BATTLE ROYALE
〜 LAY DOWN 〜


37


 あまり感情を映さない瞳が、夕子に似ていると思った。
 そこに夕子が見せるような優しい笑顔はなかったけれど。
 森の中にいる有紀へと一歩踏み出した。
 そんな自分を追うように義人も前へと進み出る。
「心配するな。俺達は殺し合いなんてするつもりはない」
 若菜が言葉を発するより前に義人が告げる。
 同時に若菜よりも前に身を進めた。
「賛同してくれる奴を集めて、この島から逃げようと思ってる」
 森の中にいる有紀は答えなかった。ただ不思議そうな表情を浮かべて、こちらを見つめている。
「赤坂?」
 義人がさらに前へと踏み出す。
 お互いの間の距離は、数メートルというところだ。
「聞いてんのかよ、お前?」
 全く反応がない事に苛立ちを覚えた。いや、苛立ちというより予感といえるかもしれない。
 汗が背中を伝ったような気がする。
 短い沈黙があり、ややして有紀が一歩前に進み出た。
「無理。方法がないでしょう?」
 表情を変えずに、そう告げた。
 その視線の先には義人がいる。
「今のところな。だから、探すんだ」
「そう。無駄な事だと思うけど?」
 初めて有紀が笑みを見せた。
 ゆっくりと抑えた声で、義人が告げる。
「やる気、というわけか?」
 若菜は思わず息を呑んだ。
 弾かれたように義人に目を向ける。
 義人はそれ以上、何も言わない。真っ直ぐ、視線を有紀に向けている。
 再び視線を戻した時、もう一度有紀が笑った。
「自分達に賛同しなければ、その人間は敵になる。それじゃまるで子供よ、天野君」
「おちょくってんのか、てめえ?」
 小馬鹿にするような口調が許せず、若菜は有紀を睨み付けた。
 義人は黙ったままだ。
 再び、沈黙が場を支配する。
 その間、若菜はずっと有紀を睨み続けていた。
 どれくらいの時間が流れたのか。
「今まで、ずっと一人でいたのか?」
 沈黙を破ったのは義人である。
 その言葉に有紀は少し考えるような表情を見せ、ややして後方に視線を向けた。
「雪村さんと中野さん。それに神田君にも会ったわ」
「夕子に会ったのか?!」
 思わず、有紀の目の前へと乗り出していた。
「どこで?! どこであいつに会った?!」
「この近くよ。C−5の辺り。もう行っちゃったけどね」
「C−5だな! 分かった!」
 言うが早いか地面を蹴って走り出そうとしたのだが、突然左腕を引っ張られその場で立ち止まらざるを得なくなった。
「何すんだよ?!」
 視線の先には、若菜の左腕を掴む義人の姿がある。
「もう遅い。今から行っても、どの道追いつけん」
「うっ。そりゃそうかもしんないけど……」
「とにかく、今から行っても仕方ない。諦めろ。ところで……」
 義人が自分から有紀へと視線を移す。
「神田に会ったと言ったな?」
「ええ」
 有紀は相変わらずの無表情である。
「あいつを殺した奴をお前は知ってるのか? まさかとは思うが……」
「私じゃあないわ」
 きっぱりと言い切り、更に有紀が言葉を繋げる。
「会ったって言っても、彼が一方的に何か言って、その後、私が質問を一つしただけよ」
「質問?」
 義人が眉を持ち上げるのが分かった。
「ええ。今までに誰かに会ったかどうかってね。丁度いいわ。あなた達は? 今まで誰かに会った?」
「答える義理はないな」
 その言葉の何がおかしかったのか、突然有紀が口元を押さえて笑い出した。
「何がおかしい?」
「まるで犯人扱いじゃない? 天野君、私が神田君を殺したと思ってるでしょう?」
「そういうわけじゃない。ただ、お前は信用するに値しない女だと思ってるだけだ」
 義人が言い終わると同時に、有紀も笑うのを止めたようだった。
「正しい判断だわ。雪村さんには悪いけど……」
 自らの後方を振り返りながら有紀が呟く。
「雪村? あいつとは一緒にいたのか?」
 視線を追うように、義人が有紀の後方に目を向ける。
「少しだけね。素敵だったわ、彼女は」
 出発した時の佳苗の様子が頭に浮かんだ。
 当然と言えば当然かもしれないが、ひどく怯えているようだった。
 その様子を、すぐ近くの茂みの中で、葵と一緒に見ていたのだ。
 彼女の友人でありグループのリーダーの一人である冴子は、その時すでに裕太と共に行ってしまっていた。その事もあってか、自分達が見た限りでは、佳苗は他の友達を待たずに行ってしまったようだったが。
「……素敵、だった?」
 義人が抑えた声で、有紀の言葉を反芻した。
 緊張した顔付きで、義人は有紀を見つめている。
「天野?」
