BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
75
夜明けを目に見えるものとして感じるのは、随分久しぶりの事だった。
最後に日が昇ってくる瞬間を目にしたのは、恐らく中学一年の時の元旦だ。
梨香の家に皆で集まって、初日の出を見た。
あの時、昇ってきた太陽と今昇ってきている太陽が記憶の中で一つに重なる。
───みんな! ほら! 何か願い事、言わないと!
昇ってくる太陽を見ながら、そんな事を言い出した梨香。
───何、それ?
真顔で問い返した鈴子。
───あー、分かった! 梨香ちゃん、初夢と間違ってるでしょー!
いつものようにちょっと呑気な声で笑った正巳。
───って、若菜、既に祈ってるし!
あたしの傍でそう言って笑った葵。
「葵……」
明るくなり始めた空に葵の微笑を浮かべた。
葵はもうどこにもいないのだ。残酷な現実。
朝の冷たい風をベランダで受けながら、若菜は自分が泣きそうになっている事に気付いて頭を振った。
「ヤベ……」
いつの間にか滲んできた涙を右手の甲で強引に拭き取って、若菜は腰を落としていた床から立ち上がった。
静かに大きく息を吸い込んでから、両手を空へと突き上げる。
「ドチクショーーーッ! 見てろよ、葵! あたしはぜってえ───」
その先を太陽に向かって叫ぶ前に、脳天に強烈な痛みが突き抜けて若菜は悲鳴を上げた。
「いってえ! 何すんだ、テメッ……エ、エ……えーっと、お、おはよう」
「お前って奴は……」
左手で額を押さえ小さくため息を吐く義人の姿がそこにあった。
「もうすぐ放送があるからと思って、ちょっと様子を見に来てみれば……」
「ま、まあまあ、元気が良いのはいい事じゃ───」
言いかけたところで、若菜の顔が引き攣った。
義人の体から黒いオーラが立ち上っている。
”あ、あたし、何かしたっけ?”
「大人しくしてろ」
「は、はい」
どうやら空に向かっての熱い叫びが気に入らなかったようだ。
とりあえず素直に応じた事で、義人の黒き怒りも収まったのか再びため息を吐くと、その場に座り込んだ。
そんな義人に視線を向けたまま、若菜はベランダの手すりに両手をかけて口を開いた。
「菊池と手塚は?」
「さあ」
「ふーん……って、会話終了じゃねーか!」
若菜のノリ突っ込みには反応の欠片も見せないまま、義人は特に何も言わずに空に目を向けている。
「シ、シカト……」
色んな意味で冷たい風が若菜の身体を突き抜けたが、ふと義人がこちらに視線を向けた。
「強いな、お前は」
時折、見せる義人の優しい微笑。
「な、なんだよ、急に」
「いや、色々とな」
「色々と、何?」
聞き返すと、義人は腰を上げて若菜と同じようにベランダの手すりに腕をかけ、視線を地面へと投げた。
「仮にこれから脱出出来たとして、お前はどうするんだ?」
『これ』というのは言うまでもなくプログラムの事だろう。だが、脱出してからの事など考えてもみなかった。
自分がこの先の未来にする事。やりたい事。
「あたしは……あっ!」
「何だ?」
「かーちゃんに修学旅行土産買って帰んねーといけねーから北海道行くわ」
修学旅行に出発する前、母の菜摘に酒を頼まれていたのだった。もっとも、既に修学旅行どころの騒ぎではないのだが。
「あぶねー。忘れてったら、かーちゃんに何されるか分かんなかったぜ……」
「あのな、脱出するって事がどういう事か───」
その続きは言わせなかった。
「約束なんだよ! 約束……したんだ……。だから───」
「すまない」
手すりを掴んだ自分の手が震えているのが分かった。
口が悪くて、乱暴で、実の娘を平気で足蹴にするようなそんな母親。そうしながら自分を愛し続けてくれた優しい母親。
