BATTLE ROYALE
〜 LAY DOWN 〜


19

 どちらを優先させるべきか。
 二人の後ろ姿は、もう視界から消えようとしている。
 意見を仰いでいる余裕は無い。今すぐに決断しなくては。
 もう一度、走り去って行く二人を見た。今なら、まだ間に合う。そう思った時だった。
 この神社に、何度目かの銃声が轟いた。
 武史が何か喚きながら、空に銃口を向けている。また銃声。
「クソッ! ぶち切れてやがる!」
 やはり、このまま武史を放置しておく事は出来ない。二人を追って武史を見逃したら、発狂して無差別に殺戮を始めかねない。いや、もう始まっているのか。ともかく、優先させるべきなのは、紛れもなくこっちだ。
 決意すると同時に、隠れていた鳥居近くの林の中から飛び出した。
 出発後、民家から拝借してきたゴルフクラブは、すでに根元から折れてしまっている。素手でやるしかない。
 ”しかも相手は銃持ちってか……。長生きしねーな、俺も……!”軽く舌打ちして、関口春男は駆けながら地面の砂利を拾い上げる。こんな物でも威嚇程度にはなるはずだ。
 まともな精神状態ではなさそうな武史は、まだ自分に気付いていない。また銃声が響いた。
 ”いー加減、弾切れしろよ!”頭の中で愚痴りながらもスピードを上げる。
 ふと武史が振り向いた。視線がぶつかる。何か聞き取れない言葉を叫んだ。銃口が向けられる。走りながら砂利を投げつけた。同時に銃声。反射的に腕で顔を覆う。だが、痛みも衝撃も襲ってはこなかった。前に目を向けると、一瞬前の自分と同じように、武史が両手で顔を覆っている。チャンスだ。ここからは自分の体のみでやるしかないが、勝機には違いない。目は前に向けたまま、姿勢を低くした。武史はまだ体勢が整っていない。腹を目掛けて、一気に突っ込んだ。もつれて倒れこむ。武史が手にしていた銃が地面に転がる。それには目も向けず馬乗りになった。マウントポジションというやつだ。一発、二発と顔面を殴りつけた。武史が暴れだす。気にせず、もう一発鼻の辺りを殴った。鼻血を垂れ流しながらも暴れ続ける。また鼻めがけて拳を振り下ろした。この辺りを殴られると気を失うと、何かの本で読んだ事があったのだ。漫画だったかもしれない。それなら作り話でもおかしくはないが。とにかく、それからは鼻だけを殴り続けた。もう間違いなく折れているだろうと思った頃、ようやく武史がおとなしくなった。
「なかなか粘ったな……」
 自分の左手を見るとべっとりと血が付いていた。
「気持ちいいもんじゃねえな、こりゃ……」
 ため息を吐くと、武史の上から降り、横に腰を下ろした。
 ポケットを探り煙草の箱を取り出す。国産物では最も強いと呼ばれている煙草だ。しかも値段も高い。ジッポを取り出し一動作で火を点ける。この動作が最近まで出来なかった。練習して出来るようになったのだ。彼女の恋人が、そうやって吸っていたという話を聞いたのがきっかけだった。
 煙を吐きながら、ふとジッポに目をやった。黒いジッポ。彼女が使っているのは、シンプルなシルバーの物で明らかに安物だったが年季が入っているように見えた。自分が買った黒いジッポはアメリカ製で、この国ではなかなかお目に掛かれない物だ。そういう希少な物を学校に持ってきては皆に自慢している工藤麻由美辺りに見せたら、さぞかし羨ましがるだろう。いや、たかがライターになど興味は示さないかもしれない。どちらでも良かった。麻由美などには何の興味もない。自分が興味があるのは、ただ一人。彼女を手に入れる事が出来るなら全てを捨ててもいい。
「うぅ……」
 小さく呻いて武史が身じろぎした。目を覚ましかけているようだ。
 そんな武史を見下ろしながら関口は煙を吐き出すと、短くなった煙草を地面に押し付けて揉み消した。
