BATTLE ROYALE
〜 LAY DOWN 〜


64

 一体、どのくらいの間、泣き続けていたのか。
 とうとう涙も涸れて出て来なくなった頃、若菜はようやく立ち上がった。
 腫れた目で窓の向こうの暗闇を睨み付ける。
 ガラス窓を拳で叩き割りたい衝動に襲われた。
 行き場の無い悲しみは、自分でも気付かない内に怒りに転化してしまっていたようだ。
 葵を守れなかった自分への、有紀を死なせてしまった自分への怒り。
 自分の無力さが耐えられなかった。
 自分がもっと強ければ、彼女達は死ななくて済んだのではないのか。
 強くならなければ。
 これ以上、大切なものを奪われないように。大切なものを守っていけるように。
「負けねえぞ、あたしは……」
 下唇を噛み、両の拳を握り締める。
 言葉を誓いに変えて窓の向こうを見据えると、ほんの少しだけ勇気が湧いてくるような気がした。
 それから、ベッドの上に再び腰を下ろし頭を巡らせてみる。
 今後、自分がしたい事、するべき事は何か。
 まず仲間を探す。そうして仲間達を守る。
 自分に何が出来るかは分からないけれど、出来ない事などないはずだ。
 生きている。それだけで無限の可能性がある。
 今、心からそう思える。
 死んでしまいさえしなければ何だって出来るはずだ。
 そこまで考え決意を新たにした時、扉をノックする音がして若菜は振り返った。
「開いてるぜ」
 扉の向こうにいる誰かに向けて言いベッドから腰を上げる。
 ゆっくりと開いた扉の向こうから、自分と同じ背丈の少女の姿が現れた。
「起きてたんだね」
 小さな声でそう言うと、手塚唯(女子13番)は曖昧な微笑を浮かべた。
 部屋の中央までやって来た唯が、覗き込むように自分の顔を見つめて来る。
「な、なんだよ?」
「あ、ごめん。大丈夫かなって思って……」
 どうやら自分の事を心配して様子を見に来てくれたらしい。
「そっか。わりい。大丈夫だよ、あたしは」
 半分、無理矢理な笑みを浮かべて告げると、若菜はまたベッドに腰を下ろした。
「お前こそ……大丈夫、か?」
 今の自分の顔は鏡がないので分からないが、唯の瞳も少し赤くなっているように見えた。
 自分が葵を失ったのと同じように、唯も絵里という親友を失ったのだから無理もない。
 唯と絵里がどれくらい深い付き合いだったのかは知らない。親友であるという漠然とした事実を知っているだけだ。
「隣……いいかな?」
 頷くと同時に、穏やかな微笑を浮かべた唯が若菜の隣に腰を下ろす。
 しばらく、唯は何も喋らず伸ばした足先を見つめたり、部屋の中を見回したりしていた。
「私と絵里ね。幼稚園の時からの付き合いなんだ」
 ぽつりと唯が呟いた。
 横顔からその心の中を窺おうとしてみたが、悲しみ以外のものを感じとる事は出来ない。
「同じ小学校に入って、同じ中学行って……。これからもずっと一緒にいられるって思ってた。信じてた、けど……」
 そこで唯の言葉が止まる。
 泣くのかと思った。だが、唯は涙を流しはせずに、こちらに顔を向けて告げた。
「私……負けたくない。絵里の為にも生きていたい」
 熱を持った必死な眼差しは、胸のどこかに突き刺さるような気がする。
