BATTLE ROYALE
〜 LAY DOWN 〜


78

 冷えきった手から伝わってくる震え。
 繋いだ手を握り締める力。
 こんなに近くにいるのに正巳が遠くに感じる。
 今すぐにでも、その理由を問いただしたい。けれども、正巳の背中はそれを拒絶していて、若菜はただ繋いだ手を強く握り返してやる事しか出来なかった。
 こんな正巳を見るのは初めてかもしれない。
 明るくて、いつでも笑っていた。
 ようやく再会して、これからもこの先もずっとあの笑顔を見れるのだと思っていたのに。
”どうして泣くんだよ……?”
 笑っていて欲しい。
 いつものように、優しい笑顔で自分に笑いかけて欲しい。
 懇願するような気持ちだった。
 こんな悲しそうな正巳の姿は見ていられない。
 義人達と共に隠れていた家は、もう見えなくなりかけていた。
 どこに自分を連れて行こうというのか。
 一緒に来て欲しい所がある。正巳はそう言っていたが。
 そこに行けば、正巳の様子がおかしい理由も分かるのだろうか。
「若菜ちゃん……」
 沈黙を破ったのは正巳の方からだった。
「さっき最初は葵ちゃんと一緒にいたって言ってたじゃない? どうして……別れちゃったの……?」
 聞いた正巳は振り向かない。
 ずっと同じ方向だけを向いて歩いている。
「花田に……襲われてさ、二人で逃げてたんだけど、結局逃げ切れなくて。しょうがねえから別々に逃げたんだよ。その後の事は分かんねえ……」
「そうだったんだ……」
 それだけ言って、正巳はまた口を閉ざしてしまう。
 葵の事を思い出しているのだろうか。
 今はもうどこにもいない葵の笑顔を頭に浮かべた時、また正巳が口を開いた。
「鈴子ちゃんと梨香ちゃん。どうしてるかな……」
「うん……。けど、あたしとお前だって会えたんだ。鈴子にも梨香にもきっと会えるよ!」
 どうにか元気付けようと、動かしていた足を止めて告げた。
 静かに正巳が振り向く。
 同時に、繋いでいた手が解けた。
「ま……さみ……」
 こちらに顔を向けた正巳は、すぐに俯いてしまった。ただその瞳から涙が零れ落ちている事だけは分かった。
 離れてしまった手で顔を覆い、正巳はそのまま嗚咽交じりに泣き出してしまう。
 堪えていた涙が堰を切って溢れ出してきたのか、涙は正巳の指と指の間を通り抜け地面へと零れ落ちていく。
「なんだよ……。泣くなよ……。泣くなってば……」
 無意識に正巳の肩に手を触れた。
 その時、若菜の手を拒絶するように正巳が一歩後退した。
 涙でぼろぼろになった顔はそのままに首を振っている。やがて、また一歩、二歩と後ろへ後退していく。
 まるで逃げるように。
「正巳……。なんでだよ……」
 ゆっくりと近付こうとしたが、若菜が一歩足を踏み出す度に、正巳が一歩後退する。
「嫌……。来ないで……」
 拒絶の言葉。
 胸を抉るような言葉は正巳の本心ではないはずだ。分かっている。分かっているのに、それでも、自然と涙が零れ落ちてきた。
 ほんの一瞬前まで正巳と繋いでいた手を無意識に伸ばして、また一歩近付く。
 今度は正巳も後退りはしなかった。ただ、一度大きく首を振って、その場から逃げるように駆け出した。
「正巳!」
「来ないで! ついて来ないでよぉっ!」
 明らかな拒絶の言葉に、足を竦ませかけたが、それでも若菜は地面を蹴った。
 今、別れたら、もう二度と会えないかもしれない。
 葵ともう二度と会えなくなってしまったように。
 そんなのは嫌だ。
”嫌だ! 嫌だよ、正巳! 嫌だ!”
 何かに追われるかのように必死に正巳の背中を追いかける。
”正巳! 正巳!”
