BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
8
若菜は葵の足下に叩きつけられたそれを、呆然と見つめていた。
間一髪というやつだ。葵が避けたというより、相手が目測を見誤ったのだろう。
「あ……」と呟くと、立ち尽くしていた葵は腰が抜けたように膝を落としてしまった。
一瞬の出来事に身動き出来なかった若菜が、それの持ち主を睨みつけた。
「てめえ……」
分銅付きの鎖鎌を自分の方に引き戻すと、花田良平は嘲笑するように口を開いた。
「ちっ、おしかったぜ。にしても馬鹿丸出しだったな、お前ら。この状況であんな大声でよ」
「上等だよ、てめえ! 相手んなってやらぁ!!」
声を荒げて若菜は言った。
「そのオモチャでか?」良平は笑っている。
確かに、このレーザーブレードで鎖鎌と勝負するのはただの馬鹿だ。けれども、引くわけにはいかない。葵が殺されかけた。良平をぶちのめす理由としては、それだけで充分すぎてお釣りがくる。
「こんなナメた真似されて、黙ってるわけにゃいかねーんだよ!!」
言いざま良平に突っ込んで行こうとして、顔から地面に激突して転んだ。走り出した瞬間、右足をつかまれたのだ。自分と良平以外にここにいるのは、一人しかいない。
「なにすんだー!!」
「なにすんだじゃないわよ!! そんなんで勝てるわけな―――」
その先は言わずに若菜の身体を突き飛ばすと、同時に葵も反対側に飛んだ。また鎖鎌が飛んできたのだ。
若菜は尻餅をついたが、すぐに跳ね上がった。良平はもう一度、若菜めがけて振り下ろしてくる。
「じょ、冗談じゃねー!」
言うが早いか、葵のいる場所に向かってダイブした。
立ち上がろうとしていた葵に、受け止められる形になった。そのままもつれて、二人とも地面に倒れこむ。
「はっ。やっぱり馬鹿だな、てめーら!!」
「うわーっ!! ストップ、ストップ!!」
若菜が言ったが、もちろんそんな言葉が受け入れられるはずもない。
「恨むなよ!」と言うと、鎖鎌を振り上げた。
「どいて!」
いきなり若菜は横に突き飛ばされた。
”葵!?”振り向こうとした瞬間、良平が悲鳴を上げた。驚いてそちらを見ると、左の太ももを押さえてうずくまっている。
「逃げるわよ!!」
今度は腕をつかまれて無理矢理立ち上がらせられると、そのまま引っぱられた。
「え? え?」
「待てコラ!! ぶっ殺してやる!!」
わけが分からないまま、若菜は葵に引っぱられ走り始めた。
5分近く走っている気がするが、追いかけっこはいまだ続いていた。
全くあきらめる様子も無く、良平は何か叫びながら追いかけて来ている。
「お、おい葵!! や、やっぱ、戦おうぜ!!」
走りながら、前を行く葵に向かって言った。
「……だ、だから、無理だっつーの!!」息を切らしながら、返してくる。
体力はともかく根性には自身のあった若菜であるが、さすがに全力疾走で走り続けるのはもう限界であった。しかもいつの間に山の中に入ってしまったのか、周りの光景はすでに林では無く、鬱蒼と生い茂る森に変わっている。まともな道とはとても呼べない様な道を、二人は走り続けているのだ。もっともそれは、追いかけて来る良平も同じなのだが。
しばらく黙って走り続けていると、荒い呼吸のまま葵が口を開いた。
「も‥‥もう限界!! い、一旦、隠れよう!!」
そう言うと、どこにそんな体力があったのか葵がスピードを上げた。
若菜も必死で追いすがるが、少しずつ離されてきた。”ヤ、ヤベー、見失う!”そう思って前を見ると、葵が左斜め前方の草むらに飛び込んだのが見えた。
「うおーっ!! ラストスパートーッ!!」
若菜は咆えると、持てる全ての力を振り絞って草むらまで駆け抜け、躊躇無く飛び込んだ。葵と違って、勢いで本当にダイブしてしまったので若菜は思い切り転んだが、すぐに体勢を立て直した。
