BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
34
柔らかな太陽の陽射しが心地良くて、何となく瞳を瞑った。
このまま眠ってしまいたい気分に襲われる。
こんな風に、一晩中徹夜で起きていた事など一度もない。
普段は大抵、遅くても23時には床に就き、7時頃には目を覚ます。それから7時半に家族全員で食卓に着き朝食を囲む。
それが、雪村佳苗(女子20番)にとってのいつもの朝だった。
家族でいる時間を大事にする。
それは佳苗の父親が決めた、雪村家における唯一のルールのようなものだった。
物心ついた時から、そうしていたからか、その事について不満を覚えた事もない。
朝食を食べない子供が増えていると聞くが、佳苗にとっては信じられない事だった。友人の家に泊まりに行った時などは別だが、それ以外では必ず家族で朝食を囲んできたからだ。
そして、それは、いつか自分に好きな人が出来て、結婚して、家を出るまで変わらない。
ずっと、そう信じていた。
それが自分にとって当たり前の生活なのだから。
修学旅行が終わって家に帰ったら、またいつもの生活に戻る。また、いつもの朝を迎えるのだと。そう信じて疑わなかった。
「お母さん……お父さん……」
いつの間にか涙を流していた事に、ようやく気付いた。
両親の事を考えたのは、これで何度目だろう。
その度に泣いている気がする。
あまり泣かない子供だった。幼かった頃の自分について、両親はそう言っていた。
15歳になった今の自分も、それは変わらない。
例えば恋愛映画を見て感動して涙を流す事はある。だが、本当に辛い時や悲しい時に泣く事が出来ない。佳苗はそういう人間だった。
正確には、自分が泣いてしまった後の事を考えてしまうのだ。
自分が泣いていたら、両親や友達を心配させてしまうかもしれない。それを考えると泣けなかった。
そうやって自分の中に様々な想いを溜め込んでいく。一つ、また一つと。
一体、自分は幾つの涙を溜め込んできたのだろう。
その全てが今この瞬間、流されていくような気がした。
”ごめんなさい。ごめんなさい、お父さん。ごめんなさい、お母さん……”
どうすれば良いのか。いくら考えても答えは一つしか出ては来なかった。
あの放送を聞いてしまったから。
それまでは、とにかく仲の良い友達と合流する事だけを考えていた。
純や冴子と一緒ならば何とかなるだろうと。
自分には何も出来ないけれど、頼りになる友人がいる。
その事実だけが自分に生きる意志を与えていたのだ。
”でも、何とかなんてならないんだ……”
先程の放送で痛いほどの現実を突きつけられた。
あの温厚で優しい笑顔を見せていた武史と、不良グループにいた文広は死んでしまったのだ。
今、自分がいるこの島のどこかで。
今度は自分の番かもしれない。
次は生き延びても、その次かもしれない。もしくは更にその後か。
どの道、いつかは結局殺されてしまう運命なのだ。
自分自身が誰かを殺そうと思えない限り。
殺し合いに乗れば生き残る道はある。だが、自分のような弱い人間が生き残れる可能性は万に一つもないだろう。
そんな自分が選び取れる道など一つしかないではないか。
誰かに殺されるくらいなら。
”私は私の手で───”
ふと、膝を抱えてうずくまっていた自分の視線の先に、影が生まれている事に気が付いた。
ゆっくりと顔を上げる。
「赤坂さん……」
まるでひとり言を言うように、影の主の名を呟いた。
赤坂有紀は特に何を言う事もなく、静かに自分を見下ろしている。
瞳が合っても、お互い何も言わなかった。
有紀の事は全く知らない。静かな人だという表面的な印象があるだけだ。
そういえば休み時間などに、よく本を読んでいたような記憶がある。
「あ、えっと、赤坂さんって本好きだったよね?」
自分でも何を言っているのかよく分からなかった。
とてもじゃないが、この状況に置いて意味のある話だとは思えない。
それでも、プログラムが始まってから初めて出会った人物と話をしてみたいと思った。