 一瞬、先程まで泣き喚いていた自分が気恥ずかしくなり、思わず顔を下に向けた。
「うん。だよな。生きなきゃ……」
 葵の為に、有紀の為に。そして、誰より自分の為に。
「生きようぜ、皆で」
 力強い眼差しで唯が頷く。その瞳は、まだ悲しみに彩られていたけれど。
 それから、しばらく沈黙が続いた後、ふと唯が口を開いた。
「山口さんさ、好きな人とかいる?」
「は? な、何を急に?」
 いきなりの場違いな質問に驚きつつ顔を向けると、唯は苦笑いしているようだった。
「私は、西村君の事いいなって思ってた。好きだったのかどうかはよく分かんないけど」
「ふーん、西村、ね」
 涼と言えば、葵と噂になっていたのを思い出した。
 葵自身は笑って否定していたけれど、唯にとっては恋のライバルというやつだったのだろうか。
「うん。けど……」
「けど?」
「あ、な、何でもない」
 取り繕うように笑うと、唯は両腕を上げて伸びをしてみせた。
「けど、一回くらいは恋愛してみたいよね」
「そうか? あたしはあんま興味ねーけど」
 そう言うと、微笑を浮かべた唯がこちらを覗き込むような姿勢になった。
「してみたいよ。うん。手繋いでデートしたりさ、何か素敵じゃない? そういうのって」
「そ、そうか? けど、まあ、どうせ付き合うんなら金持ちがいいな」
「何で?」
 少し意外そうな瞳でこちらに顔を向けてくる。
「だって、焼肉とか奢ってくれそうじゃん」
 若菜が答えると、唯が弾けるように笑い出した。
「な、何か、めちゃくちゃ山口さんらしい」
「あのな」
「け、けど、そういう考え方なら私もお金持ちがいいや。ケーキ食べ放題とかしてみたいし」
 そう言う唯は未だに笑い続けている。
 しばらく、そんな風に取り留めのない会話を続けていると、再び扉をノックする音がして若菜は振り返った。
「開けるぜ」
 それだけ言うと、こちらが返事をするより先に扉を開いて中へと入ってくる。
「何とか、元気になったみたいだな」
 口元に笑みを見せて言ったのは、菊池太郎(男子7番)である。
「何の用だよ?」
「そりゃねえだろ。天野が飯作ったから起こしに来てやったんじゃねえか」
「え! 飯?!」
 その言葉を聞いた瞬間、自分が空腹だった事に気付いた若菜である。
「何? 何? 何作ったの?」
「シチューだな、ありゃ」
「おお! シチュー! 早く行こうぜ!」
 扉の前まで歩いてから唯の方を振り向いて告げた。
「で、でも、どこにそんな物……?」
 戸惑いの表情で唯が菊池に問い掛ける。
「台所にカセットコンロやら缶詰やら何やら残ってたみたいでな」
「だ、だけど、それだって政府の罠かも……」
 自分の考えに怖くなったのか唯が口元に手を当てた。
 それを見た菊池が笑って告げる。
「その心配はねえよ」
 笑顔で唯に告げた直後に、菊池の顔が青くなる。
「毒味させられたからな、あの野郎に……」
 どうやら相当、嫌な思い出として菊池の脳裏に焼き付いてしまったらしい。顔中に汗が噴き出している。
 そんな菊池を尻目に、若菜は食べ物が待つ食卓へと向けて歩き出した。
 部屋を出る直前、菊池の呟きが背中に響いた。
「鬼だぜ、あいつ……」

