BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
70
少女は泣いていた。
もう、ずっと泣き続けている。
流れ続けていた涙が乾ききっても、まだ泣き続けている。
心が絶望で泣き叫んでいるのだ。
悲しみと絶望に彩られた少女の心は、冷えきって今にも壊れそうだった。
決壊寸前の心で少女は誓う。
自分が為すべき事を。
彼の名の下に……。
*
「ごめんね、ハナ」
「ううん。いいの! だって好きでやってるんだもん」
夕暮れの教室に声が響く。
教室には私と彼の二人だけ。
もうすぐ六年間通い続けた小学校を卒業して中学生になるのだ。
中学生といったらもう大人。
私はそう思っていた。
今はまだただの幼馴染だけれど、後僅かの時が過ぎて中学校に進学したら彼も私の気持ちに気付いてくれるだろうか。
「あー! いたいた!」
「何してるんだよ」
二人だけの空間に突然割り込んできた声。
その声の主の姿を確認して私は微笑した。
「あ、あすか。シンくん」
「遅いよ、ハナもたっくんもさー」
「俺達、ずっと下駄箱で待ってたんだぜ」
そう言いながら、シンくんが彼の方に近付いて行く。
「タケ、何やってんの?」
「ごめん。まだ委員の仕事が終わらなくって」
目の前に置かれているわら半紙の束から目を離して、たっくんが笑った。
たっくんは目前に控えた卒業式の実行委員の一人なのだ。
実行委員は各クラス男女一人づつ。私とたっくんのクラスからは女子の立候補者はいたが、男子の立候補者がいなかった為、半ば強制的に委員を決める日に風邪で欠席していたたっくんがやる事になってしまったのだ。
たっくんが委員をやるなら自分も委員に立候補したかったが、立候補者が別にいた為、結局諦めざるを得なかった。
「実行委員って。もう一人は? ハナじゃないだろ?」
「うん。塾があるみたいだったから先に帰っていいよって言ったんだ」
「えー? 何だよ、それー? 塾なんて関係ないだろー。委員なんだから」
鼻を鳴らして言うと、シンくんはたっくんの隣の席に腰を下ろしわら半紙に目を向け始めた。
「仕方ないなあ、もう」
続いて、あすかも私の隣に腰を下ろした。
「じゃあ、四人で一気に終わらせちゃおうぜ」
「わ、悪いよ、そんなの」
「いいから、いいから。まっかせてよ!」
腕まくりしながら言うあすかは何だか勇ましく見える。と言っても、私よりも小柄で痩せているのだが。
結局、それから三十分程で、あっという間に実行委員の仕事は片付いた。
さすがに四人で分担してやると早い。
「これで帰れるね」
あすかが言うのと、シンくんが立ち上がるのが同時だった。
「早く帰ろうぜ。俺、腹減ったよー」
今の時間はもうすぐ4時半になろうというところである。
「うん。ありがとう、みんな」
笑いながらたっくんが口を開いた。
「いいって、いいって」
「そうそう。むしろタケらしいし」
あすかとシンくんが続けざまに、そう言って笑う。
「そうだよ。たっくんらしい」
私の好きな人。
自分を犠牲にして誰かの為に何かしてあげてしまうような優しい人。
誰より優しいたっくんの事が好き。
「ハーナ」
あすかがいきなり私の顔を覗き込んできた。
「どうしたの、あすか?」
「中学でもさ、たっくんと同じクラスになれるといいね」
私だけに聞こえるように小声であすかが呟く。
途端に恥ずかしさで顔が熱っぽくなってきた。
「赤くなってるよ、ハナってば」
「あすかぁ」
笑いながら言うあすかの前で、私は思わず俯いてしまった。
「何やってんだよ、帰ろうぜー」
「うん。今行くー」
シンくんが促がすと、すぐにあすかが答えた。
たっくんとシンくんは、いつの間にか廊下の扉の前まで行っていたようだ。
「行こ、ハナ」
あすかが右手を差し出してくる。その手を握り返して私とあすかも教室を後にした。
校門を出てすぐに、一度だけ私は振り返った。
慣れ親しんだこの校舎とも、後一ヶ月もしないうちにお別れしなければならない。
それが何だか無性に寂しく思えたのだ。
「ハナ?」
たっくんが傍に来て、私の顔を覗き込んでくる。
「もうすぐ卒業だね」
「うん」
「ねえ、たっくん。私……私ね……」
今ならこの想いを口に出来そうな気がする。
「ハナ?」
多分、もう顔は真っ赤でゆでだこみたいになってしまっているだろう。
「たっくん……私───」
「何やってんだよ、早く帰ろうぜ!」「バカ!」
いきなり耳に入ってきた声に私は思わず口を噤んで俯いた。
シンくんとあすかがほぼ同時に声を出したのだ。
「ごめん、今行くよ」
たっくんが二人の方を振り向く。
「帰ろう」
優しい声に促がされて、私もようやく顔を上げた。
たっくんは、いつもの穏やかな笑顔で私を見つめていた。
「うん」
嬉しい気持ち。優しい気持ち。それらが心の奥底から湧いてくる。
