BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
2
空港を飛び立ってから30分もすると、飛行機内という普段と違う状況にも慣れたのかみんな思い思いに空の旅を楽しんでいた。さすがに教室にいる時のように、走ったり、席を移動したりする無謀な者はいなかったが。
「ね、見てこれ!」と梨香が前の席から身を乗り出し何かの雑誌を見せてきた。
「何?」おしゃべりをしていた若菜と葵が、雑誌に目を向けた。
雑誌に見開きで紹介されているのは、新しく出来たらしい植物園だ。どうやら大東亜共和国内では、唯一ここでしか見れない花があるらしい。一口に北海道と言っても広いが、その植物園は丁度これから北原中学が向かう小樽の近くに出来たらしい。花屋の娘でもある梨香にしてみれば、今回の修学旅行で行きたい所NO1の座に一気に昇格してもおかしくはない。
「植物園か〜。行きたいの?」と葵が聞いた。
「うん。みんなが良ければだけど……」
本当は絶対に行きたいところだけれど、自由行動で植物園に行けば当初予定していた所には行けない事になる。梨香としてもさすがにわがままは言えなかった。自由行動は5人か6人の班行動で行う事になっている。若菜の班は、葵を班長として若菜、鈴子、梨香、正巳、夕子というメンバー構成である。ちなみに夕子は若菜が無理矢理メンバーにしたのだ、とはいえ他の4人と仲が悪いという訳ではないので若菜の親友である夕子が加わる事に反対する者はいなかった。
「梨香が行きたいなら、あたしはいいぜ!」若菜が言った。
「私もいいんだけど‥‥中野はどう思う?」
葵から話をふられ、夕子が梨香の方を見て少し微笑んで答えた。
「私もかまわないわよ」
「あ、ありがとう」滅多に見れない夕子の微笑を見て、何故か顔が紅くなってしまった梨香である。
「となると正巳は大丈夫として、問題は鈴子か」少し声を小さくして、葵が言った。
梨香が並んで座っている鈴子と正巳より先に若菜達の意見を聞いたのは、鈴子が絶対に反対すると思ったからである。小樽での自由行動は内部に様々な彫刻画が描かれている洞窟に行く事になっていた。この洞窟に行く事になった理由は、鈴子が思いを寄せている男子の班がここに行く事を知ったからでもある。鈴子の頼みで、若菜達の班も洞窟見学に行く事になり小樽の自由行動は男子の班と一緒にする事になっていたのだが。
「ねぇ、鈴子、正巳!」声を大きくして葵が呼んだ。
「何〜?」2人も梨香同様、後ろに身を乗り出してきた。
「あのさ、今日の自由行動の事なんだけど……」
ちょっと言いずらそうにしながら葵が2人に説明した。
「とりあえず、私と若菜と中野は植物園でもいいって事になったんだけど、どう?」
「私はどっちでもいいけど……」
正巳が視線を鈴子に向けて答えた。
鈴子はしばらく黙っていたが、やがて一つため息をつくと梨香を見て言った。
「いいよ。行こう、植物園」
「いいの?」ちょっと戸惑いながら梨香が聞いた。
「うん。ちょっと残念だけど、行きたい所があるならしょうがないよ。私も洞窟に興味がある訳じゃないしね。それに、梨香がどうしてもって言うくらいだから、よっぽど凄いんでしょその植物園」笑顔で鈴子が言った。
「ありがとう、鈴子」
「だけど、アイスくらいはおごってもらっちゃおうかな〜」
いたずらっぽく言って、鈴子が笑った。
「うん。アイスくらいまかせてよ!!」と、梨香も笑って答えた。
「何、梨香おごってくれんの?」
耳ざとく若菜も話に加わる。
「ごちそうさま、梨香」「ありがとー、梨香ちゃん!」
当然、葵と正巳も便乗する事は忘れていない。
「……も〜っ!! 分かったわよ、みんなにおごってあげる!!」
ほとんどヤケクソになって梨香が叫んだ。
「じゃあ、私はこれね」と言って葵が自分が持っていた雑誌のページを梨香に見せた。そのページに載っていたのは、”北海道でしか味わえない本格ソフトクリーム”という宣伝文句のいかにも美味しそうなソフトクリームだ。確かに素晴らしく美味しそうだが、梨香はソフトクリームの写真よりそこに書いてある値段の方に目をとめ、そして凍りついた。
