BATTLE
ROYALE
〜 LAY DOWN 〜
80
政府から支給された腕時計の表示が9時00分に切り替わる。
それを確かめると同時に、天野義人は腰を下ろしていた椅子から立ち上がった。
「天野」
呼びかけながら同じように立ち上がったのは菊池である。
「山口を探しに行く」
若菜に何かがあった。
それはもう疑いようのない事実だった。
正巳と二人で話をすると言って自分達と別れてから、もうすぐ二時間が経過しようとしている。
一体、何があったというのか。
三十分程経った頃、一度外に様子を見に出た時には二人の姿はなくなっていた。
若菜の性格からして黙って自分達から離れる事は絶対にないはずだ。だが、事実、若菜はいなくなった。
自分達には黙ったままで、若菜だけをこの場所から引き離す事が出来るような人物など限られている。
そして、正巳はそれが出来る数少ない人物の内の一人だ。
恐らく若菜は何らかの形で正巳に請われ自分達から離れた。それも、すぐに戻って来るつもりで。だが、何かがあって戻って来る事が出来なくなってしまった。
戻れない理由は何だ。
自分達と一緒に行動する事を正巳が拒否したという可能性もゼロではないが、それならその事を若菜が説明に来るだろう。
やはり、正巳が意図的に若菜を自分達から引き離したと考えた方がしっくりくる。それも、若菜なら絶対に自分を疑う事はしないという確証があっての行動だ。
”高村か……”
どの道、若菜に何かがあった事だけは間違いない。
一刻も早く見つけ出さなければ。
踵を返して歩き始めた義人だったが、すぐに立ち止まる事となった。
「待てよ」
振り向いた先、菊池がこちらを睨むように見つめていた。
「一時間以上待ったさ」
「そうじゃねえ。行くなら俺達も行くっつってんだ」
すぐ傍の椅子に腰を下ろしている唯に目を向けた。
「だめだ。お前らは残れ」
「何でだよ! 仲間だろうが?」
今にも掴みかかってきそうな勢いで菊池が口を開いた。
「仲間だからさ。もし俺達が三人で探しに行ってる間に、山口が戻って来たらどうする?」
「そ、そりゃそうだけどよ……」
若菜ならきっと休む事もせず自分達を探しに行くだろう。
そういう女である事が、ほんの一日足らず一緒に行動しただけでよく分かった。
「あいつは馬鹿だからな。帰る場所がないと一人で暴走して何をするか分からん」
「けどよ───」
言いかけた菊池の腕を白い小さな手が掴んだ。
菊池の隣の椅子に腰を下ろしていた唯が立ち上がる。
「私達が……天野君と山口さんの帰る場所になるっていう事?」
「ああ」
真摯な瞳で答えを待つ唯に向けて、義人はしっかりと頷いた。
「……分かった。待ってる。ここでずっと待ってるから。だから、絶対二人で戻って来て……。約束、だよ……」
「ああ。約束する」
意志のある瞳。
死んだ絵里の事を完全に吹っ切ったわけではないだろうが、それでも唯の中に芽生え始めた小さな強さを感じた。
「菊池君も……それでいいよね?」
いきなり話を振られた菊池がため息を吐いて口を開いた。
「帰る場所、か……」
菊池が唯から自分へと視線を移す。
真剣な眼差しと向かい合う形になった。
「菊池」
「とっとと行って連れて戻して来い。俺らが待っててやるからよ」
笑って告げる菊池に頷いて答え、義人は元々座っていた椅子の横に置いていたデイパックを掴んだ。
「あ、待って、天野君!」
突然、何かを思い出したかのように声を上げると、唯はすぐ傍のテーブルの上に置いてあった長方形の黒い物体を手に取り、こちらに差し出してきた。
「これ、持ってって」
差し出された物は武器として唯に支給された探知レーダーである。
レーダーは全員に着けられている首輪と連動していて、半径一キロ以内に首輪の反応があった場合、星印となって液晶画面に表示されるのだ。
「いいのか?」
レーダーがないという事は敵が近付いて来たとしても分からないという事だ。
それにも関わらず唯は笑顔で頷いた。それから傍に立つ菊池に視線を向ける。
唯の視線を受けてか、少し赤くなって菊池も頷いた。
「持ってけよ。手塚にゃ俺がついてるんだ。絶対、守ってみせる」
まるで恋人同士だな、と思い苦笑しながら義人は頷いた。
「ありがたく使わせてもらう」
この二人なら大丈夫。
お互いがお互いを信頼し合っている菊池と唯ならば。
「一応、もしここが禁止エリアになった場合の集合場所も決めておこう」
義人の言葉と同時に、三人はテーブルの上に広げられた地図に目を向けた。
「どこでもいいだろ? ここは?」
菊池が指差した場所はG−9辺りにある防衛軍駐屯地と書かれているエリアである。
「分かった。それと、万が一、そこも禁止エリアになった場合は、こっちの科学研究所とかいうとこにするか」
「了解」
菊池が言い、唯も頷いた。
そんな二人の顔を交互に見つめた後、義人は一度小さく頷いて踵を返そうとしたのだが。
「よう」
菊池がこちらに右の拳を突き出している。
正直、少し驚いたが、すぐに自分の拳を菊池の拳に軽くぶつけた。
「ちょっと行って来る」
「おう。また後でな」
