BATTLE ROYALE
〜 LAY DOWN 〜



 夢を見た。子供の頃の夢だ。
 とても懐かしい、もう輪郭さえ思い出せないけれど、一人の少女に出会った日の記憶。

 小学校に入学したばかりの若菜はおつかい帰りの夕方、人通りの少ない裏路地でうずくまっている一人の老人を見かけた。
 人通りが少ないとはいえ、あと5分も歩けば商店街に入る道なので商店街へ向かう人や、路地の方にやって来る人がいないわけでは無かった。実際、若菜が家に帰るため商店街から路地に差し掛かろうとした時も、路地から出て来たサラリーマン風の男がいた。
 老人の姿を見かけるとすぐに老人の下へと走った。
「お、おじいちゃん、大丈夫?」
「……く、苦しい‥‥救急車……」
 老人はひどく汗をかいていて、呼吸も荒かった。たかだか7歳かそこらの子供に対処法など分かるはずも無い。若菜はとにかく救急車を呼ばなくてはいけないと思ったが、どうすれば良いのか全く分からなかった。泣きたい気持ちを必死で堪えて、辺りを見渡すと商店街の方から学ランを着た少年が1人やって来るのが見えた。
 若菜は急いで駆け寄り少年に言った。
「ねぇ! あそこのおじいちゃんが救急車呼んで‥って‥‥すごい苦しそうで……」
 しかし、少年の反応は冷たかった。
「悪いけど、急ぐから」そう言うと足早に去っていこうとした。しかし、若菜は追いすがった。
「ま、待って! このままじゃ、おじいちゃん死んじゃうよ!」
「しつこいな!! 俺には関係ない!」
 そう言って、少年は若菜を突き飛ばした。まだ小さい若菜の体は簡単に地面に叩きつけられてしまった。足と手の平に血が滲んで痛かったが、それでも諦めなかった。
「き、救急車……」少年の足にすがりつきながら言った。
「うるさいんだよ!! くそガキ!!」言いざま今度は自分の足にしがみつく若菜を蹴り飛ばし、そのまま走って行ってしまった。
「……バカヤロー!!」
 少年が消えた商店街の方に向け大声で叫んだ。自分が泣いている事に気付いて、着ていたトレーナーの袖で流れてきた涙を拭った。老人の方に目を戻すと肩で息をしながらも悲しそうな目でこちらを見ていたが、やがて苦しさに耐えられなくなったのかまたうずくまってしまった。
「おじいちゃん!!」悲鳴を上げて若菜が駆け寄る。
「もう‥いいよお嬢ちゃん。少し休んでれば‥‥きっと‥‥直るから」
 そう老人は言ったが、かき消えそうな程小さな声だったので聞き取ることが出来なかった。若菜は、もう一度辺りを見渡したが誰もいなかった。人がやって来そうな気配すら無い。
 ほんの少し考えて若菜は決意した。
「おじいちゃん。あたしがおぶって、病院まで連れて行ってあげる!」
 老人はあぶら汗をかきながらも驚いた顔をして、首を振った。
「気持ちは、うれしいけど‥‥お嬢ちゃんの力じゃ‥‥無理、だよ」
「……これでもあたし力持ちなんだ!」
 言うと若菜は老人の体の下にもぐりおぶろうとした。少し持ち上がった。だが、それまでだった。力を入れていられず、若菜はよろけて転びそうになった。これ以上やると老人をケガさせてしまうかも知れない。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい、おじいちゃん……」
「だ、大丈夫だよ。そんな‥に心配‥‥してくれて‥あ、ありがとうね…」
 そう言った老人の顔は笑顔だったが、無理しているのは若菜にも分かった。自分が情けない気持ちでいっぱいだった。
「あたし‥‥誰か探してくる! もうちょっとだけ待ってて、おじいちゃん!」
 若菜は商店街に向け走り出した。また涙が出てきていたが今度は気付かなかった。商店街に差し掛かる曲がり角まで来た時、誰かとぶつかり転んでしまった。
「ごめん。大丈夫?」
 そう若菜に声をかけたのは、セーラー服を着た少女だった。
「あ‥‥大丈夫だけど、大丈夫じゃない!」顔もあげないまま若菜はそう言うと、少女の腕を引っ張った。
「え?」
 何がなんだか分からないまま、少女は若菜に引っ張られて裏路地へ連れて行かれた。路地に入り老人の姿が視界に入るやいなや、少女は若菜の手を振りほどき老人の下へ駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
 老人は何か小声で答えたが、聞き取れない程の小ささだ。
「救急車呼んでくるから。君、この人の側にいてあげて!」少女はそう告げると商店街の方に駆けていった。若菜がうなずく暇もなかった。
「おじいちゃん、もう大丈夫だよ。あの人が救急車呼んでくれたよ」老人のそばで腰を屈めて言った。
 老人は若菜の顔を見て微笑むと、若菜の顔に指を持っていき目に滲んでいた涙をすくい取った。
「ありがとうね、お嬢ちゃん」
 聞き取れない程の小さな声だったが、なぜか若菜には老人がそう言った事が分かった。

