BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
36
「早くしろよ、馬鹿」
「うっせーな!」
言った瞬間に、右拳が鳩尾に突き刺さり、若菜は呻いた。
「い、いってーな! それが可愛い娘に対する───」
「うるせえ! 黙って着替えろ、猿!」
吐き捨てるように告げ、部屋を出て行こうとした菜摘だったが、扉の前で急に振り返り口を開いた。
「五秒で着替えろよ!」
そう言い残すと、今度こそ若菜の部屋を出て行った。
「さ、猿……」
全く、この扱いは何なのだ。可愛い一人娘に、右ストレートを喰らわす母親など許されていいのだろうか。
甚だ疑問だったが、とりあえず若菜も着替える事にした。
実際、今日は大事な日なのである。
最近、お気に入りのドイツ軍のアーミージャケットではなく、クローゼットの中にある服の中で、唯一ハンガーにかけられてある喪服を手に取った。他の服は全て無造作に放り投げられているだけだ。
本当は制服でも良いのだが、あえて喪服にした。制服姿は入学式の日に見せに行っている。
手早く着替えを終えると、鏡を手に取り、自分の顔を見つめた。
「うし。今日も可愛いぜ、あたし!」
気合を入れるように言って、部屋を出る。
リビングで煙草を吸っていた菜摘が立ち上がった。
「待たせたな。行こうぜ!」
「何だ、その舐めた髪は?」
言われて気付いたのだが、そういえば鏡を見た時も髪型までは気にしていなかった。
促がされるまま鏡の中の自分の髪に視線を向ける。
「やっべ……」
想像以上の乱れように思わず目を疑うくらいに酷い。
「座れ」
呆れたような口振りで菜摘が告げる。
言われるままに自分の椅子に座ると、菜摘が後ろに回って若菜の髪に触れた。どうやら菜摘自らセットするつもりのようだ。
「あんたのそういうとこ、あいつに良く似てる」
ひとり言のように菜摘が呟く。
「とーちゃん?」
「ああ……」
頷いたが、菜摘はそれ以上何も言おうとはしなかった。
命日だから感傷的になっているのかもしれない。それは自分も同じだった。
理想の男性像である父がいなくなってから、実にもう七年が経つ。
正直なところ若菜は父親の事を、あまり覚えてはいない。それでも、父は理想の男だった。
何せ、誰よりも格好良い自分の母親が選んだ男なのだから。
「出来たぜ」
言葉と同時に目の前に鏡が突き出される。
何故かポニーテールにされていて、何だか自分のような気がしない。
「たまには悪くねえだろ? あいつも喜ぶぜ」
「かな?」
「ああ、保証するぜ。あたしが言うんだから間違いない」
煙草に火を点けると、菜摘が笑った。
中学に入学してから初めての命日だった。
ここに来るのは入学式の日以来だから、四ヵ月ぶりという事になる。
たくさん話したい事があったが、まずは菜摘からだろう。
若菜の父が眠る墓は、都内の大きな墓地にある。
かなり大規模な墓地という事もあり、そこには多くの人間が眠っているらしく、来る度に他の遺族の人達を見かけた。言い方は良くないが、賑わっていると言えるかもしれない。
駅前にある花屋は、ここ数年で改装し店内が広くなった。他にも入学式の時に来た時には無かったような店も出来ている。
それでも、ここだけは変わらない。流れていく時間の中で、唯一止まっている場所。
ふと、誰かの叫び声が聞こえた。
いきなり飛び込んできた声に、若菜も菜摘も足を止めて振り返る。
見ると、三十年配の女が墓前の前で泣き叫んでいた。
他の遺族の人達もなすすべなく、その様を見つめているだけだ。
「行くぞ」
そう言うと、菜摘は黙って歩き出す。
若菜も後に続こうとして足を止めた。
先程の遺族達から少し離れた所に、男女の二人連れがいる。
その女の方と目が合ったのだ。
白いワンピースを着た女は、まるで女優か何かのように綺麗だった。だが、そんな事よりも気になった事がある。
その女性と連れ立っている若い男に見覚えがあったのだ。
”あれ? あいつ……”
*
「な、何だ?! 何かあったのか、おい!」
いきなり室内に入ってきた義人に、ぼんやりと目を向けた。
「あれ? 天野?」
「おい! 何だったんだ、今のは?」
何を慌てているのか、義人が室内を見回している。
若菜もつられる様に周囲を見渡した。
「何してんの?」
「何って、お前が何か叫んだから……。ま、まさか!」
そこまで言って、義人は若菜が寝ていたソファの近くまで歩み寄ってきた。
寝起きだったせいか焦点の合わない目で、義人を見つめる。
「ね、寝言……か?」
「何が?」
若菜が言うと、その場にしゃがみ込んで義人が頭を抱えた。
「大丈夫か、天野?」
「い、一応……」
支給された腕時計を見ると、丁度10時になろうというところだった。
義人と交代して、若菜が眠りについた時間が7時半頃だったので、大体2時間半寝たという事だろう。
「もう10時か。そういや何か変わった事とかあった?」
「今、あったが、もういい。それより、お前はもういいのか?」
「ああ、うん」
頷いて、若菜はソファから立ち上がった。
一度、軽く頭を振って、あくびをしながら伸びをしてみる。
「天気よさそーだな」
窓から射し込む太陽の光に若菜は目を細めた。
夜中に予想した天気予報は、どうやら当たっていたようだ。
「まあな。夜中とは違って暑くなりそうだ」
