BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
50
何処かで見た事があるような気がした。
映画だっただろうか。もしくは漫画だったかもしれない。片手に大振りの剣を持って立つ女。
現実には存在しない物語の中の登場人物。
今、目の前に佇む赤坂有紀の姿は、そんな風に見える。
扉を開けて、静かにこちらを見つめていた有紀が一歩前に進み出た。
「ここで何をしてるの?」
何の前触れもなく有紀が問い掛けて来る。
敵意は感じない。だが、全身が危険である事を告げていた。
「小柴に襲われた。それで、ここに逃げ込んだ」
言いながら、裕太は有紀の右手に握られている物に目を向ける。
変わった形をしてはいるが、どこからどう見ても刀だ。
「そう」
呟いた有紀の視線が、自分の後方へと向けられる。
つられるように裕太も後ろへ目を向けたが、すぐに有紀へと視線を戻した。
怯えたような、戸惑ったような瞳で、春香は自分の後ろに座り込んでいる。
短い沈黙が走り、ややして有紀が口を開いた。
「聞きたい事があるの」
至極、真剣な表情のまま有紀が続ける。
「坂井君に会わなかった?」
意外な名前だったが首を振って答えた。後方にいる春香も、同じように首を横に振っている。
有紀と友也が仲が良かったという記憶はない。というより、どちらもあまり裕太とは接点のない人物だ。記憶にないのではなく知らないだけかもしれないが。
「そう。それじゃあ……」
真剣な表情はそのままに、瞳を光らせると小さく告げた。
「ごめんなさい」
緩やかに軌跡を描くようにして刀が振り上げられる。
反射的に後ろへとバックステップした。すぐに振り返る。春香は座り込んだまま呆然としていた。
「岡沢!」
叫びながら、有紀の方を振り返る。
その視界に入ってきたものは青く光る刀身。無意識に両腕を顔の前に突き出す。一瞬、鋭い痛みが走り、それから激痛が全身を駆け巡った。自分の右腕から多量の血が滴っている。だが、悲鳴を上げている暇もない。すぐにまた刀がこちらへと突き出されてくる。身を捻って何とか逃れたが、無理な動きをしたからか足首から全身にかけて激痛が走った。あまりの痛みに一瞬、気が逸れる。その瞬間。視界に栗色の長い髪が映ったかと思うと、左脇腹に何か嫌な感触を覚えた。
中腰の姿勢のまま、自分と交差していた有紀がこちらを窺うように瞳を上げる。
刺された。自覚するのと、春香が悲鳴を上げるのが同時だった。
自分の体内へと深く突き刺された刀が、ゆっくりと引き抜かれていく。
痛みよりも、嫌悪感の方が大きかった。
死ぬかもしれない。そんな予感が頭の中を駆け巡る。ともすれば混乱してしまいそうな意識の中、有紀と視線がぶつかった。
冷たい瞳。だけど、どこか憂いを帯びているようにも感じる。
そう思った時には、視界に映るものは有紀の瞳ではなく、冷たい床に変わっていた。
「真島君!」
自分を呼ぶ声。
そうだ。今、自分は一人ではない。ここには春香もいるのだ。
「真島君! 真島君! しっかりして、お願い!」
左手に暖かさを感じて目を上げた。
春香の手。包み込むように裕太の左手を握り締めていた。
「お、岡沢……」
涙に濡れた春香の瞳が視界に入る。その春香の背後。
声は出なかった。体だけが無意識に動いていた。
春香の体を突き飛ばす。同時に激しい痛みが全身を襲ったが気にしなかった。
青光りする刀身がこちらに迫ってくる。
逃げ切れない。悟った瞬間、視界に何か大きなものが入ってくる。
そして、悲鳴。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
迫り来る有紀の刀から、春香を遠ざけた。それは間違いない。
それならば、これは一体どういう事なのだ。
何故、春香が自分に覆い被さるようにして背中から血を流しているのだ。
「驚いたわ。まさか助けに入るなんて」
呆然としたままの耳に聞こえる有紀の声。
「いい彼女がいるのね、真島君」
応えるように、ゆっくりと顔を上げる。
そこに有紀はいた。微笑すらない。先程までと変わらない無機質な瞳。
「かの……じょ、じゃ、ないよ。ま、真島君、には───」
半身だけ起こして口を開いた春香だったが、途中で咳き込んでしまう。
何度か咳き込んだ後、体を起こそうとしたが、すぐに膝が折れて床に座り込んでしまった。
「岡沢!」
銃で撃たれた自分よりも、刀で切り裂かれた春香の方が重傷のようだ。
何とか逃げ切らなければ。もしくは有紀をどうにか出来れば。だが、どうすればいい。春香は走れる状態ではないだろうし、自分もとてもではないが走れそうにはない。かといって、戦うにしても武器がない。
”クソッ! 早く何とかしなきゃ、岡沢が死んじまう……!”