 少女の行動は見事だった。
 裏路地に戻ってくると、老人が安心出来るように声をかけ続け救急車の到着を待った。その時に家族の連絡先を聞いたらしく、病院に着くとすぐ老人の家族に電話をかけ事情を説明したようだった。
 自分のやれる事は全てやり終えたらしく、少女は待合室に行くと若菜を振り返った。
「どれがいい?」
「え?」
「ジュース。何、飲みたい?」自動販売機のジュースを指している。
「え‥‥と。じゃあ、いちご…」
 少女は200円を入れると、いちごジュースとカフェオレのボタンを押した。紙パックのいちごジュースを手渡して、少女は長椅子に若菜を促がした。
「大変だったね」カフェオレにストローを挿しながら少女が言った。
「……あたしは何も出来なかった」
 落ち込んでいる様子の若菜に気付いたのか、少女は微笑んだ。
「君がいたから、私も落ち着いて行動出来たのよ」
「……でも」
「あのね、大抵の人は困ってる人がいたら助けようとするわ。だけど、そうでない人もたくさんいるの。悲しいことだけどね」そこまで言うとストローに口を付けた。
「……」少女の言葉で最初に出会った少年を若菜は思い出した。
「だけどね、君は違うわ。ケガしてまでおじいさんの為にがんばった。そこまで出来る人はそんなにいないと思うわ」
「……あたしより、お姉ちゃんの方がすごいよ」
「それは私が君より年上だからだよ、君もあたしの歳になれば簡単に出来ることだもの」
 笑いながら少女は言った。
「そうなの?」驚いたような顔で若菜は問いかけた。
「そうだよ」
 その後、少女は少し悲しいような表情になり言った。
「私はね、いつかこの国を助けたいの。君にはまだ分からないと思うけど、この国は病気なのよ……」
「病気って何の?」ポカンとした顔で訊いた。
「そうね。言葉にすると難しいけど、人の心が分からない病気かな……」
「……何だかよく分からないけど、病気なら助けてあげようよ! あたしもお姉ちゃんを手伝うよ!」
 若菜が力強く言うと、少女は微笑んだ。
「……ありがとう。君が大きくなって、私と君がいつか再会出来たらその時は、一緒にこの国を助けよう」
「うん!」
 
 あの時の少女とはそれきり会っていない。連絡先も聞かなかったので、今どこでどうしているのかも知らない。けれど、あの少女との出会いは若菜にとって、とても大切な物となった。