しばらく待ったが有紀からの返答はない。
「あ、ごめん。こんな時に変な事、聞いちゃって……」
「暇だったから読んでただけよ。別に好きなわけじゃないわ」
「あ、そうなんだ……」
答えてはくれたが、やはり佳苗の話に興味は無さそうだった。
それから、しばらく沈黙が走ったが、ややして有紀の方から口を開いた。
「そこに座って何をしていたの?」
「あ、うん。何か、疲れちゃって……。どうしていいか分からないし、もう……」
そこまで言って言葉に詰まった。
自分で考えた結論とはいえ、口にする事には抵抗を感じる。
「もう、何?」
有紀が問い掛けてくる。
「もう……いいかなって……」
自分以外の者には、意味の分からない答えだったかもしれない。
「そう。自殺しようと思ったのね」
「え?」
その言葉に驚いて、佳苗は思わず有紀を凝視した。
確かにその通りだった。
自殺。それが佳苗が考え出した結論である。
それにしても、どうして分かったのだろう。不思議で仕方がない。ふと、もしかしたら、と思った。
「赤坂さんも……同じなの?」
それなら納得が出来る。有紀も自殺を考えていたのならば。
同じ考えを持つ自分の気持ちが分かったとしてもおかしくはない。そう思ったのだが。
「私は死ぬ気なんてないわ」
きっぱりと有紀が言い切る。
ますます訳が分からなくなった。
「じゃあ、どうして? 何で、私が死のうとしてるって分かったの?」
「さあ。私にも分からないわ」
特に表情も変えないまま、有紀が言う。
無表情というわけでもない。ただ寂しそうな顔をしている。
「何故、死のうと思うの?」
「それは……だって、私なんかが生き残れるわけないから……」
最後の方は、自分でも聞き取れないほどの小さな声で呟いた。
「諦めたのね」
ひとり言のように有紀が呟く。
どういう意味なのかが掴めずに、佳苗は有紀に瞳で問い掛けた。
「私には理解出来ないわね。けど、あなたを否定する気もないわ」
組んだ腕の右手を口元に持っていきながら、有紀が告げる。
何を諦めたのか、という問い掛けに対する答えはない。
「それで自殺するの?」
ふと、有紀の視線が自分のすぐ横の地面に移動している事に気が付いた。
そこにある物。それは佳苗に支給された武器だった。映画などで見かける剣のような物だ。
デイパックに一緒に納められていた説明書によると、正式名称はシャムシールというらしい。いわゆる刀剣というやつだ。その刀身は湾曲していて青い光を放っている。
確かにこれで自分の胸を一突きすれば死ねるだろうが。
佳苗は首を振った。
実際、どのような方法で死のうかなど考えてもみなかった。
ただ漠然と自殺しようと考えていただけだ。
「わ、私にも、どうしていいのか……」
分からない。
どうせ死ぬのなら痛みを感じない方法で死にたいとは思うが。
「向こうに崖があったわ」
後ろを振り返りながら有紀が告げる。
崖があった事は知っていた。
休憩を取りながらではあったが、学校を出てから、ずっと島の中を歩き回っていたのだ。その際に、崖のある場所も通っている。
それもこれも仲の良い友人達に会いたかったからだが。
午前6時の放送で二人の死者が告げられてからは、この場から動いていない。
友達に会えたところで、最終的には死んでしまうのだ。だとしたら、会わない方が良いと思っていた。
それに、仮に出会えたとしても、クラスメイトが死んでいく中で、最後まで友達の事を信じていられるだろうか。少なくとも、自分はそこまで強い人間ではないような気がする。
「どうするの?」
先程までと同じように、腕を組んだ体勢のまま有紀が口を開いた。
「怖い……」
自分が死んでしまうという事はもちろんだが、それよりも死に至る経緯を考えるのが怖かった。
どんな方法を取ったとしても結果は死なのだ。
自分による自分自身の殺害。
「何が怖いの?」
「私は自分を殺そうとしてる……。これは殺人になるの?」
少しだけ有紀が瞳を細めた。
「変わった考えだけど、そうね。あなたは死にたいと思ってるんだから違うんじゃないかしら」
「違うって?」
