BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
33
時計を見た。
午前7時12分。走り始めてから十分近く経過しているのか。
そんな事を思いながら、森の中を全力で駆け抜けた。
腕を振る度に、出発前に撃たれた傷が痛んだが、そんな事を言っている場合ではない。
荒い呼吸のまま、矢口冴子(女子18番)は森の中を走り続ける。
相手だって疲れているはずなのだ。
誰なのかは分からなかった。男子なのか女子なのかも。
ただ一度だけ目の前で弾けた銃弾だけが、冴子を走らせ続けていた。
そのまましばらく森の中を駆け抜け、ややして走りながら後ろを振り向いた。
見えるものは何もない。
眼前に広がるのは森だけだった。
そうして、ようやく立ち止まる。
”諦めてくれ……た?”
そう思った瞬間、その場に座り込んだ。
荒い息を吐きながら、右腕を抑えた。裕太に巻いてもらった包帯からは、もう血が滲み出してきている。
血を見た瞬間に痛みが増した気がした。
全身で痛いと叫び出したい。子供のように泣きじゃくれれば、どれだけ楽になるだろう。
そんな事をすれば敵に居場所を教えるようなものだ。せっかく撒く事が出来たのに、全てが無駄になってしまう。
それでも大声で泣きたい衝動に駆られる。
それが痛みからなのか、恐怖からなのかは分からなかったが、気付くと涙を流していた。
正体の分からない涙を、声は出さずに流し続けた。
どれくらい経っただろうか。
ふと、裕太の事を思い出した。
あの後、彼はどうしただろう。また自分を探しているのだろうか。
許して。あの時、自分はそう言ったが、チェーンで殴りつけておいて許しても何もないだろう。恩を仇で返すとは、正にこの事だ。
放送が始まる瞬間、その時しかチャンスはなかった。
友達を探しに行きたい。その一念のみが冴子を突き動かしたのだ。
ログハウスのリビングの窓をチェーンで叩き割ると同時に外へ飛び出した。
砕けた窓ガラスの破片が体に降り注いだが気にしなかった。
とにかく、早く遠くへ行く。それだけを考えていた。
追って来るだろうと思っていた裕太は、やはり自分の後を追ってきた。
撒けるかどうかは五分五分だと思っていたが、体力の差はやはり大きかったらしい。あっさりと追いつかれてしまった。
もう目前まで来た時、自分は意を決したのだ。
ここで食い止める。
自分の大切なものを守る為には、そうするしかなかったのだ。
あのままログハウスにいても、恐らく裕太は外に出してはくれなかっただろう。だから、仕方ない。そう自分を納得させた。
そうして、裕太に向かってチェーンを叩き付けたのだ。
銀色に輝くチェーンは狙い通りに裕太の右腕へと直撃した。
当たった瞬間には、もう走り出していた。振り向く事もしなかった。振り向けば後悔してしまいそうで。
深い森の中を、ただひたすらに駆け抜けた。
そうして、ようやく立ち止まった時には、足が震えて立っている事もままならない状態だった。
自分が取った行動が正しいのかどうかは分からない。
人を傷つけている以上、少なくとも最良の方法ではないだろうが。
あの時は、それしか方法が浮かばなかった。
そう思ってから、冴子は顔を顰めた。
まるで子供の言い訳だ。
自分は最良の方法を見つけ出そうともしなかった。なのに、自分を肯定する為の言い訳ばかりが出てくる。裕太を傷つけた事を正当化する為の言い訳。
この事を純が知ったら、どう思うだろうか。
唯一、自分の弱さを見せられる親友。
───冴は悪くないよ。
そう言って、いつものように優しい笑顔を見せてくれるだろうか。
否定されても仕方がないけれど、純ならばそう言ってくれそうな気がする。
”純に会いたい。会わなきゃ……”
自分も純も他の皆も、こんな所で死ぬべきではない。
”私が守るんだ。私の大好きな人達を……”
そう思うと、冴子はよろけながら立ち上がった。
裕太と別れてから七時間以上経ってしまったが、目的地までは後少しのはずだ。
途中に何度か休憩を挟みながら向かっている場所は、エリアで言うとFかGの8か9にあるらしい防衛軍駐屯地と書かれている所だ。地図そのものが、かなり乱雑に描かれている為、正確な場所は分からなかったのだが。
ここに行く事に決めたのは、単純に駐屯地なら医療器具も多少は揃っているだろうと思ったからだ。
本当は病院に行くべきなのだろうが、ほぼ間違いなく裕太も向かうだろう。裕太の気持ちは充分すぎるほどに伝わったが、会うわけにはいかなかった。裕太に会えば、自分が弱くなってしまう気がして。
無意識に、ため息が漏れた。
次の瞬間。
息が出来なくなった。
”な、に……?”
