何事にも中途半端で終わる人は尊敬されない。口うるさい老人は言うに及ばず、軽佻浮薄なる若者ですら「アイツははんぱ無い」などと敬意を払う。しかしそう言い切っていいのだろーか?巷ではラーメンや酒ですら「極める」という字が踊っている。ましてや芸術、学問においておや。
しかしすべてのもの事には両面がある。あるものはpositiveだけで、また、あるものはnegativeだけ、ということはありえない。例えばいまハヤリのユルキャラなどは中途半端の好例だろう。クマモンをはじめヒコニャン等々、岐阜では引退したヤナナなどは誰がみてもハンパない中途半端さだ。私は絶妙な命名「老人力」をまねて、それを「半端力」と名付けた。
趣味などは中途半端だからこそいろいろな趣味を楽しめるのだ。お稽古事にいちいち奥義を究めようとしてたら「遊びとは苦しきことのみ多かりき」になってしまう。半端に専門知識があるからこそセールスが生きてくる。街の誰にでも断言しながら売り込むことができるのだ。学園祭では工学部の学生が自信に満ちた態度で参観者に事象のメカニズムを明解に説明する、指導教官にはとても出来ない潔さで。
たまたまネットで放射線の教育用ソフトの取説を見た。私のようにソフトを自前で作る人は普通、他人のプログラムを参考にすることはマレだ。「口で言うより手の方が早い」ではないが、他人のソフトを見て論理の流れを理解するよりも、自分で作ったほうが早いからだ。見てくれは悪いし、バグはあるし、計算速度もノロノロだが、何よりも使い勝手がよいのだ。
くだんの教育用ソフトだが、ほぼ完璧の出来栄えに思えた。しかし、いったいこのソフトをどんな先生が使うのだろう?設定条件があまりにも専門的すぎるのだ。これは多分、中学や高校の物理教育用のソフトではなくて専門学校か原子力工学科用のソフトなのだろう。だとしても教育用と銘打ってるわりには完璧すぎる。放射線と物質の相互作用を完璧に理解している人にしか分からないソフトだ。だとしたら教育する意味が無いのでは?もう少し半端力を出してソフトを製作すべきではないのか?でも、もしかして、いつものように私が勘違いしてるのかな?
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