「せ、せんえん……」
夕子も含め5人に奢ったら5000円である。
「楽しみだわ〜、どんなに美味しいんだろ〜」葵がからかうように言った。
続けて若菜も「今まで食ったこと無い味だぜ、多分!」と口を開く。
「梨香ちゃん、私チョコ味がいーな」と正巳も笑いながら言う。
「………鬼」
梨香が半泣きになりながら呟いた。
結局、班全員に1000円のアイスを奢る事となった(さすがに本当に奢らせようとは思っていないが)梨香をネタに盛り上がっていた若菜達だったが、鈴子だけは通路を挟んだ向こうに視線を向けている事に若菜は気付いた。
向こう側の席の通路側の席に座っているのが、鈴子が思いを寄せている池田一弥(男子3番)である。一弥は、サッカー部のストライカーであり、性格も明るいので鈴子以外にも一弥の事が好きな人はいるのかもしれない。若菜の席からでは顔は見えないが、一弥の横に座っている2人は、大島健二(男子4番)と野坂啓介(男子15番)だろう。健二はサッカー部のキャプテンであり、サッカーの強豪と呼ばれる高校からスカウトを受けている程のゴールキーパーである。啓介はクラスの男子でただ1人のテニス部だが、こちらもレギュラーとして近隣の中学では名が知られている。
その啓介の彼女は、同じテニス部の木内絵里(女子6番)である。啓介と絵里は付き合っている事を誰にも言っておらず秘密にしているつもりだが、普通に放課後の教室などでいちゃついていたりするので、はっきり言ってバレバレである。その絵里は、鈴子達の前の席に座っているはずだ。絵里と一緒に座っているのは、おそらく手塚唯(女子13番)だろう。もう1人は見えないので分からないが同じグループの誰かのはずだ。絵里と唯は小さい頃からの幼馴染でもある。その2人は遠藤純(女子4番)と矢口冴子(女子18番)を中心とするグループにいる。このグループは人数が多いが、体育会系の純派と文化系の冴子派に分かれている。純派には、絵里と唯、それに工藤麻由美(女子7番)、村山沙希(女子16番)がいる。一方の冴子派には、秋山美奈子(女子2番)、岡沢春香(女子5番)、紺野綾(女子8番)、雪村佳苗(女子20番)がいる。純と冴子は、仲が悪いわけではないのだがお互いリーダーシップが強すぎて意見が衝突してしまう事がしばしばある。純でも冴子でもなく葵が女子の委員長になったのには、この辺の理由もあった。
「おい、森川」
通路の向こうから葵に話しかける声を聞き、若菜はそちらに目を向けた。
葵に話しかけたのは、男子の委員長である西村涼(男子14番)だ。涼は3年E組の中心人物とも言える。普段はギャグを言ってみんなを笑わせたりするお笑い系だが、クラスがもめたりした時は、しっかりとみんなをまとめ上げるリーダーシップの持ち主だ。また、弓道部のキャプテンとして弱小だった弓道部を全国大会まで連れて行ったりもしている。ようするに、みんなの信頼厚いイイ男なのだ。
涼の隣には加藤夏季(男子5番)と鈴木拓海(男子11番)が並んでいる。夏季と拓海の事は良く知らなかったが、前の座席に座る一弥達3人を含め、みんな涼のグループである。ちなみに葵と涼は密かにお似合いのカップルだと噂されているが、実際こうやって2人が修学旅行の事について話し込んでいるのを見ると若菜から見ても2人が付き合っていてもおかしくないと思えた。
*
飛行機が北海道に向け飛び始めてから1時間あまりが過ぎた。
「うー腹減った……」
夕子と喋っていた若菜がうめいた。朝食を食べてこなかった事が、ここに来て響いたらしい。夕子が笑って「もうすぐ、到着するわよ」と言った。
「でも、着いてすぐ昼飯じゃねーだろ〜。夕子、何か食うものない?」
「ないわね、空港に着いたら何かお菓子でも買いなさいな」
「あと、どん位で着くんだ?」ちょっと泣き入っている若菜が聞いた。
「さぁ、けど30分もかからないわよ」
「30分か‥‥早く着かねーかなー」
もはや窓の外の景色については、すっかり忘れ去っている若菜であった。
「大体、若菜は起きるのが遅いのよ」夕子が口を開く。
「昼食の時間まで食べられないって分かってるんだから、早く起きて食べてくれば良かったのに」
