BATTLE ROYALE
〜 LAY DOWN 〜


46


 ここに辿り着いてから何度目の銃声だったろうか。
 それすらも分からない。
 あの教室で初めて耳にした時のような衝撃は既にない。それでも、自分の鼓動が早くなるのを感じた。
「下からだ!」
 声を上げるなり、義人が階段に向かって走り出す。
 階下から聞こえた銃声。
 今度は下で戦っているのか。
 若菜の脳裏を過ぎるのは関口の顔。無事でいてくれればいいが。
 まともな武器を何一つ持たない自分達を逃がし、省吾と銃撃戦を展開した関口。銃声が止んだのを見計らって、元の場所に戻って来た若菜と義人だったが、関口の姿も省吾の姿も消えていた。
 どこへ行ったのかと思っていたが、どうやら戦場を下の階に移したようだ。
 銃撃戦をしている以上、自分達では何の役にも立てそうにないが。
 それでも体が勝手に動いた。
 行っても意味がない。どころか足手まといになってしまうかもしれない。分かっていても止まれなかった。
 本能が体を突き動かす。まるで野生の獣のように。
「クソッ! どこだ!?」
 二階へと降りた所で、義人が辺りを見回し始める。
 銃声の主はどこにいるのか。
 一通り周囲を見回し、誰の姿も確認出来ない事を認めると、義人は廊下を駆け出していく。
 ”木内……”
 絵里の事が頭に浮かんだ。
 本当に殺されてしまったのだろうか。事実がどうであれ、襲撃を受けた事だけは間違いないだろう。
 早く、今すぐにでも省吾の凶行を止めねばならない。
 義人の背中を追い抜く勢いで若菜がスピードを上げようとした時、再び銃声が響いた。
 瞬間、その場で二人とも立ち止まる。
 視線がぶつかる。
 銃声が聞こえた方向は逆側。つまり、自分達が降りてきた階段の方だ。
 先に駆け出したのは若菜の方だった。
 背後から床を蹴る音が聞こえる。義人の存在をそこに感じる。
 視界の端に、ほんの一瞬窓の外の景色が映った。
 真夏のように青い空が見えた気がする。その直後だった。
 若菜の目の前。階段へと続く曲がり角。そこへ差し掛かった瞬間。
 何かと衝突して、そのまま床に転倒してしまった。
 臀部を思い切り打ち付けてしまい、強烈な痛みが突き抜ける。
「いってぇーー!」
 叫びを上げ、その場で跳ねるように飛び起きた。
「お前……!」
 義人が声を上げる。
 痛みを堪えながら、涙目でそちらを見やる。義人の視線の先。
「お前ら……」
 目の前に彼らはいた。
「あ、天野君。山口さん……」
 小さく呟いたのは手塚唯だった。そして、その傍にいるのは。
「き、菊池!?」 
 紛れもない不良グループの一人、菊池がそこにいた。
 この病院内に、既に死んでしまった文広を除く不良グループの三人全員が揃ってしまったという事か。
「てめえ、何でこんなとこにいんだよ?!」
「何でもクソもねえだろうが。これは───」
 菊池の言葉はそこで遮られた。
 また耳慣れた音。真後ろ。
 ほぼ同時に菊池と唯が後ろを振り向く。二人の後ろ姿。それより更に向こう側に、また新たな人影があった。
「へえ。他にも、まだ敵がいたんだ。それとも四人とも初めからグルだったの?」
 ゆっくりと微かに嘲笑さえ窺えるような声。
「いいわ。何人でも……。どうせ私の味方なんて、どこにもいないんだから……」
「麻由美! お願いだから止めて!」
 震える声で唯が悲鳴を上げる。
 その先でこちらに銃口を向けているのは唯の友達だ。
「クソッ! 下がれ、手塚!」
 言うが早いか、菊池が唯の前へと躍り出る。
 どんな経緯でそうなったのかは知らないが、菊池は唯の味方のようだった。そして、友人であるはずの麻由美が唯の敵となっている。
「工藤! マジでダチを殺す気なら、俺も容赦しねえぞ!」
 菊池が叫ぶ。だが、それに対する答えは言葉ではない。
 銃声。同時に、菊池が唯を床に押し倒すのが見えた。
 次の瞬間には、若菜の視界にも床が広がっている。
 勢い良く倒された為、全身に衝撃が走った。それを無視して顔を上げる。
 目の前に義人がいた。またもや救われたらしい。そう認識した瞬間、また銃声。
 今度は自分で窓側の壁へと飛んでいた。
 背中を思い切り壁に打ち付けるのと、三発目の銃声が一緒だった。
 乱れ撃ちというやつだ。
 息を吐く暇もない。間断なく聞こえてくる銃声のせいで、周囲の様子も分からなかった。どこへ逃げれば良いのかも分からず、ただ闇雲に直感で動いているだけだ。
 更に一発、二発、と連続して銃弾が発射される。それを何とか凌ぎ切った時、一瞬だけ麻由美の姿が視界に映った。左目の端。銃を構える麻由美の姿。その銃口の先は自分ではない。認識した瞬間、体が動いていた。
 右拳に全神経を集中させる。叫んだ。麻由美が振り向く。銃口が動く。撃たれる。脳からのシグナル。生への執着が、一瞬の隙を生み出してしまう。気付いた時には銃口がこちらに向けられている。だが、自分の体を止められない。次の瞬間、目に焼きついていた銃口が視界からフェイドアウトした。銃声。同時に若菜の拳が空を切る。