 いくつかの皿が並んだテーブルの中央には、枯れかけた花が飾られていた。
 ここに来た直後に、この部屋には来ていたはずだが、どことなく別の場所のような印象を覚える。
 食事の準備がされているからなのか、単に気分の問題なのかは分からない。
 全員が席に着いたのを確認して、天野義人(男子1番)が口を開いた。
「大した物じゃないが、支給品のパンよりはマシだろう。適当に食べてくれ」
 メニューは具のないレトルトのカレーと、缶詰数種類、それにスナック菓子といったところだ。勿論、カレーはルーのみである。
 全てこの家の住人が残していった物のようだ。
「いっただっきまーす!」
 若菜の言葉が合図だったかのように、菊池と唯も目の前のカレーのルーに手を伸ばし始める。
 レトルトにしては、味もそこそこ悪くない。
 何度かカレールーを口に運んだところで、視界の端の菊池の動きが目に入った。
「あーっ! てめえ、菊池!」
「な、なんだよ?」
 缶詰の一つを手に取った状態のまま、菊池がこちらに目を向ける。
「そのいわしの缶詰、あたしが狙ってたんだよ!」
「はぁ? 知るか! 狙ってたなら最初から自分の前にでも置いとけや!」
 睨み合う二人。
「男のくせに缶詰くらいでデケー声出してんじゃねーよ、バーカ!」
「な、なにぃ?! どっちが馬鹿だ! 赤点女王が!」
「ぐぁっ! い、言っちゃなんねえ事を……」
 二人の間に火花が散る。そして、ほぼ同時に二人は立ち上がった。
「表出ろ、コラァッ!」
「上等だ、クソ女!」
 両手を思い切り叩き付けた反動でテーブルが揺れる。
「座れ」
「あぁ?!」「何だよ?!」
 若菜と菊池が同時に義人の方に顔を向け、その場で動きを止めた。
「座れ」
 鋭い目線の義人からは黒いオーラが放たれている。
 その眼光に射抜かれたまま、若菜は震え上がりながら腰を落とした。
 横を見ると菊池も自分同様、息を呑んだ表情で腰を下ろしている。
 周囲の温度が一気に氷点下まで下がり、その状態のまま食事が続いた。その間、誰も口を開かなかった事は言うまでもない。
「ご、ごちそうさま。美味しかったよ、天野君」
 一番最後に食事を終えた唯のその一言がきっかけとなったのか、それからようやく元の空気が戻って来た。
 その後、しばらく食事の感想など取り留めのない会話をし、やがて話が途切れたところで義人が口を開いた。
「これからの事だが……」
 話し始めると同時に、若菜を含めた三人の視線が一斉に義人へと向けられた。
「俺達の基本方針は、やる気でない奴等を集めて脱出する。それはいいな?」
 義人の目が自分達を順番に見つめていった。
「問題はその方法だが、今のところ策は何もない」
「あっさり言ってくれるぜ。嘘でも考えがあるって言ってくれりゃ、まだ救われるものを……」
 菊池が苦笑しながら呟いた。
「ここでそんな事を言っても仕方ないだろう?」
「ま、確かに」
 菊池が頷き、そのまま続けた。
「で、どうするよ?」
「とりあえず、明日の昼まではここにいようと思う。動くなら明るい時間の方がいいだろうからな」
「あぁ? 何でだよ? そんな暇ねえだろ! 飯も食ったし、今すぐ出ようぜ!」
 腰を浮かせて若菜が言うと、動きを遮るかのように義人が口を開いた。
「ダメだ」
 首を振って告げてから、真剣な眼差しをこちらに向けてくる。
「恐らく、俺達は自分で思ってる以上に疲労してるはずだ。休息は取れる内に取っておいた方がいい」
「あたしは全然疲れてねーぞ!」
「お前は寝てたからな。寝る暇もなかった奴もいるんだ」
 そう言われて、ようやく気付いた。
 斜め向かいの席に座る唯に視線を向ける。
「あ、わりい」
「え? あ、私も別に───」
「無理すんなよ」
 菊池が口を挟む。
 自分も別に疲れていない。そう言おうとしたのだろうが。
「そういう事だ。分かったな」
 まとめるように義人が告げると、若菜も頷いてみせた。
「それで、どういう順番で睡眠を取るかだが、俺と山口と菊池で四時間交代で順番に取ろうと思う」
 そこまで言ってから、唯の方に目を向けて続けた。
「手塚。お前は相当疲れてるだろう。見張りは俺達に任せて、ゆっくり休んで体力を戻してくれ」
「でも! 私だけ、そんな……。山口さんだって見張りするんでしょう?」
「気にするな。こいつは入れないとうるさいから入れただけだ。そうだろう?」
 義人がこちらに目を向ける。
 それを受けて、若菜は唯の方に向き直り右手でピースマークを作った。
「そういうこった」
「決まり、だな」
 言いながら、菊池が立ち上がる。
「ありがとう」
 静かに呟いた唯が立ち上がり、それから三人に向かって笑顔を見せた。
「帰ろうね。絶対、みんなで帰ろう」
 それは無理に作ったであろう事がよく分かる笑顔だったけれど、それでも若菜の胸に響く言葉だった。
 
 帰る。そう、ここは自分達のいるべき場所ではない。だから、帰るのだ。自分達のいるべき場所に。
 
 帰りたい。自分の居場所に。

 帰りたい……。
 

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