BRR(BATTLE ROYALE REQUIEM)
第1部
〜コードネームの反逆者〜


4「こころの鍵」

 1997年6月1日(日)。
 城岩町でも、5本の指に入る――あえて順位をつけるなら、桐山邸、織田邸に次ぐ豪邸ということになるだろうか。
 屋敷の2階、主人を失くし、静まりかえる部屋。
 隣の部屋の中、少女は静けさを感じていた。
「お、お兄ちゃん」
 お兄ちゃんゆずりの整った美しい顔も、今は涙でくずれてしまっている。
 三村郁美は、後から後からあふれ出る涙を抑えられなかった。
――私は、こんなに悲しいのに、お父さんも、お母さんもどうして。
 お兄ちゃんの死に両親は無関心だった。
 あっ、そう――そんな感じ。
 母以外にも、女性のいるらしい父。
 それを見て見ぬふりをして、自分の殻に閉じこもる母。
 自分たちは、十分すぎるほどの食事を与えられていたし、服も、その他、欲しい物は大方買ってもらえた。
 世間一般の子どもよりは恵まれいるのだろう。
 でも、何かが違うのだ。
 愛されていないというか、なんて言ったらいいのか。
 例えるなら「片親の違うお兄ちゃんや弟がいたとしても――もし、これから生まれることになるとしても驚かない」といったところ。
 周りには、まだまだ子ども扱いされる(実際、まだ小学6年生なんだけれども)、そんな私にも、その意味くらいはわかる。
 お兄ちゃんも、自分と同じように感じていたのだろうか。
 お兄ちゃんは、叔父さんから様々なことを学び、また、叔父さんという存在に支えられてきたんだ――そう思う。
 私が、お兄ちゃんから様々なことを学び、また、お兄ちゃんという存在に支えられてきたように。
 2年前の叔父さんの死を、お兄ちゃんはどのようにして乗り越えたのだろうか。
 想像もつかない、その手の話はしたことがなかった。
 人生についての話といえば「恋愛結婚したい? お見合い結婚でもいいと思う?」と聞いたことくらいだろうか。
 お兄ちゃんは「俺は、結婚しないかもしれないな」、そう答えた。
 今、思えば、もっと深くいろいろな話をしておけば良かったのだと思う。
 でも、中学3年生が小学6年生に教えられることには限りがある。
 聞く方は、何を聞けばよいか分かっていないし、教える方も、何を教えればよいのか分からない。
 あるいは、中学3年生からすれば「小学生には、まだ早い」そんな考えが働いていたのかもしれない。
 そして、何より、2人とも人生経験が少なすぎる。
 確かに、お兄ちゃんは他の中学3年生よりは多くの知識を持っていた。実に、3人の女の子と寝たことがあるらしい(私が、寝るの意味を知ったのは、つい最近のことだ、どうでもいいことだけれども)
 私も、そんなお兄ちゃんの影響もあって、小学6年生にしては多くの知識を持っていると思う。
 だが、大人のそれと比べれば足りないのだ――当たり前だ、私たちはかれらの半分も生きていないのだから。
 話がそれてしまったかも知れないけれど、私はどうしたらいいのか分からなくなってしまっていた。
 突然消えてなくなってしまった、お兄ちゃんという心の支え。
 私は、乗り越えられるのだろうか? お兄ちゃんが叔父さんの死を乗り越えたように。
 そんな私の耳に、新しいニュースが飛び込んできた。

