
「大丈夫よ。一緒に作りましょう」
 夕子の微笑に吸い込まれそうな気がした。
 一緒にとは言うものの夕子が若菜に教える形なので、今度は失敗は無いだろう。
 そうしてついに完成したパスタは、先程の物と同じ食べ物とは思えないほど美味しそうに見えた。
 今日の夕食は、パスタと簡単なサラダという事になった。ドレッシングは夕子の手作りだ。
 テーブルに着くと、若菜は早速パスタを口に運んだ。
「……う、うめー。うめーぞ、これ!」
 思わず、声を上げてしまうほどの美味しさだ。
 夕子も笑ってパスタに手を付ける。自分とは違い、どことなく上品な食べ方だ。
 それから何だかんだ下らない話をしながら食事は進み、二人前作ったパスタはあっという間に無くなった。ちなみに、その半分以上を若菜が食べたのだが。
「あー美味かった。お前やっぱ、料理上手いよな〜」
「私一人で作ったわけじゃないわ」
 そうは言うが、やはりほとんどは夕子一人で作ったようなものだ。
「けど、お前いなかったら終わってたって。あたしが作ったやつ見たろ?」
 あまり思い出したくはないが、物凄い物を作ったと今更ながら思った。
「まあね。けど、これでもう大丈夫でしょう?」
「え?」
「今度は、ちゃんと若菜一人で作った物を私にご馳走してね」
 いつもの笑顔で夕子が言った。
「……お、おう! 任せとけ! めちゃくちゃ美味いもん作ってやるからな。約束するぜ!」
 一瞬躊躇してしまったが、若菜は胸を叩いて宣言した。
「約束ね。楽しみに待ってるわ」
 夕子が右手の小指を若菜の前に持ってきた。どうやら指切りという事らしい。
 若菜は笑って、その指に自分の小指を絡めた。
 他人から見れば些細な約束かもしれない。それでも若菜にとっては、とても大切な約束となったのだ。
 
 ”あの約束、覚えてるか夕子? あたし、あれから密かに料理の勉強してたんだぜ。お前ほどじゃなくても、結構上手く作れるようになったんだよ。なあ、覚えてる? 夕子。お前に会いたいよ……”

