BATTLE ROYALE
〜 LAY DOWN 〜


63

 夕子と初めて会ったのは、雪の降る寒い日だった。
 年が明けたばかりの冬休み。
 葵から電話がかかってきて、ちょっとした新年会をやろうという話になったのだ。
 面子はいつもの五人。葵、鈴子、正巳、梨香、そして自分である。
 集合場所は梨香の家で、お菓子を作って待っていてくれるらしかった。
 
「さ、寒い……」
 フードの付いた白いコートを着た若菜は、雪道の中、梨香の家を目指して歩いていた。
 前日から降り続けている雪はかなり積もっていて、ただ歩くだけでも重労働のように思える。
 梨香の家は駅を挟んだ向こう側にあり、若菜の家からは結構な距離になってしまう。もっとも、葵と正巳に至っては電車で一駅分離れており、若菜よりも更に長い道のりを歩かねばならない。それを考えると、自分はまだマシな方かもしれない。
 普段から仲間内で集まる時は梨香の家になる事が多いのだが、今回ばかりは歩き慣れた道がやたらと長い距離のように思えた。
 若菜の視界の端を一台のバイクが横切ったのは、ようやく駅の近くまでやって来た時の事である。
 唸るようなエンジン音がすぐ横を通り抜けたと思った瞬間、何か黒い物が宙を舞ったのを若菜は見た。
 バイクは走り抜けて行き、それから次第に行き交う人々が集まり始めてくる。
 気になって駆け寄ろうとして、一度足を止めた。
 小さな悲鳴。大学生くらいの若い女のものだ。
 悲鳴を上げた女性が一緒にいた友人と共にその場を離れていくのを横目に見ながら、若菜も集まった人々の視線の先にある物を覗き込んだ。同時に息を呑む。
 視界に映ったのは血塗れの白い仔犬だった。
 舞い落ちる雪が真っ赤な血を少しずつ覆い隠していく。
 しばらく、呆然とその様を見つめていたが、何事かと集まっていた人々がその場から離れて行くにつれ、ようやく若菜も我に返った。
 血塗れの仔犬に近付き、その体に触れてみる。
 仔犬の身体はまだ少し温もりが残っていたが死んでいるのは明らかだった。
 病院に連れて行かなければ。死んでいると分かっていたが、それでも若菜は仔犬の体を抱え上げた。片手でも抱えられそうな程に軽い。その軽さが、何故かとても悲しかった。
 動物病院の場所を聞こうとして周囲に目を向けたが、先程まであれだけいた人々はどこに消えてしまったのか、今や片手で足りる程度の人数になってしまっている。
 残っていた人々や、新たに通りかかった人々も、若菜と目が合うや否や逃げるように立ち去って行った。
 どうして。訳が分からなかった。どうして誰も助けてくれないのか。
 憤った想いを口に出して吐き出そうとした時、自分よりも少しだけ年上のように見える少女がこちらに近寄ってきた。
「それ、どうするの?」
 少女の方から語りかけてきた。
「病院に連れて行くんだよ!」
「もう死んでるんじゃないの?」
「うるせえな! いいから病院の場所教えろよ!」
 叫ぶように言ったが、少女は少し瞳を細めただけだ。それから、持っていた傘を若菜の頭上へと差し掛けた。
「死体を連れて動物病院に行っても追い返されるだけよ。埋めてあげた方がいいんじゃないかしら」
「けど……!」
 犬の死体を埋められるような場所など知らない。都会のど真ん中にそんな場所などあるとも思えない。
「私の家にいらっしゃい」
 傘を左手に持ち替えた少女が、開いた右手を差し出してくる。
 促されるように細くて白い少女の手に自分の手を重ねた。
 そのまま導かれるように若菜は歩き出す。
 繋いだ少女の手が、やけに冷たく感じられた。
 
