BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
68
自分が静かすぎる場所が苦手だったという事を初めて知ったような気がする。
すぐ傍のソファで義人が仮眠を取っているが、寝息も聞こえない。
無口な人間は、寝ていても静かなのだろうか。
「とうっ!」
座っていた椅子から飛び降りると、若菜は床に置いていたデイパックへと手を伸ばした。
四つあるデイパックの中から自分の物を選び中に手を突っ込んだ。
ざっといじくりまわしてみたが、探している物は見つからない。
「あれ?」
不思議に思ってデイパックを引っくり返してみたが、やはりお目当ての物の姿は見当たらなかった。
「あっれー?」
声を上げた後、思わず両手で自分の口を塞いだ。
それからゆっくりと傍のソファに目を向けて安堵した。
黒いオーラを放ちながら起き上がる義人の姿を想像していたのだが、何とか眠りを妨げずに済んだようだ。
前夜の恐怖は当然忘れていない若菜であった。
それにしても、やはりさすがの義人も相当疲れていたのだろう。
見張りの順番を決めると、すぐに眠ってしまった。
今は菊池が見張りをしていて、その後は若菜の番だった。唯は最初に若菜が寝かされていた寝室で眠っているはずだ。
「あっ、そっか! あの部屋!」
突然、閃いた事実に思わず指を鳴らすと、デイパックの中身をぶちまけたまま若菜はその場を離れた。
足音に気をつけながら目当ての部屋の前までやってくると、息を殺してその扉を開けた。
窓側に設置されたベッドの上には毛布に包まって眠る唯の姿がある。
そこに向かって若菜は静かに足を進める。勿論、細心の注意を払って足音を消した。だが、ふと気付いた。
「変態か、あたしはーーっ!?」
よく考えなくても女同士なのだし寝室に入っても特に問題はなかったというのに。
「そもそも夜這いしに来たんじゃねーっつーの!」
そう言った瞬間だった。
「げっ! 手塚?」
唯が小さく声をあげたのだ。
”まじい。起こしちまったか……?”
思って冷や汗をかいたが、どうやら杞憂に終わったようだ。
唯は起き上がってはこない。ただ、眠ったまま静かに涙を流していた。
”手塚……”
絵里の夢でも見ているのだろうか。
そう思うと胸が痛んだ。葵を失った自分同様、唯も絵里という大切な親友を失ったのだ。
ギュっと拳を握り、再び滲んできた涙を抑える。
そうして葵の顔を頭に思い浮かべた。
必ず帰る。そう決めた。
泣くのは全部終わってからでいい。
胸の内で自分の決意を反復すると、若菜はゆっくりとベッドへと近付いていく。
恐らく目当ての物はポケットに入れていて、寝ている時にベッド上に落としたのだろう。
唯を起こさないよう気を使いながらベッドの上に手を伸ばす。
小さな物だから見つけるのは困難かもしれない。
若菜が探しているのは小さなピアスだった。
下手をすれば横になっている唯の体の下にある可能性すらある。
声を殺したまま、ベッド上に手を這わせてみたが、一向にピアスらしき物は見当たらない。
あらかたベッド上を探索し終えたところで、若菜は一度小さく息を吐き意を決した。
”手塚……すまねえ!”
起こしてしまわないようにと、優しく唯の体に手を伸ばす。
とにかく体をどかせようと背中を押してみた。正にその瞬間、唯が寝返りを打ち、避けようとした若菜の顔面に裏拳が炸裂した。
顔の中心部を確実に捉えた、それは見事な裏拳だった。
不意打ちを喰らった若菜は思わずうずくまって呻いていたのだが、顔に当てていた右の手の平に奇妙なぬめり気を感じて手を離した。
広げた手の平は見事に真っ赤に染まっている。
「ま、またかよ……」
この島に来てから一体何回目の鼻血だったか。
「ん……だれ……?」
「て、手塚!」
若菜に裏拳を喰らわせた時の衝撃で目が覚めたとでもいうのか、唯が横になったまま呟き、ゆっくりとこちらに目を向けようとした。瞬間、驚いた若菜はバランスを崩して、唯の上へと覆い被さった。
格好だけ見れば唯の上に若菜が圧し掛かっているという状態である。
唯の悲鳴が若菜の耳をつんざいたのは、その数秒後の事であった。
「バ、バカ!」
反射的に唯の口を抑え、声が出ないようにしてみたが後の祭りである。
「手塚ぁーーっ!」
勢いよく部屋の扉が開き、男が一人室内に入って来た。
言うまでもなく見張りをしていた菊池である。
「誰だ、てめえ!」
「あ、あたしだ、あたし!」
ドスの利いた声を上げた菊池が驚いた顔になり、ゆっくりとこちらに歩み寄って来る。
そこで若菜もようやく唯の口を抑えていた手を離し、ベッドから飛び降りた。
「な、何してんだ、お前は? ていうか、何で鼻血垂れ流してんだ」
心底驚いたというような口調で菊池が呟く。
「お、女の友情を深めようかと思って」
笑みを見せて言った若菜の口元が微妙に引き攣っていた事は言うまでもない。
「いっぺん……死んで来い、ドアホーーっ!!」
天をも貫くほどの叫びが室内に響き渡る。
腹の底からの叫びを上げ終わると、菊池は唯の方に目を向けた。
「大丈夫か、手塚? この変態に何かされなかったか?」
唯の方は苦笑いしたままベッドに座り込んでいる。
「だ、大丈夫だよ。それより、山口さん。鼻血が……。それで驚いちゃって……ごめん……」
