BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
72
死神。
男はそんな言葉がしっくりとくるような風貌だった。
暗闇の中で爛々と光る目に、今にも飲まれてしまいそうだ。
そこにある全ての物を平伏させようとでもするような、絶対的な存在感。
吹き付ける風によって靡く若干長めの黒髪が、ともすれば今にも襲って来るのではないかという気さえした。
殺される。
全身を駆け巡るのは死の予感。死への恐怖。
何も言葉が発せない。
誰かの小さな呻き声のようなものが聞こえた気がしたが、健二は男から目を逸らせなかった。
ややして、男が動き出す。
一歩、二歩、と、こちらに向かって来ていた。
迫ってくる男の存在感に押し潰される。
「く、来るな。来るなぁーーーっ!」
絶叫。一弥の声だった。
「来るんじゃねえ! 撃つぞ!」
必死に足止めしようとする一弥を、男が一瞥したような気がした。
次の瞬間。
男が動いた。健二が気付いた時には、既に一弥の目の前にその姿があった。
肩からマシンガンを引っ掛けたままの一弥の腹に拳を叩き込む。一弥が呻き声を上げて床に膝を落とそうとした。だが、男の動きの方が早い。すぐに右手で一弥の頭を掴むと、そのまま壁に叩き付けた。絶叫。親友の叫びを聞いた瞬間、健二の中の何かが切れた。
「やめろーーっ!」
床を蹴ると同時に男を殴り飛ばそうとしたが、あっさりと身を捻ってかわされてしまう。
それでも諦めずに男に拳を叩き込む為、周囲に目を向けようとした瞬間、脇腹の辺りに鈍痛が走った。痛みに顔を歪めかけたが、それすらもさせてもらえない。いきなり視界が閉ざされたかと思うと後頭部に激しい衝撃が走った。恐らくは顔面を掴まれて、そのまま床に叩き付けられでもしたのだろうが、今の健二にそれが理解出来るはずもない。
歯を喰いしばって痛みを堪え目を開こうとした時、自分のものではない叫び声が上がった。
自分への攻撃ではない。
それはイコール一弥に対する攻撃という事だ。
必死に起き上がり目を開けた。
壁際に追いやられた一弥の苦悶の叫びが聞こえた。
首を絞められている。
「カズーーーっ!」
気付いた時には床を蹴って男に向かっていた。だが、男は今度は見向きもしない。
後ろに回りこみ脇から腕を入れて、一弥から無理矢理引き離そうとした。だが、想像以上に筋肉質の男の身体は全く動かない。
やむなく無理矢理引き離すのを諦め、健二自身の手で男の首を絞めようとしたところで男が動いた。
肘を思い切り一弥の腹に突き刺したかと思うと、その肩から引っ掛かっているマシンガンに手を伸ばした。
銃口はこちらを向いている。
「下がれ」
ここに来て初めて、その男、三代貴善(男子20番)は口を開いた。
一弥に覆い被さるような状態でマシンガンを手に取り、こちらに銃口を向けている。
当の一弥は気を失ってしまったのか微動だにしていない。
「壁に背をつけて突っ立ってろ」
言う通りにしなければ、一弥がどうなるか分からない。致し方ないが、ここは従うしかなかった。
壁に背がついたところで、健二は唾を飲み込んだ。
それを見届けると同時に、三代は一弥からマシンガンを完全に奪い取った。
その銃口が静かに持ち上がる。
標的は自分だろう。そう思ったが、その銃口は別の方向へと向けられていた。
手前の部屋。そこには自分と一弥以外にも二人の人間がいたはずだ。
「入って来い」
低い声で三代が言う。
健二もゆっくりと、三代の視線を追った。
開け放たれた扉の辺りに二人の人間の姿がある。
夏季と、そして崎山花子である。
「あ……あ、あ……」
怯えきった表情の夏季が首を振っている。恐怖の余りに動く事も出来ないようだった。
「死ぬか?」
その言葉が引き金となった。
一際、大きな悲鳴を上げたかと思うと、夏季が踵を返して駆け出そうとした。それとほぼ同時に夏季のすぐ隣にいた花子が飛び退く。
次の瞬間、銃声が響き、夏季の後頭部から何か赤い物が飛び散ったかと思うと、そのまま前のめりに倒れ込んだ。
全てが一瞬の出来事だった。
何が起こったのだ。
呆然とした頭で、健二はそう思った。
その視線の先には倒れこんだままの夏季がいる。
”夏季……?”