「こっちよ!」
姿は見えなかったが、声だけは聞こえた。間違いなく葵の声だ。
「どこだ!! 森川! 山口!」
明らかに良平の声だ。最後のスパートと良平の足のケガが無ければ、とっくに見つかっていただろう。
”げっ!! もう追いついてきやがった!”葵の声がした方に走っていた若菜がそう思った瞬間、下から腕をつかまれ引っぱられた。驚いて声を上げそうになったが、何とか堪え切る。顔を上げると、そこに葵がいた。
少し離れた所で、良平がまた何か叫んでいる。やはり、あきらめる様子は無い。
若菜と葵が逃げ込んだ所は背の高い草に覆われている草むらの、一部分だけくぼみになっている所だった。ここならば、そう簡単には見つからずに済むだろう。
「花田君、まだあきらめてくれないみたいね……」と、葵が耳元でささやいた。
「あ、ああ。それより‥‥疲れた……」と若菜も小声でうめく。
とりあえずこの距離なら、小声で話す分には良平まで聞こえないだろう。
「あのさ……」
いきなり葵が口を開いた。無論、小声でだが。
「なんだ?」
「いや、その‥‥鼻血」
それだけ言うと、若菜の顔を指差した。
「鼻血?」
何の事か分からず、若菜は鼻の下に指を持っていった。見ると、指に血が付いている。
「いっ――」
驚いて大きな声が出かけたが、すぐ葵に口を押さえられた。分かったというように、若菜が何度かうなずいてみせると、ようやく口が自由になった。
「い、いつ出たんだ? これ……」
小声で言い若菜が首を傾げると、その謎が解き明かされた。
「いや、だから、あんたが花田君に向かって行こうとした時‥‥に」
その後の展開が急過ぎて忘れていたが、そこまで聞いて思い出した。あの時自分は、顔面を強打したのだった。
「あ――」
また大声を上げそうになったが、今度は自分の両手で押さえきった。
「お〜ま〜え〜な〜。痛かったぜ、あん時は〜」
「しょうがないでしょ。ああでもしなきゃ、止められなかったんだから」と冷静に葵が返す。
「ま、まぁ、確かにちょっと無茶だったかもしんないけど……」
若菜は口を尖らせた。
「全然ちょっとじゃないわよ‥‥まあ、私の事で怒ってくれたのは嬉しかったけど……」
頭をかきながら、葵が続ける。
「とにかく、もうあんな無茶しないでよ。こっちの寿命が縮むわよ……」
「分かったよ。けど、これからどーするよマジ」
若菜は話題を当面の問題に変えた。葵も神妙な表情になる。
しばらく沈黙が続いた。
「今更かもしれないけど‥‥やる気なのね、花田君……」
沈黙を破ったのは葵だ。
「そりゃそーだろ……。わざわざ、戻ってきてまで襲って来たんだから」
「そうね。私らを先に見つけてなかったら、校門の所で待ち伏せして、出てくる人を襲うつもりだったのかもね……」
元々、小声で話していたが葵の声は更に小さくなっている。
「あんのヤロー。ざけやがって」
良平の声がする方を睨み、若菜が言う。
「大体あいつ、ホントに足ケガしてん――」
途中まで言ったが、急に一つの疑問が浮かんだ。
「どうしたの?」
「いや。逃げる前にお前、花田に何か投げたろ。あれ、なんだ?」
逃げる直前の事だ。葵が何か投げつけ、良平は足を押さえてうずくまっていた。
「ああ。手裏剣よ……」
「手裏剣? 忍者の?」
「うん……。私のも当たり武器とは言えないわね。まあ、あんたのよりはマシだけど」
若菜のスカートに突き差してあるレーザーブレードを見ながら、葵が言った。
「もうねーのか、それ?」
「あと二個あるけど……」
どうやら葵の支給武器である手裏剣は三個入りだったらしい。残りは二個ということになる。
「何?」と、葵が訊いてきた。
「いや、一個しか無かったら、お前もう武器ねーじゃん‥‥って思って」
