BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
20
時間にすれば数時間しか経っていないのに、奇妙なほど懐かしさを感じていた。
自分に視線を向けて佇んでいる夕子の表情は、普段と全く変わらないように思える。
「……早かったな。意外と近くにいたのか?」
「まあね。それより若菜を襲った奴っていうのは?」
自分との再会など、どうでもいい事なのだろう。初めから分かりきっていた事だ。若菜が無事かどうか。若菜を襲ったのが誰なのか。それを知る為だけに、夕子はここへ来たのだ。分かってはいたが、関口は思わず苦笑してしまった。
「どうかしたの?」
夕子が訝しげな視線を向けてくる。
「いや……。山口を襲った奴は、向こうの物置みてーなとこにいんよ。気失ってぶっ倒れてる」
自分の後方を親指で差し示しながら言った。ちなみに物置のような所とは、もちろんお堂の事である。
一瞬、お堂のある方向に視線を投げたが、すぐに夕子は次の質問を口にした。
「……それで、若菜はどこに行ったの? 見失ったとか言ってたけど……?」
口元に手を当てながら問う夕子の無機質な瞳が、自分を突き刺してくるような気がして思わず唾を飲み込んだ。
「……あ、ああ。奥にあるデカイ建物の方に行っちまったよ‥‥天野と一緒にな」
「天野と?」
若菜が義人と一緒にいたとは、さすがに夕子も想像していなかったようだ。
「……森川達は? 若菜と一緒にいなかったの?」
関口が頷いてみせると、夕子は少し考えるような表情になり黙り込んでしまった。
出発の順番を考えても、葵が若菜を待たずに単独で行動するとは思えないのだろう。それ以上に若菜なら夕子は当然として、自分より後に出てくる者を全員仲間にしようとしてもおかしくない。しかし、関口の次の出発だった正巳を、若菜達が待っていた様子はなかった。もちろん、その後に出発した夕子も同様だ。そして、自分が若菜を見つけた時には、葵も鈴子も梨香もどこにも見当たらなかった。初めから一緒にいなかったのか、途中で逸れてしまったのかは分からなかったが、とにかく若菜は一人でいたようだった。自分が若菜を発見するほんの少し前までは。
「……とりあえず今までの事を聞かせて」
いつの間にか元の表情に戻った夕子が、無機質な視線を向けてくる。
その瞳に吸い込まれそうな気分になりながら、関口はこれまでの事を話し始めた。
関口が若菜を見つけたのは、エリアで言うとI−6にある海が見える崖のような場所だった。
偶然その周辺を歩いていた関口の耳に、悲鳴のようなものが聞こえてきたのだ。すぐに向かおうとしたのだが、深い森と強い風のせいで上手く場所が特定出来なかった。しばらく探し回って、ようやく辿り着いた時には悲鳴の主は救出された後だったようだ。それにしても運が良いと言うか、何と言うかである。その悲鳴の主こそが、関口が探していた人物だったのだから。
悲鳴の主である若菜と、その若菜を救出したらしい義人の会話から大体の事の流れは掴めた。どうやら木に登って降りられなくなり助けを求めていたところを、偶然近くにいた義人に救われたという経緯だったようだ。
そこから関口は二人を尾行し始めた。若菜を見つけたら影からサポートして欲しい、と出発直後に夕子に頼まれていたのだ。影からというのは、恐らく若菜が鈴子達と一緒に行動する事を想定してのものだったのだろうが。とにかく関口は若菜を守る為に後を尾け始め、今いる神社にやって来たのだ。
神社に来た若菜と義人は、まず周囲の探索を始めた。その最中お化けがいると若菜が言い出した時は、誰かいるのかと思い関口も気を引き締めたのだが、単なる勘違いだったようだ。ちなみに”お互い、これから苦労しそうだな……”と、心の中で義人に語りかけてしまった事は言うまでもない。
かなり長時間の探索を終えると、ようやく二人は落ち着く事にしたらしい。二人が入ったお堂が見える位置にある藪の中で、関口もようやく休息を取る事が出来た。出発からずっと歩き回っていた上、途中から息を殺して尾行しなくてはならなかった為、かなり体力を消耗していたのだ。藪の中に座り込んだ途端、支給されたペットボトルの水を半分近く一気飲みしてしまった。