完全に陽が昇ったら、相当な暑さになるかもしれない。
今の時点で、もう既に夜中の寒さが嘘のようだった。
「そんな事より、もう行けるか?」
「おう! 絶好調だぜ!」
親指を立てた右手を、義人の前に突き出してみせる。
義人が苦笑しながら告げた。
「じゃあ、早いとこ行くか。一秒でも時間が惜しいからな」
そう言って、義人が背中を向ける。
デイパックを背負いながら、若菜はもう一度、窓の外を見つめた。
これ以上、誰にも死んで欲しくはない。死なせはしない。
改めて誓うと、若菜は義人の背中を追った。
不動産屋を後にした二人だったが、向かう先は特に決まっていない。
地図を眺めながら人がいそうな場所を片っ端から当たってみる以外、他の者を探す方法はなかった。
17時にはE−5にあるというログハウスで裕太と合流する。
それまでに何とか、他のやる気でない者も仲間にしたいところだ。と思ってはいたのだが。
「や、やっぱ寝起きにいきなり動くもんじゃねえな……」
思わず、泣き言が漏れた。
「絶好調って言葉を聞いた覚えがあるんだがな」
「デリケートなんだよ、あたしは……」
起きてから十分もしない内に動いた為か、何故か異様に疲れている。
まだ頭が覚醒していないのかもしれない。
「大丈夫なんだろうな、おい?」
「ぶっちゃけダメかも……。ちょっと休憩……」
そう言うと、若菜はその場で腰を下ろした。
今いる場所は、田んぼと小さな民家が点在している場所と、深い森の境界線である。
若菜達が休んだ不動産屋から、北東に歩いた場所だ。目の前には最早見慣れた森が広がっている。位置的に、午前11時をもって禁止エリアとなるD−4と被っている可能性がある為、この森の中に入らねばならないのだが。
意外と森の中に隠れている者の方が多いのではないか。そう言ったのは義人の方だった。
二人が今まで通ったエリアに限って言えば、建物の数などたかが知れている。他のエリアは分からないが、そこまで極端な違いはないだろう。そう考えると、屋内にいる事のリスクの方が大きいのではないか。
殺し合いに乗っている者が、建物を見つけたとして、その場所をスルーして通り過ぎるとは思えない。それならば深い森の中にでもいた方が、余程安全なのではないか。それが義人の意見だった。
そんな理由から若菜達は森などを重点的に周ってみる事にしたのだが。
「お……お前、もう全部飲んだのか?」
その義人の言葉にうなずきながら、たった今飲み終わり空になったペットボトルを森の奥に放り投げた。
「もう少し大切に飲め。水がなくなったら終わりだぞ」
「えー? 平気っしょ? 何とかなるって! 前向きに行こうぜ!」
隣に座る義人の肩に手を置きながら、若菜は笑ってみせる。
それに対して義人が苦笑しながら言った。
「元気になったじゃないか」
「あ、そういや。エネルギー補給して完全復活したかも!」
水を一気飲みした事で体力が戻って来たようだった。
今ならフルマラソンも完走出来そうな気がする。もっとも、気がするだけだが。
「んじゃ、行っときますか!」
そう言って、立ち上がり伸びをした。そのまま両腕を思い切り振り下ろし、脇の下でガッツポーズを決める。
「うーっし、充電完了! 若菜様復活!」
「様……」
何故か項垂れている義人を先導するように若菜は歩き始めた。
「どこ行く気だ、お前は?」
「さあ? まあ、どこまででも行ったらー!」
スカートのポケットに両手を突っ込みながら答えた。
どこまででも行く。そうして必ず仲間を見つける。仲の良い友達も、あまり親しくない者も、皆を探して脱出する。
それが自分が選んだ道だから。
そして、共にその道を行く仲間が今、自分の傍にいる。
「どこまでも、か。そうだな……」
「え? 何?」
義人が何か言った気がして、若菜は振り返る。
「いや」とだけ言うと、義人が前に躍り出た。
「とりあえず、このエリアを重点的に探すぞ」
言うと、義人が森の中に足を踏み入れた。
後を追うように若菜も続く。
夜中とは違って、太陽の陽が射し込んでいる為、多少暖かく感じる。
また風がない為か、夜通し聞こえた木々のざわめきは消え失せ、今は鳥の囀りが聞こえていた。
「同じ森でも、夜とは全然違うんだな……」
「場所が違うじゃん?」
「そういう意味じゃないさ」
少し義人が笑ったようだった。いつもの苦笑ではなく笑っている。
それが何となく嬉しくて、若菜も笑みを返そうとして気付いた。
「あ……」と呟きが口から漏れる。
視線の先。誰かが歩いて来ている。
「どうした?」
声を落とした義人が後ろを振り返る。
「早速、一人目だ」
声をかけようと若菜は歩き出した。その左腕を義人に掴まれ引き戻される。
「油断はするな」
また義人が前に出て、警戒しながら歩き出す。
後ろ手に抑えられる様な形になっているので、若菜は義人の後ろを行くしかなかった。
「あいつは……」
義人が呟く。
すぐにそれが誰であるか分かった。
向こうが足を止めたようだ。こちらを見つめている。
「微妙なところだな。どう思う?」
「もっちろん」
そこまで言って、若菜は前へ躍り出る。
「よう、赤坂! 無事みたいだな!」
「あなた達もね」
幾つかの木々を挟み、若菜と有紀は見つめ合った。
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