「ま、ね」
もっとも、手裏剣が沢山あったからといってどうなるわけでも無いが、先程の事もある。何も無いよりはいいだろう。
「あきらめて、どっか消えてくれるといいんだけど……」
ため息を吐いて、葵が言った。
「でも、このままやられっぱなしはムカツクな〜」
負けず嫌いの若菜にとって、怯えて隠れているこの状況は気に入らなかった。
「そんな事言ってもどうしようも無いでしょ、これじゃ」と言って葵がレーザーブレードを指差す。
「……う」「あっ……」
若菜が口ごもったのと同時に、葵が声を上げた。
「な、なに?」
「こっちに来る……」
向こう側はあらかた探し終えたのか、良平がこちらに向かって来ていた。
「どうしよう……。このままじゃ、いずれ見つかっちゃう……」
良平にあきらめる気が無い以上、ここに隠れていてもいずれ見つかってしまう。かといって、立ち上がって逃げ出したところで、また追いかけっこが始まるだけだ。
「クソッ……。やっぱ、やるしかねーぜ葵」
「勝てるわけないでしょ。それに、私‥‥人殺しなんて出来ない……」
最後の方は消え入りそうな程、小さい声だった。葵はうつむいて震えてしまっている。
「当たり前だろ。いくらムカツクったって人殺しなんてしてたまるか」
「じゃあ、どうするの?」
「任せろ。あたしに良い考えがある」
葵が目を向けてくる。
「いーか。まず、あたしが手裏剣を一個持ってあいつに突撃する。何とかスキを作るから、お前が最後の一個をあいつに当てる。怯んだ隙に、あたしがあいつをボコボコにぶん殴る」
若菜は瞳を輝かせながら言ったが、葵はため息を吐いてしまう。
「……そんなの上手くいくわけないでしょ」
「じゃー、他に何か良い方法あんのかよ」
唇を尖らせて若菜が言い返す。
「それは……」
そう言われると葵も口ごもってしまう。
「とにかく、それはダメよ。あんたが危なすぎる」
「だーいじょうぶだって」笑って若菜が返した。
「大丈夫なわけ――」
言おうとしたが、葵は口を閉じた。そのまま固まってしまう。
良平がすぐ近くまで来ていた。小声でも聞き取られるかもしれない距離だ。時間が空いて冷静になったのか、良平はあらゆる場所を念入りに探している。限界だった。このままでは、5分もしない内に見つかってしまうだろう。
若菜はそっと葵の頭の上に手を置いた。教室を出る時、葵が正巳にそうしたように。葵が見つめてきた。うなずいてみせると、葵も覚悟を決めたのか、そばに置いていたデイパックから手裏剣を取り出し、二つの内一つを手渡してくる。手裏剣を受け取り、一度大きく深呼吸すると静かに立ち上がって、若菜は一気に駆け出した。
良平がすぐに気付いて振り向く。その手には、相変わらず鎖鎌が握られている。
「花田ァー!!」
叫びながら若菜は突っ込んで行く。
「山口!? へっ、バカが!!」
良平は動かずに鎖鎌を構えて、突っ込んでくる若菜を待っている。距離が縮む。五メートル。三メートル。もう一度、若菜は叫びを上げた。手裏剣を投げつける。一瞬、良平が怯んだ。すれ違う瞬間、走る勢いを拳に乗せ顔面を殴りつけた。良平が少しバランスを崩す。若菜はそのまま駆け抜ける。良平が振り向き、鎖鎌を振り上げた。若菜が振り返る。また良平がバランスを崩した。葵が近寄って来ている。手裏剣を命中させたようだ。良平はまだ体勢が整っていない。その隙を若菜は見逃さなかった。もう一度殴りつけようとした。「!!」いきなり若菜めがけて、何かが飛んできた。当たりはしなかったが、一瞬、怯んだ。気付いた時には、良平が鎖鎌を振り上げていた。
「死ねよ、てめえ!!」言いざま、若菜めがけて振り下ろす。
間一髪で横に避けた。また良平が狙ってくる。
「逃げろ、葵!!」