「ごめーん!」
いきなりあすかが飛びついてきた。
「なんだよ! 何で、俺がぶたれんだよ!」
少し離れた所で、シンくんが頭を抑えて喚いている。
「うるさい! あんたが悪いの!」
「な、なになに?」
事の成り行きが理解できていないたっくんは、シンくんとあすかを交互に見てうろたえていた。
私は何だかおかしくなって笑ってしまった。
「ごめんね、ハナ」
「いてーな、あすか!」
「シン、大丈夫?」
私が笑ったままでいると、次第にたっくんもシンくんもあすかも笑い出した。
こんな優しい時間がいつまでも続いて欲しい。
それは私の願いだ。
大好きな人達と過ごす大好きな時間。
それがいつまでも続くと、私は信じている。
ずっと一緒に過ごしていけると。
私達四人はいつも一緒だった。
たっくんとシンくんと私は家が近所同士だった事もあり、まだ幼稚園に入るよりも前からの友達だった。
三人で同じ幼稚園に入り、同じ小学校に通い、ずっと兄弟のように暮らしてきたのだ。
小学校二年生の時、たっくんの親戚でもあるあすかの家がたっくんの家の近くに引っ越してきてからは、あすかも含めた四人で遊ぶようになった。
優しいたっくんと、元気なシンくん。活発なあすかと、どちらかというと大人しい私。
四人でいる時間が大好き。
ずっと、ずっと四人で一緒に生きていきたい。
中学生になっても、高校生になっても、大人になってからも。
きっと、ずっと一緒でいられるよね。
夕焼けが四人を照らし出す。
たっくんが笑っている。あすかとシンくんも笑っている。
私、みんなの事が大好き。大好きだよ。
*
真っ暗な空に浮かぶ月は、やけに悲しいもののように見える。
そこに一つだけある異質な存在だ。
もう泣かないと誓ったのに、少し気が緩むとまた涙が出てきそうになった。
「泣かないよ、私……」
月に向かって小さく呟く。
この月が彼であるような気がする。
誰より優しかった彼は、今はもうどこにもいない。
それでも私を見つめていてくれているはずだ。
きっと仇を討ってみせるから。
見つめていて欲しい。自分の事を。支えていて欲しい。今にも壊れてしまいそうな心を。
「たっくん……」
その名を口にする度に涙が溢れてきそうになる。
それでも、また泣くわけにはいかなかった。
自分にはやるべき事があるから。
今度、泣く時は全てが終わった後だけだ。それまでは泣かない。
下唇を噛んで涙を堪えると、崎山花子(女子10番)は空に浮かぶ月から瞳を離した。
今は自分がやるべき事をする。
大好きなあの人もきっとそれを望んでいるはずだから。
花子は右手に握っていた鋏を見つめて瞳を細めた。
こんな武器ではだめだ。
もう何度も響いているあの銃声。
拳銃を支給されている者がいる以上、こんな武器では勝負にもならないだろう。ただでさえ自分は身体能力には自信がない。
この圧倒的不利な状況を打開する為には、どうにかして拳銃か或いはそれに匹敵する武器を手に入れる必要がある。
非力な自分が戦いに勝つ為にはそれしかない。
とにかく、まずは自分を信用してくれそうな人間を探すのが先決だろう。
その上で仲間に加わったと見せかけて武器を奪う。
全てはそれからだ。
プログラムが始まって以降、花子はずっと一人で行動していた。
大好きな彼や親友を待っているべきだと分かってはいたが、恐怖の余りどうしてもその場に留まる事が出来なかったのだ。
それが、こんな結果を招く事になるだなんて思いもしなかった。
絶対に許すわけにはいかない。自分の幸せを奪った人物を。
決して許しはしない。
必ずこの手で彼の仇を取ってみせる。
そうでないと彼は永久に浮かばれない。
彼が殺し合いに乗るなんて事は絶対あり得ない。ましてや自殺するなんて事も。だから、誰かの手によって一方的に殺されたのだ。
その人物が誰かは分からないけれど、この島にいる誰かである事は間違いない。
だから、殺すのだ。
彼の命を奪った者を。
それが唯一、彼の為に今の自分が出来る事。
そして、きっと彼の願いでもあるはず。
「待っていて、たっくん」
”願いを叶えたら、すぐに私も傍にいくから……”
───待ってるよ、花子。
夜空に薄く光る月が自分に語りかけているような気がした。
しばらく、そんな月を見つめていたが、ややして前方に瞳を戻し花子は歩き始める。
前方に見える建物。
今度こそ誰かいるかもしれない。
それが誰であっても大丈夫。彼がきっと自分を守ってくれる。
彼の望みを、願いを叶えるまでは自分は死にはしない。
心の中で彼の名を口にする度に勇気が湧いてくるような気がした。
「大丈夫。大丈夫だよ、たっくん」
もう一度だけ穏やかな微笑を月に向かって投げかけ、花子は一人暗い空の下を歩き続ける。
今はもういない大好きな彼の為に。
≪残り 30人≫