BATTLE ROYALE
〜 LAY DOWN 〜


49


 人間という生き物は想像している以上に強いのかもしれない。
 現に今もこうして自分は生きている。
 意識もはっきりしているし、混乱もしていない。
 問題なのは、一向に収まらない動悸と激しい痛み。
「大丈夫……?」
 問い掛けてくる声は震えている。
 それに対して、曖昧な笑みを浮かべる事しか出来なかった。
 何とか逃げては来たものの、今はここで身を隠している事しか出来ない。
 早く冴子を探さなくてはならないのに。
 ───逃げろ!
 あの時、咄嗟にそう叫んでいた。
 放送後の麻由美の暴走、そして省吾の襲撃。何もかもが、あっという間の出来事だったような気がする。
 このままでは全滅する。そう思った時には、既に体が動いていた。
 銃撃を受けた絵里も、何とか冷静さを保っているように見えた葵も、泣いていた綾も、混乱して仲間に銃口を向けた麻由美も、どうなったかは分からない。
 目の前の敵に集中する以外になかった。
 自分がやるしかない。何とかして、自分一人で省吾を退けてみせる。
 そう思っていたのだが。

「真島君!」
 至近距離で省吾の持つ銃を奪おうとしていた裕太は、その声に驚いて振り返った。
 それと、ほぼ同時に省吾に突き飛ばされて床に転がってしまう。
 すぐに起き上がろうとした裕太の視界に、その姿は映っていた。
 釘バットを省吾に向かって構える岡沢春香の小さな体。
「岡沢ぁ、てめえ何の真似だ、そりゃ?」
 低く、見下すような口調で告げる省吾の声。 
「ま、真島君は殺させないんだから!」
 叫ぶ春香の体は、裕太から見ても分かる程に震えていた。
「に、逃げろ、岡沢。今ならまだ───」
 逃げられる。そう続ける前に再び銃声が響いた。
 右足首から全身に激痛が走り、気付いた時には絶叫していた。
 悲鳴を上げて床をのた打ち回る自分の耳に、春香の悲鳴と省吾の声が聞こえてくる。
「黙れよ、真島。いいじゃねえか、お前の為に俺とやり合おうってんだ。まあ、お前が先かお前の女が先かの違いだけだけどな」
「真島君!」
 悲鳴を上げながら春香が傍に屈み込む。
 逃げろ。もう一度そう言おうと思ったが、省吾が動く方が早かった。
 春香へと向けられた銃口。
 叫んでいた。傍にいた春香の体を無理矢理床に押し倒す。銃声。
「邪魔してんじゃねえよ!」
 言葉と同時に飛んでくる腹部への衝撃。蹴りを入れられたのだろう。春香の悲鳴。それを聞きながら無理矢理自分の体を起こす。
「中々、がんばるじゃねえか。けどよ」
 その言葉の続きは銃声によってかき消された。同時に、裕太の体が床へと引き戻される。春香だ。自分の制服を掴んだまま、こちらを見つめてくる春香と目が合った。その瞳には涙が溜まっている。どうするべきか。今回は春香のお陰で後一歩のところで救われた。だが、省吾が諦めるとは思えない。戦って勝つか、逃げるか。選択肢は二つだけだ。どちらかしかないのなら、自分が選ぶ道は。
 叫んだ。春香の手から落ち床に転がっていた釘バットを拾い上げる。省吾が口端を吊り上げる。銃口がこちらへと向けられる。だが、自分の動きの方が早いはずだ。再び、叫びを上げる。同時に、省吾目掛けて釘バットを思い切り投げつけた。
 どうなったのかは確認しなかった。命中していようが、避けられてしまっていようが、どちらでも良い。すぐに振り返った。床に座り込んだまま、自分を見上げる春香。
「逃げるぞ!」
 言うが早いか、春香の手を引っ張り上げた。
 前へと目を向ける。省吾はバランスを崩していて、まだ銃を持ち上げてはいない。今しかない。この瞬間を逃したら、もうチャンスはやってこないかもしれない。思うと同時に床を蹴った。その右手に春香の手の暖かさを感じながら。
 省吾の立つすぐ脇をすり抜ける。開け放たれたままのナースステーションの扉。背後で省吾が吼え声を上げる。だが、その時にはもう廊下へと躍り出ていた。そのまま左側へと駆け抜ける。銃声が響く。悲鳴を上げてその場に蹲ろうとする春香の腕を更に引っ張った。そうして、また駆け始める。走れるという事は、春香も被弾してはいない。さすがの省吾も、動いている標的に銃弾を命中させられる程、銃の扱いに慣れている訳ではないようだ。
 その後も何度か立て続けに銃声が響いたが、いずれも裕太と春香に命中する事はなかった。
 やがて、院内を駆け回り、階段を一段下った辺りで、銃声が聞こえなくなっている事に気付いた。振り返って確認してみたが、やはり省吾は追ってきてはいない。諦めたのだ。そう思うと、安堵感とともに右足首から全身にかけて痛みが駆け巡ってくるのを感じた。苦痛に顔を歪めて立ち竦んでいる自分を見咎めたのか、荒い息のまま春香が呟いた。
「ま、真島君、大丈夫? 少し休もう? このままじゃ倒れちゃうよ……」
 この一言で、裕太は春香とともに近くの部屋に身を潜める事を決めたのだった。
 
