BATTLE ROYALE
〜 LAY DOWN 〜


57


 無音の空間に足音だけが響く。
 それが堪らなく嫌で、隣にいる関口に話しかけてみる。
 適当な受け答えを終えると、関口はまたすぐに黙って歩き出してしまう。先程から、そんな事の繰り返しだった。
 仕方なく、若菜は窓の外に目を向ける。
 青かった空は、既に赤く染まり始めていた。
 この病院にやって来てから、何時間が経ったのだろうか。思って、ポケットから支給された腕時計を取り出した。
 今の時刻は午後4時になろうというところである。
 病院に辿り着いた時間から考えると、もう二時間以上も経過しているという事だ。
 そして、この病院の半分。丁度、今、若菜達がいる方の棟は午後5時をもって禁止エリアとなってしまう。時間を過ぎても禁止エリアに留まっていれば首輪が爆発するという仕組みになっているらしい。そうなれば待っているのは死だ。
 義人はどこへ行ってしまったのだろうか。禁止エリアの時刻が近付いてきているとはいえ、義人が自分を置いて逃げてしまうとは思えない。それは、そうあって欲しいという希望でもあったのだが。
「おい」
 それに隆人や、やる気になっている省吾と麻由美。共に麻由美と戦った菊池と唯。負傷していると思われる絵里。そして、有紀。
 未だ、この病院に残っていると思われる者達は一体どこにいるのか。
「おい、山口」
 気になる事は数多くあるが、とにかく今は義人を探す事を優先するべきだろう。
 無口な男だったが、いないと寂しいというのが本音である。
「おい!」
「わっ! な、なんだよ? おどかすんじゃねえよ」
 いきなり発せられた関口の大声に驚いて振り向いた。
「お前がぼけっとしてるからだろうが」
「うるせえな! 考え事してたんだよ!」
 何故か怒鳴り返された事で、関口の表情が呆れたようになった。
「て、てめえって奴は……」
 額に手を当て呻く関口を見つめる。
「で、何だよ? 告白か?」
「なわけねーだろ、クソガ…キッ……」
 最後のキの部分が聞こえた瞬間に、熱い拳を腹部目掛けて突き刺した。
 予期せぬ攻撃に、さすがの関口も避ける事が出来ずに呻きを上げる。
「正義は勝つ!」
 前屈みになって腹を抑えた関口が、再びこちらに目を上げる。その関口の目に映るのは、若菜の右手のピースマークである事は言うまでもない。
 ひとしきり呻いた後、関口はようやく身を起こした。もっとも、その左手はまだ腹を抑えていたが。
「て、てめえ、もろにミゾに入れやがって……」
「あ、あれ? 入ってた?」
 そんなつもりはなかったのだが、どうやら見事に命中していたらしい。
「ま、まあ、いいじゃん。おあいこって事で!」
「お、お前……悩みとかねえだろ……?」
 関口が頭を抱えて首を振る。
 それに対して若菜が言い返す前に、関口が再び口を開いた。
「まあ、いい。それより、あそこ見ろ」
 顎で目の前の階段を示した関口が歩いてそちらへと向かう。
 追うようにして若菜も後に続いた。
「なんだよ、これ……」
「見りゃ分かるだろ。血の跡だ。誰が残したか知らねえがな」
 よくよく見てみると階段の至る所に血痕は付着していた。
「もうくたばってるかもしれねえな……」
「縁起でもねえ事、言ってんじゃねえよ」 
 若菜が言ったが、関口は無視して煙草に火を点けた。
 短い沈黙が二人の間を走る。
 ある事に気付いて声を上げたのは、若菜の方だった。
「あれ? これ……下に続いてる?」
 血痕は下の階へと向けて続いているようだった。
 この場所で傷を負った誰かが下の階へと向かったのだろうか。
「みたいだな。見たところ、ここの廊下にゃ血の跡はねえ」
「階段で誰かがやり合ったのかな?」
「さあな。けど、二階から上がって来た俺達は誰にも会ってない。て事は、一階にいるって事だろうな」
 自分達が今いるのは三階の廊下である。もう一方の棟から通路を伝ってやって来た後、こちら側の棟の二階を隅から隅まで調べたのだが人がいる気配は全くなかった。そうして、今三階も調べ終えようとしていたところだったのだが。
「どうするよ? このまま上行くか、先に一階を見に行くか」
 まるで「お前が決めろ」とでも言うような口調で関口が告げる。
