BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
61
「てっめえ、離せーーっ!」
あらん限りの力を総動員して、若菜は声を張り上げた。
「無理だっつってんだろ!」
右腕を無理やりに引っ張っているのは菊池だ。
「行ってみなきゃ分かんねえだろ!」
「てめえは算数も出来ねえのか?! 後三分で、ここまで戻って来れるわきゃねえだろうが!」
「うるせえ! 行くんだぁーーっ!」
叫ぶと同時に、自分の右腕を掴む菊池の脛に思い切り蹴りを入れる。
低い声で菊池が呻いた。同時に右腕の拘束が解ける。すぐに地面を蹴った。瞬間、今度は左腕を引っ張られた。
無理矢理に逆方向を向かされた先。
真剣な表情で自分を睨む義人が、そこにいた。
「いい加減にしろ! 前に俺が言った事を忘れたのか!」
激昂され、神社内のお堂で義人に言われた言葉を思い出した。
───お前が死ぬ事で泣く奴もいるんだ。
そんな事は分かっている。それでも、やはり見捨てる事は出来ない。
「うっ、わ、分かってるよ! けど、でも、見捨てられるわけねえだろ!」
義人の表情に苦渋の色が浮かぶ。
「や、山口さん」
会話に割り込んできたのは唯だ。唯の瞳は真っ赤に充血している。
「菊池君も天野君も辛いんだよ。私だって、見捨てたりしたくないよ……」
「じゃあ───」と、そこまで言いかけて言葉を止めた。
理由など分かっている。
後三分で、有紀と自分が戦った屋上は禁止エリアになるからだ。いや、こうしている間にも時間は過ぎているのだから、実際には三分もないだろう。
「クソッタレ!」
固いコンクリートの地面を思い切り蹴り付ける。
それから、自分を屋上から運んできた友也の方へと目を向けた。
有紀との戦いの後、気を失った自分を運んできたのが、その場にいた友也だったのだ。
若菜が目を覚ましたのは、丁度、病院の入口を出た直後だった。
目覚めた直後は意識がぼんやりとしていて気付かなかったのだが、ふいに吹き付けた強い風によって完全に目を覚ましたのだ。
屋上で有紀と戦っていたはずなのに、自分はどうして病院から出ようとしているのか。
その場にいた義人達から話を聞いて、ようやく今の状況を理解する事が出来たのだが。
どうしても有紀を見殺しにはしたくなかった。
間に合わないと分かっていても、自分を抑えられない。有紀を助けなければという思いで頭がいっぱいだった。
そうして、すぐに屋上へと戻ろうとして、義人達に止められてしまったのだ。
そのまま状況は平行線。タイムリミットまで、後もう一分もないかもしれない。
「頼む。行かせてくれよ……」
崩れ落ちるように若菜はその場に膝をついた。
「約束……したんだ……。一生ずっと一緒にいるって……」
地面に一粒、涙が零れ落ちた。
「約束……したのに……」
───ありがとう。
「ちきしょう……」
次々に、涙が零れ落ちてくる。
悔しくて仕方がなかった。
「あたしのせいだ……。あたしが赤坂と戦わなきゃよかったんだ……。そうすりゃ、あいつだって死ななくて済んだのに……」
自分と戦いさえしなければ、有紀は禁止エリアによって死ぬ運命など迎える事はなかったはずだ。
誰も死なせないなんて口ばかりで、自分が有紀を殺すようなものではないか。
言う事だけは一人前の無力な子供。一体、何様のつもりで誰も死なせないなどと考えていたのだろう。そんな力もないくせに。
溢れ出してくる涙もそのままに泣き続けていると、ふいに頬に暖かいものが触れた。
「ありがとう。赤坂はお前にそう言ってたろう」
左頬を包んでいるのは友也の左手だった。もう一方の右手の指が、流れ落ちる涙に触れる。
「お前は、あいつを救ったんだ」
その言葉に首を振って答えた。
自分以外にも殺し合いに乗った有紀を止めようと思う者はいたはずだ。だが、自分が屋上に行ったせいで有紀までもが死んでしまう事になったのだ。
「例えお前が違うと思っても、赤坂を救ったのはお前だ。俺が証明する」
友也の右手が前髪をすくい上げる。
見上げると、目と目が合った。
溢れてくる涙は止まらない。
今まで頬を包んでいた左手が、そっと頭の後ろに回された。
それが合図だったかのように友也の胸に涙と鼻水だらけの顔を押し付ける。
それから、初めて大声を上げて泣いた。
夕日に照らし出された紅い空間に、若菜の泣き声だけが響いていた。
*
どうして、こんな事になってしまったのだろう。
考えても分かるはずもない。それでも考えてしまう。
自分達が何をしたというのか。
あの頃に戻りたい。
毎日、笑っていられた頃に。
それがもう叶う事のない望みだと分かっていても。
全身を蝕んでいた痛みは、いつからか消えてしまっていた。
いよいよその瞬間が近付いてきたという事なのかもしれない。
恐怖はなかった。あるのは諦めにも似た気持ちだけだ。