二度と会えないかもしれなくても、例え現実がどんなに残酷だろうと、菜摘とした約束を忘れるわけにはいかないのだ。
「かーちゃん、飲んだくれだからさ、土産の酒忘れたらぶっ飛ばされちまうよ……」
「山口……」
短い沈黙。それを破ったのは若菜の方だった。
「いや、マジたまんねーぜ! あのババア、可愛いあたしに本気で蹴り入れたりするんだぜ! ったくよー」
「それはお前に問題があるんじゃないのか?」
「なんだと!」
そう言って振り向いた瞬間、義人が微笑するのが目に入った。
「酒を選ぶのなら俺に任せておけ」
「天野?」
「俺の家は酒屋だ」
笑みを見せた義人の表情から優しさが伝わってくる。
「ちぇっ、仕方ねーから任せてやるよ。そんかし絶対美味い酒選べよな」
「任せておけ」
「おう! 約束したからな、天野っち!」
一緒に帰ろう。
この先、どんな困難が待ち受けているか分からないが一緒に乗り越えよう。
自分は一人ではないから。
義人がいる。菊池がいる。唯がいる。
仲間と一緒なら、きっと何だって乗り越えていける。
そうして、早く夕子に会いたい。鈴子に、梨香に、正巳に会いたい。
明るくなり始めた空を見上げて若菜は大きく息を吸い込んだ。
「よーーっし! あたしは必ず───」
「だから、叫ぶな、大馬鹿!」
叫びかけた若菜だったが、すかさず義人の突っ込みが入りまたそちらを振り返った。
「お、大馬鹿……」
がっくりと肩を落とした若菜である。
「何やってんだ、おめーらは……」
「菊池」
「や、山口さん……」
いつの間にか見張りの場所であるベランダに、菊池と唯がやって来ていたようだ。
「あれ? 何だよ、お前ら寝てたんじゃねーの?」
「放送の時間だからな。ってか、何だったんだ、今の猿の雄叫びは」
「さ、猿だぁ?! 殺すぞ、てめーーっ!」
菊池に突っ掛かって行こうとした若菜だったが、義人に襟首を掴まれて即引き戻された事は言うまでもない。
「寝たのか、菊池?」
「まあ、少しはな」
菊池が頷くのとほぼ同時に、島中に荘厳な音楽が鳴り響き始める。
「始まりやがったか……」
舌打ちしながら、菊池がその場に座り込み地図とクラス名簿を広げ始める。
唯も菊池の傍に腰を下ろし、若菜と義人もそれに続いた。
荘厳な音は次第に小さくなっていき、その中からマイクのノイズ音が聞こえ始めてくる。
『時間だ。放送を始める』
西郷の声が島中に響き渡った。
『まず死者は男子5番、加藤夏季。以上。次、禁止エリア。午前7時にG−5、午前9時にE−11、午前11時にD−3。以上だ』
これまで同様、西郷の放送は唐突に始まり唐突に終わった。
そこには何の感慨も窺えない。分かりきっている事だが、やはり西郷にとってはただの作業でしかないのだろう。
四人の間で重苦しい空気が流れる。
「また一人、死んだのか」
険しい表情で呟きながら、菊池はクラス名簿の男子5番の名前を消していく。
「俺達が落ち込んでいても仕方がない。今、俺達がやれる事をやるしかない」
「ああ。やってやるぜ。政府の連中、全員ぶち殺してやる」
静かに低い声で菊池が告げる。
そんな菊池の傍に座り込んでいた唯が小さく呟いた。
「けど、脱出なんて……本当に出来るのかな……」
「出来なきゃ死ぬんだ。やるしかないだろう」
重苦しい空気の中、義人ははっきりとそう告げた。
「天野の言う通りだ。それにお前だけは絶対に俺が守る」
力強い口調でそう告げた菊池が、静かに唯を見つめた。
「菊池君……」
「信じてくれてるんだろ、俺の事」
「うん」
いつの間にか瞳を潤ませていた唯が静かに頷いた。
そんな唯の髪の上に菊池の手が静かに乗せられる。
「泣くなよ」
苦笑しながら菊池が告げた。
「菊池君……」
