BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
25
頭の片隅に引っ掛かって取れない音があった。
部分的に思い出せるが、曲名までは思い出せない。
あれはどこで聴いた曲だったろう。歩きながら考えを巡らせた。
まず家ではない。基本的に音楽は嫌いなのだ。流行の曲なども、自分にとっては雑音にしか聴こえない。
それでも、あの曲だけは覚えていた。
また思い出そうと試みてみる。覚えている部分を何度も繰り返した。そうしている内に続きが思い出せるのではないかと思ったのだ。
しばらく、それを続けていたが、ふと誰かに見られているような気がして足を止めた。
慎重に辺りを見回してみる。
誰かいるのだろうか。ポケットに入れておいた彫刻刀を握り締める。
頭の中で計算した。3分だ。180までをゆっくり数える。神経は自分の周囲全てに向いていた。どこから襲われても対処する自信がある。100を越えた辺りで、赤坂有紀(女子1番)は瞳を閉じた。
沈黙が周囲を支配する。微かな音すら聞き逃さない。そういう自信があった。
「180」
最後だけ口に出して呟いた。
結局、気のせいだったようだ。もしくは、気付かずにどこかへ行ってしまったのか。どちらにせよ、自分の取り越し苦労だった事には違いない。有紀は小さくため息を吐いて苦笑した。
さすがに緊張している。自分で、それがよく分かった。自分は物事に動じる方ではないが、今度だけは別だ。命がかかっている。間違っても、こんな場所で惨めな死を迎えたくはない。だが、彼女ならどうだろう。
記憶の中の彼女の姿を思い浮かべてみる。やはり彼女なら変わらないような気がした。
初めて話をしてから、そんなに月日が経っているわけではない。確か去年の秋頃だった気がする。それから今日までの間に、自分は変わったと思う。少しずつ、確実に彼女に惹かれていった。
───有紀ちゃん。
どこか哀しげな彼女の笑顔。ぞっとするほどに綺麗だった。
惚れたと言ってもいいかもしれない。だが、自分は決してレズビアンではない。これは一種の憧れのようなものだと有紀自身は思っていた。自分もそうありたいと願う。彼女のように。
いつかはなれるはずだ。そう信じている。
信じ続けていれば、いつかきっと願いは叶う。
開いていた手の平を握り締めた。自分の想い。願い。それらを失わないように手の平の中に包み込んだ。
瞳を閉じる。有紀の意思は決まっていた。
このまま真っ直ぐ進めば、海に辿り着くのだろうか。
今いる場所は学校の直線上にあるエリアのどこかのはずだ。
周囲には何もない。ただ林が広がっているだけだ。
この林に入って、すぐに見つけた大きな木の下で一度休憩を取った。ちょうど放送が終わって少ししてからだ。数時間、その場所から動かなかった。体を休めるという理由もあったが、何より落ち着いて考えたかったのだ。
放送では死者はいなかったが、殺し合いをした者達が間違いなくいる。銃声と思われる音も聴こえていた。誰が銃を持っているか分からない以上、全ての者に対して最大限の注意をした方がいいだろう。
誰が殺し合いに乗ったのか、という事は考えなかった。一人しか生き残れないという事実が答えを示しているからだ。つまり、プログラムが始まった瞬間から、自分も含め全員が殺し合いに乗っている。有紀はそう考えていた。
今後の事については考える余地もない。
無差別に殺し回るような愚かな真似をする気はないが、自分の障害になる者ならば消えてもらうしかない。
そして、会わなければならない人物もいる。
何の手がかりもない以上、見つかるまで島内を歩き回るしかないだろう。
まずは海まで行く。その後は、また別の場所を目指せばいい。ずっと、それを繰り返していれば、いずれどこかで会えるはずだ。
海まで行くと決めてから、子供の頃に読んだ話を思い出した。
大きな船に乗っている船乗り達の話だった。物語の経緯は覚えていないが、船乗り達は何回目かの航海で嵐に巻き込まれる。一人、また一人と海に落ちていく中で、老船長は皆を助けて欲しいと天に祈りを捧げる。それを見た若い船員達も、何とか老船長だけでも助けて欲しいと天に祈りを捧げ始めた。結果、老船長だけが生き残り、他の若い船員達は皆死んでしまう。それから数日後、生き残った老船長は、死んでいった船員達を弔う為に、夜の海へと一人で出かけて行く。すると、老船長を迎えるかのように、海にいくつもの赤い火の玉のようなものが浮かび上がって来るのだ。それが船員達の魂だと気付くと、老船長は海に身を投げ、新たな赤い火の玉となったのだ。その後、その海で命を失う者はいなくなった。どんな激しい嵐が来ても、老船長を初めとする船員達の魂が守ってくれるのだと言う。そうして、その海は、紅く輝く奇跡の海として永遠に語り継がれる事となった。
確か『紅い海』というタイトルだった気がする。子供向けの小説か何かだった。