「さて、何て言うだろうな?」
 誰ともなしに言うと、ブレザーのポケットから携帯電話を取り出した。
 何の飾り気もない黒い携帯。背の部分に1と書かれたシールが貼ってある。
「……にしても、趣味のわりぃ携帯だな」
 待ち受け画面を見ながら吐き捨てるように呟いた。 
 その待ち受け画面には、大東亜共和国の国旗が翻っている。
 この携帯こそが関口に支給された武器だった。一つではなく二つ支給されている。つまりクラスの誰か一人とは、常に連絡が取れるというわけだ。もう一方はすでに渡してある。
 説明書は付いていなかったが、使い方などそう変わるものでもない。自分の携帯と同じように使えばいい。
 電話帳を開くと一件だけ登録してあった。これが2番の方の携帯の番号なのだろう。
 すぐにかけようとしたが、ふと思い立って全く違う番号にかけてみた。呼び出し音が聞こえ始める。
 気象予報にかけたのだから、この時点で違う場所に繋がっている事が分かった。切ってしまっても良かったのだが、そうしなかったのは誰が出るのか興味を持ったからだ。10コール以上して、ようやく相手が出た。
『誰だ?』
「関口っすよ。ひょっとして西郷センセ……?」
 どうやら本部に繋がっていたらしい。しかも西郷自らが電話に出ているようだ。
『下らん事はするな。死にたいか?』
「……冗談。まだ死ぬ気はないっすよ」
 無意識に冷や汗が出てきた。声だけでもすごい迫力である。
『ならば二度と無駄な事はさせるな。次は無い』
 思わず唾を飲み込んだ。教室での涼のように無謀な真似をする気は更々ないが。
「分かりましたよ。そんなに脅かさないで下さいよ」
 そこで会話は終わった。西郷が電話を切ってしまったのだ。
「勘弁してくれよ、ったく……」
 電話をかけてみただけで殺されてはたまったものではない。
 ため息を吐くと、再び煙草を取り出し火を点けた。
 煙を吐き出しながら、携帯に目を落とす。通じる先は西郷か、もう一つの携帯だけである事が分かった。あわよくば、この携帯を使って脱出も可能かもしれないと思ったのだが。
 ”……お前はあいつを優勝させる気なのか?”あまり考えたくない事だった。
 脱出する以外、二人以上の人間が生き残る事は不可能だ。つまり誰かを優勝させるという事は、自分は死んでしまうという事である。もし最期に三人だけ生き残ったとしたら、自分はどうするだろうか。
「まあ、どうするかなんて、その時になんねえと分かんねえか……」
 自分に言い聞かせるように呟くと、気持ちを入れ換え、今度こそ目的の相手にかける事にした。
 電話帳に登録されている唯一の番号。本当に繋がるのだろうか。また西郷が出るなんて事はないと思いたいが。すぐに呼び出し音が鳴り始める。3コール程で相手に通じたのが分かった。
『…………』
 警戒しているのか向こうからは何も言ってこない。
「俺だよ。分かるか?」
『……ええ。見つかったの?』
 短い沈黙の後、彼女の声が聞こえてきた。
 電話越しでも変わらない透き通った透明な声。思わず聞き入ってしまった。
『……関口?』
「あ、ああ、わりぃ……。見つけたよ。けど、見失っちまった」
 正確には自ら見逃したようなものだが、あえてそう言う事にした。
『どういう事? 何かあったの?』
 いつも通りの抑揚のない声である。特に何か気にしている様子もない。普段と寸分違わぬ声だった。
 普段、自分と話している時と同じ声。いや、自分だけでは無い。山口若菜以外の者と話す時の声。
「まあな……。山口の奴、あと一歩で殺されるとこだったぜ」
『そう、誰に?』
 携帯越しに聞こえてくる彼女の声のトーンが少し低くなったのが分かった。
「来れば分かる。H−5の神社だ」
『……今から行くわ。一応確認しておくけど、もちろん若菜は無事なんでしょうね?』
