BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
32
扉を開く音が聞こえて、反射的に振り返った。
小さな物音にすら敏感になってしまう。それは仕方のない事なのかもしれない。
ただ、それが猜疑心に繋がってしまう事が怖かった。
疑念の芽は、簡単に膨れ上がるだろうから。信じる事より、疑う事の方が簡単なのだ。
今、目の前で銃を構えている、工藤麻由美(女子7番)を見ればよく分かる。
入ってきたのは屋上で見張り役に着いていた葵だった。
扉が開かれるのと同時に立ち上がり銃を構えた麻由美は、葵の姿を見て小さくため息を吐くと、銃口を下ろし一瞬前まで座っていた椅子に腰を下ろした。そうしてから葵に向かって告げる。
「ノックくらいして欲しいわ」
「驚かせちゃったなら謝るわ。ごめんなさい」
困ったような顔で呟くと、葵は自分の隣に腰を下ろした。
その葵の向かい側の椅子に座っていた、紺野綾(女子8番)が口を開いた。
「あ、森川さん。お茶があるんだよ。飲むでしょ?」
「お茶?」
「うん! さっき絵里ちゃんが見つけたの」
嬉しそうに笑い、綾は奥にある給湯室へと向かった。
「どこで見つけたの?」
こちらに瞳を向けた葵は不思議そうな表情をしている。
「ここで。給湯室の戸棚の奥に入ってたみたい」
綾から聞いた話では、給湯室を調べていた絵里が、戸棚の中にあった簡易コンロとお茶っ葉を見つけたらしい。水しか支給されないプログラムの中では、暖かいお茶が飲めるだけでも幸運だろう。
「あったまるよー」
そう言って笑いながら、遠藤純(女子4番)はじゃれつくように葵の肩に手を回した。
それから、耳元で囁く。
葵以外には決して聞こえないように。
「ごめん、麻由美の事」
言い様、葵の体から手を離した。
「森川、色々あって疲れたでしょ? お茶飲んだら寝た方がいいよ」
今度は普通の声で言い、小さく笑ってみせた。
少し驚いたような困ったような表情で、葵はこちらを見つめていたが、ややして苦笑を漏らした。
「そう言う遠藤さんもね」
「うん。睡眠不足は美容の敵だからね」
そう言うと、葵が声を上げて笑った。次の瞬間。
「眠れるわけないじゃない。こんな所で」
麻由美が醒めた瞳で、こちらを見つめている。
「大体、よく笑ってなんていられるわね。信じられない」
一瞬、立ち上がりかけたが、何とか堪えて抑えた口調で返した。
「あ、あんたがそう思うのは勝手だけど、あんまし変な事言わないで」
そんなに不安なら出て行けばいい。そう言いそうになった。
葵に対する麻由美の態度は、ここに来る前からずっと変わらない。強い猜疑心。いや、葵に対してだけではない。言葉の端々から感じるのは、皆への警戒心。いつも一緒にいた仲間の事すら、麻由美は全面的に信用しているわけではないようだった。
そんな麻由美と一緒にいるのに葵を仲間にしたのは間違いだったのだろうか。
分からない。こんな時、いつもなら自分の傍に冴子がいるのに。
”どうすればいいの? 分からないよ、私……”
もう何度目か分からない泣き言を、純はまた呟いた。
純達は今、総合病院にいる。
病院に辿り着いたのは、およそ五時間程前の事だ。
最初は恐怖から混乱しかけていた純だったが、自らの出発前には何とか平静を装う事が出来るようになっていた。それも他でもない伊東香奈のお陰なのだが。
自分の出発を待っている間は、一つの事だけを考えていた。
とにかく信頼出来る仲間を集める。
最初に浮かんだのは当然、冴子だった。出発順では自分の出発が後になるが、冴子なら間違いなく自分を待っていてくれるだろう。後は何と言っても、普段一緒にいる友達だ。
女ばかりになってしまうが、絵里を通じて、絵里の恋人である啓介や、その友人である涼や健二などの一緒にいれば心強いであろう男子とも一緒に行動出来ればいいと漠然と考えていた。
それから伊東香奈だ。
自分を助けてくれた香奈は絶対に信頼出来る。出来れば、一緒に行動したい。
問題は、他の皆が受け入れてくれるかどうかだ。香奈は素行不良の問題児という事もあり、皆に警戒されてもおかしくない。だが、冴子ならば、きっと分かってくれる。香奈が心強い仲間になってくれると。
そんな事を考えている内に名前が呼ばれ、純は教室を後にしたのだが。
自分を待っていた者は誰もいなかった。
香奈どころか、冴子達すら待っていてはくれなかったのだ。
それでも、呆然としている場合ではない。
後から出てくる友達を待とうと思い、校庭から少し離れた茂みの中に身を隠した。
間に不良と呼ばれている者達が次々と出発する事が不安だったが、まさかいくら彼等でも人殺しはしないだろう。不良と呼ばれているにしても、彼等だって自分と同じ中学三年生なのだから。そう自分を無理矢理納得させ、純は茂みの中に蹲った。