子供の頃は、紅い海を見に行きたいと幼心に思ったものだ。今は、そんなものはないと分かっているが。
何故、生き残った老船長は自殺したのだろう。子供の頃、そんな疑問を覚えていた事を思い出した。
せっかく助かったのに自殺するなんて馬鹿げている。有紀には老船長の取った行動が理解出来なかった。無意味な行動としか言いようがない。いや、それどころか老船長は若い船員達の想いを無視している。何のつもりで、そんな行動を取ったのか。何か理由があるのか。それとも、ただの愚かな老人なのか。海に行けば答えが見つかるような気がした。
それにしても、この島はどの程度の広さなのだろうか。歩きながら、支給された地図を思い浮かべた。
少なくとも想像していたよりは、はるかに広い島のようだ。そう思うと、有紀は少しだけ足を速めた。
それから少ししてからだ。また何か神経に触れるものがあった。
立ち止まって、周囲に視線を巡らせる。見た感じ、変わったところは無い。だが、暗闇に乗じて木の陰に隠れている可能性もある。神経を集中させた。また3分を数え始める。
「あ、赤坂!」
10秒もしない内に、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
自分の左側。木と木の間から、黒い影が姿を現す。
「よ、良かった。誰かと思ったぜ……」
そう言いながら姿を現したのは、神田文広(男子6番)だった。
全く無警戒に近付いてくる。
右手に何か持っていた。暗いので確認出来ないが、刃物の類かもしれない。
目の前にいる男は、殺し合いに乗っているのだろうか。分からなかったが、有紀にはするべき事があった。自分が探している人物に会っているかどうか、訊かなければならない。その質問を口にする前に、文広が喋り始めた。
「あ、あのよ、正直言って不安だったんだよ、俺……。普段は菊池とかとつるんでるけど、俺は人殺しなんて出来ねえし……」
何を言いたいのだろうか。
そんな話を自分にして、この男は一体どういうつもりなのだろう。
勝手に話し始めた文広を見ながら、有紀は彼に関する情報を思い出そうとした。
不良グループと呼ばれる生徒の一人。
他には、と考えたが何も思い出せなかった。正確には、知らないと言った方がいいかもしれない。
文広の話は続いていた。自分は殺し合いには乗っていないという事を伝えようとしているらしい。
急に強烈な不快感が全身を覆った。
雑音だ。この不快な音は、雑音に他ならない。そう思い、下唇を噛む。
耳を刺激する不快な音。自分の耳を切り取りたい衝動に襲われた。
「な、なあ、聞いてるのか、赤坂? 俺、不安なんだよ。お前も一人じゃ不安だろ?」
右足を一歩前に踏み出してくる。
この雑音が止むのを有紀は待っていた。
瞳を閉じて堪えようとしていた有紀だったが、しばらくして雑音が中断されている事に気が付いた。
ようやく終わったのだろうか。そう思い、瞳を上げる。
文広がこちらを見つめていた。
「お、お前、俺の話、聞いてたか?」
不安そうな表情で呟いた。視線は、もう外されている。
「な、なあ、怖いんだよ、俺! ナリがナリだし、いきがってる様に見えるかもしれねえけど、マジで怖いんだよ!」
その言葉を機に、また雑音が再開される。
終わったと思い安堵していた有紀は、無意識に下唇を噛んだ。
この不快な音を打ち消そうと、頭の中であの曲を流した。途中からが、どうしても思い出せない。雑音は続いている。再び、初めからやり直した。同じ部分で曲が止まる。もう一度繰り返そうとしたが、最初のフレーズだけで止めた。覚えているはずの部分まで、曖昧になってきている気がする。下唇を噛んだ。血の味がした。瞳を閉じる。声が聴きたいと思った。彼女の声。すぐに聴こえてきた。心地よい響きが頭の中を巡る。思い出せない曲。紅い海。血の味。彼女の声。雑音は続いている。
初めて会ったのは、あの白い建物の中でだった。
有紀は母親に会いに来ていた。
そこで彼女に出会ったのだ。
大勢の人がくつろぐ遊戯室のようなところで、一人でピアノを弾いていた。
初めは見ていただけだったが、何度目かに彼女の音を聴いた時、自分から話しかけた。
それが何という曲なのか教えて欲しい、と。
あの日から数ヶ月。
日を追うごとに、彼女へ焦がれていった。それと同時に自分自身への嫌悪感が膨れ上がっていく。肥大化した嫌悪感は、彼女に会う事で一時的に解消された。それを完全に消去するには、どうすればいいのか。
答えは一つである。
自分が彼女になればいいのだ。だとすれば、これは彼女になる為の道なのかもしれない。
この現実は、彼女へと生まれ変わる為の道。
どれくらいの時間が流れたのか。
4度目に血を舐めとった時、雑音が止んだ。瞳を上げる。
有紀は口を開いた。
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