動きがあったのは、放送が終わりしばらく経ってからだった。詳しくは分からないが、恐らく仲間を探しに行く事にしたのだろう。これは、ある程度予想していた事だ。若菜がいる以上、この場に長時間留まっている事は絶対に無いと考えていた。予想外だったのは、その後の事だ。いずれあるだろうと思ってはいたが、さすがの関口も緊張を隠せなかった。
襲撃者が現れたのだ。しかも、殺し合いに乗るとは思えない人物である。最初の銃撃の後、若菜達が身を伏せたのを確認すると、関口も大きな木の後ろに隠れ、銃声が聞こえた墓地の方向に神経を集中させた。
若菜達が動き出したのは、3度目の銃声が聞こえて少し経ってからだった。二人は別々の方向に走り出したのだ。墓地がある方に向かったところを見ると、義人が囮になるつもりなのだろう。思わず義人を賞賛してやりたくなったが、4度目の銃声によって若菜達の作戦が失敗だった事を知らされた。いつの間に場所を移動したのか、銃声は墓地ではなく鳥居の方から聞こえたのだ。
武史が咆哮を上げながら若菜に向かって行くのを横目で見ながら、関口も武史を攻撃出来る位置まで藪の中を移動した。最悪の場合は飛び出るつもりだったが、なるべくなら自分の存在を気付かれたくない。何より影からのサポートというのが夕子の頼みである。
いつでも攻撃出来る位置まで関口が辿り着いたのと、ほぼ同時に、武史が若菜に銃口を向けた。思わず、地面を蹴って飛び出そうとしたが、関口が飛び出すより義人が戻って来る方が早かったようだ。次の瞬間には、武史が悲鳴を上げて蹲っていた。
これで勝負は着いたと思ったのだが、若菜達が甘かったというより、武史の行動が予想外だった。銃を奪った義人に飛び掛ったのだ。揉み合いの末、銃を奪い返し体勢を整えると、すぐに武史は引き金を弾いた。銃口の先にいるのは若菜である。義人が後ろから羽交い絞めにしたのだが、それも意に介さずといった様子で銃を撃ちまくったのだ。
最早一刻の猶予も無かった。放っておけば、若菜は確実に被弾するだろう。この際、仕方がないと関口は判断を下した。銃弾を回避する為に身を伏せた若菜と逆側、つまり武史達の後姿を見られる位置まで移動した。手を伸ばせば届くくらいの距離だ。義人に羽交い絞めにされている武史に向かってゴルフクラブを思い切り叩き付けた。義人にも当たってしまったが気にしている場合ではない。ゴルフクラブで殴られながらも銃を撃とうとした武史には正直驚いたが、それも最初の2発で諦めたようだ。3発目でゴルフクラブは折れてしまったが、その時には武史は地面に倒れ込んで呻いていた。それを確認すると、関口は少し離れた林の中に飛び込んだ。
それから少しして武史は立ち上がったが、若菜と義人はすでに逃げ去って行くところだった。
関口が若菜の姿を確認したのは、それが最後である。何とか逃がす事に成功したが、どこに向かったのか。
これまでの経緯を聞き終わると、夕子はまた考え込むような表情になった。
「何か気になるか?」
「……天野にあなたの存在を気付かせたのは失敗だったかもね」
「どういう意味だよ?」
夕子が何を懸念しているのか、関口には分からない。
「この先、若菜が天野と一緒に動くとして、天野はあなたの存在を計算に入れて行動するかもしれないわ」
そこまで言われて、ようやく気付いた。つまり見えない敵として数えられる可能性があるという事か。
「天野次第とはいえ、あのコの生存率が下がってしまうかもしれない……」
関口は思わず息を呑んだ。
これは明らかに自分のミスだ。その場限りで判断してしまった自分の。
「……すまねえ、そこまで頭が回らなかった」
「別にあなたのせいじゃないわ……。それより野々村の所に案内して」
その言葉に反応して顔を上げ、思わず息を呑んだ。
夕子の瞳は冷たい光を放っている。
「お前‥‥野々村を……」
その先は言葉にならなかった。これから夕子がやろうとしている事が、関口には分かってしまったのだ。いや、自分でなくとも分かるだろう。今の夕子の瞳を見さえすれば。
そんな関口を、夕子はただ一瞥しただけだった。
「あなたには関係ないわ。連れて行く気がないなら一人で探すけど?」
”関係ない、か。まあ、確かにそうなんだけどな……”
そうなのだ。別に協力して欲しいと頼まれたわけではない。ただ出発した後、勝手に夕子を待ち、支給された携帯の片割れを渡し、自分から協力を申し出ただけの事である。