「一階に決まってんだろ! 怪我してる奴がいるかもしれねえんだから」
 迷うまでもなく即答した。当然の答えだ。
 やる気の者を放っておくわけにはいかないが、怪我人を助ける事の方が重要に決まっている。
「なら、行こうか」
 それだけ言うと、関口は背を向けて階段を下って行ってしまう。
 この男の事が若菜はよく理解出来なかった。一体、何を考えて行動しているのだろうか。
 不良グループの一人という見方しかしてこなかったが、菊池や省吾などとは明らかに違うタイプに見える。
 この病院で関口は二度、仲間である省吾に出会っているが、その二度とも特に躊躇う様子も見せずに殺そうとしていた。かと言って、やる気になっているわけではない。実際、若菜が止めた途端、省吾を殺すのをあっさりと諦め、その後は逃がしてしまったのだ。
 理解不能な男。それが若菜にとっての関口の印象だった。
 歩きながら関口の背中を睨むように見つめていると、二階から一階へと続く階段の途中で突然立ち止まりこちらへと顔を向けた。
「何、見てんだよ?」
「えっ?! いや、別に……」
 突然の問い掛けに思わず口ごもってしまった若菜である。
「ま、別にいいけどな」
 さして興味がある事でもなかったのか、踵を返すとすぐに歩き出してしまった。一階はもう目の前である。
 一階へ降り立つと、関口が周囲を見回し始めた。
 義人と共にこの病院にやって来た時と、別段変わっているようには見えない。
 改めて周囲に敵が潜んではいないか確認しているというところだろうか。
 しばらくすると、「あっちだ」とだけ言い背中を向け歩き出してしまう。愛想があるのかないのかよく分からない男だ。
 診察室が並ぶ廊下を抜けて、右へと曲がったところで関口が口を開いた。
「血だ」
 言葉に反応して床に目を向けると、確かに少量の血の跡が残されていた。
「じ、じゃあ、やっぱ、この辺にいるのか?」
「さあな……」
 素っ気なく言うと、すぐにまた歩き出してしまう。
 レントゲン室などが並んでいる廊下を進みきったところで、関口は立ち止まった。
 目の前には大きな扉が立ちはだかっている。
「何、これ?」
「扉に決まってんだろ?」
 右端にあるリング状の取っ手の位置まで移動すると、関口が扉を開き始めた。
 低い音が鳴り、ゆっくりと扉が開かれていく。
 その先に廊下が見えたが、別段こちら側とは変わりがないように思えた。
 扉を完全に開いた関口が、再び前に立って歩き出す。
「なあ、何でここだけ閉まってたの?」
「俺が来た時は開いてた。だから、その後、誰かが閉めたんだろ」
「ってこた、それが血の奴?」
 考えられる人物は、血の主以外には浮かばない。
「多分な」
 関口は周囲を警戒しているのか、相変わらず素っ気ない返事しかしてこない。
 もっとも、こちら側には診察室も病室もなく、どこかで見覚えのある病院用の機材置き場等があるだけだ。真っ直ぐに続く廊下の奥には扉が見える。ここを出ると裏口に通じているのだろう。その手前に下へと伸びる階段があった。
「地下もあんのかよ、ここ」
 驚いて声を上げた若菜に、関口が返す。
「死体置き場ってところか。なるほどな」
「し、死体?!」
「ああ。多分だけどな。で、どうするよ? 肝試しでもするか?」
 皮肉のつもりなのか関口は口端に笑みを浮かべている。
「何が肝試しだ、アホ! 行くぞ!」
 言うが早いか、階段を一気に下って行ったのだが、途中で立ち止まった。
「真っ暗だぞ、おい! どうすんだよ?!」
「うるさい女だぜ、ったく。電気止まってんだから、灯りなんてないに決まってんだろうが」
 関口の呆れ気味な言葉を耳にした直後、目の前に小さな光りが出現した。
「お前も自分のライトあるだろ。点けろ」
「あ、そっか。忘れてた」
 そう言えば懐中電灯があった事を失念していた。
 促がされるままデイパックから懐中電灯を取り出しスイッチを入れる。どうやら関口の分と二つ合わせれば、かなりの広範囲を照らせるようだ。
 再び関口を先頭に階段を下り始めてすぐに大きな扉が見えた。どうやら地下には廊下等もなく、この部屋のみが存在しているらしい。
 扉の上に霊安室と書かれた札がかかっている。
「間違いねえな。どうする?」
「ど、どうしようか?」
