BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
16
――強い人間になりなさい。辛い時も、悲しい時も、前に向かって歩いていけるように。そうすれば、きっと……。
そうすれば、きっと。何と言っていただろう。その先を思い出せない。
優しかった母のお葬式の時、泣いていた自分に父が言った言葉。
ずっと忘れていた、父の言葉。
いつも元気だった母は、ある日突然倒れ、二度と目を覚ます事は無かった。医師の話によると、くも膜下出血だったらしい。
葬儀が終わると、私と妹は近くに住んでいた祖母の家に引っ越した。当時8歳だった自分はまだしも、妹は1歳にもなっていなかったのだ。しかも父は仕事柄、家に帰って来れない時もある。祖母の世話になるのは、仕方の無い事だろう。
祖母は優しい人だった。母を失くし、父とも離れて暮らさなければならない私達を不憫に思っていたのかもしれない。もっとも、離れて暮らしているとは言っても、父は休みの時は必ず会いに来てくれたので寂しい思いはせずに済んだ。祖母はよく言っていた。「お母さんの事を思い出しても、泣いちゃいけないよ」と。私が泣いていると母は心配になって、安心して天国へ行く事が出来ない。だから、泣いてはいけないと。
その祖母も、私が11歳の誕生日を迎えた二ヶ月後に、交通事故で死んでしまった。信号無視の車に、ぶつかられたのだ。後から聞いた話だが、運転手は酒を飲んでいたらしい。お葬式の時、私は泣かなかった。祖母に安心して天国へ行って欲しかったから。
そうして私と妹は、再び父と一緒に暮らす事になった。とはいえ父には仕事があったし、妹はまだ3歳になったばかりだ。家政婦を雇うほど、金銭的に余裕があるわけでもない。家の中の事は全て、私の仕事になった。学校帰りに保育園に妹を迎えに行って、その後スーパーで買い物をして家に帰る。家に帰ったら食事を作って食べて、洗濯をして、お風呂に入ったら、もう寝る時間だ。遊ぶ時間どころか、勉強する暇も無い。それでも最初の内は、必死で頑張っていた。父を困らせないように。妹に不自由な思いをさせないように。しかし、やがて限界がやって来た。
中学に入学してすぐの事だ。何の部活に入るとか、遊びたいから部活はやらないとか、確かそんな話をしていた時だったと思う。ふと思ってしまった。”どうして私は自分を犠牲にしてまで、家の事をやらなくてはいけないんだろう”と。一度決壊した感情は、もう抑える事が出来ない。これまで考えないようにしていた不満や妬みが、一気に溢れ出てきた。何の悩みも苦労も無く、いつも笑っている妹。その妹や家事を、自分に任せきりにして仕事をする父。どうして自分だけが、こんなに大変な思いをしなくてはいけないのか。
その日から私は、妹に対して冷たく当たるようになった。必要最低限の家事以外は、一切やらない事にした。今までは学校が終わるとすぐ妹を迎えに行っていたが、それも閉園時間である8時に合わせて行くようにした。それまでが、自分の時間というわけだ。家に帰ってからも、食事と入浴以外の面倒は見なかった。話かけられても徹底的に無視した。
父がその事を知ったのは、一週間ほど経ってからだ。どうも保育園の先生から、私が迎えに来る時間が急に遅くなったという話を聞いたらしい。学校から帰ってくると、部屋に父が座っていたのだ。もちろん私は、妹を迎えに行ってはいない。帰ってきた私を見ても、父は何も言わない。ただ黙って座っているだけだ。何も言わない父の前で、私は立ち尽くすしかなかった。どれくらいそうしていただろう。何も言わず父は立ち上がり、私の頭を抱き寄せた。「済まなかった……」父が耳元でそう告げた。その言葉を聞いた途端、堰を切ったように涙が溢れてきた。父の胸の中で、私は泣き続けた。やがて涙も涸れ果てた頃、私は父と共に妹を迎えに行った。その道中、父も私も一言も喋らなかった。私達が保育園に着くと、砂場で遊んでいたらしい妹はすぐに駆け寄ってきた。その笑顔を見て、また涙が溢れてきた。気付いたら、私は妹に抱きついていた。「ごめんね、ごめんね……」と泣きながら繰り返す私につられたのか、妹も泣き出してしまう。父は何も言わず、静かに私達を見守っていた。
私は子供だったのだ。強がって見せているだけの、弱い子供。無理して背伸びして、大人のふりをして、自分で自分を追い詰めて。傷つけたくなんかなかったのに。母や祖母のように、優しく強い人になりたい。そう思ってたはずなのに。いつからか私は、自分と友達を比べるようになっていたのだ。家に帰れば母親が食事を作ってくれていたり、父親に欲しい洋服やアクセサリーをねだって買って貰ったり、そういう生活が幸せのカタチなんだと思い込むようになっていた。私はなんて馬鹿なんだろう。