声が出せない。後ろを振り向こうとしたが抑えられていて、それも叶わない。
首を絞められている。
そう認識した途端、恐怖のあまり声を上げようとした。だが、自分のものとは思えない奇妙な呻き声が漏れただけで、まともな言葉を発する事が出来ない。
”や、だ……。こ、ろされる……”
意識が薄れていくのを感じる。
先程、森の中で聞いたものと同じ音が聴覚を刺激したのは、その時だった。
銃声。
そう思った瞬間、いきなり藪の中に突き飛ばされた。
地面に叩きつけられ、全身に衝撃が走る。だが、首を絞める圧迫感はなくなっていた。
朦朧とした意識のまま、一瞬前まで自分が首を絞められていた場所を覗き込む。
「だ、れもいない……?」
周囲と何ら変わる事のない森の風景。それだけが視界に映し出されている。
訳が分からなかった。それでも、体だけは自然に動き出す。
めまぐるしく変わる状況の変化についていけないまま、冴子はその場から駆け出した。
この場所にいてはいけない。
本能がそう言っていた。
ここには二人の殺人者がいる。冴子の脳は、そう認識していた。
一人は自分の首を絞めて殺そうとした人物。もう一人は銃を持っている人物。
首を絞めていた方は銃声を聞いて逃げ出したのだろうか。銃を持っている方は、数分前に自分を狙撃した者と同一人物なのだろうか。
様々な疑問が頭を過ぎったが、今はとにかく逃げる事が重要だ。
それにしても、プログラムに巻き込まれてから走ってばかりいる気がする。
こんなに走ったのは生まれて初めてだろう。
冴子は勉強も運動も卒なくこなしたが、走る事は好きではなかった。
長距離に関しては嫌いであると声を大にして言えるほどだ。
北原中学では年に一度、全校あげてのマラソン大会が5月に行われる。大会には基本的にリタイヤという言葉はなく、余程の事がない限り完走を義務付けられている、冴子にとっては恐るべきイベントだ。
ちなみに冴子の成績は、三年間全て最下位から数えた方が遥かに早い順位であった。
そんな自分が、こんなにも走れる事が意外だった。
人間、追い込まれると何でも出来るというのは本当かもしれない。
マラソン大会に備えて純から教わった呼吸法を、無意識の内に実践していた事は冴子自身は知る由もなかったのだが。
とにかく逃げ切れそうだ。
自然に足が動く。変わらない景色を視界の両端に収めながら走り続ける。止まらない。気持ちが昂ぶっている。どこまででも走れそうな気がした。ランナーズハイというやつかもしれない。心臓のリズム。自分が吐く息。それだけが聞こえる。無音の世界だ。この感覚を果たして純は知っているだろうか。世界に自分だけしかいない。
”そう。ここはまるで───”
そこまで思った時、いきなり前のめりに倒れた。
意識が現実へと引き戻される。
形容し難いほどの痛みだった。出発前に撃たれた右腕。
そこから流れ落ちる赤い液体が視界に映った瞬間、冴子は絶叫した。
その場で右腕を抑えてうずくまる。
痛いのかどうかすら、よく分からない。ただ熱かった。
「悪いな……」
声が聞こえたが、振り返る事も出来なかった。
「これで終わりだ」
よく知っている者の声ではないような気がする。
頭に何かが当たった。
「遺言とか伝言とか、何かあるなら言ってくれ」
全身が熱に侵される。自分はここで死ぬのだろう。
結局、何も果たせなかった。父の言葉の続きも分からない。
「あな……た、だ、れ……?」
「誰、か……。誰なんだろうな、あたしは……」
急に自分を殺す者の顔を見てみたいという衝動に駆られた。
全身に力を込めて、振り向こうとした。
「誰か来る」
「……え?」
「ついてるな。お前、生き延びたぜ」
その言葉を聞き流しながら、ゆっくりと顔をそちらに向けた。
振り向いた瞬間、右腕に痛みが走って瞳を瞑る。
右腕を抑えたまま、しばらくそうして痛みが遠ざかるのを待った。
それから、ようやく顔を上げる。瞳を開けると、途端に視界が広がった。
霞んだ視界に映る景色。
誰かが走っている。先程までの自分のように。
背を向けて走る少女を見つめながら、自分は助かったのだろうかとぼんやりと考えた。
「大丈夫か?!」
声が聞こえた。今度は男の声だ。
誰の声なのかは、よく分からなかった。
「矢口! 平気か?」
視界が誰かの体で塞がれた。
一度、瞳を瞑って、ゆっくりと顔を上げる。
「大……島君……?」
「ああ、そうだ。大丈夫か? 撃たれたんだな?」
心配そうに自分を見つめる、大島健二(男子4番)の顔がぼやけて見えた。
「もう見えなくなっちまったが、今走ってった奴の仕業か?」
頷こうとしたが出来なかった。体が動かない。視界が霞んでくる。
健二の姿すら、よく認識出来なかった。
「だ、大丈夫なのか、オーケン?」
新たな別の声が聞こえた。健二のものとは違う。
「冴子ちゃん……」
「ど、どうするの?」
また新たな二つの声。一つは女子の声だ。
健二と一緒にいたのだろうか。
「とにかく安全な場所まで運ぶ。絶対に死なせはしないぞ」
今のは誰の声だろうか。
もう分からなかった。
そういえば痛みも感じなくなっている。
後少ししたら、自分は眠りに落ちるだろう。何となく、そう思った。
どこか遠くで自分を呼ぶ声が聞こえる。
それもすぐに聞こえなくなった。
世界に自分しかいないような気がする。
先程、感じたあの感覚と同じ。
───そう。ここはまるで、天国みたいだ……。
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