「……んな事言っても、かーちゃん帰って来るの遅いんだもんよ」
若菜が言い返した。若菜の母、菜摘の仕事はホステスなので夜から出掛けて朝帰って来るという生活スタイルだった。夕子も菜摘とは親しくしていて、よく菜摘の代わりに夕飯を作りに来たり、若菜を自宅に招いたりしていた。
「菜摘さんは仕事してるんだから仕方ないでしょう」そう言って夕子は、若菜をいましめた。
「それ言われると辛いんだけどな……」
若菜にとって夕子は親友というだけでなく、母である菜摘と同じくらい慕っている姉のような存在でもあった。少し沈黙した後、若菜はふと思った事を訊いてみた。
「……なぁ、そういや夕子の親の話って聞いたことないけど、どんな人なんだ? 間違っても、あたしのかーちゃんとは違う感じだと思うけど」
夕子は少し考えるような顔になり若菜の質問に答えた。
「そうね、菜摘さんとは正反対の性格の人だったわ」
その答えに少し違和感を感じた。頭の中で今の夕子の言葉を反復してようやく違和感の正体に気付いた。
「”だった”ってお前の親ってひょっとして……」そう言って若菜は、無神経な質問をしてしまった自分を恥じた。だが夕子は、すぐに口を開いた。
「心配しなくても両親とも健在よ」
「え? なんだ、お前過去形で言うから焦ったぜ」少し安心して若菜が言った。
「両親とは離れて暮らしてるのよ。若菜も何度もうちに来てるけど会ったこと無いでしょう」
「そーいやそーだな、やっぱ仕事の都合とかで離れて暮らしてるのか?」
少し真剣な表情になって夕子は答えを返した。
「それもあるけど本当は、いつ私が自分達を殺しに来るか分からないから私の手の届かない所に身を隠したのよ」
「……じ、じょうだん‥‥だろ」思わず息を呑んで若菜が言った。
しかし、夕子は真剣な表情のままだった。数秒、沈黙が流れそして夕子は真摯なまなざしで若菜を見つめたまま告げた。
「……冗談よ」
「………」
「若菜?」と黙ってしまった若菜に夕子は声をかけた。
「……お、お前なー!!」
怒りと安堵が入り交じった妙な気持ちのまま若菜は声を荒げた。
「冗談にも程があるぞ! マジで焦ったじゃねーか、ちくしょー!」
”全く洒落にならねー冗談だ!!”と思うと、本気で心配した若菜としては怒りが収まらなくなった。
その時また真剣な口調で夕子が自分の名を呼んだ。
「若菜!」
「なんだよ!!」怒りと安堵のあまり目に涙を滲ませつつ答えた。
「妙だわ。森川を見て」と夕子は言った。その言葉につられるように隣を見ると葵は眠っていた。
「なんだ? 寝てるだけだろ」
「違うわ。西村も加藤もよ」
「え?」言われて通路の向こうを見ると、確かに涼も夏季も眠っていた。もっとも若菜と夕子の席からは、更に奥の窓側に座る拓海までは分からなかったが。
そういえば、なんだか自分も眠くなっているような気がした。
「な、なんか‥‥あたしも眠いような……」言うと若菜は大あくびをした。
「私もよ。到着寸前だっていうのに‥‥明らかに何か変だわ」
若菜は強烈に眠気がおそって来ていた。夕子の言葉も聞こえているのだが頭には入って来なかった。
「渡辺、佐川、高村!!」前に座っている3人を夕子が大声で呼んだ。しかし反応はない。
「なん‥な、の‥‥これ」
いい加減、夕子も睡魔に負けそうだった。
「わか‥‥な?」
夕子は、若菜の方を見たが若菜も葵と同じように眠りに落ちてしまったらしい。
「誰か!!!」
最後の気力を振り絞って夕子は大声を上げたが、もはや機内にいる全ての人間が眠ってしまったかのように機内は静まり返っていた。あきらめて若菜の体を揺すり起こそうとしていた夕子だったが、次第に夕子自身も強烈な睡魔に抗えなくなり眠りに落ちていった。
客室には、3年E組の42人と担任の川村、そして同じ便に乗っていたF組の生徒達と教師だけが残され、その全員が深い眠りの中にいた。その中で、若菜と夕子は折り重なるようにして眠り続けていた。
若菜達が乗った飛行機は目的地である北海道を目前にしてUターンし、新たな、いや真の目的地に向けて翼を走らせ始めた。深い眠りの中にいる3年E組の生徒達は当然の事ながら、これから真の目的地で起こる事になる悲劇を知る由もなかった。