母の思い出がある。祖母の思い出がある。父がいて、妹がいて、私がいる。いつだって自分のすぐそばに幸せはあったのだ。他の誰のモノでもない、私だけの幸せのカタチ。
強くならなくてはいけない。母と祖母が安心出来るように。父と妹がいつも笑顔でいられるように。私の幸せを、私の幸せを形作る全てのモノを、守っていけるだけの強さが欲しい。辛い時も、悲しい時も、前に向かって歩いていけるように。
自分は少しは強くなったのだろうか。
あの時、父が言った言葉。あの続きが思い出せない。思い出せないのは、自分がまだ弱いからなのだろうか。
壁際に置いてある鏡に目を向けた。出血したせいか、少し顔色が悪いように見える。
”このままじゃ、何も誰も守れない……”そう、こんな所にいる場合ではないのだ。
自分の幸せは、自分の手で守る。あの日、そう誓った。
この状況を、何とか打破しなくては。
”最初の放送まで、あと12分か……”残り時間を確認すると、矢口冴子は部屋のドアに目を向けた。
まずやるべき事は放送までに、この部屋から出る事だ。さすがに彼も、放送を聞き逃すわけにはいかないだろう。放送が入れば、そちらに神経を集中させるはず。つまり自分への注意が甘くなる。逃げるには、またと無いチャンスだ。その機会を逃すわけにはいかない。
冴子が今いる部屋は、ログハウスの二階である。ここが一階ならば窓から脱出する事も出来るが、二階の窓から飛び降りれば、どんなに幸運でも捻挫くらいはしてしまう恐れがある。軽い捻挫で済んだとしても、全力で走る事は出来なくなるだろう。それは絶対にまずい。ただでさえ、右腕がまともに使えないのだ。片腕が使えないうえ、足まで傷を負ってしまったら、自分はもう何も守れなくなってしまう。
放送の時を逃したら、しばらくチャンスは巡ってこないだろう。何としても、ここで脱出しなくては。
”だけど、どうすれば……”気持ちばかりが先走り、良い案は浮かばない。
ため息を吐いて、ベッドの上に座り込んだ。そのまま横になり天井を見上げる。ベッドの柔らかな感触が心地よくて、このまま眠ってしまいそうな気がした。
ふと、妹の笑顔が頭に浮かんだ。この部屋は、妹の部屋によく似ている。女の子らしいベッドに、花柄のカーテン、真新しい机。妹の幸子も、今年小学校に入学して自分の勉強机を買って貰ったばかりだ。
今頃は眠っているだろう。ちゃんと一人で眠れただろうか。自分のベッドがあるくせに、いつも冴子のベッドで一緒に寝ていた。怖がりの幸子の事だから、今日は父の布団に潜り込んでいるかもしれない。お陰で、机と一緒に買って貰ったベッドは全然使われていない。
今冴子が横になっているベッドも、真新しい感じがする。この部屋の女の子は、幸子と同じくらいの年齢なのかもしれない。今はどこにいるのだろう。プログラムの為に家から追い出されたのか。もしそうなら、プログラムが終わったら家に帰ってくるのだろうか。この部屋の女の子が家に帰ってきた時、自分はどうなっているのだろう。
”その時、私は……”そこまで考えて、冴子は身を起こした。
女の子が帰ってきた時には、自分は死んでいるかもしれない。そんな思いが頭に浮かんだ。
その考えを否定するように、かぶりを振る。
”大丈夫……。私もみんなも、死ぬはずないんだから……”改めて自分に言い聞かせると、いつの間にか枕元に置いていた金属製のチェーンを手にしていた事に気付いた。自分でも気付かない内に、想像してしまった恐怖から身を守ろうとしていたのか。
これが冴子に支給された武器だった。身を守るには少し頼りない気もするが、片手でも使える事を考えると丁度良いのかもしれない。武器の威力よりも、それを扱えるかどうかの方が重要だ。
包帯が巻かれている右腕に目を向ける。出血は止まっているし、痛みもかなり引いてきているのだが、撃たれた部分だけが異様なほど熱を持っていた。痛みは直に感じるが、熱は精神を蝕んでくるような気がする。
そんな右腕を見つめていると、急に全身が熱に侵されたような気分になり、冴子は身震いした。
”ダメだ……。また、後ろ向きになってる……”こういう状況の時こそ、何事も前向きに考えなくてはいけない。
立ち上がり、机の上に広げていた地図に目を落とす。E−5と6の間辺りにある総合病院。まずはここに行かなくては。病院ならば痛み止めも置いてあるだろう。痛みが消えれば、熱も感じなくなるはず。問題は病院へ行く為の方法だ。
