BATTLE ROYALE
〜 LAY DOWN 〜


76

 暗い空に薄く輝いていた月はいつの間にか消えてしまっていた。
 早朝の外気は、やたらと冷たく感じられる。
 もしかしたら真夜中よりも今の方が気温は低いのかもしれない。
 時折、強く吹く冷たい風を全身で受けながら、崎山花子は目の前を歩く男の背中を見つめた。
 男の背中は大きくて、そこにあるだけで威圧されそうな気分になる。
 それでも、自分がこの男に恐怖を感じる必要はない。
 この男、三代貴善は自分の駒になったのだから。
 そして、花子自身も三代の駒になった。
 要は自分も三代もお互いがお互いを利用しているのだ。
 自分達はそれだけの繋がり。
 最初に三代の凶行を目にした時は、一瞬、自分も死を覚悟したが。
 結果的に言えば、三代に出会えた事は幸運だった。
”せいぜい利用させてもらうわ。たっくんの仇を取るまでは……”
 その後は、自分がどうなろうと構わない。
 生きていても、大好きな彼はもういないのだから。
 三代の背中から目を離し、その少し後ろを歩いているもう一人の駒に視線を向けた。
 もう震えてはいない。恐らく、これが自分の運命なのだと諦めたのだろう。
 外に出る前まで泣きじゃくっていた高村正巳は、もう涙は流していなかった。ただ静かに黙って歩いている。
 何の役に立つかは分からないが、目的を達成するまでは正巳の事も存分に利用させてもらう。
 この先、何があるかは分からないが、彼の仇だけはどんな事をしてでも取る。
 それだけが、自分の生きる理由なのだから。
”待ってて、たっくん……”
 瞼の裏に映る彼の笑顔に向けて、花子は心の中で静かに微笑み返した。