協力すると言った自分に対して、夕子は若菜を探し出して守って欲しいと言った。それを了承し、関口は夕子とは別行動で若菜を探し始めたのだ。二人一緒に探すよりも、別々に探した方が効率が良いという事だろう。何より自分達には支給武器の携帯電話がある。離れていても連絡が取れるというのは好都合だった。もちろん本音としては夕子と一緒に行動したいと思っていたのだが、別行動を提案される事は何となく予想していた。予想外だったのは、若菜を見つけた場合の事である。守っていてほしい。夕子はそう言っていた。
───いずれ私の方から連絡するから、それまであのコを守っていて……。
それ以上、夕子は何も言わなかったし、自分も訊かなかったのだが。
”山口以外にも誰か探してる……?”一瞬そう考えたが分からなかった。
人の心を読み取る事には自信のある関口だったが、夕子に関してだけは例外である。読めないからこそ惹かれたのか。
「どうするの?」
沈黙を破ったのは夕子の方だった。
先程までと何ら変わらない瞳を見つめ、関口は改めて思う。やはり夕子には敵いはしないのだ。それでいい。惚れた女の望みを叶える事が出来るのなら。その望みが、彼女の恋人にまつわる事でさえなければ。
「こっちだ」
夕子に背を向けて、関口は歩き出した。その存在を背中に感じながら。
お堂に着くまでの間、自分がどうするべきかを考えていた。
夕子が武史をただで済ますとは、とてもじゃないが思えない。状況は最悪なのだ。
やはり自分が代わりにやる以外、方法は思い浮かばない。
”お前の手を汚させるくらいなら……”決意すると、小さく両の拳を握り締めた。
視界に入ってきたお堂へと視線を向ける。
立ち止まり煙草を取り出した。
「あそこに……?」
「ああ‥‥まあ、その前に一服でもしようぜ」
夕子は特に何も答えず、有名ブランドのケースに入った煙草とジッポを取り出した。関口の物よりもいい音を出して、ジッポの火を点ける。一度吸い込んで、吐き出す。ごく自然な動作なのだが、やはり目を奪われてしまう。
お互い黙って煙草を吸っていたが、ふと夕子と目が合った。
その口元に小さな微笑が浮かんでいる。
”中野……?”思わず驚いてしまった。
若菜以外には滅多に見せない表情をしている。
何となく嫌な予感がして声をかけようとしたが、夕子が煙草を地面に落とす方が早かった。
「行くわ」
そう言った時には、すでに歩き始めている。
その後ろ姿に一瞬目を奪われてしまったが、我に返ると関口もすぐに後を追った。
自分が追いついても夕子は何の反応も示さない。
夕子が口を開いたのは、お堂に入る直前だった。その手はすでに扉にかかっている。
「一緒に来るのは構わないけど、決して邪魔はしないで……」
振り返る事もなく告げると、お堂の中へ吸い込まれるかのように消えていった。
「邪魔、ね。……了解」
小さく呟き、夕子の後を追った。
室内に入り中を見回してみたが、特に変わったようなところは無い。
唯一つ大きく違うのは、この場に夕子がいるという事だけだ。
何を言う事も無く、気を失ったままの武史を見下ろしていた。
空気が緊張しているというのは、こういう状態の事を言うのかもしれない。
その中心にいるのは、言うまでも無く夕子である。
これからこの場で起こるであろう事を考えていた関口だったが、ふと自分がいつの間にか煙草を吸っていた事に気付いた。
”緊張感に負けたってか? 大した事ねーな、俺も……”舌打ちして、思わず苦笑してしまう。
夕子の方に目を向けたが、自分の事など気にも留めていないように見える。それで、また苦笑を漏らした。
いつの間にか仲間意識のようなものを持ってしまっていた気がする。もちろん敵であるわけはないが、夕子にとって、自分は使い勝手の良い道具のような存在なのだ。今までも。きっと、これからも。
一生報われないであろう想いだ。仮に生き延びられたとして、この想いを抱えたまま彼女の道具として自分は生きていくのか。だとしたら、自分はいつか夕子を殺してしまうかもしれない。
”愛憎ってやつか。まるで、どっかの安っぽいドラマだな。けど……”
関口がため息を吐くのと、夕子が動くのが同時だった。
いつの間に、という感じである。どこに隠し持っていたのか、その手には小さく光るものが握られていた。
”ドスかよ……”いわゆる匕首というやつだが、あまりにも夕子に似合わない。