どこに行くにせよ、ここから脱出しない事には話にならない。しかし、その方法が見つからないのだ。最悪の場合は、多少強引な手段を使ってでも脱出するつもりなのだが、彼もそう簡単には行かせてくれないだろう。
そもそも、どうして自分の行動を他人に制限されなければならないのか。そう考えると腹が立ってきた。彼がここに身を潜めるのは勝手だし、手当てをしてくれた事には感謝もするが、自分がここにいなければいけない理由などないのだ。ここに留まっていても、プログラムから脱出する方法など見つかるとは思えない。ひょっとしたら、すでに殺し合いを始めている者がいないとも限らない。もし殺し合いに乗った者がいるのならば、何としてでもその人物を倒さなければいけないのだ。大切な友達を守る為に。
そんな事を考えていた冴子だったが、人の気配を感じ振り向いた。気配はドアの向こう側にある。
しばらくドアを見つめていたが、声をかけてくる気配は無かった。
「何か用? こっちには来ないでって言ったはずよ」
しびれを切らし、ドアの向こう側に問いかけた。
「……いや。別に用ってわけじゃねーんだけど、撃たれたとこ大丈夫かと思ってさ」
「おかげ様で、大分マシにはなったわ」
これは本当だ。出発した当初は、痛みで意識が朦朧としていたような気がする。彼の手当てが無ければ、今頃どこかで倒れていたかもしれない。だが、それはそれというやつだ。
「そうか。良かった。……で、まだ考えは変わんないのか?」
「変わらないわね。そっちこそ、いい加減にして行かせてくれる気はないの?」
訊かなくても答えは予想出来たが、あえて訊いてみた。
「それは出来ねえって言っただろ。病院行くなら朝になってからだ。やる気の奴が動くとしたら、夜の内だろうからな」
予想通りの答えだった。手当てを終えてから何度もした押し問答を、また繰り返しただけだ。
やはり強硬手段に出る以外、方法は無さそうだ。
ドアを挟んで沈黙が走る。
「矢口?」と声をかけてきた。
本当に自分を心配してくれているのだろう。声を聞けば、それが良く分かる。
冴子が何か言うのを待っているようだが、こちらから言う事はもう何も無かった。
沈黙に耐えられなくなったのか、彼が口を開く。
「……じゃあ俺、下に戻るから、何かあったら呼んでくれよな」
ドア越しから、彼が遠ざかって行くのが分かる。
やがて彼の気配が完全に消えると、冴子はドアに向かって口を開いた。
「ごめんね……」
小さく呟き、ドアから視線を外した。
真新しい机の椅子に腰を下ろす。両手を額の前で組み、下唇を噛んだ。
ここから逃げ出せても、彼は自分を追ってくるかもしれない。それに冷静に考えてみると、自分が最初に行こうとしている場所が病院である事は、彼にも分かっているのだ。このまま逃げ出せても、行く先を知られているのでは仕方が無い。病院に行けば、百パーセント見つかってしまうだろう。見つかれば、また元の木阿弥だ。
先に皆を探した方がいいかもしれない。守りたい友人達は、今ここにはいないのだから。
”みんな、どこにいるんだろう……”どこかで一緒にいるのだろうか。合流出来なかった者はいるのか。
自分が出発した時、先に出発したはずの沙希の姿は見当たらなかった。それは沙希が今、皆と一緒にいない事の証明でもある。ひょっとしたら、一人で震えてるかもしれない。早く探し出して、守ってあげなければ。
他の友人達はどうだろう。まず心配なのは、純より前に出発している佳苗と美奈子だ。佳苗が出発した時、自分はもう彼に連れられて移動を開始していた。美奈子が来るまでに、一人で待たなければならない。佳苗にそれが出来ただろうか。佳苗が待っていなければ、美奈子も純を待たずに一人で逃げてしまったかもしれない。
”でも、佳苗の前に山口が出てるのよね。森川もどっかで山口を待ってただろうし、森川達なら佳苗の事も仲間にしてくれてるかもしれない”そう考えると、少し気が楽になった。
どちらにしても、仲間は全員探すつもりだ。そして、守り通してみせる。
腕時計を確認して、冴子は立ち上がった。無造作に床に置いていたデイパックを手に取る。
もう考えている時間は無い。早くここから出るのだ。そして仲間を探しに行く。病院に行くのは、それからでも遅くはないはず。
痛みに負けてはいられない。
信じている。自分の強さを。守り抜いてみせる。大切なものを。
それが出来た時、思い出す事が出来るはずだ。
あの日、父が言った言葉の続きを。
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