BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
56
目の前にいる少女を見つめながら、彼女の事を思い浮かべた。
親友に先立たれた哀れな少女を見ても、彼女はやはり何も感じないのだろうか。
優しくて穏やかで正義感に溢れた彼女はもうどこにもいない。
彼女を変えたのは、他でもない自分自身。
たった二年足らずで、他人に優しく自分に厳しかった彼女は、別人のようになってしまった。
”それでも、俺は……”
そこまで考え、友也は静かに目を伏せた。
「まずいな」
呟いたのは、隣に立っていた義人である。
視線を向けると、義人もこちらを振り向き、人差し指で自らの腕時計を示して見せた。
「もう3時半だ」
「それが?」
「忘れてるんじゃあるまいな? 禁止エリアの事を」
多少、苛立ったような表情を見せつつ義人が告げる。
「別に忘れちゃいない。こんな所、十分もありゃエリア外に出れるだろう?」
「生命がかかってる状況で悠長な事だな」
「そうでもないさ」
わざと笑みを見せて言うと、義人も半ば諦めたのか菊池の方へと歩み寄って行った。
黙って立ち尽くしている菊池の傍には、既に生きてはいない絵里の手を握り締めたままの唯がいる。
その唯は、先程から何かひとり言のようなものを呟き続けていた。
そんな唯の姿を一度見つめてから、義人が菊池に耳打ちを始める。
伝えるべき事を伝えたのか、義人はすぐにこちらへと戻って来た。同時に菊池の声が室内に響く。
「行こう、手塚」
静かに唯の背中に菊池が手を差し出す。
一方の唯は、完全に自分の世界に入ってしまっているのか振り向きもしない。
しばらくして、再び菊池が同じ言葉を告げた。それでも、やはり唯からの答えはない。
「手塚……」
自分の傍へと戻って来た義人が呟く。
友也が想像していた以上に、唯の精神的な傷は大きなものだったようだ。
焦り過ぎは良くないと義人に言ったばかりだが、唯がこれでは余裕を見せている場合でもないかもしれない。
それから、数十分。沈黙が室内を支配していた。
菊池は唯に手を差し出したまま立ち尽くしているだけだ。義人も同様に唯の事を見つめていた。
この状況では、仕方ないのかもしれないが。
一度、小さくため息を吐くと、義人に向かって口を開いた。
「どうするんだ?」
「どうしようもないな。ギリギリまで待っても状況が変わらないようなら引き摺ってでも連れて行くが……」
視線は唯に向けたまま、厳しい表情で義人が呟く。
「ギリギリまで、ね。それって、いつ?」
義人が振り向いたが、特に何か言おうとする様子はない。
「焦ってたんじゃないのか? 随分、悠長じゃないか」
「何が言いたい?」
「別に。ただ、いざその時になって、やっぱり間に合いませんでしたじゃ笑い話にもならんと思っただけさ」
言ってから、少しだけ後悔した。
思い出したくない過去の記憶が頭の端にちらついてくる。
「そうはさせないはずだ。菊池がな」
「大した評価だね」
「お前と違ってな」
言葉の真意を読み取ろうと、義人の目を見つめた。
菊池の事は信用しているが、お前の事は信用していない。そう言いたかったのだろうか。それとも、自分の評価が菊池に劣っているという意味だったのか。どちらであるかは分からなかった。
自分から目を逸らすと、義人が菊池の元へと歩み寄って行く。
何事か語り掛ける義人の姿を横目に見ながら、友也は窓の向こうへと目を向けた。
この島は本当に、かつて自分が彼女と共に数日間過ごした、あの山奥に良く似ている。
今、彼女はこの空の下で何を思っているのだろうか。
「手塚」
菊池の声が室内に響く。先程よりも大きな声だった。
促がされるように、友也も二人の方へと視線を投げる。
唯は相変わらず絵里に対して何事か呟いているようで、菊池の方には瞳を向けようとはしない。
その唯の右手を菊池が掴み、そのまま無理矢理引っ張り上げた。
小さな悲鳴を上げた唯が強引に起立させられる。
「無理な事してすまねえ。けど、こうでもしなきゃお前は……」
話し始めた菊池を無視して、唯がまた絵里の方へと身を寄せようとする。だが、そうさせまいと菊池がもう一度、唯の右手を掴んだ。
「頼むからもう止めてくれ! 木内は死んだんだ! あいつはもういない!」
菊池の言葉を拒絶するように唯が首を振る。
「手塚!」
自分の腕を掴む菊池から逃れようと、唯が暴れ始める。
「離してよぉーーっ!」
「絶対、離さねえぞ! いいか? 俺はお前を絶対離さねえからな!」
菊池の言葉は悲痛な叫びのようにも聞こえる。だが、それすら唯には届かない。
「いやだぁーーっ!」
どこにそんな力が残っていたのか、絶叫した唯が菊池の手を振り解いた。同時に絵里の方へと体を向けようとした瞬間。
乾いた音が室内に響いた。
銃声などではない。それは乾いているけど優しい音だ。
まるで映像を一時停止させたように唯の動きが止まっていた。
「俺がいる」
菊池が呟く。同時に唯の左頬を叩いた方の手を強く握り締めるのが見えた。
「俺が守ってやる。木内の代わりにゃなれねえだろうが、守ってやる事だけは出来る。だから……」
そこまでで言葉が止まる。
その先に続く言葉が見つからなかったのか、それとも口にしなかっただけなのか。
菊池は黙ったまま、右手で唯の左頬に触れた。
瞳を上げた唯は、呆然と菊池を見つめている。
その瞳が次第に濡れて崩れていくのが分かった。やがて、菊池の胸へ顔を埋めると大声で泣き始める。