ゆっくりと身体を落とし、夕子が膝立ちの体勢になった。
「起きなさい」
そう低く告げると、匕首を持っていない左手で武史の髪を掴み上げる。
次の瞬間、堂内に悲鳴が上がった。
目覚めた武史の首筋から腹にかけて血が噴出してきている。
ブレザーから除くシャツは、既に真っ赤に染めあげられていた。
実際、武史には何が起こったのか理解出来ていないかもしれない。悲鳴を上げて床を転げまわっている。
夕子はその様子を黙って眺めているだけだ。
何分経っただろうか。やがて悲鳴が止んだ頃、初めて武史がこちらに目を向けた。
目を向けていると言っても、睨んでいるというよりは、ただ見ているという感じだ。酷い汗をかき、息を乱しながら、夕子に視線を向けている。その場に自分がいるにも関わらず、夕子の方に視線を向けるという事は、本能で危険なのはどちらであるかを嗅ぎ分けているのではないだろうか。
「質問があるわ」
最初に口を開いたのは夕子だった。
武史は何も言わなかったが、荒い息のまま夕子を見つめている。
「なぜ若菜を殺そうとしたの?」
武史は何も答えない。答えなかったが、どこか戸惑ったような表情に変わった。
関口は思う。その質問の答えは一つしかないのではないかと。そう、正に”やらなきゃやられる”と思ったからではないのか。死にたくないから殺す。生き残りたいから殺す。いくら狂気に支配されていたとは言っても、根底には誰しも生に対する執着があるのだから。
「お、俺は……」
しばらくの沈黙の後、ようやく口を開きかけたが、その先が続かないようだ。口ごもったまま黙り込んでしまう。
武史は困惑したような表情で夕子を見つめている。
そんな武史を見ている内に、関口はある事に気付いた。
”野々村の奴、正気に戻ったんじゃねえのか……?”今の武史の様子は、先程の戦闘の時とはあまりに違っていた。
物静かで優しそうなイメージのある、普段の野々村武史の姿に戻っているように思える。
しばらくの間、夕子は武史を見つめていたが、やがて小さくため息を吐いた。
「一つ、教えておいてあげるわ」
何を言うつもりなのだろうか。嫌な予感が頭の中を支配していく。
そんな自分の視線に気付いているのか、いないのか、夕子は一切こちらを向く事なく武史に向かって小さく告げた。
「私はね、若菜の事が大好きなのよ……」
その言葉を言い終えると同時に、夕子は匕首を振りかざした。「待て!」無意識に関口は叫んだ。だが、叫んだ瞬間、視界に赤いものが映った。武史の首から鮮血が吹き上げ、そのまま背中から後ろに倒れこむ。それで終わりだった。
「あ……」と呟いたきり、関口も言葉を失った。
仰向けに倒れた武史は、瞳孔を開いたままピクリとも動かない。その首からは、まだ血が流れ続けているのが分かる。
関口はしばらくの間、”それ”を見つめていた。
まるで、この空間だけ時間の流れから外れてしまったかのように感じる。
自分の五感の機能が全て停止してしまったのか、何を感じる事もなく、ただその場に立ち尽くしていた。
どれくらい時間が経っただろうか。呆然としたまま夕子の方へと視線を向けた。
視線の先にいる彼女は俯いていて、自分の位置からでは、どんな表情をしているのか分からない。
”中野……”
一歩近くへ歩み寄り、何か声をかけようとしたが出来なかった。
静かに、夕子がこちらに瞳を向けた。
振り向いた彼女の瞳は、いつもと何ら変わることなく、何も映さないガラス玉のように冷たく輝いている。
*
自分を呼ぶ声が聞こえた気がして思わず振り返った。
よく知っている声だった。綺麗で優しさに包まれている大好きな声。
「どうかしたのか?」
前を歩いていた義人が、自分が付いて来ていない事に気付いて引き返してきた。
「山口?」
「あ‥‥いや……」
若菜自身にも上手く伝える事が出来なかったが、それでも声は聞こえたのだ。少なくとも自分にだけは。
誰かいると思ったのか、義人は周囲に視線を巡らせ注意を向けている。
「わ、わりぃ。何でもねーよ! 行こうぜ!」
義人は大きくため息を吐くと、やれやれといった様子で首を振り、再び歩き出した。
その後ろ姿を見ながら、若菜も歩きだす。
途中で立ち止まり、空を見上げた。
欠けた月を見つめる。
彼女の優しい笑顔を思い出して微笑んだ。
”あたしもお前の事大好きだよ、夕子……”
≪残り 41人≫
───第1部 完