 いわゆる豪邸という感じの家の前で、少女は立ち止まり、こちらを振り向いた。
 どうやら、ようやく少女の住む家に辿り着いたらしい。
 歩いた距離的には若菜のアパートから駅までと、そんなに大差はないだろう。家の大きさだけは別次元だったが。
 大きな門扉を開け、少女が中へと入っていく。
 その背中を追いかけるように、仔犬の亡骸を抱えた若菜も少女の家へと足を踏み入れた。
 門扉を入ると奥に家の扉が見えたが、その前に広い庭がある。今は雪が積もっていて分からないが、普段は手入れの行き届いた庭なのだろう。 
 足跡一つない雪の絨毯の上を黙って歩いて行くと、少女は家ではなく、その脇にある小さな小屋らしき所へと入って行った。
 小屋の中はどうやら物置のようだったが、ここだけで若菜の家と同じくらいの広さがある。 
 まだ綺麗な三輪車から、子供の遊び道具、果ては原付まで様々な物が置いてある中から、少女は少し大きめのシャベルを手に取った。
 そのシャベルで仔犬の墓を掘るつもりなのだろう。
「こっちよ」
 それだけ言うと、すぐに小屋から出て歩き始めてしまう。
 若菜も仔犬の亡骸を抱きしめたまま、その後を追った。
 連れて行かれたのは、一際大きな木の下である。ここに墓を掘るつもりなのだろう。
 少女が黙って、シャベルをこちらに手渡してくる。
 仔犬の亡骸を少女に預け、シャベルを地面に突き刺した。
 雪は相当積もっているようで、かなりの重労働になりそうな気がする。
 それから、数分の間、黙って雪と土を掘り進め続けた。
 少女は仔犬の亡骸を抱いたまま、黙ってこちらを見つめているだけだ。
 やがて適当な深さまで地面を掘りきると、シャベルを雪の上に置き、少女の方を振り向いた。
 小さく頷くと、少女は黙って仔犬の亡骸を手渡してくる。
 一度頭を撫でてやってから、たった今掘った墓の中へと、その小さな体を安置させた。
 それから、ゆっくりとその上に土と雪を被せていく。
 ようやく元の状態まで戻したところで、若菜は両手を合わせて目を閉じた。
 何を祈れば良いのだろう。何となく、そんな事を考えた。
 天国へ行けるように祈れば良いのか。ありきたりな事しか浮かばなかった。
 ふと、少女の方に目を向けてみる。少女は手を合わせる事も瞳を閉じる事もなく、ただ仔犬の眠る場所を見つめているだけだ。
「どうしたの?」
 視線に気付いたのか、少女がこちらへと目を向けてきた。
「あ、いや、こんな時、何祈ったらいいのかなって……」
 若菜が言うと、少女は少し考えるような表情になり、それから告げた。
「何も。何も祈る必要なんてないわ」
「え? 必要ないって───」
「忘れないで、覚えていてあげなさい。このコが生きてたっていう事を」
 それだけ言うと、少女は少しだけ微笑した。どこか悲しい表情のようにも見える。
「優しいのね、あなたは」
 少女の冷たい手が髪に触れる。
 どう答えていいか分からない言葉に、若菜は戸惑いながら口を開いた。
「たまに……ここに来てもいいかな?」
「ええ、ご自由に。名前、聞いていいかしら?」
 悲しそうな表情は既に消えていた。
 今はただ優しげな瞳で、こちらを見つめている。
「ああ、あたしは山口若菜。よろしくな」
「若菜さん、ね」
「うん。あ、呼び捨てでいいぜ。おま……じゃなかった。あんたは?」
 頭をかきながら言い、それから少女の顔を見つめた。
「夕子。中野夕子よ。よろしくね、若菜」
 差し出された夕子の手を静かに握り返す。繋いだ手に冷たさは覚えず、ただ暖かい気持ちになった気がした。
 
 この日の事を、あたしは一生忘れない。
 
 
                             *

 
 最初、自分がどこにいるのか分からなかった。
 寝ぼけ眼のまま毛布を脇に除け、周囲を見回してみる。
 そうしているうちに、ようやく自分の置かれた状況を思い出し、山口若菜(女子19番)は下唇を噛んだ。
 また泣きそうになっていると思い、頭を振ってみる。
 全部、夢だったらいいのに。
 そう思ったが、これが現実である事は嫌という程、はっきりしている。
 時折、感じる体の痛みも、これを現実だと知らしめようとしているような気がした。
「葵……」
 小さく親友の名を呟いてみた。
 もういない親友。
 信じられない。信じたくない。
 名前を呼べば、いつものように笑顔で応えてくれるような気がして何度も葵の名を呼び続けた。
 しばらく、それを繰り返していたが、やがて声が出なくなってくる。
 それでも呼び続け、自分が泣いている事に気付いたところで、ようやく止めた。
 溢れてくる涙は止まる事を知らず流れ続ける。
 その事実を知ったのは、この家に辿り着いてすぐの事だった。
 あの病院を後にした若菜は、義人、菊池、唯と共に落ち着ける場所を探してこの家にやって来たのだ。 
 エリアで言うとE−8にあるこの家は、ごく一般的な家だったが、二階建てだったのと、片側が海に面しているという事で義人が選んだのである。
 その理由として、裏手が海に面していれば見張りも楽だからと言っていた気がするが、よく覚えていない。
 あの放送があったのは、それからすぐの事だった。
 毎日、午前と午後の0時と6時にあるという定時放送。若菜達がこの家に着いてすぐの18時の放送でそれは告げられた。
 淡々と続く放送の中で告げられた死者の数は七人。その最後の七人目の名前を聞いた瞬間、若菜の中で何かが弾けた。
 信じられない思いは、行き場のない怒りに変わり、やがてそれが悲しみに変わるまで、若菜は泣き喚き続け、しまいには義人に当て身を喰らい眠らされたのだ。
 そうして、ようやく目を覚ました今も自分はまた泣いている。
 様々な思い出が蘇っては消え、また別の思い出が浮かんでくる。
 どれくらい泣き続けたのか、涙も涸れ果てて嗚咽しか出なくなった頃、葵のものとは別の優しい声が聞こえた気がした。
 自分がよく知っている大好きな親友の声。
 彼女の声が胸の内に響いてくる。  
 ───忘れないで、覚えていてあげなさい。
 あの日、夕子が自分に言った言葉。
「夕子……」
 それから何度も、自分に言い聞かせるように夕子の言葉を繰り返した。
 それが、葵が生きていた証になるように。
 自分の中で葵という存在が、いつまでも生き続けるように。
 ”忘れない。あたしは葵を忘れない……”
 涙と鼻水だらけの顔で、若菜は何度も何度も呟いた。


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