 そうして、二人は今いる機材室の中へと逃げ込んできたのだ。
 それから、もう既に二時間近くが経とうとしていた。
 その間にも銃声は何度となく聞こえてきている。
 現状がどうなっているのかは分からなかったが、まだ安心出来る状況でないという事だけは間違いない。
「無事かな、皆……」
 お姫様座りの姿勢で傍に座っていた春香が漏らした。その瞳は床に注がれたまま動かない。
 先に逃げた葵達は逃げ切れたのだろうか。気になってはいたが、どうする事も出来ない。何より、気がかりなのは麻由美の事だ。あの時の態度からして、下手をすれば殺し合いに乗ってしまった可能性も考えられる。勿論、その考えに関しては春香には言えはしないが。
 自分に視線が向けられている事に気付いたのか、春香が顔を上げてこちらを見つめてくる。
 涙は流していないのに泣いているように見えた。だが、目が合った瞬間、春香は視線を外してしまう。ここに来てから同じような事が何度かあった。
”惚れられてるんだろうな、やっぱ……”
 自惚れではなく、そうとしか思えなかった。
 どこが良いのかは自分でも分からなかったが、春香は自分に好意を持ってくれている。それも友人としてではなく恋愛の対象として。
 初めにそうではないかと思ったのはナースステーションでの春香と麻由美達との会話の時だ。そして、省吾から逃げ切った時に、それは確信に変わった。
 その気持ちは嬉しい反面、辛くもある。
 どうしたって冴子の事が頭から離れない。きっかけなんて覚えていない。気付いたら冴子の事を目で追っていたのだ。たまに話す機会があった日などは嬉しくて仕方がなかった。そうして、益々好きになっていく。今だって変わらず冴子の事を想っている。
 そんな自分を好きでいてくれた人がいたなんて思いもしなかった。
 春香の事で知っているのは、冴子の友達であるという事と陸上部に所属しているという事くらいしかない。その陸上部でも別のクラスにいる主将や冴子の親友でもある純の活躍は知っていたが、春香に関しては何も知らない。
「岡沢、さ。陸上部だったろ?」
 無意識に口から言葉が出て来ていた。
 ゆっくりとこちらに目を向けた春香が頷いてみせる。
「種目、何やってたんだ?」
「どうしたの、突然?」
 目を丸くして問い掛けてくる。
「いや、何となく、話、してた方が精神的にも良さそうだろ?」
 何と言葉を紡ごうか考えながら話してしまった為、途切れ途切れになってしまったが、とりあえずは伝わったようだ。
 春香が一度小さく頷いてから笑みを見せた。
「私は短距離だよ。本当は高飛びが好きなんだけど種目になかったからね。高校行ったらやるつもりだったし、その前に体力つけとこうって思って始めたんだ……」
 そこまで言って少しだけ悲しそうな表情を見せた。
 やるつもりだった。春香はそう過去形で語った。自然に出た言葉なのだろうが、そんな言葉が自然に出てしまう事自体が春香の今の気持ちを表していた気がする。
 もう元の生活には戻れない。きっと自分もそうだろう。仮に優勝して家に帰る事が出来たとしても、これまでのように生活する事など出来るはずがない。
 自分の様子が変わった事に気付いたのか、春香が続けた。
「でもね、レギュラーにはなれなかったんだ。短距離には松山ちゃんいたし。あ、知ってる? うちのキャプテンなんだけどね、凄いんだよ。地区大会でも結構いい線までいってたんだ。長距離でも専門の純ちゃんに負けないくらい速かったんだから」