「行ってらっしゃい」
菊池と唯をもう一度だけ交互に見つめ、それから義人は今度こそ本当に背を向けて歩き出した。
今、ここに自分達と共にいるはずだったもう一人の仲間を探す為に。
一体、若菜はどこに行ってしまったのだろうか。
いなくなった若菜を探す為、菊池達と別れ外に出たまでは良かったが、どこに行けばいいやら皆目見当がつかない。
朝の冷たい風はいつの間にか収まっていて、少しずつ暖かくなってきていた。
昨日とは違い、特に暑くなりそうな気配もない。
自分達が拠点としているあの家から、そんなに長い距離を若菜が歩いたとは思っていなかった。
長時間移動していれば、さすがの若菜も自分達の事を気にして、一度は戻る事を考えるだろう。それも無事であればの話に過ぎないのだが。
唯から借りたレーダーに目を落としたが、星印は三つしか反応していない。中心にある星が自分で、少し離れた位置で二つ重なるようにして光っているのは菊池と唯を示す星だろう。つまり半径一キロ以内には誰もいないという事だ。
とにかく、しらみつぶしに探すしかないか。
そう思い、気持ち足を速める。同時に、かつて自分が親友だと思っていた男の事を思い出した。
若菜に良く似た少年だったと思う。
ただ決定的に違ったのは、彼が偽善者だったという事だ。
勉強も出来て、スポーツも万能。その上、熱血漢で、いつでも弱い者の味方だった少年。だが、彼は自分の信頼を裏切ったのだ。
もしかしたら、まだ子供だった彼は、本当は嫌だったけれど大人の言う事に従わざるを得なかっただけなのかもしれない。
それでも、当時の自分にとっては単なる裏切りでしかなかった。
そうして、その時から、自分は他人に対して壁を作るようになったのだ。
他人に心を開かない。開きたくなかった。開きたくなかったはずなのに。
───おう! 約束したからな、天野っち!
山口若菜。
あの少女に生きて欲しいと、今心底思っている。
自分が好きになった少女と同じくらいに、いや、もしかしたらそれ以上に若菜に生きていて欲しいと思う。
例え、どれだけ狂った世界の中でも、若菜なら今のまま変わらずに生きていけるような気がするから。
そこまで考えて義人は一人小さく苦笑した。
世話の焼ける妹のようでもあり、無意識に自分を引っ張る強い存在でもあり。
”おかしな奴だよ、お前は……”
ただ生きていて欲しい。
そう思える相手である事だけは間違いない。
そう思い必死に若菜を探し続ける事、数十分。ようやく自分以外の者の反応がレーダーに現れた。
液晶画面の中央に自分を示す星。そして、右上にもう一つ星が点灯している。
「あっちか」
ひとりごちると、義人は星が点灯している方へと更に足を速めた。
昨日、若菜と一緒に歩き回った森と同じような風景ばかりが続いているが、レーダーのおかげで迷う事なく星の元へと近付いて行く事が出来る。
レーダーの本来の持ち主である唯に感謝しつつ、義人は足を進めていく。
星の姿を肉眼で確認出来る所まで来ると、一度、立ち止まり周囲に他に人がいないかレーダーで確認してから足を止めた。
点灯している星は二つ。
自分達以外は、生きている者も死んでいる者も半径一キロ以内にはいないという事だ。
一度、唾を飲み込んだ後、音を立てないように足を踏み出し、同時に口を開いた。
「池田」
呼びかけると、背を向けて歩いていた池田一弥の肩が少し跳ねた。
「誰だ?!」
勢いよく振り向き、こちらを睨むように見つめてくる。
警戒している事がすぐに分かった。
両手を挙げ、やる気でないという意思表示をした義人だったが、一弥の姿を見て息を呑んだ。
「天野か。やる気じゃ……ないんだな?」
念を押すように言った一弥に向けて黙って頷いて見せる。
しばらく探り合うように見つめ合った後、義人の方から口を開いた。
「その怪我、どうした?」
目の前に立つ一弥の顔は腫れ上がっていて、乱れた制服の至るところに血の跡のようなものまであった。
こちらを窺うようにしていた一弥の表情が苦渋に満ちたものに変わる。
「三代に……やられた。あの野郎……」
「何があった? 話してくれないか?」
向かい合う形の一弥は黙ったままだ。
しばらく俯いていたが、ややして一弥が再び自分に視線を向ける。
「どうしようもなかった……。どうしようもなかったんだ!」
突然、無念さを込めた叫びを上げると、一弥は地面に落ちていた小石を蹴った。
「……三代はやる気だ。夏季は殺された。俺は……俺とオーケンは……矢口と高村と崎山を見捨てて逃げたんだ。けど……仕方なかったんだ! 逃げなきゃ殺されてた! くそっ! 俺は───」
「高村だと?!」
思わず声を上げると、一弥も驚いてこちらに視線を戻した。
義人も息を呑んで、一弥へと目を向ける。
唐突に嫌な予感が全身を支配した。
殺し合いに乗っている三代。若菜を連れ出した正巳。
「詳しく……聞かせてくれ」
汗が額から流れ落ちてくる。
向かい合う義人と一弥に襲い掛かるように、朝の冷たい風が吹き抜ける。
静かな森の中、しばらくの間、風の音だけが聞こえ続けていた。
≪残り 29人≫