                              *


 健二達が逃げた後、あの建物の中で自分は死神と取引をしたのだ。
 大好きだった彼の願いを叶える為に。

 三代の強烈な存在感の前に膝を折りそうになりながらも、花子は睨むのを止めはしなかった。
 こんな男に屈するのだけは我慢ならない。
 それに、自分には彼がついている。見守ってくれている。きっと彼が見えない力で自分を助けてくれるに違いない。
 そう思う事で、花子は自分を奮い立たせていた。
 逃げ出した健二達を一度は追いかけようとした三代だったが、あっさりと諦め自分の前へと戻ってきた。
 眼光の威圧感は変わっていない。
 別々に逃げた健二と一弥のどちらか一人に的を絞って追いかけていれば、片方は殺せたに違いない。
 それでも三代はそうしなかった。
 自分を殺す事を選んだという事か。
 いや自分だけではない。泣き続けている正巳と眠り続けている冴子。
 先程、殺した夏季も入れれば合計四人をこの場で始末する事が出来るという事だ。
”けど、私は簡単に殺されたりなんかしない。私を守って、たっくん……”
 しばらく睨み合った後、先に口を開いたのは三代の方だった。
「いい目だ」
 何が可笑しいのか三代は口元に笑みを浮かべて自分に目を向けている。
 花子は壁に背をついた状態で身動き出来なかった。いや、正確には動こうと思えば動けるのだが、逃げ出したところで、また引き戻されるか射殺されるのが落ちだろう。ならば、この状況を利用した方が利口だと思った。
 三代は自分に興味を持っているように思える。まだ殺されていないのがいい証拠だ。
 どうにかしてこの局面を切り抜けるには、この三代の興味を利用するのが一番賢いやり方だろう。
「さっきも聞いたが、もう一度だけ聞こう」
 低い静かな声で三代は続ける。
「取引をしないか?」
「とり……ひき……?」
「そうだ。俺を殺そうとしたろう? まさかお前みたいな奴に傷を負わされるとは思わなかった。だが、お前の目。その目を見て、すぐに分かった」
 三代の目の光りが更に力強くなったような気がした。
「お前は俺達と同じだ。まともじゃない。そこまでお前を駆り立てるものは何だ?」
「あなたには関係ないわ」
「言え。話次第では力を貸してやってもいい」
 思わず花子は息を呑んだ。
 本気で言っているのかどうかは分からなかった。ただ、三代の目の力は変わらない。
「言わなきゃ殺す」
 念を押すように、三代が最後通告を口にした。
 少なくとも今の言葉は本気だろう。言わなければ間違いなく殺される。
”いいわ。それなら……”
「話すわ」
”あなたの力、利用させてもらうわ”
 小さく頷くと、三代は一歩後退して腕を組んだ。
 黙って話を聞くつもりらしい。
「仇を……取りたいの……」
「仇?」
「ええ。誰が殺したのかは、まだ分からないけどね……」
 そこまで話すと、三代は真顔になって鼻を鳴らした。
「誰の仇だ? クラスの奴だろう?」
「ええ。たっくん……。野々村武史よ……」
「お前をそうまでさせてるのが野々村とはな。それ程の価値がある男だったとは思えんがな」
 嘲笑するように威圧感のある笑みを三代が浮かべる。
 殺してやりたい。大好きな武史を侮辱するこの男を殺したい。
 頭の中が三代への殺意でいっぱいになってくる。その時、三代が花子の顎を右手で掴んで持ち上げた。
「いいだろう。協力してやる」
「願い下げだわ」
 思わず、そんな言葉が口から出てしまっていた。
「ほう。はっきり言うが、お前一人じゃ野々村の仇を討つ前に殺される可能性の方が高い。それでも俺の力がいらんか?」
「願い下げって言ったでしょう。たっくんを侮辱したあなたなんかの手は借りないわ」
 顎を掴んでいた三代の右手を振り払い、睨む瞳に力を込める。
”例え、ここで殺されてしまうとしても、こんな……たっくんを侮辱した男なんかの手は───”
「すまなかった。野々村を侮辱した事、謝ろう」
「え……?」
 突然、三代がほんの僅かに頭を下げそう告げた。
 そうして、またすぐに顔を上げ、こちらを見据えてくる。
「正直な話、俺にとってはお前の仇討ちなんざただの時間つぶしだ。だが、俺ならお前に野々村の仇を取らせてやれる」
 再び腕を組み、三代が続ける。
「もし、それでも俺の協力が不要と言うならここから消えろ。今回だけ見逃してやる」
 この期に及んで、逃がしてくれるというのだろうか。
 それも退屈しのぎ程度のものというわけだろうが。
 短い沈黙。
 その間、花子はずっと三代の目だけを見つめていた。
 考えろ。この復讐を果たすのに一番近い方法は何だ。考えろ。武史の願いを叶える為に。
 やがて、一度、三代から視線を外すと、覚悟を決めて花子は告げた。
「分かったわ。あなたの事、利用させてもらうわ」
 はっきりとそう言うと、三代が口端に笑みを浮かべた。
「そうしてもらおう。俺も時間つぶしにお前の復讐劇を利用させてもらう」
「ええ。そうしてちょうだい」
「ああ」
 そう言うと、三代は自分に背を向け、窓の傍で未だ泣きじゃくっている正巳へと近付いて行った。
 傍に行くと同時に、泣き続ける正巳の右腕を強引に引っ張り上げる。
 強制的に立ち上がらされた正巳の顎を、先程、自分にした時と同じように右手で持ち上げた。
「お前にも協力してもらおう」
 正巳が更に声を上げて泣き始める。
「ついて来い」
 言うが早いか正巳の腕を強引に引っ張って、こちらへと歩いてくる。
「そっちの部屋に移るぞ。ここは色々ぶっ壊しすぎて落ち着かん」 
 それだけ言って、正巳を引っ張ったまま扉の向こうへと進んでいく。
「矢口さんはどうするの?」
「使い物にならない奴など不要だろう。ここを出る時に始末すればいい」
 あっさりとそう言い切った。
 考え方が根本的に違う。明らかに尋常な人間の考えではない。だが、今はもうそんな事はどうでも良かった。
 冴子がどうなろうと自分には関係ないし、どうでもいい事だ。
 小さな会議室らしき部屋を出て、入口傍の部屋へと場所を移した。
 部屋の中央辺りまで来た時、ようやく正巳から手を離し、三代が口を開いた。
「五分だ。五分以内に泣き止め。出来なきゃ殺す。いいな、高村」
 完全に怯えきっている正巳は声も出さないままで何度か首を上下させた。
 少し離れた所には夏季の死体がある。
 異常な状況。
 今の状況を見ただけで発狂してしまう者もいるかもしれない。
「崎山。俺は俺のやり方で、お前の復讐に協力するつもりだ。あらかじめ、それだけは言っておこう」
 正巳から目を離した三代が低い声で告げる。
 それはつまり武史を殺した者以外も容赦なく殺すという事だろう。
「いいわ。ただ一つだけお願いがあるの」
「ほう。何だ?」
 武史を殺した犯人以外でも三代は容赦なく殺すだろう。それは別に構わない。それどころか人数が減るのだから歓迎したいくらいだ。
「私の目的はたっくんの仇を取る事だけだわ。だから、それが叶った後は、たっくんの後を追うつもりよ」
「大した覚悟だな。それで?」
「私はたっくんの仇さえ取れれば死んだって構わない。けど、生きていて欲しい人もいるの」
 ───ハナ。
”明日香……。シンくん……”
「明日香と吉沢君だけは、たっくんの仇を討つまでは絶対に殺さないで」
「本田と吉沢か。いいだろう。だが、野々村の仇を取った後はどうする? 奴等を殺してもいいという事か?」
「その前に私があなたを殺すわ」
 そのつもりだった。武史の仇を取れたら三代を殺す。
 それまでに他の生存者が減っていれば、自分の親友でもある本田明日香と吉沢進一郎の二人の生存率が上がる。
 一人しか生き残れない以上、二人が揃って生き残るのは無理な話だが、せめて明日香か進一郎のどちらかに生き残って欲しい。
 武史の仇を取る以外に、唯一目的があるとしたらそれだけだ。
 しばらく黙ってこちらを見つめていた三代が声を上げて笑い出した。
「俺を殺す、か。楽しみにしていよう」
 利用しあうだけの関係。
 それでも、この男の力は使える。
 武史の仇を取る為なら、どんな事でもするつもりだ。
 それが例え、死神に魂を売る事だとしても。
 大好きな武史の為ならば。
 自分は何だって出来る。
 この願いさえ叶うのならば、自分は死んだって構わない。
 