*

「ん? う〜ん」
 冷たい風を頬に感じて、意識が現実に引き戻された。
 どうやら、少し眠ってしまっていたようだ。 
「寝ちまったのか、あたし……」
 両手を上げて伸びをしようとして、若菜は青ざめた。自分が木の上にいる事を忘れていたのだ。こんな所で寝ていて、万が一寝返りでも打っていたら、二度と目覚める事は無かったであろう。
「こ‥‥こえ〜」
 危うく惨め過ぎる死に方をしてしまうところだった。
 気を落ち着かせようと、軽く頭を振り深呼吸をする。冷たい空気が身体の中に入ってきた。
 どれくらい眠っていたのかと思い、支給された腕時計に目を向けた。デジタルの腕時計は”22:36”を表示している。眠っていたといっても10分かそこらのようだ。
 出発した頃より、風が強くなっているような気がした。寒さを紛らわそうと両手で身体を抱きしめてみる。しばらくそうしていると、急に不安が込み上げてきた。
 皆は無事なのだろうか。銃声のような音が聞こえた気もする。何より、少なくとも一人はやる気になっている者がいるのだ。いつまでも休憩なんてしている場合では無い。
 ”アホか、あたしは! こんなとこで寝こけてる場合じゃねーっつーのに!”思うが早いか、木の幹に引っ掛けてあったデイパックに手を伸ばした。
「よし。……ん?」
 いざ、木から降りようとして固まってしまった。
 ”お‥‥降りられない……”登った時は平気だったのだが、どうも高く登り過ぎたのか急に怖くなってしまった。しかし、このまま一生木の上にいるわけにもいかない。若菜は覚悟を決めた。
「うぅ……。こ、こえー……」
 とりあえず、一番近い幹に右足を伸ばしてみる。上手く足が引っ掛かった。
「よ、よし」
 安堵して、左足も降ろそうとした瞬間だった。
「う、うわっ!!」
 いきなり右足が宙に浮いた。木の幹が折れて、足場が急に無くなったのだ。そのまま下まで滑り落ちそうになったが、間一髪で先程腰を下ろしていた太い幹に手を引っ掛けた。
「わー!! こえー!! だ、誰か助けてくれー!!」
 大声で助けを求めた。なりふりかまってはいられない。ここから落ちたら、本当にただでは済まないだろう。やる気の者が来てしまう可能性もあったが、そんな事を言っている間に落下して死んでしまっては元も子もない。
「こんなとこで死にたくねー!!」
 腹の底から大声を出し、若菜は叫び続ける。
 こんな状態が、そう何分も続けられるはずが無い。もうすでに両腕は限界に達してきていた。
「だ、誰か〜!! も、もう持たねー!! 死ぬ〜!!」
「どこだ!?」
 ギリギリのところで、新たな声が若菜の耳に飛び込んできた。
 ついに誰かが来てくれたようだが、怖くて下が見れない。
「こ‥‥ここだ!! 上!! 上!!」
 救世主の登場に歓喜しつつ、若菜は必死で叫んだ。
「な、何でそんな所にいるんだ、お前は?」
「いーから早く助けろよ!!」
 声からして男子のようだが、あまり聞いた事の無い声の気がする。
「おい!! 早くしてくれ、落ちる〜!!」
「少し静かにしろ! やる気の奴が来たらどうする!」
 どうやら登って来てくれているようだ。先程より近くで声が聞こえた。
「暴れるなよ」
 その一言が聞こえた瞬間、いきなり腹に腕を回され、そのまま引き寄せられた。
「わっ」思わず声を上げる。
 何とか安全な所まで引き寄せてもらえたようだ。そこでようやく救世主の顔を確認して若菜は驚いた。
「あ、天野〜!?」
 自分を抱えてくれているのは、天野義人(男子1番)だった。
「……今頃、気付いたのか」
「え? いや、まあ……」
 曖昧に答えたが、内心驚いていた。
 義人は無口な男で、人と話しているところはあまり見た事が無い。おとなしいというより、ちょっと怖そうな人物というのが若菜が抱いていた印象だ。
「目の前の枝をつかんで、俺が足を置いてる所を足場にしろ」
「お‥‥おう」
 言われた通りにした。
「よし。じゃあ俺が先に降りるから後から付いて来い」
「ち、ちょっと待てよ! あたし一人で降りんのか?」
 一度危険な目に遭っているので、一人で降りるのは怖い。
「当たり前だ。抱えたまま降りられるわけないだろう」
「うぅ、マジかよ〜」
「ゆっくり降りてくれば大丈夫だ。大体、最初は一人で登ったんだろう?」
 やや呆れ気味な口調で義人が言う。
「そりゃ、そーなんだけど……」
「とにかく行くぞ」
 そう言うと、義人は先に下に向かって降りていってしまう。
「ちきしょー! 行ったらー!!」
 覚悟を決めて、若菜も降り始めた。物凄いゆっくりとだったが。
 半分ほど降りると、かなり余裕になってきた。しかし、この余裕が後の災厄を招く事となったのだ。
 それは地面まであと少しに迫った時に起こった。
 調子に乗りすぎて、足場が無い事に気付かず足を移動させてしまったのだ。
「だー!!」と悲鳴を発して若菜は地面に落ちていった。
 そのまま思い切り地面に叩きつけられる、はずだったのだが。
「ん? あれ?」
「や、やまぐち……」
「げっ!!」
 義人が若菜の身体に押し潰されて倒れている。
「わー!! 大丈夫か、天野!?」
「いいから、早くどいてくれ……」
 若菜が身体をどけると、義人もよろよろと立ち上がった。
「あ、あの、大丈夫‥‥ですか?」
 なぜか敬語で訊いてしまった若菜である。
「い、一応な……。お前が軽くて良かった……」
 どうやら無事だったようだ。若菜の体重が、女子の中でも比較的軽い方だった事が幸いしたらしい。
「いやー。焦ったぜ、このヤロー!」
 若菜は安堵して、思わず義人の背中を叩いた。見事な音が響く。
「ぐぁっ!! や、山口、お前‥‥何か俺に恨みでもあるのか……?」
「あ、あれ……?」
 どうやら安堵した事で、いい感じに力が抜けたのか強烈な一撃となってしまったらしい。
 義人にとっては、本当にとんだ災厄である。 
「と、とにかく、やる気の奴が来たら困る。俺はもう行くぞ」
 実際かなりの大声で叫び続けていたので、やる気の者が来てしまう可能性は大いにあった。
「え? あ、ああ。あたしも一緒に行くよ!! いいだろ!?」
 自分を助けてくれた以上、義人はやる気では無いだろう。迷うまでも無かった。
「……い、一緒に来るのか?」
 義人の表情が、微妙に不安そうになっている。
「何だよ、いけねーのかよ?」
「ま、まあ、構わないが……」
 曖昧にうなずき、小さくため息を吐いた。
「よっしゃ! じゃあ早く行こうぜ!!」
「……それは俺のセリフだ」と義人が小声で突っ込んだ。
 もっとも、その突っ込みは、すでに歩き始めていた若菜には聞こえなかったのだが。
 とにもかくにも、この場所から離れる為、二人は移動を開始した。


                           ≪残り 42人≫


   次のページ   前のページ   名簿一覧   表紙