 流れ落ちてくる涙もそのままに必死に追いかけていた若菜の視線の先で、正巳が立ち止まったのはそれからすぐの事だった。
 大きな木が生い茂る雑木林の前で、正巳は俯いたまま立ち止まっている。
「正巳!」
 もう目と鼻の先に正巳の姿がある。その身体に手を触れようと腕を伸ばした。
 その瞬間だった。正巳が突然その場に膝を落とした。同時に、そんな正巳の向こうにいる人物の姿が目に入る。
 男は大きな銃を肩から引っ掛け、不遜な態度で腕を組んでいた。
「三代……」
 腕を組んで立っている三代貴善がゆっくりとこちらに目を向ける。
 風が吹いて若菜と三代と、二人の間で地面に膝を落としている正巳の髪を凪いだ。
「ご苦労だったな、高村」
 地面に膝をつけて泣いている正巳を一瞥して三代が告げる。
 訳が分からなかった。
 何がどうなっているのか。
「なんだよ、てめえ?」
「高村さんの仲間よ」
 突然、別の方向から声が聞こえ、若菜はそちらを振り返る。
 どうやら三代一人ではなかったらしい。
 三代が立っている位置から少し離れた辺り。木の陰から一人の少女が姿を表した。
 黒い髪に、どこかのお嬢様のような顔立ち。
「崎山、か……?」
「こんにちわ、山口さん」
 優しい穏やかな笑みをこちらに向けて、崎山花子はそこに佇んでいる。
「仲間ってどういう事だよ?」
「志を共にするという意味さ」
 すぐ返答した三代は笑っている。
 そんな三代を一度睨みつけてから、若菜は地面に肩膝をついて覗き込むように正巳の顔を見つめた。
「正巳、どういう事なんだよ? わかんねえよ、あたし。お前の口から───」
「お前に用があったから連れて来てもらったのさ。相手が高村ならお前も信用するだろうと思ってな」
 腕を組んだまま告げた三代を見上げて睨み付けた。
「てめえにゃ聞いてねんだよ! 引っ込んでろ!」
「随分、勇ましいな。俺の友達によく似てる」
 睨む若菜に対して、三代の不遜な態度は変わらない。ややして、今度は花子が口を開いた。
「山口さんに聞きたい事があるの。それで高村さんに協力してもらったのよ。ね、高村さん」
 優しい透き通るような花子の声も、正巳には届いていないのか未だ泣き止もうとはしない。 
「正巳……」
「ねえ、山口さん」
 ゆっくりと花子が目の前まで歩み寄って来た。その細い白い手が若菜の肩を掴む。
「知ってたら教えて。誰がたっくんを殺したのか」
「たっ……くん?」
 誰の事を言っているのか分からずに聞き返すと、花子はゆっくりと俯いた。
 その表情は髪に隠されていて見えない。
「武史君。野々村武史の事よ」
「野々村……」
 名前を聞いて神社での事を思い出した。
 あの神社で自分と義人は武史に襲われたのだ。その時はどうにか撃退したが。
 その後、放送で名前を呼ばれてしまっていた。
「知らねえよ。神社で一回会ったけどな」
「会った……の?」
「ああ。あの野郎、いきなり銃持って襲ってきやがったんだ」
 言い終えた瞬間、若菜の肩を掴んでいた花子の手が離れた。
 聞き取れない程、小さな声で花子が何か呟いた。
「ああ? なんだよ?」
 聞き返した途端、花子が顔を上げこちらを睨みつけてくる。
「え? お、おい……」
「嘘よ! たっくんがそんな事するはずない!」
 周囲に響き渡る程の大声で言うと、花子はいきなり掴みかかってきた。
「わっ! なんだ、お前?」
「止めろ、崎山」
 見かねたのか三代が花子の腕を掴んで若菜から引き離した。
「離してよ!」
 叫ぶように花子が言った。その瞬間、三代が花子の頬をいきなり張り飛ばした。
「お前は下がってろ」
 叩かれた事で大人しくなった花子を一瞥すると、三代は再び腕を組み直し口元に笑みを作った。
 花子は鼻血でも出してしまったのか左手で鼻の辺りを抑えて蹲っている。
 こちらを見下ろす三代の視線が、自分の後方へと向けられた。同時に正巳が小さく悲鳴を上げ後退り始める。
「ま、正巳!」
 悲鳴に驚いて振り向こうとした瞬間、いきなり顔面を蹴り飛ばされて地面に倒れ込んだ。
 何が起こったか分からなかったが、両手を地面に着いて顔を上げた。その途端、今度は髪を掴まれ無理矢理立ち上がらされる。
「いってえな! 離せ!」
 叫びながら蹴りを放ったが三代には届かない。
「本当に……あいつによく似てる」
 笑みを湛えたまま、髪を掴んでいた手を思い切り振り、そのまま若菜を地面に放り投げた。