病院裏の小さな庭園の片隅に座り込み、森川葵は親友達の顔を頭に浮かべた。
四人とも誰より大切な親友だ。
例え自分は死んでしまうとしても、皆には生きていて欲しい。
そう思って、先程、見かけた親友の姿を思い浮かべた。
今、自分が座り込んでいる地面より少し離れた位置に、若菜の姿を見かけたのだ。
声をかけようとしたのだが、呻きにも似た掠れた声が少し出せただけだった。有紀に刀剣で刺されて、声が出せなくなってしまったのかもしれない。
それでも気付いてもらおうと何度も何度も呼びかけてみたが、自分自身にも聞き取れない程の小さな呻き声が、離れた位置にいる若菜に届くはずもなかった。
結局、自分に気付く事もなく若菜は行ってしまったのだ。
それからは若菜の無事だけを祈っていた。
この病院内には殺し合いに乗っている者が確かにいる。その者達から若菜が傷付けられる事のないように祈った。
自分に出来る事はもう祈る事しかないから。
ぼんやりと空を見上げて、葵は少しだけ瞳を細めた。
自分が死んで泣いている家族の顔を想像すると涙が出そうになる。
ごめんなさいと伝えたかった。悲しませるような事になってしまった事を謝罪したい。それから、産んでくれた事、育ててくれた事にお礼を言いたかった。
親不孝な娘になってしまったけれど、自分は幸せだったと伝えたい。
大好きだった人達が少しでも悲しまないように。
視界に映る夕日がぼやけて見える。
今、自分は泣いているのだろう。涙を拭おうとも思わなかった。全身が重くて手も動かせないから。
どれくらいの間、そうしていただろう。
いつの間にか目の前に人が立っている事に気付いた。
数秒、見つめ合った後、ようやく口を開いた。
「何で、こんな事になるのよ……」
疲れきった様子の麻由美が小さく呟く。
これといって大きな負傷もないようだったが、それでも憔悴しているように見えた。
「私は、ただ助かりたかっただけなのに……」
呻くように言うと、急に口端に笑みを浮かべた。
「そうよ。悪いのは皆なんだから。信じてたのに……、信じてたのに……、信じてたのに!」
泣きながら笑う麻由美の姿が、とても悲しく見える。
友達を信じていた。だけど、友達以外の人は信じられなかった。
自分と同じだ。自分も夕子の事を信じる事が出来ずに若菜を傷付けた。
「あんたにさえ会わなければ上手くいってたのよ!」
叫ぶように言うと、麻由美は地面に膝をつけ、自分と同じ目線になって告げた。
「あんたがいなくなれば元に戻れる……。楽しかった頃に戻れるの……」
麻由美の手が自分の首へと回される。
首を絞められる。そう思った。いや、もう絞められているのか。
感覚がないからよく分からない。重い身体を動かす事も出来ない。
少し息苦しいような気がしてきたが、それすらも首を絞められているという現状を知っているから、そんな風に思い込んでいるだけなのかもしれない。
本当に苦しいのかどうかも分からない。今、分かる事は一つだけ。
視界に映る麻由美が泣いているという事だけだ。
自然に瞼が落ちる。
まるで暗い世界に誘われるかのように。
死。その現実を受け入れようとした瞬間。
何か低い呻き声のようなものが聞こえた。
ゆっくりと瞳を上げた先。
そこには首から血を噴出し地面に倒れこんでいる麻由美の姿があった。そして、それを見下ろすように立っている人影。
”わか、な……?”
一瞬、そう思った。だが、良く似ているだけで、そうではないとすぐに気付いた。
その少女は確かに笑っているのに泣いているように見える。
「ど……し、て?」
掠れた声で問い掛ける。
自分にも聞こえない程の小ささだ。彼女にも聞こえないかもしれない。
そう思ったが、少女は答えた。
「言っても分からねえよ、きっと……」
そう告げた後、笑っているのか泣いているのか分からない少女は、頭を垂れて前髪でその顔を隠した。
「痛い思いはさせねえ」
ぼんやりと少女の顔を見る。
親友に良く似た少女は瞳を細めて、こちらを見つめていた。
その姿は、先程よりも一層悲しく見える。
その少女の右手が持ち上がった。そこには何かが握られている。どこかで見た事があるような気がするが思い出せない。
分かったのは、自分がこの少女に殺されるという事。それだけだった。
やけにスローモーションに見える少女の動きを見つめながら、葵は願った。
家族の幸せを、親友達の幸せを。
自分が愛した人全てが幸せであるようにと、葵は願った。
その直後、鮮やかに血を噴出して葵は倒れ込む。
ゆっくりと視界が暗くなっていき死ぬのだという事が分かった。
完全に闇に閉ざされた意識は行き場を失い、そのまま霧散していく。
その中で、小さな呟きを葵は聞いた。
───帰りたい……。
若菜に良く似た少女は、葵の亡骸の前で泣きながら笑っていた。
≪残り 31人≫
───第2部 完