BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
54
改めて院内を探索し始めてから、もう既に一時間が経とうとしていた。
未だ誰の姿も見かけていない事に焦りを覚えつつも、今はただひたすら病院内を見て回る事しか出来ない。
目の前を歩いていた唯が足を止めたのは、三階から二階へと下る階段に差し掛かった時だった。
「手塚?」
声をかけてみると、唯はその手に持った液晶型のレーダーに瞳を落としたまま小さく呟いた。
「だ、誰かが病院から出て行くみたい」
言ってから、こちらにレーダーを差し出してきた。
液晶画面を見ると、確かに星が一つ自分達のいる周辺から離れていくところだった。
「どうした?」
前を歩いていた義人と友也も、立ち止まってこちらを振り返った。
「誰だか分かんねえが、こっから逃げてく奴がいる」
「そうか。まあ、おかしな事でもないだろう。やる気の奴がいる以上、こんな所に長居したところで良い事はないだろうからな」
あくまで冷静に義人が告げたが、菊池は何となく違和感を感じた。
自分が知っている限り、今この病院内にいるのは十五人。
その内の三人は今、菊池と行動を共にしている。残る十一の内、誰だか分かっているのは若菜、隆人、関口、省吾、麻由美、絵里の六人だ。だが、絵里に関しては自分達の中で実際に会っている者がいないので、本当にいるのかどうかは分からない。実際にいたとしても、省吾と出会っているらしい事が気にかかった。
再び、レーダーに目を落としたが病院にいるらしい人物を示す星の数は相変わらず変わらない。離れて行った星は、もう画面の外へと消えてしまったようだ。
逃げて行った者が誰かは分からないが、この状況では賢明な判断だろう。
少なくとも省吾と麻由美はやる気になっている。
絵里の身を案じる唯にとっては、この二人の存在は脅威と言っていいだろう。
自分としても何とか唯と絵里を無事に再会させてやりたいが。
「ちょっと待て」
菊池が持っていたレーダーを覗き込んだ義人が声を上げた。
「何だよ?」
「今、画面上にはないようだが、確かに星が一個離れて行ったのか?」
「え? あ、ああ」
こちらを見据える義人の表情は緊張を含んだものに変わっている。
「そうか。という事は、新たに誰かがここに来たという事だな」
「なにっ?!」
思わず声を上げた菊池と同様に、隣にいた唯も驚いた表情で義人を見つめた。
「見てみろ。星が一つ消えたはずなのに、ここにある星の数は十五個のままだ」
促されて画面を見てみると、確かに星は十五個点灯していた。
「どういう事だよ?」
「どうもこうもないな。元々いた奴が一人いなくなって、別の誰かが迷い込んで来たってだけの話だ」
「べ、別の誰かって?」
恐る恐るといった様子で唯が口を開く。
「さあな。分かるはずもない」
「ちっ。誰が来ようが関係ねえ。やる気なら相手んなってやるだけだ」
そして、必ず唯を守る。
最後の言葉は口にこそしなかったが、菊池にとっては自分自身への誓いでもある。
「同感だな。俺も菊池の意見に賛成だ。それより、もたついてる暇はないんじゃないのか?」
壁に背を凭れたまま友也が口を開く。
応えるように、義人がそちらを振り返った。
「まるで他人事だな、坂井」
「そうでもないさ」
口元に笑みを浮かべて、友也が返す。
「なら、いいがな」
しばらく友也を見つめた後、小さくため息を吐いた義人がこちらを振り返った。
「行こう」
唯が大きく頷くのが、視界の端に映った。
義人を先頭にした菊池達は、複数の星を追って動いていたのだが、ここまで結局誰にも会えずにいた。
今は最初にいた棟から移動して、もう一方の棟にいる。
つい先程まで幾つかの星が、この棟の一部分に固まっていたのだが、今はそれぞれ別の場所に散らばってしまっていた。
現在は元いた棟の方に八つの星があり、こちら側には七つの星が点灯している。七つの内、四つは自分達を示す星だ。残り三つの内、二つは自分達と重なるようにして点灯していて、もう一つは少し離れたところに点灯している。
こちら側の棟にやって来たのも一箇所に固まっていた星を追ってきたからなのだが、菊池達が辿り着く前に全員移動してしまったようだった。
これから向かおうとしているのは、自分達と同じ位置にいるらしい二つの星の所だ。この二つは、どちらもしばらく前から全く動いてはいない。
ここまでずっと動いている星だけを追ってきただけに、静止している星を追うのには違う意味での緊張感があった。
動かずに身を隠しているのか、それとも動けないのか。どちらかは分からないが、後者であった場合、それが絵里でない事を祈りたい。
すぐ目の前を歩く唯の小さな背中が不安を訴えているようにも見える。
親友を失って涙する唯の姿だけは絶対に見たくない。だからこそ、早く絵里を探し出したいのだが。
唯の更に前を歩く二つの背中に目を向けた。
どちらともまともに話したのは、このプログラムが初めてとも言える。
義人の方は愛想はないが、信用に値する人物と見て良いだろう。
良く分からないのは友也の方だ。
どうやら殺し合いに乗る気はないようだが、自分の生命がかかっているという緊迫感が友也にはない。
