BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
4
静かだった。
この空間に42人、いや43人の人間がいるとは思えないほど。
男が発した言葉は、聞こえてはいたけれど理解出来てはいなかった。
『プログラム』
若菜も当然、その存在は知っていた。だが、『プログラム』と呼ばれるものがあるという事を知っているだけだ。
小学校四年生から、初めてこの国の歴史の一つとしてその名が教科書に登場する。歴史には現実感がない。過去の出来事が大半であるからだ。1947年からこの2000年に至るまでずっと続いている、とはいえ身近に経験者がいないのでリアルに感じる事が出来ない。ドラマや漫画と同じように感じられるだけだ。1年か2年に一度、ニュースで優勝者の映像が放送されるが意図して見ようとしない限り、それはただの”何処か知らない所で起こった、自分には関係ない出来事”として記憶にも残らず消えていく。それが今、現実として自分達の前にある。
”プログラムに選ばれた? それってどういう――”
若菜の思考はそこまでだった。
「ち、ちょっと待ってくれ…。 俺達がプログラムに選ばれたって‥‥いったいどういう事だ」
沈黙をやぶる声が上がった。西村涼が立ち上がっている。
「言葉どおりだ。お前等は、これから殺し合いをする。それだけの事だ」
涼に目を向け男が言った。
「お、俺達が? 殺し合い? 馬鹿な? 俺達は修学旅行に来たんだ。プログラムなん――――」
その言葉は最後まで言えなかった。発言の途中でまた銃声がしたからだ。涼が絶叫した。その左腕から血が滴り落ちている。
近くに座っていた生徒達が悲鳴を上げた。
「涼ちゃん!!」涼の仲間達が駆け寄る。
「ふざけんな、てめー!!」
涼に駆け寄っていた大島健二が咆えた。その直後、三度目の銃声がした。
銃口は天井を向いていた。また破片が降ってきている。
今度はケガ人は出なかった。銃声は悲鳴も怒号も吸い取ってしまったらしく再び沈黙が流れた。
男がスーツのポケットから何か箱を取り出した。何をするのかと、みんなの視線が釘付けになる。
箱から取り出したのは、葉巻だった。おもむろに吸い口を噛み切ると、ポケットからジッポを取り出し火を点ける。煙を吸い込み、そして吐き出した。葉巻の煙は通常の煙草よりも濃いらしく、教壇の周りに充満している。男が言った。
「今後、俺の許可無しに口を開いたり、席を動いた者は即、射殺する」
涼のそばに駆け寄っていた仲間達が、足早にそれぞれの席に戻った。左腕から血を滴らせたまま、涼も席に座る。
全員が席に座った状態になると、また重苦しい沈黙が流れた。
男は品定めでもするように、葉巻を咥えこちらを見ている。
しばらくすると、煙の向こうから男が口を開いた。
「俺は、デューク西郷。このプログラムでの、お前等の担任だ」
その言葉に対し、誰も何も言わなかった。
「何か質問がある奴、手を上げろ」
誰一人動く気配はない。
しばらく待って、また煙を吐いた。
「質問は無しだな。では、説明に―――」
西郷が言葉を止めた。一人、手を上げている者がいる。
「また、お前か」
手を挙げているのは涼だ。右手を挙げている。
「何だ? 話せ」西郷が促がした。
再び、立ち上がって涼が口を開く。
「俺達がプログラムに選ばれた事は分かった。けど、あんたが担任ってのはどういう事だ? 川村先生は?」
左腕を押さえながら涼は訊いた。
「質問はそれだけか?」
「ああ」
「そうか。お前等の元担任は死んだ。これが答えだ」
あっさりと言い、また煙を吐き出す。
教室内の空気が一気に強張っていった。
「…ち、ちょっと待ってくれ! 死んだだと? どういう事だ!!」緊張した空気を裂くように、涼が声を荒げた。
「あの男は、プログラムに反対した。だから始末した」
「そ、そんな‥‥馬鹿な……」
涼は呆然として、腰を落としてしまう。
「い、いくら政府の人間だって、そんな簡単に殺人が出来るわけないわ! 私達を脅してるだけでしょ!!」
涼と入れ替わるようにして立ち上がったのは、矢口冴子だ。