直後の出発だった加藤夏季をやり過ごして、しばらくすると岡沢春香がやって来た。
声を出さないように半身だけ茂みから体を出し、春香を呼び寄せる。
上手く気付いてくれたようで、無事春香と合流する事に成功した。
同じようにして、絵里、麻由美、綾と出席番号順に出てきた三人とも合流出来たのだが、問題はこの後だった。
普段、一緒にいる仲間でこれ以降に出てくるのは唯のみだ。
その唯を待たずに出発しようと麻由美が言い出したのだ。
これに怒ったのは絵里である。親友である唯を見捨てるような真似が出来るはずもない。掴み合いの喧嘩になりかけた。どうするべきか迷ったが、唯が出てくるまでには九人もの生徒が出発する事になる。
何より綾と合流する直前に自分達は見てしまったのだ。笑いながら走り去って行く小柴省吾の姿を。
省吾は殺し合いに乗っている。純だけではなく、その場にいた全員が、そう思ったに違いない。そして、その省吾が引き返して来るという可能性もないとは言い切れない。
結局、その事を理由に絵里の首を縦に振らせたのだ。
さすがに、この場に一人で留まり唯を待つ事は、絵里にも出来なかったようだ。本音は待ちたかっただろうが、恐怖心に抗えなかったのだろう。
各々の支給武器を確認すると、純達はその場を後にした。唯に対する罪悪感に後ろ髪を引かれながら。
ちなみに支給された武器は純がオルゴール。春香が釘バット。綾が手榴弾三個。麻由美がS&Wチーフスペシャルという名の拳銃。絵里には島内詳細地図なる、1エリアにつき1ページの道路地図のような詳細な地図が支給された。
扱えるかどうかはともかくとして、麻由美に支給された拳銃は当たり武器と言っていいだろう。逆に自分のオルゴールは、何の使い道もない紛れも無く外れの一品だ。
そうして、向かった先は病院である。
病院に行く事に決めたのは、冴子も病院に向かったのではないだろうかと思ったからだ。
出発前に撃たれている冴子は、出発の時もかなり顔色が悪いように見えた。自分達を待たなかったのも、病院に行って怪我を何とかしようと思ったからかもしれない。
道中、何度か聞こえた銃声に怯えながらも、絵里に支給された詳細地図を頼りに病院へと急いだ。
学校から病院までは全員に支給された地図で見ると、ごく近いように思えるが実際にはかなりの距離になる。楕円状に取り巻く崖のせいで、病院だけが隔離されたようになっているのだ。お陰で病院へは大きく迂回して、E−7から行くしか方法がなかった。
その、すぐ真下にあるエリアF−7で純達は葵に出会ったのだ。
声をかけてきたのは葵の方からだった。
自分達が大人数だった事が安堵感に繋がったのだろう。
友達を探している事。良平に襲われ逃げ出した事。その際、一緒に行動していた若菜とも離れてしまった事。
葵の口から紡ぎだされる言葉には、若菜を置いて逃げた事に対する懺悔の気持ちが感じられた。
気が付くと自分の方から一緒に行動しようと誘っていた。
仲間は多いに越した事はないし、何より葵には不思議な信頼感があった。女子の委員長だからなどという理由ではない。何か言葉では形容出来ない特有の雰囲気が葵にはあるのだ。
多少、逡巡したようだったが、ややして葵の方から一緒に行動させて欲しいと告げられた。
差し伸べられた葵の手を、純はすぐに握り返した。
───よろしくね。
握った手の暖かさが、葵の優しさのような気がして心地良かった。
そうして葵を含めた自分達六人は病院へと向かったのだ。
途中にあった放送では皆祈るような思いだった。どうか誰も死んでいませんようにと。
特に葵は若菜の事があったからだろう。青ざめた表情で放送を聞いていたような気がする。
放送を聞き終わった時には、皆安堵の表情を浮かべていた。
そうして慎重に移動を続けながら、純達が病院に到着した時には午前二時を回っていた。
入り口にあった院内案内を見ての話し合いの末、三階のナースステーションに身を隠す事を決めると、すぐに移動を開始した。
病院はかなりの広さで、自分達が今いる棟以外にも、もう一つ棟がある。ちなみに、こちら側の棟は四階まであり、一階が診察室。二階から四階は病棟になっていて、その上に屋上があるという形だ。
誰かがやって来る可能性を考慮して、ナースステーションで短い話し合いをした結果、一階の外来用待合室に一人、屋上に一人、見張りを立てる事になった。残った四人の内、二人は休憩で二人は待機だ。
最初の見張り役を決める時には、喧嘩になるのではないかというくらい揉めに揉めた。
葵がやるべきだ、という麻由美の一言が引き金だった。
それに反発したのは、葵ではなく絵里である。
麻由美の言い分では、普段一緒にいたわけではない葵は信用できないとの事だった。それに対して、信用出来ないなら出て行けばいいと絵里が言ってしまったのだ。
絵里にとっては、何の躊躇もなく唯を見捨てる発言をした麻由美に不満があったのかもしれない。