「お前……まさか……」
 義人が唾を飲み込むのが分かった。だが、それ以上言葉は発せられない。
 それを引き継ぐように有紀が口を開いた。
「自殺よ」
 表情も変えずに有紀が告げる。
 何を言っているのか分からなかった。頭が混乱する。
「自殺……だと?」
 義人の声色は抑えられていたが、緊張しているのは分かる。
「ええ。死にたがってたわ」
「止めなかった、のか?」
「どうして?」
 有紀の言葉を認識した瞬間、若菜は走り出していた。
 背中越しに義人の声が聞こえた気がしたが、足は止まらない。
 距離が縮まる。目の前に有紀の姿がある。握った右拳で、有紀の顔を思い切り殴りつけようとした。だが、有紀は少し後退して、それをやり過ごす。右拳が空を切り、若菜はバランスを崩して、その場でよろける。その時、右目の端が何か光る物を捉えた。刃物だ。思った瞬間、バランスを崩した体勢のまま後ろに飛び退いた。背中から地面に激突する。起き上がろうと、すぐに身を起こした。同時に目の前の地面に、光る刃が突き刺さる。驚いて、上げかけた腰を再び地面に落とした。
 目の前に立つ有紀と視線がぶつかる。
 有紀が地面から刀剣の刃先を引き抜いた。
「……ざけんじゃねえぞ、てめえ」
「いきなり襲ってきたのは、あなたよ」
 相変わらずの無表情のまま有紀が告げる。
 それが、また若菜の怒りを増幅させた。右手を握り締める。
「何で───」
「雪村を止めなかった?」
 自分が言おうとした言葉を先に言われて、驚いた若菜は視線を動かした。
 いつの間にか、義人が傍に立っている。
「返答次第じゃ、お前をこのまま見過ごすわけにはいかない」
 義人が告げたのと同時に、若菜も起き上がった。そのまま有紀を睨み付ける。
 有紀が一度小さくため息を吐く。それから告げた。
「彼女は死にたがってた。だから、死なせてあげた。理由なんかないわ」
「ふざけるなよ、貴様。死にたがってたから死なせただと? お前は人の命を何だと思ってるんだ!?」
 声を荒げたのは義人である。
「天野……」
 驚いて目を向けると、義人の両の拳が震えている事に若菜は気付いた。
「死にたい人間を無理に生かす事に意味はないわ。彼女の死は必然。私や中野さんと会わなくても、いずれ死んでいたわ」
「え?」
 ここで夕子の名が出た事に一瞬、疑問を覚えたが、すぐに義人の言葉にかき消された。
「だが、お前が止めれば、雪村も考えを改めたかもしれない」
「だから、私が悪い。そう言いたいのね?」
 光る刃の切っ先が義人へと向けられる。
「そうだ」
 自分に向けられた刃に臆する事もなく、義人が頷いた。
「そう。でも、それはあくまであなたの考えよ。私には私の、彼女には彼女の考えがあるわ。誰かの考えを否定する権利は、別の誰かにはないのよ」
 有紀が一度俯き、地面を見据えたまま続けた。
「そして、今の私の考えは」
 その言葉に続きはなかった。
 有紀が刀剣を前へ押し出す。その先にいるのは義人だ。
 間一髪というところで、義人が後退して刃先から逃れる。
「やはり、やる気のようだな」
 小さく舌打ちして、義人が告げた。
「障害になる場合だけよ。無差別に殺すような悪趣味はないわ」
「どっちでも同じだ」
 吐き捨てるように言うと、ほんの少しだけ姿勢を低くした。
「殺しはしない。が、俺達が脱出するまで大人しくしててもらう」
 言い様、義人が地面を蹴った。
 そのブレザーの襟首を若菜が引っ張る。
 勢いよく飛び出そうとした為、首が絞まったのか奇妙な呻きを上げて義人は立ち止まった。すぐにこちらに顔を向ける。
「何してくれるんだ、お前はーー!?」
 涙目の義人が叫ぶ。
「わっ! ごめん!」
 左手を顔の前に立てて、謝罪の意を示す。それから続けた。
「いや、ここはやっぱ女同士でやり合うべきだと思って……」
 その言葉に義人が明らかに驚いた表情をして、それから告げた。
「……ば、馬鹿か、お前は?! 遊びじゃないんだぞ!」
「わーってるって! けど、女対男じゃ不公平だろ?」
 それは間違いない。男の方が腕力は上なのだから。もっとも、自分はそんな事を気にした事もなかったけれど。
「お前って奴は、どこまで───」
「格好いいんだ、だろ?」
 そう言って、義人の胸を叩く。
 義人が驚きの表情を見せ、それからため息を吐いた。
「女の戦い見せてやるぜ、天野っち」
「何が格好いい、だ。ただの馬鹿だ、お前は」
 義人は鼻を鳴らしてそう言うと、すぐに真顔になって告げた。
「危なくなったら、お前が何と言おうと加勢する。それが条件だ」
「オーケー。応援よろしく、天野っち」