自分の心臓の音が、はっきりと分かるくらい大きくなってくる。
これは何だ。今、何が起こった。
”し、死んだ……のか……? 夏季が……?”
身体が勝手に動いていた。夏季の傍へと歩み寄ろうと。だが、すぐに顔面へと強い衝撃が走って、健二はその場に膝をついた。
「動くなと言ったろう」
銃身を顔面に叩き付けられたようだ。それを理解するのと新たな悲鳴が聞こえたのが、ほぼ同時だった。
甲高い女の悲鳴。
「いやぁーーーーっ!」
割れた窓のところに誰かがいた。
”高村!”
今まで事の成り行きをその瞳に焼きつつ部屋の片隅で震えていたと思われる正巳だったが、たった今起こった夏季の一件で恐怖がピークに達してしまったのか。
呆然とそちらに目を向けていた健二の視界の端で何かが動いた。そんな気がした。瞬間。
室内に再び銃声が響く。
反射的に目を瞑った健二が次に目を開けた時には、つい一瞬前まで窓枠に手をかけていたはずの正巳の身体は室内にずり落ちてしまっていた。
殺された。そう思ったが、正巳は床に腰を落としたまま声にならない悲鳴を上げて泣きじゃくり始めた。
どうやら銃弾は一発も当たってはいないようである。だからと言って、安堵など出来るはずもなかったが。
どの道、殺される。
ふと、そう思った。今はまだ生きている。それだけだ。後10分もすれば、ここにいる全員がこの男の手によって殺されるだろう。
絶望的な現実を前にしては、もう諦めるしかない。
必死に頑張って、生き延びて、何とか皆で脱出しようと思っていたが、どうやら自分はここまでのようだ。
夏季も死んでしまった。自分と一弥も直に殺される。
”終わりだ……”
何て最期なのだろう。結局、何も出来ずに仲間も守れずに、ほとんど何の抵抗も出来ないまま殺されるなんて。
”こんな……こんなところで───”
そこまで考えた時。
突然、低い呻き声が上がった。
”三代?!”
その声の方に無意識に目を向ける。
自分の目の前に身を傾がせた大きな身体があった。その身体に重なるようにして、小さな少女の姿が見えた。
肩に届くか届かないか程の黒髪が揺れる。
花子だった。
その両手には何か先の尖った鋭利な物が握られている。それをもう一度、三代へと振り翳した瞬間、花子の身体が壁際に吹っ飛んだ。
力任せに三代に殴り飛ばされたのだ。だが、それで終わりにはならなかった。
花子は再び立ち上がると、また三代へと刃物の切っ先を向けたのだ。
ゆっくりと三代が花子へと近寄っていく。
花子は震えていた。震えたまま三代に刃を向けている。
後一歩で、花子の身体に触れるというところまで来て三代は足を止め口を開いた。
「何がお前にそこまでさせる?」
「お、教えて……。あなたは今までに誰を殺したの?」
しばらくの沈黙の後、三代は少し離れた所に倒れている夏季の方へと目を向けた。
「あれだけだ」
「そう……。大島君、あなたは?」
今度は自分へと質問を投げかけてきた。
三代は何故か動かず、そんな花子に目を向けたままでいる。
「ひ、人殺しなんざするわけねえだろ! 一弥だって同じだ!」
叫ぶように言ったが、花子は特に何も言わずに今度は割れた窓の下に座り込んで泣いている正巳へと目を向けた。
「高村さん、あなたは?」
正巳は何も答えなかった。ただ泣き続けている。
花子は答えを待っている様子だったが、業を煮やしたのか三代が先に口を開いた。
「何を知ろうとしてる?」
それに対しては花子は答えなかったが苦渋の表情のまま俯いてしまった。
「答えろ」