叫びながら、横に飛んで逃げる。体勢を崩した。また鎖鎌が振り上げられるのが視界に入った。”逃げられない!!”思うより先に、地面の土をつかんで投げつけた。良平が、空いている左手で目を覆う。上手く土が目に入ったようだ。もう一度、叫んだ。
「葵!! あたしも逃げるから、早く逃げろ!!」
言い終わるか終わらないかの内に、若菜は体勢を立て直し駆け出した。葵がいる場所と反対側へ向かって。良平との距離は、はるかに自分の方が近い。今なら葵は百パーセント逃げ切れる。
「ざけんな山口ィー!!」叫びながら、良平が追ってくる。
走りながら若菜は振り向いた。葵の姿は無い。上手く逃げたようだ。あとは自分がどうやって逃げ切るかだ。
良平が何か叫んだ。そう思った時には、前のめりに倒れこんでいた。背中に何かが当たったのだ。鎖鎌では無い。振り向くと、目の前にデイパックが落ちていた。自分のデイパックは、今も背負っている。目の前までやって来た良平が、左手でデイパックを拾い上げた。若菜はまだ、立ち上がっていない。良平が口を開いた。
「これで終わりだ、山口」
若菜は黙って睨みつけた。
「恨むなら、森川を恨みな」
「んだと!?」
鼻で笑って、良平が続ける。
「あいつが投げた手裏剣が無かったら、二度もお前に殴られてる所だったぜ」
そういう事だった。先程の攻防で、怯んだ良平を殴ろうとした時に若菜に向かって飛んできた何かは、校庭近くの林で葵が使った手裏剣だったらしい。
「クソッ! マジで殺し合いなんかやる気かよ、てめえ」
意味の無い質問だと分かっていた。どこからどう見ても、良平はやる気にしか見えない。それでも訊かずにいられなかった。自分のクラスに、殺し合いに乗る人間がいるなど思いたくない。そして何より、この場を切り抜ける為、どうにかして隙を作らせる必要がある。
「……俺だって、好きでやってるわけじゃ無い。でも、生きる為にはやるしかねーんだよ!」
良平が少しだけ苦しそうな表情になった。
「なんでだよ!! 探してみりゃ、何かこっから逃げる方法があるかも知んねーだろ!!」
「そんなもんねーよ。涼ちゃんでも無理だ。だから、俺はやる気になった」
涼の名前を聞いて、初めて思い出した。そういえば良平も涼のグループだったはずだ。
「だったら、てめーは西村達でも殺すってのかよ!!」
「うるせー!! 俺は死にたくねーんだ!! 相手がお前だろうが、涼ちゃんだろうが殺してやるよ!!」
言い終わると鎖鎌を振り上げた。会話は強制終了という事らしい。
「死ねよ、やまぐ――」
最後まで言わせなかった。鎖鎌を振り上げた瞬間に、良平の股間に蹴りを叩き込んだ。良平が悲鳴を上げてうずくまる。
「へっ。あたしのケンカは、かーちゃん譲りだぜ!!」
言うと、思い切り良平の顔面を蹴り飛ばした。良平は後ろ向きに倒れこんだが、右手はしっかりと鎖鎌を握りしめている。若菜は鎖鎌を奪おうと、倒れてうめいている良平に近付こうとした。瞬間、良平はいきなり立ち上がり鼻血で汚れた顔のまま、めちゃくちゃに鎖鎌を振り回してきた。
「うわっ!」
驚いて、若菜は後ずさった。
良平は雄叫びを上げながら、鎖鎌を振り回し続けている。
”……ゴリラか、てめーは!!”と突っ込みつつ、鎖鎌を奪う隙を探したが全く見つからない。
このまま良平が冷静さを取り戻せば、今度こそ容赦無く殺されるだろう。良平に鎖鎌を持たせたままでいるのは危険だが、自分の命には変えられない。決断した。
「クソッタレ!!」
そう言い放つと、全速力で駆け出した。途中で一度、振り向いた。まだ雄叫びは聞こえているが、良平は追ってきていない。
夜に包まれた森を走る若菜の耳に、その雄叫びはしばらく聞こえ続けていた。
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