 笑顔でそう言うと、有紀へと視線を向けた。
「お前も、それでいいよな?」
「本当に格好いいわ、あなた。惚れちゃいそうなほどに」
 驚きの表情を見せたまま有紀が告げる。
「美人だからな、あたしは」 
「そうね。だから、残念だわ。ここで死んでしまうなんて」
 そう言い終るや否や、有紀が前へと進み出る。同時に刀剣を振りかざす。
 その刃が自分に迫るのを見ながら、若菜が叫ぶ。
「上等! あたしは絶対死なねえ!」
 言いながら、バックステップして後ろへと飛んだ。着地と同時に地面に転がっていた小石を拾い上げ、有紀に向かって投げつける。当たったかどうかは分からない。気付いた時には、有紀が近くまで迫って来ていた。再び、右手に握った刀剣を振り上げる。その時、有紀の右脇腹の辺りががら空きになった。そこに間髪入れずに体当たりをかました。背中から有紀が倒れこむ。手から刀剣が零れ落ちる。勢いで有紀の上に覆い被さるようにして若菜も突っ伏した。その体がすぐに地面に転がされる。先に身を起こしたのは有紀だった。その有紀の視線の先。手から離れた刀剣が地面に転がっている。有紀が手を伸ばす。若菜が起き上がる。刀剣を手に入れさせまいと、有紀の腹に両手を回した。狙いはバックドロップだ。だが、有紀の両足が地面から離れた瞬間に腰が折れて、その場に崩れ落ちた。次の瞬間、左腕に鋭い痛みが走った。左腕に何か細い刃物が刺さっている。思った時には、有紀が立ち上がっていた。刀剣を拾い上げる。こちらを振り向く。若菜は地面に腰を落としたままだ。有紀が刀剣を振り上げるのが見えた。ほぼ反射的に目を瞑る。
「私の勝ちね」
 死を予感した若菜の耳に、有紀の声が聞こえた。
 閉じていた目を、ゆっくりと開ける。
 刀剣が握られている有紀の右手。青い光を放って空に向けられている切っ先。
「ああ、お前の勝ちだ。文句は言わせないぞ、山口」
 言ったのは義人だ。
 いつの間にか有紀の背後に来ていて、その右手首を握っている。
「そろそろ離してくれる?」
 その言葉に従うように、義人が有紀の右手首から手を離した。
「まだ続ける気なら俺も相手になる」
 義人が有紀を睨み付けながら言った。その左手にはカッターが握られている。
「遠慮しておくわ。続きは二人っきりの時にしたいから」
 有紀は微かな微笑をこちらに向けている。
「お前のような危険人物を、このまま行かすとでも思うのか?」
「あなたに私が殺せるの?」
 義人は答えない。ただ有紀を睨み付けているだけだ。
 その視線を受け止めながら、有紀は表情を無くして告げた。
「あなたは禁忌は犯さない。犯せない」
「知った風な言い方だな」
 義人が言うと、有紀が再び笑みを見せた。
「何となく、そう思っただけよ」
 笑みを浮かべたまま言うと、若菜の方へと向き直った。
「山口さん」
 地面に座っている若菜を見下ろすような格好だ。
「また、ね」
 言い終わった時には、こちらに向けて駆け出していた。
 義人が何か言って地面を蹴る。
 行く手を遮ろうと若菜も何とか起き上がる。
 有紀と自分との間の距離が縮まる。一気に距離が砕かれる。その距離がゼロになった瞬間。
 目が合った。
 射抜くように光る有紀の瞳。
「あ、赤坂!」
 若菜が振り返る。
 その視界に映ったものは、走り去って行く有紀と、それを追う義人の背中だった。
「あ、いって……」
 二人の後ろ姿を見つめていた若菜だったが、左腕に鈍い痛みを感じて顔を顰めた。
 先程、刃物で有紀に刺された箇所。
 ふと地面を見下ろすと、一本の彫刻刀が転がっていた。
 これで刺されたのだろう。
「負けちまったのか、あたし……」
 改めて、敗北感を感じた。
 殺し合いという現実を考えれば、今こうして生きている事が奇跡なのかもしれない。
 義人がいなければ死んでいた。
「山口」
 名を呼ばれて顔を上げた。
 義人がこちらに歩いてくる。
 どうやら有紀を捕まえる事は出来なかったようだ。
「赤坂は?」
「逃げられた。傷は平気か?」
 赤く染まった左腕に目を向けてくる。   
「うん、まあ」
「そうか。まあ、包帯だけは巻いておけ」
 そう言うと、デイパックを地面に下ろした。
 包帯は薬局から持ち出してきている。
 もう一度、有紀が走り去った方角に目を向けた。
 ───また、ね。
 有紀の言葉が頭の中でリフレインする。
 それに応えるかのように若菜は小さく呟いた。
「また、な……」

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