叫びとも言える程の大声で泣き続ける唯の髪を菊池が撫でてやっていた。
「坂井」
いつの間に傍に来たのか、目の前に義人の姿があった。
「出てよう」
それだけ告げると、義人は扉の外へと出て行ってしまう。
扉の手前で一度だけ菊池と唯の方を振り返ると、友也も廊下へと踏み出した。
室外からでも閉じた扉の向こう側の泣き声は聞こえてくる。
悲痛な泣き声を聞きながら、目の前で膝をついている義人へと目を向けた。
義人は血塗れで息絶えている綾の両手を胸の前で組ませている。
「弔い、か……」
友也の言葉には応えず、義人は立ち上がると黙って目を閉じた。
そんな義人を横目に見ながら、窓の外へと視線を動かす。
特に目に付くものがあったわけではない。これ以上、綾の亡骸に目を向けていたくなかっただけだ。
しばらくして、病室内の泣き声も聞こえなくなった頃、義人が口を開いた。
「何なんだ、これは……」
その呟きは友也に問い掛けているようでもあり、自分自身に言っているようでもあった。
「馬鹿げてる……。人の生命を弄びやがって……」
俯いたままの義人の表情は窺えない。だが、強く拳を握り締めているという事だけは分かった。
義人と綾に何らかの繋がりがあったようには思えない。純粋に政府に対して怒っているのだろう。
階段の方に人の気配を感じたのは、その時だった。
「誰か来る」
その言葉に反応したのか義人が顔を上げる。
階段を昇ってきたらしい人影は、すぐにその姿を表した。
「あいつ……」
先に反応したのは義人の方である。
ゆっくりとこちらへ近付いてくる赤坂有紀は至極真剣な表情をしていた。
「赤坂、貴様……」
ほぼ目の前まで来た有紀に対して、義人が低い声を上げる。
その有紀は右手に刀剣のような物を持っており、更に制服には赤い染みが所々に付着していた。
「誰を殺した?」
赤い染みは、ほぼ間違いなく他人の血と見ていいだろう。だが、義人の質問には答えずに、有紀はこちらへと瞳を向けてくる。
「ずっとあなたに会いたいと思ってたわ」
有紀の表情が少し変わる。縋ってくるような瞳だ。
友也は目を細めて有紀の全身を眺めた。
何故、自分に会いたいなどと思ったのか全く分からない。告白でもされるのだろうか。それとも、何かの理由で自分に恨みがあって殺したいと思われているのか。可能性としては後者の方が高い。
「知ってるのよ、私」
何を、と聞き返そうとして止めた。その前に有紀がこちらへと身を近付けてきたからだ。
肩に手をかけ耳もとに顔を寄せた有紀が、自分だけに聞こえるように呟いた。
すぐに手を離した有紀は、少し距離を取り黙ってこちらに瞳を向けてくる。
「会えて嬉しいわ」
「俺はあまり嬉しくない」
会いたくない人物に出会ってしまった。本当にそう思った。
まさか、と言うしかないだろう。
「で、何か話でも?」
注意深く有紀の様子を窺いながら問い掛けた。
持っている刀剣でいきなり襲って来ないとも限らない。
「ええ。大事な話よ。とても大事な……」
「何の話か知らんが、まずは俺の質問に答えてもらおうか」
口を挟んだのは、隣で訝しげな表情をしていた義人だ。
有紀がゆっくりとそちらへ瞳を向けた。
「岡沢さんと真島君。それから多分、森川さん……」
言い終えた瞬間、その胸倉を義人が掴み上げた。
「ふざけるな! 貴様、自分が何をしたか分かってるのか?!」
「分かってるって言ったら、その手を離してもらえるの?」
どこか疲れたような表情で有紀が告げる。
「離して。坂井君に話があるの」
「貴様……」
義人がこちらを振り返る。
「殺せよ、天野」
口端に笑みを浮かべて告げると、義人が驚いたような表情になった。
「そんな女、生かしといても意味がない。殺した方がいい」
「何……言って……」
「許せないんだろう? 罪のない奴を殺したその女が」
友也の言葉を拒否するかのように、義人の手が有紀の胸倉から離れた。
自由になった有紀がこちらを見つめてくる。
しばらく見つめ合った後、有紀がふと自嘲気味な笑みを漏らした。
「あの人も同じ事を言うかしら……」
「あいつが死ねって言ったら死ぬのか?」
試すような気分だった。だが、有紀は答えない。
そのまま、また見つめ合い、ややして有紀が頭を振った。
「分からないわ……」
有紀の表情は苦悶に満ち満ちている。
まるで戸惑いの感情が伝わってくる程に。
眼前にいるこの少女も、また自分達の被害者なのだろうか。何となく、そんな事を思った。
「来いよ。俺も、お前と話がしてみたくなった」
それだけ告げると、有紀がやって来た階段の方へと歩き出した。途中で一度だけ振り向く。
「天野。お前はそこにいてくれ」
「どこに行く気だ?」
「ちょっと……昔話をしにね」
多少、逡巡したようだったが、義人が頷いてみせた。
自分と有紀の間に何かがある事を知って、気を利かせたのかもしれない。
有紀は黙ってついて来ているようだった。
実際、聞きたい事は幾つかある。どこで知り合ったのか。どういう関係なのか。何より、自分の事をどこまで知っているのか。
階段を昇り、屋上への扉をこじ開ける。同時に突風が吹いて、友也の髪を凪いだ。
強い風を受けながら、そのまま鉄柵のところまで歩き、そこに背を預けた。
相変わらず黙ったままの有紀が、こちらを見つめている。
強い風が二人の髪を凪いだ。
「それじゃ、話をしようか」
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