 勢い良く叩き付けられ、若菜はそのまま地面に転がってしまう。だが、今度は三代が迫ってくる前に跳ね起き、地面を蹴って、更に後方へと飛び退った。その瞬間、大きな音が周囲に響く。
 銃声。
 すぐに立ち上がり周囲を見回す。
「誰だ?!」
 叫んだかと思うと、三代はすぐに若菜に背を向け、正巳の方へと視線を動かした。
 また銃声。
 同時に三代が花子の腕を無理矢理引っ張りあげ、そのまま大きな木の後ろへと連れて行く。
 すぐに三度目の銃声が響き、若菜が反射的に目を瞑った瞬間、今度は更に大きな銃声が連続して辺りに響いた。
「何のつもりか知らんが残念だったな。こっちの銃の方が性能が良かったようだ」
 相変わらず不適な笑みを口元に浮かべたまま、木の陰から三代が姿を現した。
「ちっ。いい物持ってんじゃねえか……」
 舌打ちして告げると同時に地面を蹴り、最初の銃声の主が若菜の前へと躍り出る。
「お、お前、何で……?」
「たまたま通りかかっただけだ」
 若菜を背中の後ろに庇うような格好で告げ、関口春男(男子12番)は三代へとその銃口を向け直す。
「おい。三代は俺がひきつけっから、お前、その隙に逃げろ」
「ざけんな! 正巳置いて逃げれるわけ───」
「やべえ!」
 関口が叫ぶ。三代が銃の引き金を弾く。その瞬間を若菜も見た気がしたが、突然、関口に蹴り飛ばされてそのまま地面に突っ伏した。
 連続で響く銃声。
 それが収まったと同時に、すぐに目の前の木の陰に飛び込んだ。
「じ、冗談じゃねえぞ、クソ……」
 身体が震えるのを無理矢理押さえ込み、木の陰から三代の方を見た。
「逃げろ! 山口!」
 逆側の木の陰に退避した関口が大声で叫ぶ。
”逃げろったって……。正巳が……”
「無駄だ」
 三代の声が聞こえた。同時に再び銃声。
 反射的に木の後ろへと首を引っ込める。
「終わりだ。関口」
 銃声が止んだのを確認して、再び木の陰から首を出した。
 三代はこちらに背を向け、関口が隠れている木に向かって銃を構えている。
「最後に質問に答えてもらうとしようか」
 木の陰に隠れている関口は答えない。
 荒い息を吐きながら若菜は額から流れ落ちてきた汗を拭った。
 今しかない。
 三代が自分に背を向けている今なら。
 唾を飲み込んで、三代が次に言葉を紡ぐのを待った。
 恐らく時間にして数秒だったろう。だが、若菜にとってはそれは数時間単位の長さに感じられた。
 三代が何か言葉を発した、その瞬間。
 無意識に叫びを上げ、木の陰から躍り出た。
 何か三代が言っていたが、それはもう言葉としては認識されない。
 地面を蹴り、思い切り三代にタックルをかました。そのままもつれて、その場に倒れこむ。自分の下敷きになった三代はすぐに起き上がろうとしたが、その髪を引っ掴んで思い切り顔面を地面に叩き付けた。もう一度、繰り返そうと咆え声を上げた瞬間、力ずくで起き上がった三代の拳が思い切り顔面に入り、勢いで掴んでいた髪を離してしまった。誰かの声が聞こえた。同時に、三代の顔が跳ねた。関口の姿が目の前にある。蹴りを入れたのか。
「山口!」
 叫んだ関口の身体が、三代に突き飛ばされて地面に吹っ飛んだ。
「せ、関口!」
 助けに入ろうと地面を蹴った瞬間、振り向いた三代と視線がぶつかった。
 三代が咆え声を上げ、若菜の方へと突っ込んでくる。
 気付いた時には地面に背中を打ち付けていた。それでも、起き上がろうと地面に着いた両手に力を込めた時、腹部に強烈な衝撃が走りそのまま倒れ込んだ。
 銃で撃たれたわけではない。拳で殴られたのだ。分かったのはそれだけだった。
 痛みの余り顔を顰めかけた。だが、それよりも早く再び腹に衝撃が走る。
 どこかで誰かの声が聞こえたような気がした。
 そう思った途端、また衝撃が全身を駆け抜ける。次第に意識が薄れていくのが自分でも分かった。
 何度か全身を駆ける衝撃を感じたが、徐々にそれすら感じなくなっていく。
”ま……さみ……”
 真っ暗な視界。音の無い世界。
 自分が今どこにいるのかすらも、もう分からない。
 自分一人だけしかいない世界に堕ちていく。
 やがて意識が完全に闇の底へと堕ちた時、若菜の目から涙が一粒零れ落ちた。

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