 ここまで来たのはいいが、さすがに中に入るのには抵抗がある。
「正直、俺は御免だな。それに電気が通ってないって事は、死体も腐ってるかもしれねえ」
 どうやらさすがの関口も同様のようだった。
「や、やめとくか」
「ああ。幾らなんでも、こんな所に隠れる奴はいねえだろう。他に部屋もねえようだし、戻ろうぜ」
 関口の言う通り、負傷者であろうとやる気の者であろうと、死体の中に身を潜めようとする者などいないはずだ。いたとしたら、その人物の神経を疑わざるを得ない。
 踵を返して歩き出す背中を追って、ようやく一階に戻って来たところで、若菜は思わずため息を吐いてしまった。
「おっかねー。何か妙なオーラが出てたよな?」
「ありゃ勘弁だな」
 苦笑気味に言った関口が、今度は傍にある裏口への扉に目を向けた。
「後は外だけだな」
 目の前まで行くと、躊躇する事もなく扉を開いた。
 開いた先には、小さな畑があるように見えるだけで、他には何も見当たらない。
 実際に外へと足を踏み出し、周囲を見回してみたが、やはり特別なものは何もないようだった。
「参ったな。戻れねえぞ」
 突然の関口の言葉に驚いて顔を向ける。
 関口は扉を叩いたりしていたが、しばらくして顔をこちらに向けた。
「どうも、中からしか開けられねえみたいだな。完璧、閉まっちまった」
「どうすんだよ!」
「とりあえず行ってみるしかねえな」
 そう言って左側へと進んで行ったのだが、角を曲がった先であっさりと探索は終わりを迎えた。少し先に正面玄関が見える。
「何だよ。入り口に戻れるんじゃん」
「なるほどな。誰かが迷い込んで霊安室に行っちまわないようにって事か」
 一人で納得している関口を無視して、玄関の前に出ようとした若菜だったのだが。
 誰かに呼ばれたような気がして振り返った。
 目の前には関口以外に誰も見当たらない。
「お前、今あたしを呼んだ?」
「何? とうとう狂っちまったか?」
「ちげーよ!」
 一蹴してから、耳を済ませてみたが、もう何も聞こえなくなっていた。
 気のせいだったのかもしれない。
”勘違い、かな?”
 とりあえず気を取り直し玄関前へとやって来たところで後ろを振り向く。
 関口はいつの間に取り出したのか、煙草を吸っているようだった。 
「煙草なんて吸ってる場合か、タコ! 行くぞ!」
 声を荒げて言ったが、関口が動く様子はなかった。
「どこに?」
「ど、どこって……。上だよ! 誰かいるかもしんねえだろ!」
「まあ、な。下には誰もいなかったわけだし、後は上しか行くとこもねえが、あの血を流させた奴が上にいるかもしれねえぞ。それでも行くのか?」
 煙草の煙を吐きながら告げる関口の表情は憂鬱そうに見える。
「だったら、余計だ! そいつ、ぶちのめさなきゃ───」
 そこまで言ったところで、関口が広げた左手を前に差し出し、それ以上の言葉を制した。
「ちょっと待ってろ」
「何だよ、急に?」
「便所だよ。絶対、ここから動くなよ」
 それだけ言うと、関口は玄関から院内へと戻って行った。
 置き去りにされた若菜は、何となく空を見上げて息を呑んだ。
 屋上の鉄柵に誰かが凭れている。背を向けているので、誰であるのかまでは判別出来ないが男子のようだった。そして、もう一人。その奥に女子がいるように見える。
”夕子……?”
 遠目なので確信は持てなかったが、どことなく夕子に似ているように見えた。
 その瞬間、若菜の頭から関口の存在が消し飛んだ。
 猛然と足を動かし院内へ戻ると、階段を一気に駆け上がっていく。
 ようやく夕子に会える。その一念だけが若菜を突き動かした。
 二階、三階、四階と過ぎ、踊り場まで駆け上がると、そこから屋上の様子が見えた。扉は開け放たれたままになっている。
 そのまま一気に駆け上がり、飛び込むようにして屋上へと躍り出た。
”夕子……じゃない……!”
 周囲を見回すまでもなかった。
 目の前に二人の人間がいる。
「お前……」
 ゆっくりと、二人の元へと歩を進める。
「お前だったのかよ」
 赤坂有紀は今までと変わらずそこに佇んでいる。そこにはもう微笑はなかったけれど。

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