裕太が歯噛みしたのと、ほぼ同時に有紀が動く。
迷っている暇はなかった。すぐさま立ち上がり、有紀の腹部目掛けて突進しようと床を蹴ろうとした。だが、そんな自分の前にまた一つの小さな背中が立ちはだかる。
「岡沢!」
ほんの数分の間に何度口にしたか分からないその名を、裕太は再び叫ぶ。
次に視界に映ったのは立ち尽くす春香の背中。肩の辺りから突き出た刃だった。
春香の体を貫通した青白い刃が、ゆっくりと引き抜かれていく。全て引き抜かれたところで、春香の体が傾いだ。
その体を抱きとめようと手を伸ばしたが、春香の体に触れる事なく空を切った。
床を蹴った春香が吼え声を上げる。同時に有紀が壁へと突き飛ばされた。
「逃げて! お願い、生きて!」
春香が叫ぶ。同じ言葉を何度か繰り返し、こちらを振り向こうとした瞬間、その小さな体から血飛沫が舞った。
駆け寄ろうとしたが、春香は倒れない。どころか、裕太の方は見向きもせずに有紀へと向かっていく。
有紀が刀を振り上げる。それを阻止しようと、駆け出した。だが、そんな自分の目の前にまた春香が立ちはだかる。視界に映る赤。
どうするべきなのか分からなかった。春香は身を挺して、自分を逃がそうとしている。だが、明らかな重傷を負っている春香を犠牲にしろというのか。
どうすればいい。春香に生きていて欲しい。そう思って、有紀に向かって行っても春香自身に拒絶される。
”俺にお前を見殺しにしろって言うのかよ?!”
下唇を噛んだ瞬間、春香が再び血を噴出して傾いだ。だが、またしても寸でのところで堪える。その瞳がこちらに向けられる。
血塗れの顔。潤んだ瞳。弱々しく何かを伝えようとする唇。
声にはならなかった言葉を理解した瞬間、小さな笑みを浮かべたまま春香はその場に崩れ落ちた。
床へと倒れこんだ春香の向こう側。有紀の姿が視界に映った。
「あ、赤坂ぁーーーっ!」
絶叫すると、裕太は床を蹴って一気に有紀へと迫った。
頭の中にリフレインする春香の言葉。生きて欲しいと願う心。
全て分かっていて、それでも裕太は自分を止められなかった。
”それでも俺は……”
「てめえだけは許せねえ!」
前方に立つ有紀と視線がぶつかる。
有紀が動く。青光りする刀をこちらに向かって横に薙いだ。それを紙一重で避けると、撃たれていない左足を軸にして右足で回し蹴りを放った。だが、瞬時に後退した有紀には当たらない。空を切った右足が床へと戻る。同時に、有紀が飛び出す。迫って来る刀身。再び身を捻って、それを避けようとした。瞬間、有紀の手から刀が零れ落ちる。裕太が目を見開く。視線がぶつかる。次の瞬間、左脇腹に激しい痛みが襲ってきた。余りの激痛に声も出ない。
蹴りを放たれたのだ。悟った時には、もう遅かった。
再び、同じ部分に蹴り。一発、二発目を受けたところで、裕太の体が傾ぐ。だが、倒れそうになった時、床に落ちたままの青く光る物が目に入った。
有紀の刀。あれを奪えば。
思った時には全身に力を込めて床を蹴っていた。さすがの有紀も反応しきれない。すくい上げる様にして、右手で刀を掴んだ。すぐに体を有紀の方に向ける。有紀の表情が焦りの色に変わる。
”終わりだ、赤坂!”