これで絵里と麻由美が睨み合う形になってしまったのだが、見咎めた葵が自ら見張り役を買って出た事で一応の決着は着いた。もう一人の見張り役は自分が引き受けた。
正直なところ、この場にいたくなかったから引き受けたというのが一番の理由だ。
結局、最初の見張りが自分と葵。次に絵里と春香で、最後が麻由美と綾に決まった。待機するのは次に見張りをする二人だ。
見張り役は決まったものの、更にこの後も揉める事になってしまった。
本来ならば見張りの者が強い武器を持つべきであるはずなのだが、銃を支給された麻由美がそれを渡す事を拒否したのだ。
これには自分も頭にきたのだが、純が何か言う前に絵里が突っかかっていった。
わがままを言うのにも程がある。そんなような事を絵里は言っていたが、麻由美も一歩も引かなかった。銃を支給されたのは自分なのだから、それを皆に貸す貸さないは自分の自由である。麻由美はそう言って、絵里を睨みつけていた。
そんな二人を前に、春香と綾は困ったように顔を見合わせ、自分はとにかく二人を落ち着かせる為の言葉を考えていた。その横では、葵が黙って事の成り行きを見つめている。
口論はしばらく続いたが、純が上手い言葉を見つける前に、麻由美に対して不信感を募らせたまま絵里が折れた。
武器に関しては、綾に支給された手榴弾を葵が、春香に支給された釘バットを純が持つ事となったのだが。
正直、疲れていた。こんな事がこれ以上続くなら、一人でいた方が余程気が楽だろう。
精神的な疲労感を拭えないまま純は一人、一階にある待合室で見張りに着く事となった。
睡眠時間も考慮して、見張りは三時間ごとに交替する事にした。
最初の見張り役である自分と葵が持ち場に向かったのが午前三時半頃だったので、交替するのは放送が終わってから三十分後の六時半となる。長いような気がしたが、一人でいられた事で逆に落ち着く事が出来た。
ここにはいない冴子に向かって様々な事を問いかけた。
絵里と麻由美が揉めた時、どうするべきだったのか。これから、どうすればいいのか。今、どこにいるのか。
E組女子の中心グループをまとめる二人のリーダー。それが周囲の皆の、自分達に対する認識である。純自身もそれは自覚していた。望むと望まないとに関わらず、皆がそう思っている事を知っていたから。だが、実際はそうではない。
あくまでリーダーは冴子なのだ。少なくとも、純はそう思っていた。
自分は冴子をフォローするサブリーダーのような存在だと純自身は思っている。
自然と出来た二人の形。皆の意見を純が聞き、冴子がそれをまとめる。皆の意見を一つにまとめる天性の才能のようなものが、冴子にはあるのだ。そして、それは自分にはない。
また時として自分の意志を上手く言葉に出来ない純に対し、冴子は常にしっかりとした自分の意志を持っている。そんな意思の力を持つ冴子の事を、純は尊敬すらしていた。
だからこそ、この状況で冴子がいない事が辛かった。
自分に課せられた役目は分かっている。
それでも冴子のように上手く出来ない事が歯痒かった。
葵に相談すれば、とも思ったが心配をかけてしまうような気がして、それも出来ない。
とにかく、自分で何とかするしか術はない。
そんな決意を胸に、今に至るのだが。
純は頭を痛めていた。
麻由美の事である。あそこまで自己中心的だなどとは思ってもみなかった。
春香も含め同じ陸上部で三年間頑張って来た仲だったが、肝心なところは何も知らなかったのかもしれない。
彼女がこのまま葵を認めないようなら、とも考えたが実際に見捨てる事などは出来ないだろう。
どうであれ友達は友達なのだ。
「お茶、入ったよー」
綾が戻って来たようだった。お盆に紙コップが四つ載せられている。
「はい。お疲れ様、純ちゃん」
「ありがと、綾」
手渡された紙コップは思った程、熱くはなかった。
それから葵、麻由美にも紙コップが渡っていく。
「いただきます」
綾に笑顔を向けてから、葵が紙コップに口を付けた。
その様子を綾が真剣な表情で見つめている。
「ど、どう? 森川さん」
一度、喉を鳴らした葵が紙コップを離し、綾に向き直る。
それから、いきなり舌を出した。
「や、火傷した……」
瞬間、綾が声を上げて笑う。
つられるようにして純も笑ってしまった。
”大丈夫。私、まだ笑えてる”何となく、そう思った。
まだ自分は自分を見失ってはいない。だから、大丈夫。
冴子のようには出来ないけれど、自分に出来得る限りの事をしてみせる。
この先も、こうやって友達と笑い合う事が出来るように。
自分を信じて。友達を信じて。
少しずつ前に進んで行く。強くなっていく。
不安を押し殺すように、両手で紙コップを包み込んだ。
注がれたお茶の温かさが、掌に伝わってくる。
しばらくの間、純はそうして動かなかった。
≪残り 40人≫