BATTLE ROYALE
〜 LAY DOWN 〜


第2部

序盤戦

21

 この空間が嫌いだった。
 外に出ようかと思い、ベッドから降りる。
 窓から外を見た。ベンチに座っている老夫婦。車椅子の少年。彼らを見守る白い服の女の人達。
 今日は、いつも一番大きな木に凭れて本を読んでいる眼鏡を掛けた男の人がいない。
 ドアが開く音がして、目を向けた。 
 入ってきたのは、この世界で一番好きな人だった。
 何も言わずに近付いて来る。
 髪の毛を触られた。
「外を見てたの?」
「そうだよ」
 隣に立って、窓の外を見た。
 風が吹いて、髪が靡く。それを見て、綺麗だなと思った。
 ゆっくりと振り向く。
 瞳が合った。
 
 どこか遠くで鳥の鳴く声が聞こえる。
 
 いつまでも、このままでいたいと彼女は願った。

 これで何本目だろう。
 お店から勝手に持ってきた見た目だけは豪華なクリスタルの灰皿からは、山になった吸殻がはみ出てしまっている。
 その中に、更にもう一本強引に捻じ込んだ。
 灰皿の中の吸殻には、全て同じようにフィルター部分に噛み痕がある。
 吸殻になった時の見た目が良くないと、店のオーナーに注意された事もあったが、そうやって吸わないと煙を完全に味わう事が出来ないような気がしていた。
 ただのクセというやつかもしれなかったが、わざわざ直そうという気は起きない。
 他人の意見に左右されるのが嫌いなのだ。
 客によっては、素直じゃないなどと言ってくる者もいるが、言いたい人間には言わせておけばいい。それでどうなろうとも責任は自分で持つ。今までだって、そうやって生きてきたのだ。
 酔いたかった。いくらアルコールを体に入れても酔えない時があるという事を始めて知った気がする。
 店からくすねてきた、それなりに高級らしいバーボンも、たった1日で底をつきかけている。
 冷静でいなければならないという気持ちと、何か叫びだしたいような衝動の板挟みだった。アルコールでも入れて酔ってしまえば、この衝動も収まるのではないかと思っていたが。
「運だけじゃなくって、酒にも嫌われてるのか、あたしゃ……」
 山口菜摘は自嘲気味に笑うと、また煙草の箱に手を伸ばした。
 昔、旦那が死んですぐ働き始めた店では、メンソールしか吸ってはいけないという決まりがあって、一ヶ月と持たずに辞めた。メンソールの煙草は脳を刺激しない。菜摘はそう思っていた。常に刺激を受けながら生きていれば気持ちが老いる事はない。老いるという事は弱くなるという事だと、死んだ旦那は菜摘に言った。たった一人の娘の為に「いつまでも強く格好いい女でいろよ……」と。
 自分は今、強い女でいられているだろうか。思ったが、鏡を見る気はしなかった。見なくても何となく予想はついている。
「クソッ!」
 火を点ける前だった煙草を指で二つに折り立ち上がった。
 いつの間に諦めるような気持ちになっていたのだ。今こそ娘を信じなければいけないのに。
 顔を洗って気持ちを入れ替えようと、洗面所へ向かおうとして足を止めた。
 部屋のドアに併設している申し訳程度のキッチンの窓に人影が映っている。
 半身だけ見えている人影は、そこから動く様子が無い。つまりこの家に用があるという事か。
 押し売りか何かかと思ったが、それなら訪問してくるはずだろう。
 ”めんどくせーな、クソ!”あれこれ考えるのは好きではない。
 一度小さく舌打ちすると、玄関まで行き、戸を開け放った。同時に声を荒げる。
「誰だ、てめー!? 人んちの前で何してやがる!!」
「え!? あ、わっ!?」
 いきなりの怒声に驚いたのか、そこにいた人物は腰が抜けたかのように尻餅をついてしまった。
 そのまま上目遣いに菜摘を見上げてくる。
「あ、あれ? あんた!」
「ひどいじゃないですか、菜摘さん……」
「……って、何やってんだ、お前?」
 窓の外で全く動こうとしなかった不審すぎる人影の正体は、意外にも菜摘の良く知っている人物だった。
 お店にいる時の派手なスーツではなく、今はアジアンテイストの服を着ている。
「菜摘さんが心配だったんですよ。無断で休んだりするから……」
 そういえば、仕事の事など完全に忘れていた。例え覚えていたとしても行きはしなかっただろうが。
「あ、ああ。そうか、悪かったな。上がってくか?」
「はい。お邪魔させて頂きます」
 子供のような笑顔を見せると、彼女はようやく立ち上がった。