西郷は何も言わずしばらく冴子の顔を見ていたが、やがて口を開いた。
「矢口か。お前の父親は確か、刑事だったな」
「……そ、そうよ! 殺人は犯罪なんだから、そんな事出来るわけない!」
「国家反逆罪は死刑だ。刑事の娘のくせに、法律を知らないのか?」
嘲笑するような口調だった。もっとも顔は笑っていないが。
「そういえば忘れていたな」
西郷が言った。次の瞬間また銃声がした。
全員が一気に緊張する。悲鳴が聞こえた。冴子がうずくまって悲鳴を上げている。
「言ったはずだ。俺の許可無しに口を開いた者は射殺すると。今回は俺も忘れていたから大目に見てやるが、次はない」
冴子は悲鳴を上げ続けている。どうやら、右腕を撃たれたらしい。
「ざけんじゃねーぞ、てめー!!!」
今まで呆然としてしまっていた若菜が立ち上がって、声を荒げた。そして、すぐ冴子に駆け寄ろうとした。
「やめなさい、若菜!!」
あまりに大きな声だったので、すでに一歩踏み出していた若菜も驚いて足を止め振り返った。
夕子が立ち上がっている。抑えた声で、もう一度言った。
「席に戻りなさい。若菜」
「けど!!―――」
反論しようとしたが、その前に夕子が西郷に向かって言った。
「撃つなら、若菜の代わりに私にしてくれない?」
「中野か。死にたいのか?」
「別に。若菜が殺される位なら私が代わりになるというだけよ」
当たり前のように夕子が言った。
「ふざけんな!! あたしのせいでお前が死ぬなんて絶対ダメだ!!」
若菜がそう言ったその時、急に西郷が笑い出した。
「お前が? ‥‥面白いな」
西郷は、驚いた様な顔で夕子を眺めている。しばらくして、咥えていた葉巻を足下に捨てて靴でもみ消すと口を開いた。
「……いいだろう、中野に免じて見逃してやる。矢口、お前も早く座れ」
床にうずくまったままだった冴子は、真っ青な顔で席に戻った。貧血を起こしているのかもしれない。
再び全員が席に着いたのを見届けると、西郷はまた葉巻を取り出した。
若菜は西郷を睨みつけていたが、しばらくして西郷も自分を見ている事に気がついた。視線がぶつかり合う。観察するように見ていた西郷だったが、やがて煙を吐き出すと視線を生徒全員に戻し告げた。
「どうやら、お前等は自分の置かれている状況を理解しきれていないようだな」
そこまで言うとスーツの内側から何か黒い物を取り出し、何か小声で話し出した。どうやら無線のようだ。会話が終わったらしく、無線をしまうと自分達の方に視線を戻した。その顔には、もう表情は無い。
「お前達に、現実を理解させてやろう」
冷たい空間に、西郷の声だけが響いた。
静まり返った教室に足音が聞こえてきた。
教室の外で聞こえていた足音は、教壇の横の扉の前で止まった。
扉が開く。
男が一人入ってきて、西郷に敬礼をした。専守防衛軍の制服を着ている。
「おい」と今入ってきたばかりの兵士が、扉の向こうに声をかけた。もう一人いるようだ。声をかけられた兵士が、ゆっくりと教室に入ってくる。何かを引きずっている音がした。
次の瞬間、悲鳴とも絶叫ともとれない声が沈黙を切り裂いた。
何が起こったのかと若菜はまた立ち上がりそうになったが、立つまでもなかった。
悲鳴はまるで悪性ウイルスのように、一瞬にして広まっていく。
若菜も恐怖のあまり腰を抜かしそうになった。
男が引きずっていた物は、人間だった。しかし、それはすでに人間ではなくただの肉の塊と化していた。乾いた血に塗れた肉塊は、かつて川村有生と呼ばれていた物だった。よく見ると、体中に穴が空いている。
若菜は気持ちが悪くなり机に突っ伏したが、すぐに顔を上げた。純がこれ以上ない程の大声で絶叫したからだ。
「遠藤!! うわっ」
とにかく落ち着かせようと両肩をつかんだが、すぐに暴れて振りほどかれた。純は悲鳴を上げたまま、後ろの扉に向かって逃げ出そうとした。その時、若菜は見た。最初に入ってきた兵士が銃を取り出し、純に向けるのを。
”撃たれる!!”思うより早く、身体が動いていた。しかし、引き止めようとした若菜の手は空をつかんだだけだった。焦って純の方を見て、安堵した。純は立ち止まっていた。その右腕をつかんでいる手がある。