 何が起こったのか分からなかった。ただ、まだ自分は生きている。そう思った。
「天野!」
 義人の名を呼ぶ低い声。
 振り返った。
 丁度、曲がり角の付近。麻由美を下敷きにする格好で義人が倒れている。
「あ、あま───」
「邪魔するなぁーーっ!」
 本人のものとも思えない叫びを上げると、義人の下敷きになっていた麻由美が暴れ始めた。
「ざけてんじゃねえぞ、てめえ!」
 声を上げ、もつれ合う二人へと菊池が歩み寄る。
「避けろ!」
 義人の声に被せるようにして、銃声が重なる。
 バックステップして菊池が壁側へと飛ぶ。
 若菜も思わず目を瞑っていた。その目を開いた時。
 形勢は逆転していた。
 ゆっくりと義人が立ち上がる。その右手には確かに麻由美の持っていた銃が握られていた。
 一瞬、空気が静まる。
 短い沈黙。それを破ったのは義人だった。
「終わりだ、工藤」
 銃口を麻由美に向かって突き付けている。その義人の表情に微かな苦渋の色が浮かぶ。
「これ以上やるなら……俺は引き金を弾く」
 床に倒れたまま荒い息を吐く麻由美の瞳は、その銃口に向けられている。
 しばらくの間があった後、小さな呟きが響いた。
「や、やめて、天野君……」
「手塚?」
 震えた声で口を開いたのは唯である。
「麻由美を殺さないで……。お願い……」
「心配しなくても殺しはしない。動けなくなってもらうだけだ」
「で、でも……」
 それ以上は言葉が浮かばないのか黙り込んでしまう。
「唯……」
 普段、教室で聞いた事のある麻由美の声。
「麻由美……」
 呟いて、唯が一歩前に踏み出す。
「本当に優しいのね、唯は。けど……もう遅いのよ」
 麻由美が静かに立ち上がる。その左手には、いつの間にか何かが握られていた。
 一瞬、場に緊張が走る。 
「私はもう……友達なんていらないから」
 麻由美の表情に薄い笑みが浮かぶ。
「てめえ……」 
 菊池が、唯と麻由美の間へと体を割り込ませる。
「手榴弾ってやつ、か?」
「し、手榴弾!?」
 菊池の言葉に、若菜も思わず声を上げてしまう。
「銃までありなんだ。手榴弾があってもおかしかねえだろ?」
 こちらには目も向けずに言う菊池の言葉に、若菜は舌打ちした。
「おい、工藤! てめえ、そんな物使って勝って嬉しいのかよ!? 正々堂々、殴り合いで───」
 ケリをつければいい。そう言おうと思ったのだが。
 急に麻由美が笑い出した。
「殴り合いなんて馬鹿のやる事よ。知能の低い猿と変わらないわ」
「ぶっ殺す!」
「待て、馬鹿」
 思い切り床を蹴った若菜だったが、その場で義人に右足を引っ掛けられ、顔から床にダイブした。
 勢いがつく前だった事が幸いしたのか、さほど痛みもなかったが。
「いてーな、コラ!」
「す、すまん。つい……」
 義人が左手で謝罪の意を示す。それから続けた。
「と、とりあえず鼻血を拭け」
「え? また?」
 驚いて自分の顔に手をやろうとした時、麻由美が動いた。
 義人の右手に握られている銃に手を伸ばす。だが、一寸早く義人が後ろに飛び退いた。
「返せ!」
 叫びながら、もう一度、義人へと迫る。だが、今度は菊池が麻由美を止めた。
 脇から手を伸ばし、両手で取り押さえる。
 暴れる麻由美には構わず声を張り上げた。
「天野! 手榴弾だ!」
 麻由美に残された最後の武器を奪い取れという事だろう。
 促されたように義人が床を蹴る。その次の瞬間だった。
 これまでに聞いた、どの銃声よりも激しい爆音が聴覚を襲い、同時に体が吹っ飛ばされ全身が壁に叩き付けられた。
 突然の衝撃に訳が分からないまま痛みを堪えて立ち上がる。
「天野!」
 叫んだが、鼓膜がおかしくなっているのか自分の声も聞こえない。
 周囲には煙が充満していて、辺りの様子が掴めない。
 ”な、何だってんだ、クソッ!”
 舌打ちした瞬間、何かが若菜の体にぶつかった。
 振り返る。
 背中まである長い黒髪。
 ”工藤だ!”思って、肩を掴もうとしたが、若菜の手は空を切ってしまう。
 走り去って行く麻由美の背中が視界に入る。
「待て、てめえ!」
 叫んだつもりだったが、自分の耳には聞こえない。本当に叫んだのか、そう思っただけなのかも分からない。
 麻由美の背中が遠くなって行く。
 無意識に体が動いていた。
 麻由美を止めなくてはならない。誰かが犠牲になってしまう前に。
 友達同士で殺し合うなんてあってはならない事だから。
 絶対に止めてみせる。
 そう誓い、音の無い世界を駆けて行く。
 床を蹴る音。自分の呼吸音。どれも聞こえない。
 その中で、ただ一つだけ聞こえる音があった。
 どこか懐かしさを感じさせる音。
 
 無音の世界で、若菜は心臓が奏でるリズムを聴いた。

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