 どうやら酒とつまみを大量に買い込んで来たらしい。
 テーブルに着くなり、缶ビールを差し出してきた。
 今さっき気持ちを入れ替えようとしたばかりなのだが、とりあえず好意は受け取っておくべきか。もっとも、どう間違っても乾杯する気にはなれないが。
「あのさ、ミオ。今日は乾杯は───」
「分かってます。……で、何があったんですか?」
 予想外に真剣な表情で訊ねてきた。普段の笑顔しか見せない彼女しか知らない人からは想像もつかないだろう。
 こういう表情のミオを見るのは久しぶりだった。以前に見たのは半年程前だろうか。
 ミオというのは店で使う源氏名で、本名は確かヨウコとかいう名前だった気がするが、良く思い出せない。
 彼女は常々、プライベートでもミオという名で呼んで欲しいと言い続けていた。その理由を知っているのは、恐らく自分だけだろう。
 ミオの実家は裕福だった。
 父親は軍に属する人間で、ミオの事を厳しく躾けていたらしい。その一方で元女優だったという母親は、ミオの事には全く無関心で毎晩遊び歩いていたそうだ。そして、ミオが15歳の時、母親は8歳年下の弟を連れて出て行ってしまった。
 そんな両親の事がミオは大嫌いだったという。理由は菜摘にも何となくだが想像出来た。恐らくミオは友達と自由に遊ぶ事さえ許されなかったのだろう。また、そんな自分の寂しい気持ちを最も伝えたい相手である母親に至っては、ミオを捨てて出て行ってしまったのだ。
 そんな風に自分を殺したままの生活が高校でも続いていたらしい。
 ある日、大学受験を控えたミオの前に、父親が一人の男性を連れてきた。軍のエリートだというその男性と、強制的にお見合いさせられたのだ。母親譲りの類まれな容姿を持つミオに、このエリートはすぐに父親を通して結婚を申し込んできたらしい。父親は、あっさりと承諾したという。だが、ミオは当然それを拒絶した。自殺までほのめかして、結婚したくないという旨を伝えたらしい。それでも、父親には通じなかった。それどころか自宅に男性を住まわせ始めたのだ。夜になると部屋に入ってこようとする男性に、ミオは恐怖した。日増しに膨らんでいく恐怖感はミオの精神を蝕んでいく。そして、その恐怖が爆発するまでには、それほど時間はかからなかった。男性が家に来てから一月程経ったある日、ミオは父親に部屋へと呼ばれたのだ。部屋に入ったミオを待っていたのは、父親ではなく男性だったという。
 そこから先は、ミオ自身もよく覚えていないらしい。覚えているのは男の死体と、恐怖に怯える父親の顔。そして、その父親を包丁で狂ったように滅多刺しにする自分自身だけだったという。
 第一発見者は家政婦だったそうだ。これは後から聞いたそうだが、通報によって駆けつけた警官に取り押さえられるまで、もう死んでいる父親に向かって、ミオは包丁を振り下ろし続けていたらしい。
 こうして、裕福な家庭で育った一人の少女は殺人犯として逮捕された。
 菜摘が聞いたミオの過去は、それで終わりだった。
 何故、自分にそんな話をしたのかも分からない。
 今の彼女の瞳は、自分の過去を話した時と同じもののような気がする。あの時と同じ、とても寂しい瞳だ。
 ”やっぱり‥‥良く似てる……”
 娘の親友の瞳が、ミオの瞳に重なって見えた。
 初めて、あの少女を紹介された時から感じていた事だ。
 あの少女も、今のミオと同じ瞳をしていた。静かな雰囲気のある娘の親友と、普段は明るく振舞っているミオは、正反対のようにも見えるが、根底にあるものは同じだと思う。
 二人とも存在が異様に希薄なのだ。
 そこに確かに存在しているのに、それが不確かに感じてしまう。そう感じさせる何かが、二人にはあるのだ。
 そこまで考えて、菜摘は思わず苦笑した。
 やはり母娘だな、と冷静に思ってしまったのだ。自分がミオを放っておけないように、娘もミオに良く似たあの少女の事を放っておけないのかもしれない。
「菜摘さん?」
 ミオが心配そうに見つめてきた。
「や、何でもねーよ」
「はぁ、それならいいですけど……。それより本当、何かあったんですか? 無断で休むなんて……」
 そう訊くミオの瞳は真剣そのものだ。
 その瞳を見て初めて気付いた。ミオと同じ瞳を持つあの少女も、娘と同じ事になってしまったのだという事を。
 ”お前は、どうするんだ?”
 心の中で、あの少女に問いかけた。ミオの瞳を見つめながら。
「……菜摘さん?」
 ひどく心配そうな表情をしているミオを見て、ため息混じりに告げた。
「そんな顔するなよ。きっと大丈夫だからさ……」
「大丈夫って、だから何が───」
「プログラムだよ……。ウチのバカ娘が、プログラムに巻き込まれちまってさ」
「え!?」と言ったきり、さすがのミオも黙り込んでしまう。