 先週の月曜日、学校から帰って来てテレビをつけると、いつもの番組はやっていなかった。
 お兄ちゃんが『プログラム』に選ばれたことを忘れるために、いつもと同じように生活しようとしていた私は、ドキッとした。
 いつもと違うことが始まるのが、とても怖かった。
 TVの中では、右上に臨時ニュースというテロップが入り、アナウンサーが同じ内容を繰り返し読み上げていた。
 24日早朝から、共和国内はこの事件の話題で持ちきりだった。
 ニュースでは、香川県で実施された『プログラム』の担当官と優勝した生徒が死亡しているのが発見された事件の続報を伝えていた。
 事件のことを知った私は、人が死んだというのにうれしくなってしまった。
『プログラム』の対象校のことは報道されていなかったが、こんなことができるのはお兄ちゃんしかいない――直感的に、そう思った。
「もしかしたら、お兄ちゃんが生きてるかもしれないね」
 しかし、父は、
「それは、困るなぁ。そうなったら、私たちも良くて樺太(の強制収容所)行き。悪ければ、国家反逆罪で処刑だ」
 顔色を変えることなく、言い放った。
 そして、少し考えた後で、電話のダイヤルを回した。
 口ぶりから、相手が、ひいきにしてもらっている専守防衛軍四国地方師団の幹部だと分かった。
 そして、父が何をしようとしていたのかも。

 ニュースは続いていた。
 アナウンサーが続けた。
「『プログラム』会場での現場検証が終わった」
 次の映像に目を奪われた。
 山積みになっていた死体(モザイクもかけずに公共の電波に乗せるのは、どうかと思う)が、身に着けていたのは、見慣れた制服――お兄ちゃんの通っていた城岩中の制服だったのだ。
「生徒2名が行方不明になっていることが判明しました」
 願いは確信に変わった。お兄ちゃんと、一緒に逃げ出した誰か(瀬戸豊さんあたりだろうか)は生きているのだ、間違いなく。
 しかし、確信はすぐに絶望へと変わった。
「行方不明になっているのは、香川県城岩中学3年生の」
 当然、お兄ちゃんの名前が伝えられると思っていた。
「七原秋也さんと中川典子さんの2人です」
 七原秋也と聞いて、彼がお兄ちゃん仲のいい友人で、何度か会ったこともある人だと思い出した。
 そして、少し間があいて気づく。
 こういう報道がなされているということは、お兄ちゃんは死んでしまったのだということに。
 涙は流れてこなかった。
 ただ、お兄ちゃんにはもう会えないのだという漠然とした想いが、頭の中をクルクル回っていた。

 2日後の水曜日。
 葬儀がいとなまれた。
 だが、自分以外の親族で涙を流しているる者はいなかった。
 遺体の損傷が激しいということで、顔を見ることも許されなかった。
 それなのに、父は知人と談笑をする余裕もあった。
 叔父さんが生きていれば、お兄ちゃんの死を悲しんでくれただろう。
 だけど(お兄ちゃんほど詳しくは知らないけれど)あの叔父さんのことだから、涙は流さないだろう。
 父のように冷たい人だからというわけではない。感情をあらわにはしない人なのだ。
「常にクールに」
 その口癖のままに。
 ふと、父の方を見た。すると、軍人らしい人たちに、アタッシュケースを渡していた。
 小学校6年生の私にも、中身が金だと分かったのだ。
 周りの大人が気づいていないはずがなかった。
 しかし、誰も何も言わなかった。見て見ぬふりだ。
 父を、大人たちを信じることのできなくなった瞬間だった。

 そして、今日。
 朝から家に兵士がやって来て、お兄ちゃんの遺品をあれやら、これやら、回収していったのだ――正確には、任務を終えて、下で父と話している。
 私は「やめて」と叫んだ。
 けれども、彼らは言った。
「ご主人の許可は得ています」
 中年の兵士がこっそり教えてくれた。お兄ちゃんは『プログラム』の会場から逃げ出そうとしたのだと。
 お兄ちゃんらしいと思った、が、そんなことはどうだっていい。
 兵士たちは、その証拠を集めに来たのだという。逃亡をしようとしていたのなら、その後にかくまってくれる、あるいは海外へと逃亡を助ける仲間がいたのではないか。それを調べていったらしい。
 窓の外を見る。
 涙のせいで、景色が少しぼやけて見えた。
 見下ろすと、ちょうど、父が兵士を見送るところだった。
 兵士の手には、またしてもアタッシュケースが握られていた。
 それを見た時、私の中で何かが切れた。
 お兄ちゃんと同じ、左の利き手でドアノブを回す。
 次の瞬間には、部屋を飛び出していた。

 彼女のこころの鍵は、この時、すでに閉じられていたのかもしれない。


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