「伊東……」
純を止めた人物を見て、若菜は驚いた。
自分を止める手を振りほどこうと、純がまた大暴れしだした。
悲鳴の渦の中に、渇いた音が響く。
純は驚いて泣き叫ぶのをやめた。左手で頬を押さえている。
「落ち着けよ。このままじゃ殺されちまうぞ」
平手打ちをしたその手で純の前髪をかき上げながら、驚くほど優しい声で香奈は言った。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、純は香奈を見つめている。
「……で、でも」
「でも?」
何か言おうとしていたが、上手く言葉が見つからないのか純は黙り込んでしまった。言葉にならなかった純の言葉が、香奈には分かったのか優しい表情のまま口を開いた。
「大丈夫だから。一緒に生きようぜ」
「………う、うん‥うん!」
とても短く、とても優しい香奈の言葉は、純の心に染みこんだらしい。落ち着きを取り戻し席に戻った純はしばらくの間、香奈につかまれていた右手首を見つめ続けていた。
「なんだよ?」
自分を見つめる視線に気付いたのか、香奈が若菜を睨んだ。
若菜がニヤリと笑って言った。
「やるじゃん」
「うるせーよ‥‥それより、そろそろヤバいんじゃないか」
真剣な表情に戻って香奈が言った。
「え? ……あ」言われて若菜も気付いた。
悲鳴はまだ続いている。それどころか、教室の隅で嘔吐している者までいる。西郷が、このまま黙って見ているはずはない。
後ろの方で誰かが、一際大きい悲鳴を上げた。先程の純の悲鳴にも負けていないほど大きい声だ。
若菜と香奈が同時に振り返る。
安藤勝(男子2番)が、後ろの扉に向け突進して行った。
扉を開けようと引いたり、叩いたりしているが、やはり開かないようだ。
今日、何度目かの銃声が響いた。
今の今まで教室中に響いていた悲鳴が止んだ。
”殺された……”一瞬、若菜はそう思った。倒れている勝の体に、誰かが覆い被さっている。その男子の左腕からは血が流れている。
間一髪で勝を助けたのは、涼だった。左腕の傷も気にせず飛び込んだらしい。
涼が立ち上がり、勝に手を差し伸べた。
「大丈夫か?」
「……り、涼ちゃん、俺」勝は泣いていた。
涼が、勝の頭に手を乗せ言った。
「心配すんな。絶対、俺が助けてやる」
「涼ちゃん……」
「席に戻ろうぜ」
涼が促がすと、勝はうなずき自分の席に戻った。それを見届けると涼も席に戻ろうとしたが、西郷が自分に向かって銃をポイントしている事に気付き立ち止まった。
「驚いたぞ、西村」そう言いながらも、銃口は涼に向けられたままだ。
涼は何も言わずに、西郷を睨んでいる。
「正直、ここまでやるとは思っていなかった。だが、やりすぎだ」
次の瞬間、また銃声がした。
銃を下ろすと西郷が、無表情のまま言い放った。
「ここでお前を殺すのは惜しい。だが、次は無い」
涼は生きていた。右頬から一筋、血が流れていた。西郷の放った銃弾は、涼の右頬を掠めただけだったらしい。
「……どうも」
小さく言うと涼は席に戻って行った。
「す、すげーな、あいつ……」
「あ、ああ……」
さすがの若菜と香奈も、涼の行動力には驚いていた。
全員席に着くと、西郷が先程火を点けていた葉巻を吸いながら、あごで兵士達に何か指示した。
兵士達は了解したのか、素早く動き出す。川村の死体を教室の外に持って行くらしい。二人の兵士は無表情のまま、まるで粗大ゴミを扱う清掃業者のように黙々と仕事をこなしていた。
それを見て、若菜はまた気持ちが悪くなった。
人間の死。現実にその様を見ると、悲しみよりも怒りがこみ上げてきた。
”死ぬのは罪だ”そう思った。
”残された自分達はどうすればいい?”それが理不尽な死だと分かっていても、そう思わずにはいられなかった。
若菜は宙を睨んだ。
――死がこんなにも人を悲しくさせるものなら……。
”あたしが誰も死なせない!! その為にも、あたしは生きる。生き続けてやる!!”
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