「死にたい人間を殺してあげるのなら、それは殺人にはならない。私はそう思うわ」
そこまで言って、有紀はため息を吐いた。
「それで、あなたはどうしたいの? 本当に死ぬ気があるようには見えないけど?」
訊かれたが、何と答えるべきなのか分からなかった。
死に向かう道への恐怖と不安。
それを考えると、どうしても後一歩が踏み出せない。
しばらく沈黙が走り、それから有紀が抑えたような声で告げた。
「手首でも切れば痛みもなく死ねるんじゃない?」
それを聞いて、俯いていた佳苗も顔を上げる。
「まあ、別にいいけどね。ところで、ここに来るまでに誰かに会った?」
小さく首を振る事で、その問い掛けに答える。
「そう」と小さく俯きがちに告げ、有紀は続けた。
「それじゃあ、私は行くわ。さよなら、雪村さん」
表情を変えずに言うと、有紀は踵を返して歩き出す。
その背中を佳苗はしばらく見つめていたのだが、ややして立ち上がった。
「待って!」
歩いていた有紀が立ち止まり振り向く。それから、少し驚いたような表情を見せた。
その視線の先にある物。それは紛れもなく、今自分が右手に持っている物だろう。
再び、二人の間に沈黙が流れる。
やがて震える声で佳苗は告げた。
「わ、私……最期の瞬間には、誰かに傍にいて欲しい……」
ゆっくりとした口調で言い終えると、手に持ったシャムシールの切先を左手首に当てた。
唾を飲み込んだ。
瞳を瞑る。歯を喰いしばった。
”皆、ごめん。お母さん、お父さん、今までありがとう。ごめんなさい……”
仲の良い友達。父と母。
これまでの人生で自分に関わった様々な人が脳裏に浮かんだ。
知らずに涙が溢れていた。その瞳で目の前にいる有紀を見つめる。
視線がぶつかる。
佳苗は小さく微笑した。
そうして、もう一度瞳を瞑ると、力を込めてシャムシールを真横に引いた。
そのまま、その場に崩れ落ちるようにしゃがみ込む。
自分の手首から、血が流れ落ちていくのが分かった。
「謝るわ。口だけだと思ってた……」
いつの間にか、有紀が傍に来ていた。
「あ、赤坂さん、は……誰か、す、好きな人、とか、いる?」
涙に邪魔をされて上手く喋れなかったが何とか言えた。
少し間を置いてから、有紀が首を振って、それに答える。
「そ、そうなんだ。私、西村君が好き、だった、の……」
一年の頃から、ずっと憧れていた。理想の男性と聞かれれば、一も二もなく涼と答えられる。
初めて話したのは、入学してから一月後にあった球技大会の時だ。
男女混合のバレーボールだった。
あまり運動神経の良くない佳苗にとっては楽しくもない行事だったのだが。
案の定、何の活躍も出来ないまま転んで怪我をした佳苗に、たまたま同じチームだった涼が優しくしてくれた。
そんな小さなきっかけ。
涼にとっては小さいかもしれない。けれども、佳苗にとってはとても大きな出来事だった。
「もし西村君に会ったら伝えておくわ」
「あり、がと……」
有紀の言葉が嬉しかった。
今まで話した事なんて、ほとんどなかったけれど、とても優しい人なのかもしれない。赤坂有紀という人は。
「さ、さっき……な、にを諦めたって……」
意識が薄れてきているのが分かる。それでも何とか声を出した。
「生きる事を、よ。でも、あなたは最期の瞬間まで自分でいられた。生に執着する事と、自分に執着する事。どちらが正しいのかは分からないわ。ただ、私はあなたの事を尊敬するわ」
生きる事を諦めた。そうなのかもしれない。だが、最期まで自分は自分でいられた。
それが正しかったのかは分からないけれども。
もう一度、ありがとうと伝えたかった。だが、声が出ない。
仕方なしに右手を差し出す。
それから、瞳を瞑った。
右手が何か暖かいものに包まれた。
全身が浮遊しているような気分だ。
自分は今、一人じゃない。とても穏やかな気分だった。
右手に優しい体温を感じる。
意識が闇に落ちていく瞬間まで、その暖かさが消える事はなかった。
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