身の内で叫び、再び床を蹴った。だが、同時に有紀もこちらへと迫って来る。
まさかの行動だった。刃物を向けられながらも、こちらへ向かってくるなど。
信じられない気持ちのまま、裕太は刀を有紀へと突き出した。刃が有紀の肩口を貫く。すぐに引き抜き、再び刃を振るおうとして動きを止めた。
青光りする刀身を掴んでいる手がある。青いはずだった刀身は、次第に真紅へと染まっていく。
”こ、こいつ……”
思わず唾を飲み込んだ。同時に激しい痛みに襲われる。
一度刺されている脇腹。そこに再び蹴りを見舞われたようだった。更にもう一撃。呻きを上げる。それと同時に右手から刀の感触がなくなった。
反射的に目の前の有紀に視線を向ける。
左手から夥しい血を垂れ流しながら、両手で刀を握っている有紀が動く。
後退しようと床を蹴ろうとしたが、有紀の方が一瞬早かった。胸の中心部へ突き刺される刃。
今しがた有紀がやってみせたように刀身を掴もうとしたが、それよりも早く脇腹に蹴りが入る。二発目の蹴りの後、有紀は刀の柄を握り締めると、今度は引き抜くのではなく、押し込んできた。
動物の本能が裕太を絶叫させる。狂ったように声を上げる中、自分の体から刀が引き抜かれるのを感じた。
それから、ようやく自分が倒れているのだという事を理解した。
全身が燃えるように熱い。
この熱が引いた時、自分は死ぬのだろうか。
荒い呼吸を吐きながら、何となくそんな事を思った。
”それにしても、何て女だ……”
まさか刀身を鷲掴みにしてくるなどとは誰が思うだろうか。まともな神経で出来る事ではない。
生きたいという意志が、それをさせたのだろうか。
朦朧としてきた意識の中、傍に人の存在を感じ取り、ゆっくりと目を上げた。
右手に刀を持った有紀がそこに立っている。その刀身は既に真紅に染まっていた。
「あなた達に勝てたのは偶然だわ」
抑えた口調で有紀が呟く。
それを聞いて、裕太は苦笑した。
正直な話、怪我を負っていなくても勝てたかどうかは分からない。
元から死をも覚悟していた有紀と、生き延びる事しか考えていなかった自分。
どちらが正しいかは分からないが、戦いという事のみについて考えれば、後から覚悟を決めた自分が有紀に勝てないのは至極当たり前の事のように思えた。
「こ、ころ、さ、ない、の、か……?」
仰向けに倒れた状態のまま、途切れ途切れに呟く。
それに対して、有紀は何も言わなかった。
ゆっくりと振り上げられる刀。心臓にでも突き刺すつもりだろうか。
分からなかったが、不思議と怖いとは思わなかった。
目を瞑る。
冴子の顔が瞼の裏に浮かんだ。続いて隆人と敦宏。それから両親や他のクラスメイトの顔が浮かび、最後に春香の顔が浮かんだ。
少し悲しそうな笑顔で、裕太の恋を応援すると言った春香。優しさに溢れた表情で、自分を見つめた瞳。そして、何よりも彼女の心からの想い。岡沢春香という少女が自分に抱いてくれた優しい想い。
応えてやれなかった想いに、少しの罪悪感と、大きな感謝を込めて、瞼の裏の春香に笑んで見せた。
”ありがとう、岡沢……”
───好きだよ、真島君。
意識が闇に落ちる寸前、春香の最後の言葉がもう一度聞こえたような気がした。
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