 今までと変わらない声だったが、その中にある冷たさが急に表面化したように感じられた。もちろん、という部分に彼女の想いの全てが込められていたような気がする。
 ”もし山口に何かあったら……”そう考えて息を呑んだ。
 山口若菜を傷つけた人間を前に、彼女がどういう行動を取るのか。そう思って、隣で意識を失って倒れている武史に視線を落とした。先程、一瞬目を覚ましかけたが、今は完全に眠っているようだ。
 ”まさか、な……”一瞬考えてしまった想像を打ち消すように苦笑を漏らす。
「無事だよ。問題ない。多分ケガもしてねーよ……」
『そう、安心したわ。それじゃ……』
 その言葉を最後に通話は終わった。若菜の無事を聞いて安心したのだろう。
 ”山口と‥‥それ以外の人間……”考えると、ため息が漏れた。
 自分は明らかに「それ以外の人間」の一人だ。彼女にとっては若菜さえ無事ならいいのだろう。若菜だけが特別なのだ。もっとも、このクラスの中に限っての話なのだが。
 また、自分の中にある黒い感情が湧き上がってくるのを感じた。
 彼女の特別が若菜だけだったなら、どんなに良かっただろう。何度も考えた事だ。どうにかして、彼女の恋人を見つけ出して殺してやろうと。名前も顔も分からない男を。
 今の自分は女である若菜にすら嫉妬する、ただの間抜けな男だ。
 ”ピエロだな、まるで……”
 普段から彼女の恋人の事は、考えないように努めてはいるのだが。
「状況が状況だしな……」
 ひとりごちると、煙草を取り出しながら腰を上げた。
 ジッポで火を点け、輪っかが出来るように意識しながら煙を吐いてみる。だが、煙は輪っかにはならない。もう一度挑戦してみたが、やはり上手くいかなかった。
「はっ、アホくさ……」
 吐き捨てるように呟いたが、視線だけは宙に向けている。
 暗闇の中に薄っすらと広がる白い煙が闇に紛れて消えるまで、関口はその場から動かなかった。
 
 移動を開始したのは、それからしばらくしてからだった。 
 そろそろ、銃声を聞きつけた者が神社にやって来てもおかしくない頃だ。
 やる気では無い者に今の状況を見られれば、まず間違いなく自分はやる気だと思われるに違いない。
 ”ただでさえ信用度ゼロだしな……”
 他人からどう思われようと気になどしないが、やる気だと思われたら襲われる可能性もある。それだけは勘弁だった。
「ヤンキーも不遇の時代ってか……」
 そんな事を考えながら、ようやく目的の場所に辿り着いた。
 眠っている武史を背負って向かった先は、先程まで若菜達が隠れていたお堂である。
 お堂の中に入ると、いまだ目を覚まさない武史を床に降ろし、自らも座り込んだ。
 一番奥に何か神様らしき像が置いてあったが、それが何なのか関口には分からなかった。何となく、壮大な何かがイメージとしてあるだけだ。それでも惹き付ける何かがあるのだろう。だからこそ、神と呼ばれるのか。
 ”神様にでも祈ってみるか……?”そう考えて、また苦笑を漏らす。
 この期に及んで最初に頭に浮かんだのが、彼女を手に入れる事とは。それは確かに、自分にとって唯一無二の望みではあるのだが。自分の女に出来たとしても、死んでしまったら意味が無い。死体を手に入れたい訳ではないのだ。
「……お前だったら何を祈る?」
 ここにはいない彼女に向かって問いかけてみた。
 やはり若菜の生存を祈るのだろうか。それとも若菜と二人で脱出する事か。
 ”女に嫉妬するようになっちゃ終わりだな……”自嘲気味に笑い、仏像から目を背けた。
 武史の方に目を向けてみる。相変わらず眠ったままだったが、時折小さく呻きを漏らしているようだ。よく見ると、いまだに鼻血が出続けているのが分かる。このまま放っておけば出血多量で死ぬのだろうか。