二人の間に短い沈黙が走る。
静かに見つめ合う菊池と唯。
ゆっくりと、菊池の手が唯の髪から離されていく。その時。
「そ、そろそろいいか?」
「あ、はい!」「あ、天野?!」
菊池と唯が同時に声を上げ、義人へと視線を投げたのだが。
「お、お前ら……」
「山口? どうした?」
義人がこちらを振り向く。
「か、感動させやがって、ちくしょう。お前、意外といい奴だったんだな」
菊池と唯のやり取りを見ていて思わず感動してしまった若菜である。
「あ、ありがとよ」
菊池が引き攣った顔で答えたのを見て、若菜は無意識に立ち上がっていた。
「よーーっし! こうなりゃ必ずみんなで───」
「いいから座れ、お前は」
両手を高々と空に突き上げかけたが、義人が後ろから制服を引っ張った事で続く科白は未遂に終わってしまった。
若菜が渋々、腰を下ろすと、待っていたかのように義人が口を開いた。
「今後の事だが、基本的に俺達の方針に変わりはない。脱出だ」
静かに、だが力強い語調で義人が告げる。
若菜も合わせるように力強く頷いた。
「その事を念頭に置いて、俺が今から言う事を聞いて欲しい」
「なんだよ。勿体つけんじゃねーよ」
野次を入れてみた若菜だったが、完全スルーで義人は話を続けた。
「脱出の方法については夜話した通りお手上げ状態だ」
「それはもう聞いたぜ」
そう言って菊池が続きを促がす。
「だが、殺し合いを止める事なら俺達にも出来る」
「どういう意味だ?」
「正直、何の策も無い俺達に出来るのは待つ事だけだ。俺達と同じ考えを持つ誰かが脱出策を見つけてくれるのを。だが、そいつが小柴みたいな奴に殺されてしまう事だってありうるだろう?」
「なるほど、な。助けてくれる誰かを守る為に、俺達で省吾みてえな奴等をぶったたいとくってわけか」
納得したように菊池が頷いた。
「そういう事だ。やる気でない者を見つけるだけじゃない。やる気の者も見つけて大人しくさせておく必要がある」
「け、けど、誰が殺し合いに乗ってるかなんて……」
少し震えたような声で唯が口を挟んだ。
「間違いなく乗ってるって分かってんのは省吾と花田だけか」
「今のところはな。正直、もう誰が乗ってもおかしくない。俺はそう思ってる」
「同感だな」
神妙な顔で菊池が頷いた。
誰が乗ってもおかしくはない。確かに有紀や麻由美が殺し合いに乗るなど考えてもみなかった。
だからと言って、夕子や鈴子が殺し合いに乗るなど想像も出来ない。
「とにかく、この先、いつ戦闘になるか分からない。誰に会ったとしても、いつでも戦えるよう最大限の注意を払って行動してくれ。特に山口」
義人の視線がこちらへと向けられる。
「お前なんかいかにも騙されそうだからな」
「あー、分かる分かる」
「お前らな……」
納得したように何度か首を上下させた菊池を見て、がっくりと肩を落とした若菜である。
「とにかく、そういう事だ。後は予定通り8時まで山口が見張り、その後、俺と交代して12時の放送を聞いたらここを出る。いいな、みんな」
菊池と唯が静かに頷くのを視界の端で見ながら、若菜も大きく頷いた。
それから勢いよくベランダの手すりに掴まり空を見上げ、大きく口を開いた。
「よーーっし! 絶対、脱出して───」
「だから、それはもういいと言ってるだろうがーーーっ!」
義人の怒りの叫びは天まで届いた。
「つーか、お前の方が声でけえじゃねーか!」
それから、しばらくの間、ひたすら文句の言い合いをする若菜と義人の声がベランダ内に響き続けていた。
そんな二人を見ながら笑っている菊池の傍で、静かに唯は呟いた。
「ふ、不安かも……」
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