「松山って、そんなに凄かったのか」
 陸上部女子の主将であるA組の松山理美の事は、裕太も一応知っている。弓道部主将の涼とともに、校内では知らない者がいないほどの有名人だった。運動神経抜群で勉強も出来る理美に恋焦がれた男は多かったが、それらを片っ端から振ってしまったというのも理由の一つに挙げられるだろう。涼の事が好きなのではとも言われているが、真偽の程は定かではない。
「うん。松山ちゃんなら、きっと最後の大会でも凄い成績残せると思う……」
 幾分トーンの落ちた声で春香が呟く。
 最後の大会。自分には出る事すら出来ないであろう大会。そんな想いが春香の気持ちを沈みこませたのだろう。
 そんな春香の言葉に、裕太はただ頷く事しか出来なかった。
 短い沈黙が流れたが、ややして再び春香が口を開く。
「あ、あのさ、冴ちゃんの事なんだけど……」
 そこまで言って一度言葉を区切ると、こちらに笑みを向けてきた。
「真島君とだったらすごいお似合いだと思う」
「岡沢……」
「うん。絶対上手くいく。告白するなら私に相談してよね。冴ちゃんの事ならたくさん知ってるから。すっごく優しくて美人で、でも可愛いとこもあって。知ってる? 冴ちゃん、お人形集めるのが趣味なんだよ。それと料理とか家事が得意で……。あ、幸子ちゃんていう妹がいるんだけどね、幸子ちゃんの為にマフラー編んであげたりしてたんだよ。本当、妹思いで、友達思いで、優しくて、美人で、憧れちゃうくらい、優しい良いコなんだか、ら……」
 そこまでで春香の言葉は止まった。瞳に涙が溜まっている。
 何と声をかければ良いのか分からなかった。
 自分が好きなのが冴子ではなく春香だったなら、ドラマのワンシーンのように黙ってキスしてあげれば良いのだろうが。
「分かった、から……」
 それだけ、何とか口にした。
 泣かないで欲しい、とは言えない。春香を泣かしているのは自分なのだから。
 どうしていいか分からず、ただ春香を見つめていた。
 足音が聞こえてきたのは、その時だった。
 思わず、立ち上がりかける。
 すぐ近くに聞こえている足音。
 裕太の中に緊張が走る。額から垂れてきた冷汗を拭いながら、足音に神経を集中させた。
 足音は至極ゆっくりと近付いてくる。ややして、隣の部屋の扉を開ける音が聞こえてきた。
 次はこの部屋か。思うと同時に春香を振り返る。
 さすがにもう泣いてはいなかった。瞳はまだ赤かったけれど。
 すぐに隣の部屋の扉が閉められる音が聞こえてくる。
 次だ。両拳を握り締め、裕太は膝立ちの体勢を取った。
 もしも足音の主が省吾だったら有無を言わさず殴り飛ばす。後は運任せだ。銃を奪うチャンスがあるのなら奪い取り、無理なら逃げるしかない。
 麻由美だった場合は、身動き出来ないように拘束して説得する。元々やる気な訳でもないだろうし、話せば分かってくれるはずだ。
 決意を固めると、裕太は春香の方を振り返り、一度小さく頷いてみせた。
 不安気な眼差しのまま春香も頷き返してくる。
 足音。もうこの機材室の前まで来ていた。
 部屋の前まで来て足音の主が立ち止まる。
 扉一枚隔てた向こうにいる誰かを、裕太は睨み付ける。
 無機質な音を立てて扉が開かれるのと、裕太が立ち上がるのが同時だった。

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