 静かな部屋の中で、花子と三代は向かい合う。
 復讐という名の物語を紡ぐ為に。


                              *


 取引を終えた花子と三代はその後、しばらく役場内で今後の算段を話し合い日が昇り始めた頃に出発した。
 途中、冴子に逃げられてしまうというアクシデントもあったが、多少は身体を休ませる事も出来た。
 目的地はB−5付近にあるという三代の行動拠点である。
 まずはそこでもう一人の仲間と合流すると三代が言い出したのだ。
 元々、三代はその人物と共同戦線を張っていたらしい。
 それが誰かは会えば分かるとだけ言われ教えてもらえなかったが。
 とにかく、今は別行動をしているもう一人も復讐に協力させるつもりのようだ。
 つまり自分の味方は三人いるという事になる。
 三代と、その仲間。そして正巳だ。
 正巳はもう完全に恐怖を植えつけられていて、恐らく三代に逆らう事は出来ないだろう。
 憐れみの気持ちがないわけではない。それでも、そんな感情に心を動かされてはならないと自分に言い聞かした。
 むしろ手駒が増えた事を喜ぶべきなのだ。
 そのくらいでないと、武史の仇を取る事など出来ないだろう。
 先頭を歩いていた三代が、急に足を止めてその場に立ち止まったのは、早朝の放送が終わって少し経った頃の事だった。
「どうかしたの?」
 三代は立ち止まったまま一点を見つめている。
 視線の先には少し距離を置いて幾つかの家が建てられていた。
 時折、波の音が聞こえるここは住宅街というよりは別荘地のような感じだ。
 家の向こう側は海に面しているのだろう。
「人がいる」
 三代が二階建ての家を顎で示して見せた。
 促がされるように三代の視線を追うと、確かに二階の部分に人の姿がある。
 この位置からでは、正確に誰であるのかまでは見て取れない。
 誰だろうと思って、花子が足を前に踏み出しかけた時。
「わ、わ……かな……ちゃん……」
 震える声で正巳が小さく呟いた。
 呆然と正巳はそちらを見つめている。その瞳に涙が滲んでいた。
 花子の目では分からなかったが、あそこに見える人物は山口若菜らしい。
「山口か」
「そういえば高村さん、山口さんと仲良かったわよね」
「ほう。そうか」
 声にならない声を上げて正巳が首を振る。
 三代が静かに正巳の方を振り向いた。
「早速、お前の出番だ。向こうにでかい木が沢山あるだろう」
 そう言って、三代は少し離れた所に密集して生えている木々の方を右手の親指で示した。
「あそこに山口を連れて来い」
「殺すの?」
「いや、手駒は多い方がいいだろう。それに、野々村殺しの情報も持ってるかも知れん」
 正巳から視線を外さないまま三代が告げた。
「あの家に他に人がいた場合は? 中には高村さんを信用しない人もいるかもしれないわ」
 いくら二人が仲が良くても、他に人がいた場合、全員が全員正巳を信用するとは限らない。
「だから、高村に行かせるのさ。高村一人なら、山口も疑う事はないだろう。いいな、高村。あの家に誰が何人いるかは知らんが、山口だけをここに連れて来い」
「い……いや……。お願い……」
「お前に選択の余地はないんだよ。俺に従うか、死ぬかしかな」
 正巳は涙を流しながら首を振って拒否し続けている。
 しばらく、そんな正巳を黙って見つめていた三代だったが、おもむろにマシンガンの銃口を持ち上げた。
「仕方がないな。もういい。死ね」
「あ……や、いや……。やめて……。連れて来るから! 若菜ちゃん、連れて来るから! 殺さないで!」
「よし。行け」
 三代が顎で促がすと同時に、正巳が背を向けて歩き出す。
 花子の目から見ても分かる程に重い足取りだった。
「大丈夫なの?」
「ああ。だめなら殺すだけだ」
 口端を吊り上げて笑う三代の姿が本当の死神に見えた。
 死の恐怖。
 それに捉われた正巳はもう三代の操り人形同然だった。
 花子は両手で自分の身体を抱き締め瞳を閉じる。
”たっくん……。私を守って……”
 もう後戻りは出来ない。
 自分に出来る事は前に進む事だけ。
 祈るような気持ちで、花子は武史の笑顔を瞼の裏に浮かべた。
 自分を見つめていて欲しい、と。
 願いを叶える、その瞬間まで。

                           ≪残り 29人≫


   次のページ  前のページ   名簿一覧   表紙