空港を発って2時間以上が経過したが、42人の選手達を乗せた飛行機は空を飛び続けている……。
*
北海道を目前にUターンしてから2時間程飛び続け、飛行機はようやく海の真ん中に浮かぶ島に着陸した。
少しすると、トラックを含む何台かの車が飛行機の着陸地点にやって来て、迷彩服姿の男達が何人か降り立ちそのまま飛行機の中に入って行った。男達が機内に入って行くのと入れ代わるようにして、男が一人機内から降りてきて、何台かやって来た車の中で一際高価そうなリムジンの前に立ち、中にいる男に奇妙な形の敬礼をするとリムジンに乗り込んだ。そして、そのままリムジンは何処かへと走り去っていった。
リムジンの姿が完全に見えなくなった頃、深い眠りの中にいるE組の生徒達を担いで男達が次々に機内から出てきて黙々と彼らをトラックの荷台へと運んでいった。
その様子を複雑な面持ちで見ている者達がいた。
「……哀れな事だ」
「機長……」
飛行機の乗組員達だ。彼らにとっては、どうする事も出来ない事とはいえ罪悪感を消す事はどうしても出来ない。あの子供達を死地へと送り届けたのは自分達なのだから。
そうこうする内に、生徒達は全員トラックに積み込まれたらしく彼らの下に迷彩服を着た一人の男がやって来て一礼した。男のかぶるヘルメットには桃のマークが光っている。
「ご協力、ありがとうございました」
そう機長達に告げた男の顔からは何の感情も読み取ることは出来なかった。男が去ったのを見届けると機長は深くため息を吐き、トラックの方に目を向けた。何台かの車とトラックは、ほぼ同時にエンジン音を上げリムジンが見えなくなった方角に向けて走り出した。
機長も他の乗組員達も、しばらくの間トラックが走り去った方角を見つめ続けていた。
何分そうしていただろうか、やがて機長が乗組員達を振り返り告げた。
「さあ、もう行こう。我々には、まだ仕事が残っている」
乗組員達もうなずき、機長と共に飛行機の中へと戻って行った。機内で未だ眠り続けている3年F組の生徒達を修学旅行の地である北海道へと送り届ける為に。
*
飛行機が再び北海道へ向けて出発した頃、三鷹にある小さいアパートのドアをがんがん叩く音があった。このアパートには、チャイムは無い。しばらく叩いているとドアの向こうの家主ではなく、隣の部屋の主婦が不快気な顔でドアを開けた。隣のドアを叩いていたのは、明らかに政府の人間だと主婦はすぐに気付いた、襟元に桃色のバッジを付けていたからだ。
「この部屋の方と、お知り合いですか?」かしこまった口調で政府の男が聞いてきた。
「い、いえ、けど、お隣さんは夜の仕事をやってるみたいですから、まだ寝てらっしゃるのかも……」
緊張で引き攣った声だった。
「そうですか」
それだけ言うと男はまたドアを叩き始めた。主婦は逃げるように部屋の中に戻り、ドアを閉めた。
それからも数分の間、ドアを叩く音が続き5分程経った時ようやく部屋のドアが開かれた。
「うるっせーなー!! 近所迷惑なんだよ、てめぇ!!」
ドアを開けざま怒鳴りつけたのは、Tシャツにスパッツ姿の女だった。髪がめちゃめちゃに乱れている。
「山口若菜さんのお母さんですね」
「……だったら何だってんだ?」
山口菜摘は、そこで初めてこの男が政府の人間である事に気付いた。一瞬、頭に嫌な予感がよぎり、それを打ち消すように一度大きく頭を振ると、男を睨みつけながら口を開いた。
「あたしの娘がどうかした?」
その問いに対して返ってきたのは、最悪の答えだった。嫌な予感は見事に的中してしまった。目が眩みそうになったが、必死で冷静を装って言い捨てた。
「そ、ごくろーさん」
桃印の判が押された書類を受け取ると、叩きつけるようにドアを閉めた。
部屋の中に戻ってきた菜摘は、受け取った書類をぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に投げ捨てた。リビングの、普段は彼女の娘が座る椅子に座って煙草に火をつけ、うめくように呟いた。
「生きろよ、若菜……」
≪残り 42人≫