「え? あ、ああ。大丈夫、大丈夫。寝てるのに起こして悪かったな」
「う、うん」
苦笑いしたまま頷いた唯が、ふと視線を上げた。
その瞳が見つめる先は若菜でも菊池でもない。
「ま、まさか……」「どうした、手塚?」
唯を見つめていた若菜と菊池が同時に口を開いた。
「随分、元気そうだな、お前ら」
”や、やっぱり……”
ゆっくりと顔を後方に向けると、想像通りの人物が開け放たれた扉の前で仁王立ちしていた。
「あ、天野……」
菊池の声も心なしか震えているように感じたが気のせいではないだろう。
ドス黒いオーラに包まれた義人を見れば、その怒りの程は明らかである。
「お、落ち着け、天野」
「そ、そうそう。そんなに怒らなくても……」
怒りを静めようと愛想笑いを振りまいてみた若菜だったが、黒き仁王の前では黙り込むしかなかった。
「静かにしてろ」
「は、はい」「す、すまん」
若菜と菊池が同時に頷くと、黙したまま義人は室内を後にして去って行った。
短い沈黙が走った室内で、最初に声を上げたのは唯である。
「だ、大丈夫?」
応えるように菊池が呟く。
「あ、ああ……。何か背中から黒いの出てた気が……」
「寝起き最悪なんだよ、あいつ……」
その後、義人が眠っている場合、絶対起こさないようにしようと誓い合うと、菊池は「手塚に妙な事すんなよ」と言い残して見張りに戻って行った。
「ところでさ、山口さん」
「ああ。悪かったな、何か。ちょっと探し物があって」
「あ、うん。それはいいんだけど、鼻血拭いた方が……。凄い事になってるけど……」
苦笑しながら言う唯は、若菜の鼻血が自らの裏拳によるものだとは思ってもいないようである。
唯から貰ったポケットティッシュで鼻血を拭き終えた若菜は、再びベッドに目を向けピアスを探そうとしたのだったが。
「探し物って、これ?」
唯が右手を差し出して声を上げた。
人差し指と親指で何かを掴んでいる。
「あっ! ピアス?」
銀色のそれは紛れもなくピアスだった。
「どこで見つけた?」
唯がピアスを差し出しながら、左手で学習机を指差した。
「あの机の上。何か気になったから持ってたんだけど、山口さんのだったんだ」
「え? ああ、違う違う。預かったんだよ」
他人の物だからこそ、失くすわけにもいかなかったのだ。
「見つかって良かったー。んじゃ、ありがとな、手塚。起こして悪かったな。おやすみ!」
唯が微笑して頷いた。
手を振って室内を出る時、ふとピアスの持ち主の事を思い出した。
「やっぱ、どっかで見た事あるよなー」
右手に持ったピアスを眺めながら、若菜はひとりごちた。
長方形の銀色のピアス。
これと同じ物をどこかで見た事があるような気がした。
派手さのない、むしろ味気ない感じさえするピアスだ。だが、どこかで見た事があるような気がする。
間違いなく流行り物ではないので、街中で見かけたというわけもないのだが。
*
「これ、預かっててくれよ」
あの総合病院を後にする時、坂井友也はそう言って口端に笑みを浮かべた。
「何だよ?」
友也から手渡されたのは、飾り気の全くない銀色のピアスだった。
「大切な物だからな。失くすんじゃねーぞ」
「はぁ? 大切な物ならてめえで持ってりゃいいだろ」
「まあ、そう言うなよ。お前がそいつを持ってる事で、俺には目的が出来る。そいつを返してもらうっていうな」
「何で、あたしなんだよ? 別の奴に持たせりゃいいだろ」
その質問には、友也はにやりと笑みを見せただけだった。
「とにかく、任せたぜ」
「お前な───」
文句を言おうと口を開いた瞬間、いきなり髪に触れられた。
出しかけた言葉を喉の奥にしまい込み、友也を見つめる。
暗い目をしている。そう思った。
「またな」
しばらく見つめ合った後、一言、それだけを告げ友也は踵を返した。
歩き出した友也の背中越し。病院の入口の辺りに柴隆人の姿がある。
その視線は自分を射抜くように見つめていたが、ややして友也の方へと移された。
「坂井は何て?」
聞き慣れた低い声。
いつの間にか義人が傍に来ていた。
「またな、ってさ」
義人の目はじっと友也の背中へと向けられている。
「あたしらも行こうぜ」
「ああ」
訳の分からない緊張感に負けて若菜の方から促がした。
菊池と唯も近くで待っているはずだ。
「ほら、行くぜ」
若菜に続いて義人も踵を返す。
去り際、隆人と共にこちらを見つめている友也と再び目が合ったような気がした。
*
友也が何故、このピアスを自分に預けたのかは分からない。
ただ、預かった以上は失くすわけにはいかないだろう。
いつか友也に返す時まで。
”けど、いつかっていつだよ……”
殺し合いはまだ続いているのだ。
再会するよりも前に、自分が死ぬか、友也が死ぬかしてしまうかもしれない。
そうなった場合、どうすればいいのだろう。
そこまで考えて若菜は首を振った。
”あたしは死なねえ。死なねえぞ……”
だから、無用な心配だ。
友也が生きてさえいれば、これを返す機会は必ず訪れる。
椅子の上で膝を抱えたまま、若菜は宙を睨み付ける。
「生きるんだ、皆で」
口の中で小さく呟き、若菜はピアスを手の平で包み込んだ。
生きてさえいれば、必ず……。
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