三代が迫ったが、花子は答えない。どころか突然、声を上げて笑い出した。
その奇声ともつかない笑い声は、しばらく続き、突如として止まった。
「あなたなんかには関係ないわ」
急に真顔になったかと思うと、真正面から三代を見据えてそう告げた。
次の瞬間、今度は三代が声を上げて笑い出す。そのまま花子の顎を右手で掴んで持ち上げた。
「いい女だ」
それだけ告げ、花子の身体を壁際に突き飛ばす。
花子の背が壁にぶつかった瞬間、三代の両手が壁につけられた。
二人が真っ向から向き合う形となった。
「取引をしないか?」
三代の低い声。それとほぼ同時に別の声が響いた。
それは雄叫びと言えるかもしれない。
「カズ?!」
今の今まで倒れていたはずの一弥が三代に向かって全身でぶつかって行った。
花子を守るような体勢で立っていたせいか、上手く避ける事が出来ずに三代の身体が傾いだ。
それを視界が認識するより早く一弥の声が響いた。
「オーケン!」
一瞬、一弥と視線がぶつかる。
目を見た瞬間、言いたい事はすぐに分かった。同時に一瞬でも生きる事を諦めた自分を恥じた。
まだだ。まだ終わってなどいない。
この身体が動くうちは戦える。
”俺はまだ戦える!”
知らず咆え声を上げていた。
三代はもう体勢を整えている。マシンガンの銃口が一弥に向けられる。それより一瞬早く、健二が体当たりをかました。
再び、三代の身体が傾ぐ。だが、やはり三代には大して効いていない。
それを認識した瞬間、健二は次に取るべき行動を完全に決めた。
「バラけるぞ!」
健二が叫ぶ。一弥もすぐに理解したようだった。すぐに扉の方へと駆け出す。逆に健二は窓の方へと向かった。
扉の近くには、この場にいるもう一人の人物がいる。冴子だ。
この状況でも未だに眠り続けている。
放っておけばこの場で三代に殺される可能性が高い。
割れた窓の目の前まで来たところで叫び声が聞こえた。
一弥の声。
反射的に後ろを振り返った。
丁度、一弥が部屋から飛び出していくところだった。
当然、冴子は未だその場で眠り続けている。
そんな冴子から健二もすぐに目を逸らした。とてもじゃないが見ていられない。
今はとにかくここから逃げる事だけを考えるんだ。
”逃げる! 逃げる! 逃げ切ってみせる!”
そう自分に念じる事で、冴子の事を頭から切り離そうとするかのように、健二は何度も何度も同じ言葉を頭の中で繰り返した。
窓枠に手を置いたまま、左手で正巳の腕を引っ張り上げる。
「立て、高村!」
叫んだが、正巳は立ち上がろうとしない。
「殺されるぞ!」
三代が銃口をこちらに向けていた。
「高村!」
正巳は動かない。
「立つんだ! 高村!」
後ろを振り返る。三代と目が合った。笑っている。正巳は動かない。
もう間に合わない。そう思った瞬間、健二は腹の底から咆え声を上げた。
左手で掴んでいた正巳の手を離す。
次の瞬間、サッカーで鍛えた全身の筋肉を使って窓の外へと飛び出した。
勢いがつきすぎて地面に転がってしまったが、お構いなしにすぐ立ち上がり地面を蹴った。
そのまま全力で駆け出して行く。
”逃げる! 逃げる! 逃げるんだ!”
何度か銃声が聞こえたような気がしたが、それでも足を動かし続けた。
今は何も考えられない。
全てを振り切って走るしかないのだ。
健二は泣きながら、ただひたすらに夜の中を走り抜けた。
それが、ただ一つ、今の健二に出来る事だったから。
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