上手くは言えないが、何かが自分達とは違うような気がした。
「向こうだったな?」
階段を下り切り二階までやって来たところで、義人が振り返った。左手側に伸びている廊下を手で示している。
レーダーを手にしている唯が静かに頷いた。
それを確認すると、また前を向いて歩き出す。
曲がり角を曲がった所で、唯が声を上げた。
「そこ、だと思う……」
丁度、曲がり角と隣接した位置にある部屋だ。
扉の上に臨床検査室という看板が掲げられている。
全員の顔を見回し小さく頷くと、義人が扉をノックしてみせた。
二度、叩いたが反応はない。更にもう一度、今度は強めにノックしてみる。だが、やはり反応はなかった。
「おい、まさか……」
言いかけたが、その先を言う前に義人が言った。
「開けるぞ」
言葉と同時に扉を開く。
その先に映る光景が視界に入った瞬間、菊池は一度強く目を瞑った。
広い部屋の真ん中付近。
そこに二人の人間が倒れている。
誰だか確認しようと前に踏み出そうとした時、既に二人の傍に来ていた義人が呟いた。
「真島……」
それだけ呟き義人は黙り込んでしまう。
足を踏み出し、立ち尽くしている義人の隣に立つと、裕太の傍で眠るように倒れている人物が誰なのかが分かった。
思わず、後方にいる唯を振り返る。
自分の視線に気付いたのか、唯が恐る恐るといった様子でこちらに近付いてきた。
静かに、ゆっくりとした足取りで近付いてくる唯の表情が次第に青ざめていく。
「う、そ……」
呟いた唯の顔からは血の気が失せ、足を震わせている。
少し後方で立ち止まってしまったままの唯は呆然としたまま微動だにしない。
しばらく誰も何も言わなかった。
かける言葉も浮かんでこない。今、唯に何か言ってやるべきなのは紛れもなく自分であるのに。
「春香……」
小さく呟く唯の声が聞こえてくる。
唯の友人である岡沢春香が既に生きてはいないという事は明らかだった。
「やだ……やだよ……」
何かに引き寄せられるように前に踏み出した唯が、そのまま春香の傍に腰を抜かしたようにしゃがみ込むのが分かった。
それから、すすり泣くような声。
その様子をただ見ている事しか出来ない自分。
”何なんだ、俺は……?”
こんな時に唯に何と声をかけていいのかも分からない。
そんな自分が嫌で、菊池は唯から目を逸らしてしまう。
音の無い部屋に、しばらく唯のすすり泣く声だけが聞こえていた。
「大丈夫か?」
どれくらい経ったのか義人が声を発した。
それで菊池もようやく、そちらへと目を戻す。
義人の視線の先にいる唯が静かに目を上げた。
「大丈夫か?」
もう一度、同じように問いかけた義人に、唯が小さく頷いてみせる。
とても大丈夫なようには見えなかったが、それでもゆっくりと立ち上がった。
「手塚……」
思わず発してしまった声に、唯が振り返る。
濡れて真っ赤になった瞳。
「すまねえ……」
そんな言葉が口から漏れた。
何に対しての謝罪なのかは自分にもよく分からなかった。
応えるように静かに首を振った唯の表情は髪に隠れて見えない。ただ、あの濡れた瞳のままである事だけは間違いないだろう。
「行こう……」
呟いた義人の顔は苦渋に満ちているように見える。
そのまま歩き出した義人の背中に目を向けた時、自分の制服の袖を掴む小さな手に気付いた。
「ごめんなさい」
それだけ小さく漏らすと、そのまま凭れるように頭を預けてくる。けれども、今度は泣いているような様子はなかった。
自分自身を落ち着かせようとでもしているのだろうか。
一瞬、唯の髪を撫でてやろうと思って止めた。そうしたところで、それが慰めになるはずもないし、何より唯に対する自分の気持ちが変わってしまうような気がする。
ふと目を上げると、扉の前で立ち止まっている義人の姿が視界に入った。その隣では壁に背を凭れさせた友也が、黙ってこちらを見つめている。
唯が自分の袖から手を離したのは、それからしばらくしてからだった。
「ありがとう」
無理に作ったような笑顔でそう言うと、義人の方へと瞳を向ける。
それを受けて義人が扉を開け廊下へと出て行った。続いて友也の姿も扉の向こうへと消えていく。
追いかけるように歩き出した唯だったが、すぐに立ち止まると、未だ濡れたままの瞳で菊池を見つめてきた。
「春香ね、真島君の事が好きだったんだよ……」
「そうか」
「うん。誰にも言ってなかったみたいだけど、でも分かってた」
「そうか」
「そうか、ばっかりだね」
泣きそうな顔のまま、唯が笑顔を向けてくる。
「あ、わりぃ。けど、俺……」
そこまで言って、その後に続く言葉が何もない事に気付いて、ごまかすように頭をかいた。
「優しいんだね」
「え?」
「ううん。何でもない」
それだけ言うと、唯は振り返って扉に向かって歩き出した。
その小さな背中が廊下へと消えていく姿を見て、一瞬、嫌な想像が頭を過ぎる。
唯が文広と同じように遠くへ行ってしまうような、そんな予感。
それを振り払うように頭を振ると、ポケットから煙草を取り出し火を点けた。
何となく、いつもより不味いような気がする。こんな状況だからかもしれない。
分からなかったが、いつもより不味く感じる煙草の煙を吐くと、菊池も扉の向こうへと歩き出した。
≪残り 35人≫