「――ち」
「ん〜……」
「――ぐちってば!」
「――て、山口!」
 聞き覚えのある声がして、身体がゆすられるのが分かった。
「山口、起きてよ!」
 しばらく身体をゆすられたのと、周囲の話し声でようやく目が覚めた。
「……ん〜なに?」
 寝ぼけたまま、目をこすりながら訊いた。
「見て。おかしいのよ」それだけ言うと、彼女は不安そうな表情で周りを見渡し始めた。
 ”なんだろう?”と若菜は思った。まだ覚醒しきっていない頭のまま身体を起こすと、そこは教室だった。しかし、いつも使っている教室ではない。こんな教室、北原中学にあったろうか。いや、それ以前に自分は何故、学校にいるのだ。そこまで考えると、若菜は自分の頭の中が一気にクリアになった気がした。
 この教室に、クラスメイトは全員いるようだ。ほとんどの生徒はすでに目を覚ましていて、ざわざわと話し声が続いている。当たり前だが、みんなこの状況に戸惑っているように見えた。
「ここ‥‥どこだ?」
「分からないけど、少なくともうちの学校じゃないわ」
 そう答えたのは、眠っていた若菜を起こした遠藤純だった。純は一番廊下側の前から5列目に座っている。そして、その隣が若菜の座っている席だ。ここでの席順は、普段の3年E組の教室と全く同じだった。
「それより、これ」と言うと、純は自分の首を指差した。
 純の首に銀色の何かが巻きついている。
「何それ、チョーカー?」
 若菜と純の間の温度が一瞬凍りついた。数秒後、純がそれを打ち破ったが。
「……そんなわけないでしょ! こんなセンスの欠けらもないチョーカー、誰が買うのよ!」
「じゃ、なんだよ?」と言うと、純の指先が若菜の首を指し示した。つられるように首に手を触れると冷たい感触があった。ゴクンと息を呑み、他のクラスメイトを見渡した。
「おい‥‥マジかよ」
 他のクラスメイトにも当然の様におそろいの首輪が着けられている。
 若菜は急に不快感を覚え、首輪を外そうと引っぱったりしてみたがビクともしない。それでも、このふざけた首輪に我慢できず外そうとし続けた。しかし、純が口を挟んだ。
「どうやっても外れないのよ、これ。私もさっきから色々やってみたんだけど……。それにさっき西村君達が試してたけど教室も閉め切られてて、ここから出られないみたい」
「マジかよ、クソッ! なんだってんだよ!!」
 若菜が声を荒げた。いや、若菜だけではない。クラス中がこの状況に混乱していた。ざわめきはどんどん大きくなっていく。
「おい、お前ら時計あるか?」
 若菜と純に問いかける声があった。純と逆側の隣に座る
伊東香奈(女子3番)だった。
「え? 携帯なら」と答えて純はポケットから携帯電話を取り出し待受画面を見た。純は、そのまま固まってしまう。
「遠藤?」
「……ちっ、お前も同じか」
 純の反応を見て香奈は舌打ちした。
「え? 同じって……」若菜が訊いた。
「ほらよ」
 香奈が自分の携帯を渡してきた。”PM6:47”待受画面には、そう表示されている。
「ろ、6時‥‥って、嘘だろおい!」
「お前に嘘ついてもしょーがねーだろ」
「そりゃそーだけど……」
 呆然としたまま、若菜は香奈に携帯を返すと純の方を向いた。
「おい、遠藤」
「なんなのよ! 修学旅行はどうなったの!」
 涙目になって純が訊いてきた。
「落ち着けよ、遠藤」そう言う若菜自身も混乱していてわけが分からないのだが。
「こっちが聞きてーよ、そんな事」
 言ったのは香奈だ。若菜や純に比べるとまだ落ち着いているように見える。
 香奈は、このクラスの女子でただ一人の不良少女である。レディースの集会などにもしょっちゅう顔を出しているらしく学校をさぼる事も多いのでクラスに親しい友人はいないはずだ。そんな香奈が修学旅行に参加した理由は、はっきり言って全く分からない。もっとも、こんな状況になるとは、さすがの香奈も思わなかっただろうが。
「おい伊東、あんまり刺激するよーな事言うんじゃねーよ」若菜が諌めた。
「わーったよ。けどな、何がどーなってんのか聞きたいのはこっちも―――」途中まで言いかけた時、おもむろに教室の扉が開いた。
 
 教室内に入って来たのは、眉毛の太いボクサーのような体つきの男だ。黒いスーツの襟元に桃色のバッジが付いている。
 男は教壇に立って、3年E組の生徒達をしばらく見ていた。男が入ってきてから教室内は急激に静まり返っていたが、しばらくするとまた、ざわざわし始めた。その時だった。教室内に、ドラマなどでしか聞いた事のないような音が響いた。男が、顔は正面に向けたまま天井に銃身の長い銃を向けている。天井から粉々になったコンクリートの破片や埃のような物がパラパラ落ちてきた。
 無表情のまま男が銃をスーツの内側にしまい、呆然と沈黙している3年E組の生徒達に向けて口を開いた。
「喜べ。お前らは、今年のプログラム対象クラスに選ばれた」


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