 人殺しとなった自分を想像してみたが、あまり変わらないような気がした。実際に人を殺した人間はどうなのだろう。それまでと同じように、何も変わらず生活出来るのだろうか。考えてみたが分からない。ただ、自分は何も変わらないような気がした。
 ”まあ、人殺しになんざなりたかねえけどな……”何となく煙草が吸いたくなった。
 ボックスタイプの箱から一本取り出す。まだ10本以上残っているが、この調子でいくと今日中には吸い切ってしまうだろう。こんな島にもコンビニくらいはあるだろうが、この銘柄は売っていないかもしれない。
 そんな事を考えながらジッポで火を点けようとした瞬間、携帯の着信音が鳴り響いた。
 着信音は先程の放送で使われたものと同じもののようだ。作りが悪いのか放送の時に流れた荘厳な音と違って、どこか間抜けな音になっていた。狭いお堂の中に間抜けな音が鳴り響く。
 ”次からはバイブにしとくか……”腰を上げると、すぐ横の武史を見下ろした。
 この着信音で目を覚ましてしまったようだ。小さく呻きながら身体を起こそうとした。
「……寝てろよ」
 聞き取れないくらいの小ささでそう告げると、腹の鳩尾の部分に思い切り蹴りを入れた。
 いきなりの衝撃に悲鳴を上げたが、気絶させるには至らなかったようだ。腹を押さえてうずくまっている。
 その髪を引っ掴んで無理矢理上半身を引き起こすと、また鳩尾めがけて蹴りを入れた。それを四回繰り返して、ようやく武史は気を失った。手応えこそ無かったが、ひょっとしたらあばらを折っているかもしれない。着信音はいつの間にか止んでいたようだ。
 一度軽く息を吐き、携帯を手に取ると待受け画面に目を落とした。
 着信ありの文字が表示されている。着信履歴には2と出ていた。予想通り彼女からの電話だったようだ。かけ直してみると、2コール目が終わった辺りで彼女の声が聞こえてきた。
『何かあったの?』
「まあ、ちょっとな」
『そう。ところで、何処にいるの?』
 少しは心配してくれていると思いたかったが、彼女の口調からその様子は窺えなかった。
「もう着いたのか?」
『ええ。鳥居の所にいるわ』
 こんなに早く来るとは思っていなかった。意外と近くにいたのかもしれない。
「了解。今から行く」 
 武史は完全に気を失っているので放っておいても問題ないだろう。それでも一応デイパックだけは持って行く事にした。いきなり誰かが襲ってこないとも限らない。念には念をというやつだ。
 奪い取った銃が腰に差し込んである事を確認すると、関口はお堂の外へと足を踏み出した。
 
 お堂から鳥居までは大した距離ではない。ゆっくり歩いても10分とかからない距離だ。
 その短い距離を歩く間に様々な事が頭に浮かんできた。その全てが彼女に関する事である。思い返してみると、この半年近くの間、ずっと彼女の事ばかりを考えていた気がする。もっとも、彼女に関して知っている事はほとんど無い。
 ”お前は知ってるのか、山口? 俺の知らないあいつを……”転校してくる以前の事を、自分は何も知らない。
 何度か聞き出そうとしたが上手くいかなかった。ただ一つ知った事は、心に決めた男がいるという事だけだ。それを知った時は嫉妬で狂いそうになった。その男が誰でどこに住んでいるのか知っていれば、自分は間違いなく殺しに行っていただろう。
「どうすれば俺のものになるんだ、お前は……?」
 数え切れないくらい口にしてきた言葉を、小さく呟いた。 
 月明かりに照らされた鳥居の下に彼女の姿がある。
 鳥居のある周辺だけが、まるで別世界のようだ。そこだけ闇も寒さも浄化されている気がした。
 
 その世界の中心で、中野夕子は静かに佇んでいる。


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