 二人の間に沈黙が流れた。
 あの時と同じだ。ミオから昔の話を聞いた直後も、今と同じように沈黙が流れていたような気がする。
 何分経ったかは分からなかったが、ややしてミオが口を開いた。
「ほんとう‥‥なん、ですか……?」
 虚ろな瞳をしていた。
 全身が震えているように見える。
「ミオ?」
 応えは返ってこない。顔を覗き込むと、血の気が失せて真っ青になってしまっていた。
「おい、ミオ!?」
 大声で呼びかけると、ようやくこちらに視線を向けた。
「あ、す、すいません……」
「大丈夫か、お前? 真っ青だぞ」
「だ、大丈夫です……」 
 そうは言うものの、ミオはまだ震えている。
 それから、しばらく沈黙が流れた。
 菜摘が一本煙草を吸い終えた頃、ミオが震える声で呟いた。
「どう、するんですか……?」
「どうするって聞かれてもな……。あたしに出来んのは、あいつを信じる事くらいしかねえよ……」
 実際そうなのだ。いくら自分が取り乱したところで出来る事など何一つない。
 普段、娘に対して偉そうな事を言っていても、そんなものだ。無力すぎて情けなくなってくる。
 自分自身に苦笑して、菜摘は缶ビールを呷った。
 ミオは黙ったまま、真っ青な顔で震えている。
「お‥‥おい、お前、本当に大丈夫か?」
 いくらなんでも尋常ではないくらいに震えている。
 しばらくして、自分の鞄へと震える手を伸ばした。ミオの鞄は、いつも出勤の時に使っている有名ブランドの物ではなく、服に合ったアジアンテイストの物だ。
 鞄から取り出したのは煙草だった。国産の、一番愛用者が多い煙草だ。
「煙草、吸ってたっけ?」
「た、たまに……。精神安定剤の、代わりに……」
「精神安定剤?」
 ミオは青白い表情で、俯きがちにこちらを見つめている。
 ”そっか……”
 その様子を見ている内に、ようやく気付いた。
 ミオを極度の不安に陥らせたもの。それは紛れもなく、プログラムだろう。
 あの事件の影響からか、ミオは血に対しては異常に敏感なところがある。以前、店の厨房の人が包丁で指を切ってしまった時、偶然それを見ていたミオが、気を失って倒れてしまった事があった。それを考えれば、他人の娘の事とはいえ、耐え難い不安を覚えてしまっても仕方がないような気がする。
 ましてやプログラムは殺人が合法的に行われるという、とんでもない実験だ。しかも、生き残る事が出来るのは、たったの一人。菜摘でさえ、ともすれば不安に押し潰されそうになる。それでも、信じるしかないのだ。
 必ず帰って来る。そう盲目的に信じていなければ、自分も冷静ではいられないだろう。実際、今、精神安定剤が必要なのは、ミオではなく自分の方かもしれない。
 相変わらず青白いミオの顔を見つめた。
 綺麗な顔をしている。何となく、そう思った。
 血の気を失ったミオの顔が、何故か美しさを増しているように見えたのだ。
 そんなミオの顔から目を離さないまま、菜摘はまた缶ビールに口を付ける。一種の職業病というやつかもしれない。そうやって相手の事を観察するのだ。そんな自分に少し嫌悪感を覚えながら、ミオを見つめた。
 今、ミオの瞳に自分はどう映っているのだろう。娘の死を宣告された哀れな母親だろうか。それとも別の何かか。少なくとも、普段の自分の姿ではない事だけは間違いない。
 かつて自分の夫が、つまり若菜の父親が、自分に言った言葉を思い出した。
 強く格好いい女でいて欲しい。それが夫の願いだった。
 若菜にも、菜摘自身が言い続けてきた。
 ───お前は、あたしらの娘なんだ。だから、強くて格好いい女になれ。
 その言葉を、若菜がどう認識していたかは分からない。それでも伝わっていた気はする。親馬鹿を気取る気はないが、若菜ならそうあれるだろうとも思う。 
 ”だけど、もし……。もしも、若菜が生きて戻って来なかったら……?”
 最期の瞬間まで「強く格好いい女」としていれたとしても、結局帰って来る事がなかったら。その時、自分は「強く格好いい女」でいられるのだろうか。
 お互い、何も言葉を発さないまま時間だけが過ぎていった。
 どれくらいの時間が経ったかは分からない。
 何の前触れもなく、震える声でミオが呟いた。
「行かなくちゃ……」
 ほとんどが灰になっている煙草を揉み消すと、ゆっくりと立ち上がる。
 別に引き止めようとは思わなかった。
「またな」
 ミオは何も答えずに、不安定な足取りで玄関の向こうへと消えて行った。
 煙草に火を点ける。
「強い女、か……」
 遠くなっていく足音を耳にしながら、菜摘はひとりごちた。


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